あっと・ようちえん
「みんなー、こちらは、今日からみんなのお世話を、私たち先生と一緒に頑張ってもらう、ヨウコお姉さんと、チサお姉さんです。じゃあ、挨拶をしてもらいましょうか。ヨウコお姉さんから、どうぞ!」
「みなさん、初めまして。この幼稚園のお隣、北中学校から来ました、原野陽子です。今週1週間という短い時間ですが、いろいろと頑張りたいとおもいます。よろしくお願いします」
「私も、北中学校から来ました、野々原千沙です。みんなと仲良く、楽しく、過ごしていきたいなと思ってます。いっぱい遊びましょうね!よろしくお願いします!」
「はい、みんなも、立って、挨拶をしましょう。はい、きりーつ、礼」
「おねがいしまあす!」
私、ヨウコと、親友のチサは、学校の職業体験の授業の一環で、学校の隣にある幼稚園で1週間の職業体験をすることになった。お互いに小さな子供が大好きで、将来は幼稚園や保育園の先生になろうと思っている。この貴重な機会に、多くのことを学べたらうれしいな。
今日の月曜日から、金曜日までの5日をこの幼稚園で子供たちと一緒に過ごしていく。最終日には私たち二人だけで、子供たちと一緒にお勉強をする、という時間も設けられた。いわゆる、授業である。その日までに、どんなふうに接したらいいのか、どんなふうに教えていけばいいのか、学ぶことはたくさんある。
「じゃあ、二人にはさっそく、お外で一緒に遊んでもらおうかしら。お願いできる?」
自己紹介が終わると、この幼稚園の園長さんが、私たちに言った。
「はい、頑張ります!」
「さくら組の山本先生や、もみじ組の木下先生もいるから、何かあったらすぐに知らせてちょうだいね?」
「はい!」
ということで、私たちは早速、子供たちと一緒に外のグラウンドへ。小さな鉄棒に、滑り台、お山があったり、その下に土管のトンネルがある。砂場やシーソー、ブランコも。すべてが小さくて、かわいらしい。子供たちはそんな遊具で遊んだり、追いかけっこをしたり、楽しそう。
「おねえさん、いっしょに、すべりだい、しよ?」
私が外に出ると、さっそく女の子たちが制服のセーターの裾を引っ張った。
「うん、いいよー、じゃあ、いこっか!」
見ると、チサもわんぱくな男の子たちと一緒に、追いかけっこをして遊んでいる。制服のスカートがひらひらと舞い、時折男の子が中をのぞき込もうとしている。あぶないなあ、大丈夫かな?
滑り台は、私と同じくらいの身長で、かわいいぞうさんの形をしている。
「おねえさん、いくよー!」
「いいよー、おいで!」
そんなぞうさんの鼻を、しゅー、と滑り降りる女の子たち。その子たちを下で受け止めていく。
「おねえさんも、すべろうよー!」
「私?できるかなあ」
中学生にしては小柄な私でも、この滑り台は小さい。けれどなんとか上まで登り、スカートのまま、ぎりぎり滑ることができた。
「おねえさん、おおきいねー!」
「しつれいな!これでも、ちっちゃいんだよー」
そんなことをしていると、あっという間にお昼の時間。この幼稚園では給食が出るので、当番の子たちは台車に載った、おかずの入った入れ物を教室の台に持っていく。おかずをついで、並んだ子供たちのお盆に載せていく。私たちはそれぞれの担当の教室に分かれて、そのお手伝い。私はさくら組、チサはもみじ組だ。
幼稚園内は、廊下やトイレ、教室内は上履きを履いて歩く。だがそれは2階の組の子供たち。4歳から6歳くらいの年長さん、年中さんの組はここにある。チサはその年長さんの、もみじ組だ。
私の担当、さくら組は1階にある。3歳から4歳の年少さんがいるクラスだ。この1階は、上履きなどは履かないで、靴下のままで過ごすことになっている。床は柔らかいマットが敷かれ、廊下もフローリングだから、上履きの必要がなく、私も学校の白ソックスだけで、子供たちと過ごしている。
「はい、ヨウコおねえさんも、いっぱい食べてくださいね?」
「あ、ありがとうございます」
