0071 けじめ
扉を開けると、いた。
だだっ広い食堂にたった1人、月上京花の姿がある。
やつは一番奥の隅っこの席に腰を下ろし、窓の外へ視線を投げていた。
「よう」
俺は一声掛ける。
やつはこちらを一瞥した。
だが無言のまま目をそらし、また窓の外を眺め始める。
「外になにかあるのか?」
今度は質問を投げる。
すると――
「……なにもないわ」
少し間を開けたが、今度はちゃんと返ってきた。
そして次に質問を投げたのは、やつの方からだった。
「あの破壊者のこと、知った顔だと言ってたわね。転生者なの?」
「ああそうだ。俺にとっては部活の後輩だ」
「そう。随分と増えたものね、転生者も」
「後輩だったんでヤンスね」と萌生が呟く中、やつは窓の外に視線を投げ出したまま俺と会話を続ける。
「死んだの?」
「いや、生きてる。気絶してるけどな」
「殺さなかったの?」
物騒な女だ。
「みんな、生かす方向で納得してくれたよ。今だって面倒を見てくれている」
「ふっ、甘いわね。なんなら私がトドメを刺そうかしら」
「やれるもんならやってみろ。かわいい後輩に手出しはさせん」
「かわいい後輩ね……。先輩にそう言われて、さぞかし嬉しいでしょうね」
俺は一歩ずつ、月上京花に歩み寄る。
そしてやつの前にある机に、神剣サンソレイユを置いた。
「それよりもこの剣、返しに来たぜ。大事な炎の剣だろ」
そう、大事な炎の剣……のはずなのに。
月上京花はそれに一目もくれない。
窓の外を眺めたままだ。
「……さっきのトドメ云々は冗談よ」
「それは伝わった。そうでなきゃわざわざ刃物なんて渡さねえ」
「ふっ、もっともだわ。でも元より、今後剣を手にするつもりはないけどね」
「なに?」
怪訝な表情を浮かべた俺。すると月上京花はようやく視線を合わせてきた。
そのまま立ち上がり、腰に差した鞘を抜いたかと思えば――
――カチン――
刃と一体にし、ズイッと俺に突き出した。
そして、言う。
「神剣サンソレイユはあなたに託すわ」
「……な⁉」
サンソレイユを、俺に?
「……またしてもたちの悪い冗談だ」
「今度は本気よ。冗談で2度も遊ぶほど暇じゃないわ」
嘲笑が消え失せた目は真剣そのもの。
突き出したサンソレイユを収める気配はない。
しばし沈黙が流れた。
やがて、サンソレイユは机に置かれる。
極めて俺に近い位置だ。
こいつ、たしかに本気だ。
「なんの意図がある? 説明しやがれ」
「……いいわよ。でも、見世物じゃないわね」
やつは萌生を一瞥した。
席を外せ、ということだろう。
「萌生、すまんな」
「あっ、いいでヤンスよ」
遠のく足音。
そして扉が閉まる音がした。
「さあ、とっとと説明してもらおうか」
「簡単に言えば、あなたの方が持つに相応しいと判断したからよ」
月上京花はそう切り出し、決断に至った理由を語り始めた。
「サンソレイユを振るうあなたを見たとき、愕然とさせられたわ。並だった一挙一動が途端に洗練されたもの。でも、その前まで手を抜いていたとも思えない。不思議だけど、サンソレイユがあなたの眠れる力を引き出した、そう説明するほかないわ。自分でも思わない?」
「……ああ、思う。この剣はたしかに俺に合っていた」
「合っていた、ね。それならばこんな言い方もできるわ。あなたもまた、サンソレイユに合っていた。あなたが、サンソレイユの眠れる力を引き出した」
「……不思議な表現だ」
とは言いつつ、こいつの言うことには実感があった。
***
意思とは関係なしに、手が伸びる。
それだけでなく。
心なしか、剣がこちらに近づいてくる。
まるで俺の身体と真剣サンソレイユが互いを欲していたかのようだ。
***
「お前はこれから普通の剣を持つのか?」
気になって尋ねた。
月上京花は自分自身を嘲笑う。自嘲だ。
「言ったでしょ。もう剣をもつことはない、と」
