0008 プリンスと恋心
「あっ、大地先輩」
ベンチに下げられ暇を持て余していた俺。
その姿を見て気遣ってくれた……わけではないだろうが、背後から俺を呼ぶ声がした。
振り返ってみると、そこにはバドミントン部の一年生数人が。
下っ端学年らしく、これから学外へ走り込みにでも向かうのだろう。
「ようお前ら。これから練習か?」
「はい! 大地先輩は暇そうですね」
「戦力外通告だ。お前なんていらないって監督に言われちまった」
「ははは! 冗談が下手ですね!」
「お前らのバドミントンほどじゃねーよ」
「うわ~! きっついこと言いますねー!」
「はははっ! 練習頑張って、上手くなれよ」
「はい! ありがとうございます!」
元気溢れる声を残し、笑顔で走り込みに向かった一年生組。
その後ろ姿を眺めていると、
「大地」
また声をかけられた。
今度は元野球部の上級生。俺が助っ人したときサードを守っていた人だ。
既に部活を引退しており、かつて五厘刈りだった頭が今では黒々と生い茂っている。
高校球児から受験生へと変貌を感じさせるなあ。
「先輩こんちゃす! ところでどうですか? 受験勉強の調子は?」
「それがよ、難しい問題に直面しちまって、教師や塾講師の解説はイマイチピンとこないんだ。悪いがまた明日にでも教えてくれないか?」
「いいっすよ。その代わり、また学食でからあげ奢ってくださいね」
「いいぜ。10個でも20個でも好きなだけ買ってやるよ」
「やったー」
先輩は「塾がもうすぐなんだ。またな」と言って帰ってゆく。
受験生って、大変だなあ。
「大地って、ほんと友達多いよね」
呟いたのは隣にいる智里だった。
「え? そうか?」
「うん、いつも知らぬ間に友達増やしてるよ。社交性高すぎでしょ」
うーむ、意識したことはないが、振り返ってみるとたしかにそうかもしれない。
気付いたら色んな人と仲良くなってた、そんな感じの連続だ。
「ま、友達が多いに越したことはないからな。その方が楽しいし」
言いながら、智里の肩にポンと手を置いた。
「智里も大事な友達のうちのひとりだ」
少々クサいこの発言は、『はいはい』と鼻で笑う智里の反応を見越してのものだ。
……ってあれ?
しかし現実は想像とは違い――
言うや否や、まんまると見開いた目がこちらに向けられた。
「……所詮……友達……」
よくわからないことを呟いたかと思えば、智里は俺の手を振り払い、プイッとそっぽを向いた。
え? なに? どうして不機嫌なの?
「……あっちいって」
「え?」
「あっちいって! そう言ってるの!」
こちらを見ようともせずめちゃくちゃ怒ってる。わけがわからない。
しかしまあ『触らぬ神に祟りなし』ともいう。
ここはしばらくそっとしておいた方が身のためだ。
そう判断した俺は言われたとおりあっちへ行くことにする。
グラウンドの周りを走りながら紅白戦を眺めるとしよう。
「じゃ、じゃあ俺、走り込み始めるから」
一応告げてからベンチを立ったが、智里は俺を無視。
首をかしげながら一歩二歩とベンチを離れると、少し離れたところで試合を見守っていた監督が、「陽川」と。
俺を手招きして呼び寄せ、小声で言う。
「お前、マジか」
教師がその言葉遣いはいかがなものだろうか。
しかしその発言、期待を抱かずにはいられない。
「紅白戦に出してくれるんすか⁉ 俺はいつでもマジっすよ!」
「違う」
それはゴミを見るような冷ややかな眼差しだった。
ちょっと待て! そんな目を向けられるようなことをした覚えはないぞ!
監督は俺の耳に口を寄せ、声を潜ませた。
「悪いな。実はお前と橘の会話が耳に入ってきて……」
「聞いてたんすか。じゃあ智里がなんで怒ったかわかります?」
「ええ……」
なぜか困惑した監督は「もういい」と俺を放任した。
智里といい、さっきからよくわからんことの連続だ。
*****
皆が紅白戦に奮迅する中、ひとり淡々と走り込みを行う陽川大地。
橘智里の目は、そんな彼の姿だけを追い続けていた。
「なにあれ……数あるうちのひとつみたいな言い方……」
なにも今に限ったことではない。
陽川大地を視界に捉えると、彼女の目は華やかな炎で彩られる。
これは幼き頃から変わらぬことで、彼に対して抱く特別な感情を如術に表していた。
「幼馴染みのままなんて嫌だよ……もっと、先に行きたい……」
想いを直接口にしたことはない。
むしろ悟られないよう、隠してきたほどだ。
だが秘めた恋心はときに本人の意図とは裏腹に表に出てしまう。
だから監督も、その他サッカー部員も、彼女の想いにはとっくに気付いていた。
「だって好きだもん……大地のことが……」
気付いていないのは陽川大地ただひとり。
こと恋愛に関して非常に鈍感な彼は、恋心が一切わからない。