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車男短編集  作者: 車男
34/54

TOWRIP

 タタン、タタン。タタン、タタン・・・。ぶおーん。

 レールの継ぎ目で鳴る、列車特有の音を聞きながら、僕は席に座っていた。今年で僕は20歳。大学2年生。今は、夏休み。お盆の帰省ラッシュ、Uターンラッシュのはじまる前、小学生たちが夏を楽しみ、中3や高3の学生たちが受験に向けて勉強を詰めている、そんな静かな期間、僕は列車の旅に出ていた。

 かれこれ5年前、高校生になりたての頃からの憧れだった、"青春18きっぷ"。1万円とちょっとで、日本国内のJR普通列車と宮島フェリーが、連続する5日間乗り放題となる、夢の切符。以前ほど人気はなくなっているそうだが、僕はこれを使って日本を旅してみたかった。小さい頃からあまり外出できず、家族で旅行もあまりいったことがない。そんな僕の、初めての一人旅だった。この5日間、何もかも忘れて、日本の風景を楽しもう。そう決めていた。

 計画は大雑把ながら、作り上げていた。と言っても、作るのに1日を費やした。JRのホームページと時刻表を駆使し、僕の住む熊本から九州を一周して本州へと渡る。それから島根、鳥取を通り、大阪へ着いて、また戻ってくる。普通列車だけとなると、やはり制約は大きい。乗り換え駅での待ち時間が2時間になるところもある。まあ、気ままに行こう。5日間もあるのだから。

 嬉しいことに、大学の同じゼミの先輩に、この切符で旅行したことのある人がいた。駅で泊めてもらったこともあるという。僕は今回、宿もとるつもりだが、どうしてもダメな時はそれもいいかもしれない。

 自宅の最寄り駅、熊本駅から早速普通列車に乗り込む。時間は午前5時を過ぎたころ。普通列車、豊後竹田行き。運のいいことに、早速座ることができた。と言ってもまだ早朝だから、乗客は少ない。4人掛けの対面シート。僕はその進行方向側の窓側に座った。流れる景色を間近で見ることができる。ラッキーだ。

 発車しても、車内はそれほど混んでいなかった。空席も目立つ。一人旅の僕は、4人が座るスペースに一人。少し寂しい気もするが、また後から誰か乗ってくるだろう。それまではのびのびと使おう。なんせ、旅の始まりなのだから。

 日常見慣れた景色が少しの間流れるとすぐに、僕の見慣れない景色が流れ出した。僕が初めて列車に乗る区間。だんだん人家は少なくなる。

 駅の間隔も広くなり、いつの間にか景色は緑だらけになった。列車に乗って間も無く1時間。もうすぐ列車は阿蘇の入り口、立野駅に到着する。そこで少しの間、行き違い列車の待ち合わせだ。

 アナウンスが流れる。次は立野。外はすっかり山奥の風景だ。遠くの山に、風力発電の風車が見える。列車がディーゼルカー独特の音と振動と共に停止する。しばらく停まっているので、僕は席を立ってみた。いつのまにか、乗客は僕一人だけだった。まだ別の車両にいるかもしれないが。扉が開く。前と後ろの2カ所だけ。僕は後ろのドアからプラットホームにおりてみた。吸ったことのない、新鮮な空気が、僕の体を満たす。そして涼しい。僕はそこで数枚、写真を撮った。ここでは南阿蘇鉄道に乗り換えて、高森方面へもいける。でもそれはまた、べつの機会に。

 冷房の効いた、扇風機の回る車内へ戻り、自分の座っていた席を見ると、誰かがそこに座っていた。僕の向かい側の席。黒髪の後頭部が見える。こんなに空いているのに、どうして・・・?僕は困惑しながらも、元の席に向かった。

 僕はさらに困惑した。座っていたのは高校生と思われる女の子だった。セーラー服に赤いスカーフ、黒く、長く伸ばしたストレートの髪、今時はあまり見ないような短い三つ折りの白ソックスに革靴。どこか今風ではない女の子だった。僕は女の子と話すのが苦手だ。大学でも、話すのは男ばかり。高校あたりからそうなってしまった。

 僕は席に座り、どうしたものかと考えていた。席、移ろうかな。前を見ると、その女の子はうつむいたまま、本を読んでいた。顔立ちはじいっと見るわけにはいかないけれど、端正であるのはそれでもわかる。きっと彼女の学校では一番可愛い子なのだろう。僕は外の非日常の景色よりも、その女の子の方が気になっていた。さっきまで心地よかった列車の音や振動も、全く感じられなくなっていた。静かな時がすぎていた。列車は静かに発車した。ここから先、列車はいままでと逆方向へと進む。スイッチバックだ。急勾配を行ったり来たりして登る列車。でも僕はその珍しい光景より、目の前の女の子に意識が向いてしまう。

