A cat
「ねえサキ、今日、いまからどうしよう?」
中学2年生の東上咲と、栗林かなえは、ある秋の日の夕方、学校帰りの道をのんびり歩いていた。今日は、金曜日。明日から3連休だから、クラスメイトはみんな、ウキウキしているようだった。
「今日?うーん、あたしは、もう帰ろっかな。でも、カナちゃんが行きたいとこなら、どこでも行くよ」
「わたしね、一緒に、駅前のムーンバックス行きたいの!」
ムーンバックスとは、ごく最近、2人の街にできた、全国的に大人気のカフェである。
「あ、あたしも行ってみたかったんだ!…じゃあいまから、いこっ!」
「やったあ!」
2人はいままで来た道を引き返し始めた。駅は学校の前の道を通って、さらに5分ほど進んだところにある。
「でも、ムンバに行きたいんなら、もっと早く言ってくれれば良かったのに」
「ごめんね、わたしも、ついさっき行きたくなっちゃって」
日は次第に傾きつつある。しかし、あと少しで学校、という時、2人の目の前に、一匹の黒と白の斑もようのネコが、突如躍り出た。
「わ、びっくりした。あれ?ネコちゃん?」
「かわいい~!」
2人は恐る恐るそのネコに近づく。それほど人を怖がっている様子もなく、やがてネコは2人の前に寝転がり、喉を鳴らして身体中を撫でてもらい始めた。
「慣れてるね。どっかで飼われてるのかな」
「あたし、久しぶりにネコちゃん触ったなあ。あ、そうだ。写真、撮っちゃお」
そう言ってサキが、制服のポケットから彼女の二つ折りの携帯電話を取り出した。次の瞬間、それまでお腹を見せて気持ち良さそうに眠っていたはずのネコが、突然起き上がり、サキの携帯電話のぬいぐるみストラップを素早く口に加えると、それを持ったまま、携帯電話をがらがらと引きずり、一目散に駆け出した。
「え?ちょ、ええ!?」
サキは手に持っていたはずの携帯が突然消え、混乱してしまったが、すぐにそのネコを追って駆け出した。
「こ、こら、まてえ!!」
「あ、サキ、まってよお!」
後ろから追うかなえは、とても楽しそうである。
ネコはすごい勢いで道路を走り、やがて2人の通う中学校の門をくぐった。
「あいつ、中学校に入ったよ!どこ行くんだろう?」
サキとかなえもそれを追って中学校に舞い戻る。まだ部活が続いているところもあるのか、校舎にはところどころ、電気がついていた。
「見て、サキ!ネコちゃん、靴箱から中に入ったよ!」
「うん、わかった!」
ネコは門から一番近い靴箱から校舎内に侵入したらしい。それを追って、サキも突入する。もちろん、土足のままというわけにはいかず、上履きに履き替えていると見失ってしまうので、手っ取り早くその場で靴を脱ぎ捨てると、白いソックスのままで校内を駆け出した。ネコは既に階段を上って行ったらしい。2階に着くと、廊下の真ん中でそのネコがこちらを向いて、ストラップを口に加えて、待っていた。道路を引きずられた携帯電話は大丈夫だろうかとサキは不安になる。
「もう、そこでじっとしててよね!」
サキはソックスのままで、廊下をダンダンと走り出した。だが、あと少しで捕まえられる、というところで、そのネコは再び駆け出す。捕まえるつもりで前かがみになっていた咲は、そのまま廊下にベタっとすっ転んだ。
「いったあ!このやろー!」
「サキ、サキ!パンツ!」
「うえ?あ、カナちゃん!早く、捕まえて!」
「うんうん、分かったから、スカート、ほら」
落ち着いてよく見ると、すっ転んだせいで、すっかりサキのスカートはめくれてしまっていた。
「あ、も、もう…。ありがとね、カナちゃん」
「さ、早く、行こう!大丈夫?足?」
「うん、へーき!って、カナちゃん!」
「なに?」
よくよく見ると、サキは一刻を争って靴を履き替えなかったのに、かなえの方は、バッチリ自分の上履きを履いていた。
「もう、ちょっとは急いでよ!」
「ごめん、ごめん、なんか、靴下で行くのはためらっちゃってさ。ささ、早く立って…。ネコちゃん、あそこで待ってくれてるよ?」
サキがスカートの裾を払って、廊下の向こう側を見てみると、反対側の階段のところに、そのネコは立っていた。携帯電話を床に置いて、サキと目が合うと、ニャーと大きく鳴いた。
「おいで、って言ってるのかな?」
「もう、あたしの、ケータイ!!」
サキとかなえは再び走り出した。外は夕闇に包まれつつあった。ネコはさらにさらに階段を上り、やがて屋上へと続く階段の頂点に辿りついた。
「はあ、はあ、やっと、追い詰めたわよ、このイタズラネコちゃんめ」
「ニャアオ、ニャン」
「?なんか、言ってるよ」
「なに?」
「ドア、開けてみる?」
「え?でも、屋上って…」
かなえが屋上へと続く扉のノブを回すと、それはきしんだ音と共にあっけなく開いてしまった。
「ウソ、あいてるよ…」
「あ、ネコちゃん…」
ネコはその扉の隙間から、相変わらずストラップは口にくわえたまま、屋上へと出ていってしまった。
「あたしたちも、行ってみる?」
「なんか、誘ってくれてるしね」
気になったサキとかなえも、それに続いて、ソックスだけの足と上履きを履いた足を、屋上へと進めた。
風が冷たい。外はすっかり暗くなっている。ネコは屋上のフロアの真ん中にちょこんと座って、空を見上げていた。
「…なんだろ、空に、なにかあるのかな」
「うん…」
2人もそれに倣って、上を向く。と、その目線の真っ正面に、大きな輝くまあるいものが、飛び込んできた。
「わあ…」
「きれい…」
それは他でもない、大きな満月だった。この日は、一年で一番、月が大きく見える、スーパームーンを拝める日だったのである。
「月、なんだか、大きいね」
「そう?わたしには、変わらないように見えるけど…」
しかし、ふだんからあまり月を見ていない2人にはそれも言われてみなければわからない。
「あ、いまならいいんじゃない、ケータイ」
「あ、そうだった」
サキは足音を忍ばせて、こそこそとソックス足をネコの元へと進ませた。ネコはもう役目を終えたかのように、携帯電話をその場に置いて、ただ上を見上げていた。
「ああん、ボロボロ」
戻ってきた携帯電話はキズだらけ。お気に入りのストラップも、ビショビショ。
「どう、動く?」
「うん、中は、なんとか…あ」
パシャ。
「どうしたの?」
「うん、カメラ、起動したままだった…」
「あら、いいじゃない?この写真」
「え?」
思わず撮ってしまった写真。その真ん中には、一人(匹)佇むネコ。その真上には、黄金に輝く、月があった。
「なんか、幻想的だね」
「わたしたちも、撮っちゃおうよ。お月様と一緒にさ」
「うん!」
それから2人は、肩をくっつけあって、月をバックに、写真を撮った。それから数刻、気づいた頃には、既にネコの姿はなかった。
「あれ、ネコちゃんは?」
「うん?いないね?」
「あのネコちゃん、わたしたちに、これ、見せたかったのかな」
「そう、かな。うん、きっと、そうだよ!」
「それにしても、きれいだね…」
「うん…」
夜の学校の屋上。二人はいつまでも、空に浮かんだその月を、見つめ続けているのだった。
終わり