年少さんの場合、給食はなく、家からお弁当を持ってきてもらう。けれど私や先生は、幼稚園の給食を食べる。どんなメニューかなと楽しみにしていた給食。今日のメニューは、オムレツにコッペパン、スープに野菜サラダと、なかなかおいしそう。それに、量も中学校とそれほどかわらない。
「じゃあ、みなさん、手をあわせて、いただきます
「いただきます!」
そんな風に順調に幼稚園での生活を続けて3日目の水曜日。職員室での帰り際、明日は避難訓練があることを聞かされた。
「お二人にも、この避難訓練には参加して、子供たちと一緒に避難してもらいます。マニュアルをお渡しするので、明日、しっかり読んできてくださいね?」
「あ、はい、わかりました!」
「あ、それと、原野さん、ですけど、明日、替えの靴下を、持ってきておいてください」
「靴下、ですか?」
「あの、わたしは・・・?」
「野々原さんは、大丈夫です。マニュアルを読んでいただければ、わかるかと思います。では、よろしくお願いします」
「お願いします!」
なんで靴下がいるんだろうと、その日家に帰ってマニュアルのページをめくったが、誘導のしかた、対処の仕方、避難経路などは書かれてあったものの、その理由はどこにもなかった。
翌日、しっかりと靴下も持って、幼稚園に向かった。朝の連絡会。避難訓練はご飯の前に行われるということだった。しっかりとベルが鳴る時間も、避難経路も頭に入れて、私はその時をさくら組の教室で待っていた。
予定時刻を5分すぎて、非常ベルが鳴る。びくっと、動きを止める子供たち。朝から聞かせていたものの、実際に聞くとびっくりするようで、泣き出す子も続出する。私は山下先生と協力して子供たちをなだめながら、避難の指示を待っていた。山下先生は幼稚園の先生になって5年の29歳。でも外見はもっと若く、かわいく見える。子供たちに大人気のキャラクターが付いたエプロンが似合う。エプロンの下はトレーナーにジャージ、白いソックス。私も、制服にエプロンをつけて、いつもの白ソックスを履いていた。
「ただいま、給食室から火災が発生しました。皆さんは、すぐに、外に避難してください。ただいま、給食室から、火災が・・・」
その連絡が入ると、私はドアを開けて、子供たちを外へと避難させ始める。しっかりと数を数える。さくら組は15人。みんな幼いながらもしっかりとした足取りで、グラウンドのほうに避難していく。外ではほかの組の先生が子供たちを並ばせている。山下先生が泣きじゃくる子供たち2人を連れて外に出ると、ちょうど15人の子供たちの避難が終わった。私も外に出ようと足を踏み出す。そのソックスだけの足がグラウンドの砂に触れて、ようやく気が付いた。そうだ、私、上履き履いてなかったんだ。そのまま山本先生を見ると、先生は何の躊躇もなく、靴下のまま、グラウンドを歩き回っている。靴下のまま、砂の上を歩くなんて、初めてだけど、ためらってはいられない。私はぐっと足に力を入れると、両足を砂の地面につけた。さらさらとした感触を、靴下越しに感じる。すぐに窓を閉めて、さくら組の並んだ列に急ぐ。パタパタとグラウンドを走る。靴下が汚れちゃうけど、そのために替えを持ってきてたんだ。やっとわかった。山下先生に、みんながいることを伝えると、私はその列の一番後ろに座って様子を見ておくように言われた。特に大きなミスもなくて、よかった。子供たちも、もう落ちついたようで、裸足や靴下のまま、不安そうな顔をして座っている。ふーっと息をついて私も座ると、すぐ横にいたチサが、
「おつかれー」
と言ってくれた。
「おつかれー!緊張したね」
「うん、でも、うまくできて、よかったよ」
「ヨウコ、靴下じゃん、なんで?」
「だって、私のクラス、みんな裸足だよ?上履きないもん」
「あ、そうなんだ。だからかあ。・・・みんな、ちゃんといるかな?」
「うん、確認したし、いち、にい、さん・・・」
もう一度子供たちの頭を数えていく。・・・あれ?14?
