0003 プリンスとスカウト
「授業中、失礼するよ」
数学教師が俺の解法に見惚れる中、誰かが教室に入ってきた。
たった今自習になりましたよ。
そんな嫌味を口には出さず、黙って声のする方を見る。
教室の半開きになった扉から、ふたりのおっさんが顔を覗かせていた。
うちの理事長と校長だ。
おおう、先生、上司が見てますよ。
「陽川君、ちょっといいかね?」
「俺っすか? いいっすよ」
解法に夢中になるあまり授業をボイコットした教師のボーナス査定を心配しつつ、手招きするおっさんふたりの元に向かう。
そういえば先月、この教師はマイホームを買ったと嬉しそうに自慢していた。
ローンの支払いに支障が出たら可哀想だ。
廊下に出ると、校長が扉をしっかりと閉め、理事長がこう切り出した。
「実は君にスカウトがきていてね」
「またっすか」
このように俺を欲しがるプロサッカーチームは国内外問わず後を絶たない。
自分で言うのもなんだが、実力が他を寄せ付けないほどずば抜けているからだ。
どれくらいかというと、もはや高校生レベルじゃない。
というか、プロレベルも軽々凌駕している。
次のワールドカップでの招集は確実視され、世界に『DAICHI YOUKAWA』の名が轟いている。そのレベルだ。
そりゃスカウトも目の色変えて俺を欲しがるだろうな。
そんな俺だが、進路については考えることを放棄している。
特に行きたいチームもないし、そもそもサッカー選手になるかどうかも決めてない。
ひとまず大学に行ってそれからプロになるってのも悪くないしな。
だから進路を決めるのは来年3年生になってからと宣言し、スカウトが来た際は理事長・校長にひとまずお断りしてもらうよう頼んでいた。
まだ決めてもないのにスカウト連中と話をしたってなにも進まないだろ。面倒くさいし。
そんな方針を知ってか知らずか、この前は海外の有名クラブが学校を介さず直に挨拶に来た。
『年俸50億円で今すぐうちに来てくれ』だとよ。
イギリス訛りの英語で言われ、前金の現生1億円と共に契約書を提示された。
最新設備が揃ったトレーニングルーム、ボディーガードやお抱えシェフなどその他好待遇の説明も受けた。
だが、俺の気は変わらなかった。
気が向いたら考える、とありのままの気持ちをぶつけて固辞。
まだまだ高校生活を満喫したいんだ。
だから今回も断ってもらうとしよう。
「いつものように門前払いしてくださいよ」
「ところがね、今回ばかりは少し事情が違うんだ」
事情が違う?
たしかに進路選択先延ばし宣言以降はわざわざ授業を中断してまで報告に来たりしない。
どこがスカウトに来たのだろうか?
「違うって、どういう風に?」
尋ねると、理事長はゴクリと唾を飲んでから、告げる。
「スカウトにきたのは、巨人なんだ」
「きょじん?」
え? めっちゃでかいスカウトマンがやって来たってこと?
……って⁉
「野球じゃないっすか⁉」
まさかまさか、サッカーじゃなくて野球⁉
巨人は日本プロ野球界で1番の人気チームだ。
この俺も何度か巨人戦を観に東京ドームまで足を運んだことがある。
「巨人が俺を欲しがってるんすか⁉」
「そう。来年のドラフト会議で君を1位指名したいらしい。今日はその挨拶にと」
「なんで⁉ 俺サッカー部っすよ⁉」
「そりゃ、今年の『あれ』じゃない?」
「ああ……『あれ』っすか……」
あれとは。
実は今年の夏、人数の足りない野球部のために助っ人として地区大会1回戦に出場したのだ。
思い出作りに一役買ってあげたかったし、なにより面白そうだったから快く引き受け、迎えた試合。
俺は完全試合と全打席ホームランを成し遂げ、野球部を勝利へ導いてしまった。
しかも――これは後から聞いた話だが――相手チームは甲子園常連高。
エースと4番はプロ注目の選手だったらしい。
この出来事は当然世間の話題を掻っ攫った。
湧き上がる賞賛と羨望の声。しかしそれと同時に――
『フィールドのプリンス出すとか、ちょっとずるくね』
『いや、かなりずるいだろ』
こんな感じに物議を醸し、俺は高野連(高校野球を取りまとめる組織)から『正式部員じゃないなら遠慮してほしい』と通達を受け、渋々ながら従うことにした。
代わりの助っ人を立てた野球部が2回戦で負けたことは言うまでもない。
「たった一試合のみだったが、あれで君の野球センスが明白となった。だから巨人が来たんじゃないかい?」
理事長が言った。
野球センスねえ……。
たしかに俺ならプロの投手相手でもホームランを打ち、プロの打者相手でも三振を奪い取れるだろう。野球なんて遊び気分でしかやったことないけど、それくらいの自信はある。
「ここだけの話、先方は君をかなり欲しがっている。プロ野球は契約金の上限が規定で定められているが、その10倍の額を別の形で渡したい、と」
こらこら、金で俺を釣ろうとするな。
「で、君はどうしたい? かなりいい話だと思うよ」
理事長から継いで、校長が俺に判断を促した。
俺としては答えなど決まり切っている。
突然やって来たプロ野球からのスカウトに驚愕はした。
だが、惹かれはしない。
「とりあえず断っといてください」
その返答を聞いた理事長と校長は、露骨に残念そうな表情を浮かべた。
なぜそんな顔をするのだろうか?
野球は初めてのケースだが、プロサッカーチームからの誘いはいつも断っているではないか。
「君がいれば来年も優勝できるのに……」
はい?
「君がいれば巨人の未来は安泰なのに……」
え?
ボソボソと呟く理事長と校長からは、教育者とは異なった感情が透けて見えた。
もしかしてこの2人……
「あのー、巨人ファンなんすか?」
「「うん!」」
うんじゃねーよ!
2人の元気のよい返事と輝きに満ちた目は、まさに憧れのプロ野球選手を目の前にした野球少年。
そんなキラキラした目をされても俺は入団しないからな。てか生徒の進路に私情を挟むな。
「とにかく断っといてください。いつも言っているように進路は3年になってから決めますし、そもそも俺はサッカーの方が好きっす」
きっぱりと告げると、2人はまた落胆の表情に戻り、ため息を漏らした。
そんな反応するなよ。こっちが悪者みたいじゃないか。
しばしの沈黙ののち、「わかった。君がそう言うのなら」と理事長が頷いた。
ふてくされた表情で。子供みたいだ。
「どういう風に断ろうか?」と切り出したのは校長だ。
「前向きに考えたい気持ちもあるが急に決断できる話では到底なく、と。こんな感じでいいかな? なにせあの巨人だ。君も内心では決めかねているだろう」
保留を建前とした提案に、理事長はさっきよりも目に見えて大きく頷いた。
単にあんたらが諦めきれないだけだろ。
「んー。変に誤解されても困るんで、もっと正直に頼んます」
「と、いうと?」
怪訝な顔を向けた2人に向けて、
「サッカーに飽きたら考える、ってな感じで」
そう言い残し、俺は自習時間と化した教室へと戻っていった。
「そんな失礼な返答ができる高校生……」
「後にも先にも君だけだよ……」
2人の困惑した声を耳にしながら。
しばらくは毎日投稿しますよー
頑張ります。