(3)蛇使い
ブバール商会は金豚商会とは違い、貴族や一山当てた小金持ちが主な客だ。美容関連の薬品から病気、疾患に効く薬品まで。一言で言うと、最低限生きていく為には必要のない品を扱う商会である。それ故にブバール商会の本館は貴族街の中心に近い場所に建っていて、その建物も金豚商会の本館とは比べ物にならない程大きい。
毒蜘蛛の面々と別れたフローラは1人、貴族街を歩いていた。スーツを着た幼い少女が貴族街を独りで、何食わぬ顔で歩く姿は暇を持て余した貴族達の関心を大いに惹き、貴族達はこぞって噂話に花を咲かせた。それでもフローラが何の反応も示さなかったのは、ただ集中していたからだ。
『リリア、錬金術師は見つかったか』
『申し訳ありません、お嬢様。水の結界が張られていて目が届きません』
『分かった。ミュークの分体を送る。ただし向こうに悟られるな』
『かしこまりました』
『ミューク、リリアの所に分体を送れ』
『ん!』
『ルーク。そちらの情報を共有したい。耳を借りるぞ』
『しゃあねェ。分かった』
無表情で歩きながらも、フローラは虫を通じて各自へ指示を送っていた。フローラの触手から派生した存在である虫は、生物の脳と共生する。遠隔の虫との交信や脳の処理能力の向上、無意識下での魔術発現など。その恩恵は多岐にわたる。反対に、虫と共生する生物が差し出すのは僅かな魔力のみだ。似たような効果を持つ、フローラ曰くの種とは違い、共生する生物の肉体と精神における主導権は虫では無く生物が有する。
交信をひと段落させたフローラは、とある建物の前で足を止めた。地上4階建て、清潔感のある白と水色で彩られた外観、開け放たれた入口から漏れる活気。ブバール商会本館。ブバール商会の客の中でも一流の太客達が集う巨大な店だ。その入口の脇に立つ青い制服の好青年は、フローラを人目見るや人好きのする笑顔を浮かべてしゃがみ込んだ。
「どうしたんだい?」
「態度には目を瞑ろう。こんな姿をしている私にも責任がある」
不機嫌な顔でフローラがそういうと、好青年は弾かれたように立ち上がり美しく頭を下げた。
「失礼致しました。本日は何用で御座いましょう?」
「商談に来た。毒蜘蛛がローカストを売りに来たと伝えてくれればいい」
「畏まりました。少々お待ち下さいませ」
好青年はそう言うと、頭を上げてフローラを本館の中へ誘った。それから入口近くに規則正しく並べられた椅子を指すと、深くお辞儀をして人混みへ消えていく。フローラは勢い良く飛び上がると椅子に腰掛けた。そして膝を曲げられる様にお尻の位置を調節すると、虫を通して聞こえるルークと売人の会話に耳を傾ける。
「失礼致します、お嬢様。お待ちの間、此方をお召し上がりください」
青い制服の女性に手渡されたジュースを無言で受け取り、会釈する。それを見た女性が同じように会釈するのを視界の端に捉えながら、フローラは周りを見渡した。喧騒は外に居た時より大きくなり、外から見えるよりも多くの人々が買い物を楽しんでいる。どの客にも必ず1人は青い制服の従業員が付き添うが、従業員は総じて見た目が良く。必ず異性の客を相手にしていた。中には従業員の身体を触ろうとする客も居るようだが、従業員達はそれに気付いていない振りをしながら躱している。
『アレス。お前の商会ももっと人を雇ったらどうだ?』
『言うと思ったよ。実はブバール商会の従業員達は娼館から引き抜かれた者が多いんだ。金にものを言わせて身請けして、商会で働かせてるんだよ。とてもじゃないけど同じ事は出来ないな』
『やる時は言ってくれ。顔くらい変えてやろう』
『...まぁ、考えておくよ』
両手で持ったジュースを1口呷り、小さく息を吐く。喉を冷たい液体が下っていった。
「お待たせしました。此方へ」
入口で会った青年が戻り、フローラを奥へ案内する。自然な動作でフローラに近寄った女性がフローラからジュースを受け取り、軽くお辞儀をして去っていった。
