淫魔との晩酌
ムラクモ・スミレが退院の許可を貰ってから数日。時刻は夕日が沈んで、空に星々が散りばめられた頃。
ある宿の一室の入口で、紺色のラフな普段着を着たクラウスは、安心したような残念なような感情を織り交ぜた表情をしていた。
入り口の扉を開けると、菫色の着物を身にまとった淫魔が酒瓶を抱えて待機していたからだ。
クラウスが身長180cm程でスミレが150cm程なので、頭一つ分くらいの身長差がある。
上がっても? という問いに、はっとなったクラウスは慌てて頷いた。
彼を横切るようにスミレは部屋へ上がり、その部屋を見回した。
クラウスが借りている宿は簡素なものだ。彼はそういう『お楽しみ』を自分からすることは無いし、これといって広い間取りを必要とする趣味も無い。
テーブル、椅子、ベッドがあり、部屋の隅に鎧や剣がまとめて置かれているだけだ。淡泊な名前に加えて、暮らしも淡泊そうであった。
A級のダンジョンに飛び込んでいく実力と度胸はあるので、稼ぎはいいのだろうとスミレは予想したのだが、意外にも遊びの無い生活だった。
2つある椅子の内の1つに腰掛け、スミレは酒瓶をテーブルに置く。
そして、にんまりとした笑みを浮かべて、まだ茫然と立っているクラウスを見やった。
「ふふっ、何されることを想像していましたの?」
「その、何といっても……」
「助平」
笑みのまま、艶のある唇から罵る単語が出る。怪しい笑みをしたまま言われるそのシチュエーションは、変態の人からすれば身を固くするようなものだ。
「うっ……」
何といえば、ナニだろう。クラウスは自分が考えていたことが恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にして右手で顔半分を覆った。
その様子を見て、スミレはおかしそうにぷっと噴き出す。
「冗談、冗談ですわ。淫魔のお礼と言ったわたくしの言い方が悪かったですもの。さっ、高いお酒ですし、お楽しみになって?」
「すまない、いただく」
どこまでも気真面目そうな男だとスミレは思った。生真面目でも、変な方向に思い切りはいいのだが。
グラスにとくとくと静かに酒が注がれていく。金の銘柄を見るに、ブランドに詳しくないクラウスでもそれが高級なものだと一目で理解できた。
しかし、正直クラウスは酒が飲めない。嫌いというわけではないが、彼にとってそれは苦手な部類の行為である。アルコール独特の消毒液じみた風味を味わうことに慣れていないのだ。
だが命を救った相手がせっかくお礼をしてきているのだから、飲まなければ不躾というもの。覚悟を決め、なみなみと注がれたガラスのグラスを手に取る。
「乾杯、命を助けてくださった英雄様に」
「ああ、乾杯」
カチンと、グラス同士がぶつかって響く澄んだ音。覚悟を決めてクラウスは自身のグラスに口をつけて、中に入っている液体を口に含んだ。
やはりアルコールの風味がするものの、舌に優しいようなリンゴのフルーティな味わいの方が勝った。
「おい、しい?」
「でしょう? このお酒、あまり飲まない人でも飲みやすいと評判のものですわ。独特の風味より、こちらを優先して正解でした」
「よく俺があまりアルコールを嗜まないと」
「そんな人に見えなかったですもの」
これならグイグイと飲んでいける。むしろいくらでも飲めるくらいに美味しい。
両者互いに、もう一度グラスに入った酒を飲む。まるでジュースのようで、二人ともすぐにグラス一杯分を飲んでしまった。
「やはり『首狩り姫』と呼ばれるまでの実力を持つと、人を見る目も半端ではないんだな」
「ありがとうございます。観察眼は必要でしてよ。なにせ、モンスターの首を、時には野盗の首も狩るものですから」
首を斬る瞬間の感触と光景を思い出したのか、スミレはニヤリと笑みを浮かべる。
しかし、クラウスのために酒を注ぎに来たのだからと、すぐに本心を隠す仮面のような薄い笑みに戻した。
「……すまない、この二つ名を晩酌中に。若く可愛らしい人に」
「別にそれくらいのこと気にしないでもらって構いませんわ。わたくし、その二つ名は気に入っておりますの。自分はやはり、そういう存在なのだと確認できるようで」
『自分はやはり』。この言い方をクラウスは気にしたようだが、あまり親しくない者に対して深く聞くようなことはいけないと疑問を胸の奥にしまった。
酒は飲みやすく、両者共にペースよく飲んでいく。
酒瓶の半分ほどを2人で飲み終えたあたり。クラウスはスミレをじいっと見ながら、宝石店に飾られる商品を目にした時のような物言いをした。
「アンタの瞳、とても綺麗だ。右目は夕焼けのように赤くて、左目は見たことの無いような紫で怪しい感じがしてとても良い」
「くすくす。わたくし、魅了の魔法は使っていませんわ? 口説きですの?」
こそばゆい。スミレは片手で口を隠すような仕草をして笑う。
魅了とは、主に淫魔が使う魔術だ。
視線を合わせた相手の心を掌握し、自分に恋愛感情を抱かせるというものである。精液を獲物から摂取する際に淫魔が良く使う。
なお、スミレは情事を好まないためにそれを使うことは数少ない。
敵に対する搦め手としても使えるが、真剣勝負を好む彼女はそれを使用すること自体好まない。
「口説き……じゃない。魅了なんて必要ないくらいにアンタが美しいってことを言いたかった。そんな魔法、必要ないと思う」
新たにグラスへ酒を注いで、クラウスはまたスミレを褒める。あまりにも正直な褒め方で、まるで意中の人と飲んでいる時のような言い方だ。
「こんなに美しい女性に美味しい酒を飲ませてもらえるなんて幸せものだ。綺麗な天使様より、美しい悪魔に誘われて飲むのも悪くない。いや、いいな、とてもいい」
ふと、スミレはおかしさを感じた。おかしいといっても面白いの意味ではなく、違和感を感じるの意味だ。
この男、生真面目とはいえど、素面でこんなことを言う男だったかと。
きょとんとするスミレをじいっと見てやっと自分でも違和感に気づいたのか、クラウスはまだ酒が入っているグラスに目を落とした。
「すまない……。少し飲み過ぎたようだ。これで最後にしておく。口からこんな言葉が飛び出すなんて自分でも思わなかった」
ああ、なるほどとスミレは悟った。アルコールに慣れていないどころか、アルコールに弱かったのだ。体質まではさすがに観察で読み切れなかった。
「お気になさらず。良い印象を持つ人に褒められて、嬉しくない人は少ないですわ」
その後グラスの中の酒を飲み切ると、クラウスはすっかりと酩酊。
吐くまではしなかったものの、慣れぬアルコールをけっこうな早さで飲んだため、飲み終わった後すとんと眠りに入ってしまった。
「ふふっ。酒が入っているとはいえ、『首狩り姫』と恐れられるわたくしを単純に褒めるだなんて。おかしい人もいたものですわね」
少々自分の顔が赤くなっていることにスミレは気づいていない。
ほんのりと熱を帯びた頬は、きっとアルコールのせいだろうという答えを出していた。
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