0013 ここは天国じゃないんだ
「ところで……」
俺が口を開いたのは、天国を案内してもらうため森の中を歩き始めた直後だった。
「ヤンスってなに?」
萌生の半歩後ろに付きながら、特徴的な語尾について尋ねる。
やつは『ふう、やれやれ』と言いたげにこちらを見た。
「たしかにこの語尾を使ってる人は少ないと思うでヤンスが……」
少ないというか多分他に存在しないぞ。
架空の世界なら某野球ゲームや某サッカーアニメでいたような、いなかったような……。
「これといって目立たない僕の唯一の特徴、いわばアイデンティティでヤンス。女の子にモテてクラスの人気者になるために高校時代から始めたでヤンス」
完全に逆効果だと思うでヤンスよ。萌生さん。
「あ、ああ、そうか」と少し引き気味に話を切り上げ、この件に関してはもう触れないでおこうと心に決める。深追いするとややこしいことになりそうだ。
それにしても……。
白い雲に青い空。
辺りに生い茂る草木は前世のものと類似しており、既視感しか覚えない。
360°どこを見渡しても、前世でも見られるような景色だ。
あ、野生のリスが飛び出してきた。ドングリを拾って食べている。
せっかくの天国、なんてのもおかしな話だが少しは新たに味わう刺激が欲しい。
そんなことを思いながら歩き続けていたときだった。
「あ、ゴブリンがいるでヤンスね」
ゴブリン?
「……⁉⁉⁉」
刺激を欲したこの思い。
それを天国が汲んでくれた瞬間だった。
緑の生物が向こうからやって来て、すれ違ってゆく。俺は二度見三度見。
人型二足歩行で一メートルにも満たない体長のそいつは、俺に感情の起伏程度の言葉では収まりきらない衝撃を与えた。
「な、なにあれ……」
去って行くそいつの後ろ姿を指差しながら、おそるおそる尋ねると、
「ゴブリンという魔物でヤンス」
萌生はさして珍しくもない様子であっけらかんと言う。
どうしてそんな冷静にいられるんだ。
「魔物だと⁉ そんなのがいるのか⁉」
「この世界では普通のことだし、最初に言ったような気がするでヤンスが……」
「なに⁉」
俺は記憶を遡る。
――『魔物の出る森で無防備に昼寝は危ないでヤンスよ』――
あ、たしかに言われたな。
特徴的な語尾に意識を全て持っていかれ、内容まで頭に入らなかったのだ。
「まじかよ……天国ってそんなゲームみたいな世界になってるのか……」
「はい?」
「はい、とは?」
首をかしげた萌生に聞き返すと、手をブンブンと振りながら。
「いやいやいや、ここは天国じゃないでヤンスよ」
「死後の世界だから天国に決まってるだろ。地獄ってわけでもなさそうだし」
こんな穏やかな地獄は存在しない。
見たことも行ったこともないから憶測だが、それでも断言すると、萌生は「えええ……」とあきれ果てた。
「本当に何も説明を聞かなかったでヤンスね」
聞かなかったもなにも、最初に会ったお前が言ってないから知らなくて当然だろ。
他の誰から聞くんだよ。
「ここは天国ではなくて……あ、ちょうど森を抜けるから街で説明するでヤンス。実際に目で確かめた方がわかりやすいでヤンスし」
街? ……おお!
鬱蒼とした木々がなくなり、日の光を一面に浴びた草原が少し先にあった。
そしてそのさらに先には――
石造りの塀と、木で作られた門をこの目で捉える。
「まず、ここは異世界でヤンス」
見慣れない風景に目を奪われていると、萌生がいう。
イセカイ? 伊勢海?
立派な海老が獲れそうだな。
変な妄想をしながら森を抜け草原を過ぎ、たどり着いた門をくぐった。
「おお……すげえ……」
塀の中には立派な街があった。
レンガ造りの建物や屋台が並び、生き生きとした表情を浮かべる人達が生活を営んでいる光景だ。
人々の身なりや外観を見たかぎり、中世ヨーロッパのような雰囲気が感じられた。
フワフワの雲のような地面に寝そべって、ゆったりと過ごしているような、俺が勝手に抱いていた『THE・天国』といったイメージとはかけ離れていたが、こっちの方が面白い。
「天国ってこんな感じなんだな」
「いやいや、だから天国じゃないと言ったでヤンスよね。ここは異世界でヤンス」
「イセカイってなんだよ」
嘆息混じりの萌生にそう問うと、萌生は一度大きく嘆息し、「そこからでヤンスか……」と心底呆れた様子で言った。
すいませんね。何も知らなくて。
「異なる世界。そう書いて異世界」
街を見渡しながら、どこか厳かな口調だった。
「日本で死んだ僕たちは、この世界で新たに生を受けたでヤンス。異世界で生きる、転生者として」
「転生者……ね」
輪廻転生という哲学用語がある。
ごく簡単に解説すると、死んだ人が新しい生命に生まれ変わることだ。
「年齢も記憶も保持したまま、別の世界で生まれ変わったってことか?」
「ま、その解釈で問題ないでヤンス。とにかくここが天国じゃないとわかってくれたら」
死んだのは過去の話。
俺達は死人じゃなくて、ちゃんとこの世界で生きている。
萌生はそう伝えたかったのだろう。
「あの人達も転生者か?」
野菜を値切ろうとするおばちゃんや、昼間から酔っ払ってるおっさん、水溜まりに意味もなく飛び込んだ子供を、『やりやがって』と諦め混じりの優しい眼差しで見守るお母さん。
個性的かつ人間味に溢れた人達に視線を配りながら、馴染みやすそうだな、なんて思う。
あの人達も一回死んでるのか?
「いや、僕たち転生者とは違い、元からこの世界に生きる人達でヤンス。転生者なんて自分以外に見たのは陽川君が初めてでヤンスよ」
なるほど。
俺達転生者は言わば特別な存在なのかな。
皆が皆、死んだ後に転生できるわけじゃないとしたら、俺達は非常にラッキーだ。
だって命が二個あったようなものだもの。
人は誰であっても、できるだけ長く生きたいに決まっている。違いない。
「みんな俺達みたいに一回死んでると思ったぜ」
「善良な一般市民を勝手に殺さないであげてほしいでヤンス」
ツッコミを入れた後、萌生は「ひとまずあそこへ。付いて来るでヤンス」と手招きして歩き出す。
俺はキョロキョロと、まるで上京したての田舎者のように街を眺めながらその跡を追った。
とある店の前で萌生の足が止まる。
「武具屋でヤンス」
「ほう、武具」
この転生、厳密に言うと転移なのですが……。
転生とした方が耳障りがいいのであえてそうしています。
予めご了承ください。