「……なに?」
たしかにそう言っていた。
サンソレイユを持たない、ではない。
「冒険者をやめるのよ。金輪際、なにとも戦わないわ」
「……な、なんだと⁉」
思わず大声を上げてしまった。
怒りがこみ上げる。
「ふざけんじゃねぇ。俺相手に勝ち逃げする気か」
「勝ち逃げって……。私が勝てなかった相手に勝てたじゃない。闇の破壊者に」
「俺とお前、直接の戦いではないじゃないか。それにもしもお前の攻撃が効いてたらどうなってた?」
「私が勝ってたわ。余裕で。斬撃の力やキレ自体はせいぜいオーガクラスよ」
月上京花は迷う素振りも見せず即答した。
相手にならない、とでも言いたげだ。
そんなやつに向けて、またしても『もしも』の話を切り出す。
「もしも、もしもの話だ。サンソレイユを持った俺とお前が戦えばどうなると思う?」
「……お世辞も謙遜も意味がないから正直に言うわ。私の圧勝よ。動きが洗練されているとはいえど、あなたはまだまだ私には敵わない」
「言ってくれるじゃねえか。ならなおさら辞めさせるわけにはいかねえな。とにかく、理由を教えやがれ」
「けじめよ」
「なんの」
「敗北の、よ。攻撃が効かなかったとはいえ敗北は紛れもない事実。自分自身のけじめのために剣を持つことをやめるわ」
「ふざけたけじめだ。くだらん」
「ええ本当に。私という人間は本当にくだらないわ」
やつは「ふっ」と。
また自嘲したように笑った。
俯き、しばらく押し黙ったかと思えば、顔を上げて吐き捨てるように語る。
「闇の破壊者が街を滅茶苦茶にしていると知ったとき、私はどんな感情を抱いたと思う?」
「……使命感、正義感なんて柄じゃねえよな」
「ええ、よくわかってるじゃない。私はあのとき、喜んだわ。あれを倒せばさらに有名になれるって。こんなことを考えるクズ人間だからバチが当たったのかしら。私は歯が立たず、実際に倒したのはあなたよ。情けないことこの上ないわ」
己をボロクソに貶し、その後は鎧に手を掛ける。
深紅と漆黒が織り成す、見事な鎧だ。
胴当て・腕当て・脛当て、月上京花はその全てを取り外し、投げ捨てた。
「話は以上よ。じゃあ、今度こそ二度と会うことはないわ」
「おい待て!」
丸腰になり歩き出した後ろ姿。それに向けて俺は叫んだ。
「勝手に終わらせるな! 言ったように俺はまだお前に勝ってない! 勝ち逃げか!」
「あなたの勝ちよ。私は戦わないから、不戦敗」
「ふざけんな!」
立ち止まることなく、振り返りもせず、やつは淡々としていた。
「待てと言ってるだろ! どこへ行く気だ!」
「あてなんかないわ。元々流浪の身だもの」
「それなら、それなら……俺と一緒に来い!」
ピタッと、足が止った。
「いつでも勝負を申し込んでやる! どうだ!」
「……冗談なら、もっと面白いものをお願いしたいわね」
しかし、その足はまた遠くへ行こうとする。
ギリギリと歯ぎしりした俺は、切り口を変えて叫ぶ。
「有名になりたいんじゃなかったのかよ! 強さが取り柄のお前が、戦わずしてどう有名になるんだ!」
――ピタッ――
出口の寸前で。
またしても足が止った。
そして、今度は長かった。
立ち止まったまま、一切動かない。
逡巡しているのだろうか。
くだらないけじめに従うか、信念を貫き通すかで。
やがて――
「……結局、その器になかったってことよ」
そう呟き、ドアノブに手を掛けた。
初めて見たとき威圧感に溢れていたその背中は、今は見る影もなく小さい。
そして、俺の前から完全に消えた。
「……馬鹿野郎が!」
乱雑にサンソレイユを手に取った。
丸腰だった自身の腰に勢いよく差す。
「今日からこれは俺の剣だ。あんなくだらんやつには勿体ない」
神剣サンソレイユ。
月上京花の強さの象徴であったこの剣は、期せずして俺の腰に収まることとなった。




