剣客と剣士
――なぜ、このタイミングで?
体中に痺れの毒が巡回し、もはやスミレは呂律が上手く回らない。喋ろうとしたが、濁った声しか出なかった。
スミレの元に舞い降りる、痺れ毒の鱗粉をまき散らす2匹の蝶。鮮やかな水色の翼を持つ大きな蝶で、顔から腹の先までの体長は人間と同じくらいだった。
蚊のようなストローじみた鋭い口が鈍く光る。
――なるほど、弱った獲物を食らう。そういうことですのね?
もうダンジョンの入口まで這っていく体力は無い。起死回生でダンゴムシの背中から愛刀を取り戻す手段も無い。
――ですが、そう簡単に終わらなくてよ。
最後の力で懐に手を入れ、目の前に着地した蝶に何かを投げつける。
一枚の札、赤い文字が書かれた数枚の呪術符。それは蝶に張り付いた瞬間に激しく燃え上がり、瞬く間にその体を燃やした。
いきなりの炎上に驚き、2匹の蝶がスミレの元から離れて再び滞空する。
だが、それも一時のこと。燃え上がった仲間はもう救うことができず、スミレにはこれ以上抵抗する力が無いとわかるともう一度蝶達は彼女の元に降りてくる。
彼女の体を足で乱暴に転がし、仰向けにさせる。スミレの視線の先には、天井近くで大量に舞う青い蝶の群れがあった。
――あはっ、あははっ。自分の命なんて大切じゃないと考えてきましたが、いざこういう時になると何とか生きようとするものですわね。
ふと、蝶が寝そべるスミレに向かって背を向けた。まさか飛んで乗っていけというわけでもあるまい。背を向けていったい何をしようというのか。
次の瞬間、じゅるりと音をたてて蝶の腹の先からピンク色の管が伸びた。
にゅるにゅると絞り出されるように出てきたそれが、彼女の顔の前でゆらゆらと揺れる。
それがいったい何なのかと茫然とするスミレ。が、腹から伸びるそれの正体をすぐに悟り、背筋を凍らせる。
産卵管。
「ひっ!?」
理解した瞬間、まともに動かせないはずの口から声が漏れ出た。
斬られたり食われたり、戦って死ぬのではなく。満足な寿命を迎えるのではなく、この世に飽きて自決するのではなく。虫の子の苗床になって人生の終わりを迎えるという最期。
無惨すぎる、無様すぎる、昆虫モンスターの母になって死ぬなど。
いや、苗床として生かされるのかもしれない。だがどちらにしろ、そんな展開はスミレにとって御免だった。
そんなのは嫌だ。持てる力のすべてを尽くして腕を動かし、そんなものを絶対に口につけてなるものかと抗う。
しかし、噛み千切られることを防ぐくらいのしなやかさと強靭さを持つ管は、完全に力の入っていない彼女の手を下たる粘液で滑らせる。
強引に唇を割って産卵管を口にねじ込み、蝶は産卵の準備を始める。
「むぐっ!? ごぼっ!! むぐううううう!?」
太い産卵管が喉の奥まで入り込む。むせて、喉が異物を吐き出そうと嘔吐する動きになるが、管は出ていかない。
おぞましさと体の反応で、スミレの体から嫌な汗がぶわりと分泌される。
産卵管と蝶の下腹部の区切りが、ぼこりと丸く膨れた。卵をスミレの体に送りこむ用意が整っている。それが口に到達すれば彼女は嫌でも昆虫の母だ。
――嫌だ嫌だ嫌だ頭を斬り落としてやるでも刀ない体が動かないこんな終わり方は嫌だ気持ち悪い!
パニック状態になり、もうスミレの頭は上手く回っていない。
喉に太いものを突っ込まれている違和感と痺れ毒が彼女を縛り付け、抵抗する力を完全に奪っている。
戦場で散るなら本望と考えていたスミレではあるが、このような終わりは望んでいない。
喉が異物を外に出そうと嘔吐する動作を繰り返し、体が痙攣し、目じりに涙が浮かぶ。
卵が管をゆっくり通ってくる。あと十数センチ。それが腹に入れば、動けない彼女は蝶の卵を外傷や衝撃から守るだけのもう一つの殻になる。
口に入って喉を通っていくまであとわずか……。
ひゅんと風が鳴った気がした。
直後、爆発でも起きたのかというような爆風がスミレの上を、産卵しようとする蝶を襲ってはじき飛ばす。
いや、はじき飛ぶどころか風圧ではじけ飛んだ。蝶の体がばらばらとなり、飛び散った体液がスミレの足元にかかる。
――な、なに、が?
「大丈夫か」
口に刺さっていた、千切れた産卵管が引き抜かれる。突然の問いに彼女はげほげほという咳でしか答えることができない。
ようやく咳を止めてぜいぜいと肩で息をする彼女の視界に映ったのは、両手剣を持つ一人の剣士だった。
銀のプレートで全身を包み、いかにも重装甲といった風貌の男。白髪で彫りの深い顔。呆れた目というよりは、光が灯っていないような目をしていた。
「ひとまずここを離れる。動けるか? ……ないか」
スミレが動くのは無理だろうなと男は悟った。蝶がまき散らしている鱗粉に麻痺の効果があることには気づいていなかったが、スミレの様子を見てここは引くと判断。
動けない人を放っておかず、怪しい蝶をわざわざ全滅させることにも挑まない賢明な判断だった。
白髪の男は左腕でスミレを抱え、その場をできるだけ急いで走って去る。
軽いとはいえ、人ひとりかかえてもまったくバランスや走る速度を崩したりしない力強さだった。
「あなた、は……?」
ダンジョンの出口が見えたというところで、抱えられたスミレはようやく男に対して口を開いた。
いや、麻痺によって口を開けなかったといううのが正しいが。
「アンタが一人で新しくできたダンジョンに入ったと聞いて、念のためにここへ来た。悪い予感がしたから来てみたんだが……当たっていたようだな」
男は念のため彼女のためと言うが、スミレはその顔に全く見覚えが無かった。助ける義理も無い人のためにダンジョンに入った。それも、新しく出現したダンジョンに。
その事実がスミレの頭を混乱させた。
「な、なぜ……? わたくしとあなた、どこかで出会ってますか?」
「なぜ、という理由は必要ない」
ダンジョンの出口に到達。上空に青い空が広がり、鳥たちが飛ぶ様子が見える。急にまぶしい太陽に照らされ、スミレは目を細める。
「俺は英雄だからな」
――意味が、わかりませんわ?
危機から解放されて安心したのか、痺れの毒が完全に身を蝕んだのか、スミレは安心したように気絶して男に身を預けたのだった。
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