「あれ?」
「どうしたの?」
もう一度・・・。やっぱり、14。
「14人しかいない・・・」
「誰かいないの?」
「15人、いるんだよ・・・」
「ウソ・・・。誰がいないの?先生に言わないと!」
「うん!えっと、まりあちゃんだ!」
ベルが鳴って、泣き出す子の中、すくっと立ち上がって、周りをきょろきょろしていたまりあちゃん。その後教室を出たとこまでは見てたけれど・・・。私は靴下のまま、パタパタと先生のもとへ急ぐ。
「先生!まりあちゃんがいません!」
「え?ほんと!?」
「はい、今見ても・・・」
先生も気づいたようで、慌てて園長先生のもとへ。
「原野さん、園庭の中、探してくれる?私たちは、園舎を探します」
「わかりました」
私はそれからブランコの裏や滑り台の下など、子供が隠れそうなところを探し出した。靴を履く余裕もなく、白いソックスを砂まみれにしながら、必死で探す。どこに行ったの、まりあちゃん?
園庭の中を一通り探し回ったころには、ほかの子供たちは中に帰ってしまっていた。山本先生からも何の連絡もないし、まだ見つかっていないのだろう。
「どこにいったの・・・」
きっと私のせいだ。私がちゃんと見ていなかったから・・・。私が責任を感じ始めたその時、ふと目の前のトンネルに目が行った。グラウンドの端っこにある、お山。その下に彫られた土管のトンネル。その中に・・・。
「まりあちゃん!?」
まりあちゃんがうずくまっていた。体操服に、裸足。きっと避難訓練で外に出て、そのままこの中に入っていたのだろう。
「こんなところにいたんだ、おいで、もう、怖くないよ」
私が声をかけると、まりあちゃんは顔を上げて、私を見た。ずっと泣いていたのか、目は真っ赤だった。私を認めると、また顔がくしゃっとなって、はいはいしながら外へ出てきた。その小さな体を抱き上げる。とても軽くて、ほっそりとした体。
「ごめんね、こわかったね。でも、もう大丈夫。さ、教室に帰ろう?」
そうきくと、まりあちゃんは私の胸の中で頭をこくり。園舎の中ではまだ先生たちが探していたようで、私が窓を開けると、山本先生が何度もお礼を言ってくれた。
「本当にありがとうね、原野さん。ありがとう・・・」
「いえ、私も、ちゃんと見てなかったから・・・。でも、けががなくてよかったです」
「今度からは、もっと気を付けてみるようにします。私一人でも、ちゃんとして見せますね」
私はそれから、砂まみれの靴下を脱いで、足を洗って、園舎に戻った。みんなはもうご飯を食べ終わったようで、私と先生たちは、職員室で遅めの昼食。メニューはカレーにサラダだ。ずっと緊張してあちこちを歩き回っていたためか、私のおなかはペコペコ。カレーを2杯お替りしても、まだ食べられそうだった。
行事も授業もすべて終わった金曜日の午後。私とチサは幼稚園2階のホールにいた。子供たちみんなが集まって、私たちの前にいる。さくら組も、もみじ組も、そのほかの、一緒に遊んだ、勉強した、子供たちの顔がたくさん並んでいる。挨拶を済ませると、いよいよお別れだ。
「残念ながら、ふたりのおねえさんとは、きょうでお別れです。最後に、みんなであいさつして、拍手をして見送りましょう」
「きりーつ、きをつけ、礼!」
「ありがとうございました!」
一斉に起こる、ぱちぱちという音。まだ幼い小さな手を、精一杯ならして、中には泣いている子も、立ち上がって、ありがとう、と叫んでいる子も。私とチサは、グッとくる何かをこらえながら、笑顔でその場を後にした。この5日間、いろんなことがあった。この体験が将来にきっと役立つと思う。子供たちみんなに愛されるような先生になりたい。その思いは、今までにも増して、ずっと強くなっていた。