 また列車が止まった。何処かの駅に着いたようだ。彼女は同時に顔をあげた。僕と彼女の目が合った。僕は思わずうつむいた。顔が火照る。耳が赤くなる。

「こんにちは」

彼女が話しかけた。僕が顔をあげて彼女をみると、彼女は微笑みかけてくれた。

「こんにちは・・・」

小さいながら、僕は挨拶を返した。不思議だった。列車にただ乗り合わせただけなのに、話しかけてくるなんて。

「お一人なんですか?」

彼女は重ねて話す。僕は困惑しながらも、話を続けていた。

 そうしているうちに、僕にある疑問がわいた。彼女は一体いつ乗ってきたのだろう。僕が席を立ったのは、あの時、あの駅で降りた時だけ。でもあの時、僕はすぐ降りたのに、プラットホームには誰もいなかったし、人の気配もしなかった。それとも僕が見過ごしただけなのだろうか。

「暑いですね」

「え、ええ・・・」

僕の顔はぎこちないものになっていたに違いない。けれど彼女はしきりに僕に話をふってくれる。

「靴、脱いじゃっていいですか?暑くて、蒸れちゃって」

「・・・え?」

彼女はいきなりそんなことを言い出した。顔立ちからは全く想像もつかないような、なんか、清潔感も清楚な感じもない言葉。そして彼女は僕の返事も待たずに履いていた革靴をごそごそと脱ぐと、その真っ白な靴下に包まれた足を僕の席、僕のすぐ隣に伸ばしておいた。僕の手のすぐ隣に、彼女の蒸れているという白い靴下に包まれた足がある。匂いなんて、全然しない。彼女はその姿勢のまま、話を続けた。だが僕には、指が頻繁にくねくねと動くその様が気になって仕方ない。目線がどうしてもそれを向いてしまう。

 そうこうしているうちに、列車はある駅に止まった。僕の一つの目当てだった駅。

「ちょっと、ごめんなさい、おろしてもらっていいですか?」

「ええ。どうぞ」

そう言って彼女は靴下だけの足を床に下ろし、そのまま立ち上がった。

「私も一緒に、いいですか?」

「え、ええ・・・」

僕は傍においていたカメラを取ると、開いたドアからプラットホームに降り立った。阿蘇駅に着いていた。傍にはJR九州の観光列車、ななつ星の乗客が朝食を摂るレストランがある。遠くに広がるのは、阿蘇のカルデラの中の街。目の前の風景に見入っていると、すぐ隣に彼女はやってきた。驚いたことに、靴下のまま。そのまま伸びをする。

「うーん・・・。気持ちいいですね」

「そうですね」

「写真、どうぞ」

「あ、ありがとう・・・」

まだ正確な年も、名前も聞いていない女の子。それでいて、なぜか僕についてくる。たまたまか?きっとそうだろう。そうでなきゃ・・・。僕は満足する写真を撮ると、再び車内戻ろうとした。彼女はすぐ隣にいる。

「・・・写真、撮りましょうか?」

「私ですか?ええ、いいですよ」

僕は自分でも何をしているのかわからなかった。駅名の表示された看板の横に立ってもらい、僕はシャッターを切った。1枚、2枚・・・。彼女の全身を、その白い靴下まで収めて。

「ありがとうございます。」

「私も、とって差し上げます」

「あ、どうも」

そして、同じように僕も撮ってもらう・・・。不思議でたまらなかった彼女だが、なんだか親近感が湧いてくるのがわかった。彼女ともっと一緒にいたいと、思っていた。カメラを構えて写真を撮る。カメラを外して笑顔を見せる。とてもかわいい。僕はその後、ツーショットでも写真を撮り、車内へ戻った。ちょうどその時、対向列車がホームに滑り込んできた。

 相変わらず、乗客は僕と彼女の二人だけ。少なくとも、この車両には。席に着くと、彼女は再び靴下だけの足を僕の隣に伸ばしてきた。そして、話が始まる。学校のこと。家族のこと、生まれ故郷のこと。だが僕が知りたいのはそう、どうして君は、僕にこんなに親しくしてくれるんだ?君は一体、なんのために列車に乗っているんだ?外の風景など、彼女と話しているうちに、もう全く入ってこなくなっていた。彼女の整った顔立ち、くねくね動く足の指。ちょっと汚れた白い靴下。そればかりが目に入る。列車は再び止まる。山の奥深くへと入っている。九州で一番標高の高い、波野駅だ。すぐにそこを出発する。

「あの、すいません、ちょっといいですか?」

「ええ」

僕はこそこそと、車内備え付けのトイレへと、入った。

数分で用を足し、トイレを出る。と、すぐにその異変に気づいた。

彼女がいない。

僕は慌てた。

車内を見渡しても、どの座席にも座っていない。前の車両も見たが、やはりそんな女子高校生はいない。どこに行ったんだろう。列車は僕のトイレのあいだ、走り続けていた。僕は頭の中をクエスチョンマークでいっぱいにしながら、自分の座席に戻った。と、そこであるものを見つけた。綺麗に脱がれ、揃えておいてある、革靴。彼女が履いていたものに違いない。それと、座席に残ったわずかな温もり。

 一体彼女はどこに行きたかったのだろう。目的は何だったのだろう。僕には知る由もない。列車は間も無く終着駅につく。

 だが僕の旅は、まだまだ始まったばかりである。


おわり

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