0041 変人の極み、魔法使いライム登場!
俺は今日、初めて負けた。
前世では、負けたことなどなかったのに。
サッカーでも。勉強でも。
野球でも、バスケでも、音楽や美術でも……。
あと……テニスでも卓球でもバトミントンでも短距離走でもマラソンでも水泳でもドッジボールでもバレーボールでもポートボールでも缶蹴りでもケイドロでもキックベースでも縄跳びでも鉄棒でもサーフィンでもシャトルランでも握力測定でも長座体前屈でもハンドボール投げでも腹筋でも背筋でも腕立て伏せでもスクワットでもウサギ跳びでも囲碁でも将棋でもオセロでもチェスでも射的でも金魚すくいでもボーリングでもカラオケでも音ゲーでもスマブラでもモンハンでも……誰にも負けたことがなかったのに。
「よ、陽川君⁉ いったいどうしちゃったでヤンスか⁉ 怪我でもしたでヤンスか⁉」
へたり込んでうなだれたままの俺に、萌生が言う。
今までトップを走り続けた誇り高い人生を送ってきたのだ。
挫折と、喪失感は計り知れない。
「あのう……」
そんな時だった。
急に女の声がした。
目線を上げて一瞥すると、萌生の後ろに杖を持った女の姿が。
オーガ討伐前に目にした、全身緑にまみれた回復使いだ。
同年代とおぼしい見た目の彼女は、申し訳なさそうな表情を浮かべ、言葉を続けた。
「ワタシを助けようとオーガに向かってくださったのですか? もしそうならすみません。お怪我をされたのなら治療しますよ」
回復使いらしい心遣いだが、あいにく怪我はしていない。
それともなんだ? 心の怪我を治してくれるのか?
別に怪我はない、そう言おうとした。
だが俺より先に、萌生が口を開く。
なぜか俺の背中に回り、身を隠すように屈んで、
「ありがとうでヤンス! 陽川君を治してほしいでヤンス!」
いやその場で言えよ。なぜ隠れる。
背中に萌生の鼻が当たる感触がした。
くっつくな、おい。
「別に怪我はしてねえよ」
「え⁉ それならどうして⁉」
「……知らね」
「し、知らないって……」
誤魔化した俺。
萌生の声からは困惑がうかがえる。
そんな状況の中、回復使いの声が耳に届く。
「男2人……」
ああ、男が2人だな。
それがどうした。
「イケメン同士……密着……」
ん?
「女性がいるのに目もくれず……2人だけの世界……ただならぬ関係性……友情を超えた先にある光景……」
はあ⁉
回復使いがわけのわからないことを言い出したので、うなだれたままだった俺の顔は自然と上がる。
そして、愕然とした。
なんと回復使いは、お淑やかな笑みを浮かべ……鼻血を垂らしていたのだ!
な、な、な⁉⁉⁉
夢か幻か、いや現実だ。
気味の悪さを感じるこの光景には、挫折と喪失感を一時忘却へとやり、目を釘付けにされた。
しばし間を置いた後、
「申し遅れました。ワタシ、ライムと申します」
鼻血を垂らす回復使いはライムと名乗り、ポケットから取り出した紙で血を拭い、両鼻に詰めた。
流れで自己紹介をされたが、そんなの耳に入ってこない。
気になるのは鼻血の方だ。
そっちについては話に触れないらしい。
「あ、ああ、俺は大地」
「ぼ、僕は萌生でヤンス」
俺は愕然としながら、萌生は怯えたような声で自己紹介を返した。
うん、たしかに怖さを感じるよな。
「ダイチさんにホウセイさんですね。ところで、おふたりに重要なことをお聞きしたいのですが……」
そう言うライムはうって変わって真剣な表情だ。
重要とは、いかほどの内容なのか。
俺がごくりと唾を飲むと、告げられる。
「おふたりは恋人同士なのですか?」
んなわけねえだろ。
「いや、違うけど……」
「では身体のみの関係でしょうか? ただ欲求を満たし合う仲というのもまた素晴らしいですね」
引き気味に否定すると、ライムは饒舌たる口ぶりで話をさらに飛躍させた。
いったいどこからそんな発想が出てくるのか。
思考回路の振り切れようはギルドの変人達を完全に凌駕している。
「先程のオーガ討伐、拝見いたしました。おふたり共とても強いので馬が合うのでしょうね。ところでベッドで馬乗りになるのならどちらが上でどちらが下ですか?」
どさくさに紛れてわけのわからん質問をするな。
だが、ライムの言葉で思い出すものがあった。
気を遣ったのだろうが、とても強かったのはおふたりではない。萌生だ。
一時忘却へとやっていた挫折と喪失感が蘇る中、それ以上に脳内を占めるのは萌生の強さの謎。
「萌生」
ライムを無視して尋ねた。
オーガの巨体を吹っ飛ばすほどの蹴り。
太い腕を楽々切り落とす腕力。
こいつ、どんな体つきしてるんだ?
「服を脱いでくれ」
「え?」「えええ⁉︎」
え、がふたつ。
ライムのそれは、萌生の声をかき消すほどだ。
なぜお前が驚く?
「お前の裸が見たいんだよ。俺に見せてくれ」
――ブハッ!!!――
その瞬間、ライムの鼻に詰めた紙が勢いよく噴射した。
鼻血と言う名の赤き閃光と共に吹っ飛んだ紙は、まるで火を噴いて空高く飛び立つロケットのようだ。
辺り一面に血だまりができ、俺と萌生が話そっちのけでドン引きする中、鼻を手で覆いながらライムは口を開く。
「す、素晴らしい……今日はなんといい日でしょうか……」
ポタポタと、覆った手から鼻血がこぼれ落ちている。
おいおい、出血多量で死ぬんじゃないか。
「目と耳、それと心の保養をありがとうございました」
おう。よくわからんがあとは鼻を保養してやれよ。
「これから始まる愛の空間にワタシは邪魔者。そのくらいの心得はあります。この後はどうぞお二人だけで。一糸まとわぬ姿になってお楽しみください」
誰がそんなことするか。
「では、ワタシは去ります。これにて」
そう告げて、ライムは駆け足で街の方角に去って行った。
こぼれ落ちた鼻血が跡として残る中、俺と萌生はそれを眺めて、
「あれは……なんだったんだ?」
「さあ……もしかして、森の妖精とかでヤンスか?」
「ずいぶんけったいな妖精だな……」
呆然と呟き合う。
それにしても、とにかく変わった回復使いだった。
出会って間もなく男同士の俺達に『おふたりは恋人同士なのですか?』と尋ねるなんて、変人以外の何物でもない。
あまりの強烈さにギルドにいた冒険者達の印象が霞んでしまうほどだ。
「なあ萌生」
あの女は最後の最後まで妄想を貫いていた。
俺達が恋人?
そんなわけないだろう。
俺は後ろにいた萌生に確認を取る。
「俺達、友達だよな?」