「失礼ながら、会長はただいま席を外しておりまして。不本意ながら、代わりの者が対応させて頂きます」
聞き取りやすく、好感の持てる声音で青年はフローラに告げる。そしてとある扉の前で立ち止まると、控えめにノックをした。
「副会長。お客様をお連れしました」
「どうぞ」
扉の向こうから女性の声が届き、青年は扉を開けると一歩下がって頭を下げた。フローラは青年に軽く会釈して部屋の中へと踏み入った。それを合図に、椅子に座っていた妙齢の女性が立ち上がりフローラに頭を下げる。フローラはその女性の耳が鋭く尖っている事に気が付いた。
「ようこそお越し下さいました。私はガネーラ。ブバール商会の副会長を務めさせて頂いております」
「毒蜘蛛のフローラ・ヴァイスだ」
フローラは青年が下げた椅子に飛び乗り、それを確認したガネーラが椅子に座り直す。両者は暫し見つめ合い、青年が退室したのを皮切りにガネーラは口を開いた。
「毒蜘蛛の皆様のお話は聞いております。ポーションとは違う、全く新しい魔薬という薬品を発明されたとか」
「それを売りに来た。定期的に買うと仮定して、1つ幾らまで出せるか聞きたい」
畳み込むようにフローラはぶっきらぼうに言った。ピクリとガネーラの長い耳が跳ね、若干表情が固くなった。
「経緯を伺っても?」
「調べはついてるだろう? 売人が1人殺され、薬と金が持ち逃げされた。所詮は職に溢れた無能だ。意外な事ではないが、2度目は避けたい」
「それは...」
「心配は無用だ。犯人には然るべき罰を与える。それを見れば毒蜘蛛に手を出す愚か者も減るだろう」
ガネーラは再度耳を跳ねさせると、顔に貼り付けていた笑顔を捨てた。
「我々の手には負えないでしょう。確かに、ローカストについて情報を集めていました。しかしそれはあくまで研究目的、学術的興味からの行動です。それに――」
ニコリとガネーラは微笑む。しかしその目は冷えきっていた。
「既に別の商会と取引しているとお聞きしましたが? 我々は一商人として、他の商会の取引に割り込む様な真似は避けたいのです」
フローラはそれを聞くと、花が咲くように笑った。
「そうか。それがブバール商会としての言葉なら」
フローラは触手を使って椅子から下りる。そして真っ直ぐガネーラと目を合わせた。
「薄汚い貧民は、同じく薄汚い商会とだけ取引することにしよう」
触手を見て少しだけ茫然としたガネーラが口を開いた瞬間、フローラは遮るようにガネーラに背を向けた。そして触手で扉を開くと、驚く青年を無視して扉を閉める。
『リリア』
『水の結界は無効化しました。売人を殺した犯人を特定出来る情報はありませんでしたが、ローカストを分析している様子は確認出来ました』
『アレス』
『黒だね。ブバール商会が1枚噛んでるのは間違いないよ』
『ルーク』
『...やられたねぇ。君が誰だか知らないけど、意外とやるじゃない?』
フローラはその声を聞いて、ピタリと足を止めた。喧騒が遠のいていく。
『...黒ローブの男か』
『やだねぇ。ボクの事は《蛇使い》って呼んでよねぇ。黒ローブの男なんて陳腐な呼び方は相応しくないんだよねぇ』
フローラは右手を頭に添えると、目を瞑った。
『まぁ良いけどねぇ。手を引いてくれれば、それで』
『...ふむ。では盛大に名乗りを上げるとしよう。リリア、虫を経由してコイツを追え。アレス、襲撃に備えろ。ミューク、ルークは待機だ。私は少し、本気を出す』
『ヒェッヒェッヒェッ! 毒蜘蛛のフローラ・ヴァイスが本気とは怖いねぇ。今夜は眠れなさそうだねぇ』
フローラはため息を吐くと、目を開いた。サファイアが徐々に真紅へ染まっていく。そして完全に瞳が染まった次の瞬間。フローラは巨大な翼をはためかせてブバール商会の本館を飛び出ると、そのまま全てを吹き飛ばして貧民街へと向かった。