地獄絵図に咲く妖花
「ああ足りない! 足りませんわ! もっと首を斬らせてくださいまし!」
暗がりの洞窟の中。発光する苔が生えた天井に照らされた空間で、1人の淫魔に小鬼が群がっていた。
しかし、ゴブリン達は淫魔の妖美さにあてられたり、雌との生殖のためにこの場に集結しているのではない。
彼らの頭に浮かぶ思考はただ一つ。『生存のために敵を排除すること』。
辺り一面に転がる手足と肉片。足を踏み入れば跳ねるほどの水たまりとなって広がる血液。斬り飛ばされる同胞の頭。次々と分断されていく胴体。
菫色の着物に身を包んだ淫魔がその手に持つ刀を恐るべき速さで振るう度、ゴブリン達の腹や首が裂けて地面に死体が増えていく。
「この程度で死んでもらっては困りますわぁ! もっとたくさん! たくさん、わたくしに感じさせてくださいまし! あなた達の命が途切れる瞬間! その感触!」
淫魔が息を荒げる。だが、その荒さは疲れから来ているものではない。感情が高ぶって強い快感を得ていることから来ている。
この淫魔は襲いかかる大量のゴブリンと戦って楽しんでいる。ダンジョンを探索する冒険者が悲鳴を上げて逃げ出す量を叩き斬りながらだ。
やがて荒れ狂うゴブリンの波が終わる。それは、このダンジョンに潜むほぼ全てのゴブリンが彼女に斬り伏せられたことを表していた。
死体だらけの地獄絵図の中で、濁った血で着物と身を染めた淫魔が佇む。
「あーあ、終わってしまいましたわ」
全滅。彼女以外の全ての敵が死に絶えた。
「おっ、終わったの、か?」
群がっていたゴブリン達が全て事切れたことを確認した後、剣や盾を手にする鎧姿の冒険者たちが幾人か恐る恐るといった様子で物陰から出てきた。
彼らが恐怖しているのは、まだどこかに潜んでいるモンスターなどではなく、襲いかかるそれら全てを斬り捨てた淫魔が今ここで敵に回らないかということだ。彼女が敵に回るとパーティは間違いなく全滅する。
「ええ、終わりましたわ。もう出てこない、仲間を呼ぶ声も聞こえない、他のモンスターが騒ぎを聞いて集まる音もしない。ということは、このダンジョンのモンスターはほぼ全滅していますわね」
『このダンジョンの』。何階にもわたる階層を彼女は刀一本で戦い抜き、その前に立ちふさがるもの全てを両断したことをその言葉は示した。
その手に持った菫色の刀身を持つ刀の血を払うため、彼女は腕を縦に振るう。その動きをするだけで、仲間であるはずの冒険者達はたじろいだ。
「ああ、あなた達は先に行っていてくださいまし。あとはもう奥にあるダンジョンコアを壊してお終いですわ。もう危険も無いでしょう」
「あ、あぁ。だがアンタはどうするんだ? ここのダンジョンを攻略できたのはアンタのおかげだし、アンタが別にダンジョンコアを壊しても……」
「わたくし、ダンジョンコアを壊した報酬より欲しいものがあるので」
「欲しいもの?」
返り血に濡れた淫魔は、刀をくるくると回してから納刀。そして何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回した後、おもむろに移動してしゃがみ込む。
しゃがみ込んだ彼女がうっとりとした様子で拾い上げたのは……今さっき彼女が斬り飛ばしたゴブリンの頭部だった。
斬られたことにやっと気づいたかのように、持ち上げられたゴブリンの頭は顎を弱弱しく動かす。
淫魔はまるで宝石を見るかのように、じいっとゴブリンの光を失いつつある目を覗き込んだ。
「くすくす。この、目が濁っていく瞬間は何ものにも代え難いほど美しいですわ」
冒険者たちにとって、この行動は異常。まずこんな行動を普通の人間はやらない。自分が斬り落とした首を手に取って、その命が失われていく瞬間をまじまじと観察するなど。
吐き気をもよおした冒険者の1人が先に行こうと促す。それを受けて、冒険者達は血と死体だらけの広場を離れてダンジョンコアが存在する場所へ歩き出した。
「あのぅ、リーダー。あの強い人大丈夫なんですか? 『首狩り姫』という噂の……」
小柄な冒険者の1人が、前を歩くリーダー役の男に耳打ちするかのようなか細い声で問う。
聞かれた男はうぅんと一唸りしてから、彼女についての正直な見解を述べた。
「大丈夫だと、思いたいな……。人は斬らないっていう話だから誘ったんだが、あんなにも恐ろしい奴だとは思わなかった。近くにいるだけでも、今すぐに斬られるんじゃないかと思ってしまう。正直怖いよ、気味が悪い」
冒険者達はダンジョンコアがある場所へ、ダンジョンの罠や機能とモンスターを生み出す場所に向けて歩いていく。一刻も早く菫色の淫魔から逃れるように。
「……くすくす、全て聞こえていますわ。わたくし耳が良いので」
既に目の光が失われた首を放り投げ、淫魔はゆらりと立ち上がる。
側頭部に生えている捻じれた紫の角、長くきめ細かい黒髪、赤い右目に紫の左目。その姿はまさしく、死体だらけの地獄絵図に咲く一輪の花だった。
刀を扱う異端の淫魔。名はムラクモ・スミレ。
暖かい寝床より冷たい戦場が好き。淫らな交わりより命をかけた戦いの方が好き。ご馳走ではあるが、男が絶頂と共に放つ精液より唇についた返り血を舐める方が好き。
人間にとっても、同胞である淫魔にとっても、そして他の種族からしても、彼女は異端な存在だった。
誰からも理解されない彼女は、冒険者たちが通った道を独り歩いていくのだった。
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