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車男短編集  作者: 車男
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6月の雨

 その日も、暑かった。6月の終わり、雨が降り続き、湿度も高く、気温も高く、ジメジメと不快指数の高い日が続いていた。隆はそんな雨の中、カッパを着て自転車をこいでいた。こんな日でも、学校はある。しかも彼は毎日自転車で通学しなくてはならなかった。

 家を出る時にはまだそれほどでもなかった雨だが、10分も走っていると、次第に雨足は強まり、今ではまさにバケツをひっくり返したような雨となっている。フードをかぶった頭に当たる雨粒が痛い。目も開けていられない。彼は一旦何処かで雨宿りをしようと決めた。時間があるわけではないが、仕方が無い。隆はそばのシャッターが降りた商店の前に自転車を停め、カッパを脱いだ。髪の毛も靴もビショビショだった。雨足は弱まる気配はなく、むしろ強まっているようにも見える。天気予報ではこんなに降るなんて、言ってなかったと思うけれど・・・。ビニール袋で密閉していたはずのバッグの中も雨にやられ、ノート数冊が水浸し。困った顔をしていた彼だったが、そこに誰かが近づいてくるのに気づいた。傘をさしているようであるが、この雨ではそれもほとんど役にたたないだろう。そして彼の立つ商店の庇の元にやってきたのは、女の子だった。彼の学校の近くにある、有名進学校の制服。最近一新され、今風のシャツにネクタイ、スカートという格好だが、ソックスの色は白。そしてなぜか彼女、靴を履いていなかった。白いハイソックスのままで、彼の元へとやってきた、ように、彼には思えた。

 場所が狭かったため、彼は停めていた自転車を庇の外に持って行き、彼女のためにスペースの半分を譲った。彼女は、ちょっと会釈をして、傘をたたんでそこに立った。スカートから、バッグから、髪の毛から、雫が垂れている。全身、びしょ濡れだった。これ、どうぞ、と、彼は持っていたスポーツタオルを彼女に差し出した。すると彼女は眩しいほどの笑顔を彼に向け、ありがとう、と受け取ると、全身を拭いた。髪、手、顔、足・・・。彼は思った。彼女はどこから来たのだろう。確かに、学校はこちらの方向だが、なぜ自分のいるこの場所で、雨宿りをしているのだろう。それに、靴はどうしたのだろう。みたところ、彼女の持ち物にも、靴は含まれているようには見えないのだ。では、家を出た時から、彼女は靴下だけだったのだろうか?いまはっきりと見える彼女の足元はやはり、白ソックスだけである。彼は数々の疑問を内にとどめて、彼女を観察していた。ちょうどシャツを絞っているところだった。長い黒髪は、まだ乾かないのだろう、自分のタオルを頭に載せている。顔立ちは整っていて、彼の学校でいうとその可愛らしさはトップクラスだと言える。内心、彼は初め彼女を目にした時から、ドキドキが止まらない。彼女のシャツからはポタポタと雫が落ちる。同時に彼女のお腹 がちらりと見える。肌は白く、驚くほどの細身だ。

 雨は弱まる気配を見せない。空は朝とは思えないほど暗い。道を行く車も人も、皆無だった。彼の学校は、もう間も無く始業の時間。だが彼は、ここにとどまり続けている。彼女の方も、手を後ろに組んで、靴下だけの足をぶらぶらしながら、雨の様子を眺めていた。頭には相変わらずタオルをちょこんと載せ、首にもタオルを掛けている。それは彼のタオルだった。先ほどから会話は一言もなく、時間は過ぎている。そうしているうちに、彼はだんだん息苦しくなってきた。沈黙は好きではない。だが彼女には何か話しかけてはいけないような雰囲気があり、いつもはおしゃべりな彼も、何と無く怖気付いてしまうのだ。だが彼女はそんなことなど全く気にする様子もなく、靴下のままでその場を行ったり来たり。白いソックスはうっすらと灰色がかってきていた。足の裏は、真っ黒だろう。彼も今は、靴と靴下を脱ぎ、その上に足を載せている。

 その時だった。目の前が急に明るくなった。直後に響く、大きな音。目の前の公園にあった巨木が、縦に割れた。同時に彼の心臓も、割れそうなほどだった。あまりにも一瞬の出来事に、彼はわけがわからなかった。少しして、彼の体になにか暖かいものがくっついていることに気がついた。それを悟った彼が恐る恐る見下ろすと、自らの胸に飛びついて、ブルブル震えている女の子。彼の心臓は張り裂けんばかりに激しくどくどくし出したが、ここで突っぱねるなど男として最低だと、固くそのままじっとしていることを決心した。

 彼女はしばらくの間、彼の胸に顔をうずめていた。雷鳴はなおも続いている、彼は完全に硬直して、声も出せないでいた。きっと顔は真っ赤になっているだろうななどと考えていると、少しだけ、雷の音が遠ざかっていくようになった。空も次第に明るくなっている。一台のバスが、エンジン音を伴って彼らの前を走って行った。

 ふいに女の子が彼のもとから離れた。手を口元に当てて、そわそわしている。うつむき加減に、なにか言おうとしているが、言葉が出てこない。彼の方も、先ほどからの心の高まりは鎮まらない。

 そうしているうちに、雨は完全に上がり、水たまりに日光がキラキラと反射し出した。彼は彼女から視線をそらして、庇の影から外の様子を伺ってみた。かれこれ1時間ほどの雨宿りだった。もう、大丈夫だろう。彼は靴を履き、荷物をまとめると、自転車に手をかけた。振り返ると、女の子はちょうど荷物をまとめ終えたところだった。相変わらず、靴はどこにも見当たらない。彼が、どうしようかと迷っていた時、彼女の手が、彼の元へとのばされた。そこには綺麗に畳まれた、彼のスポーツタオル。女の子は顔をこちらに真っ直ぐ向けて、少しだけ微笑んだ。彼はこくりと頷いてそれを受け取ると、バッグに丁寧にしまった。さて・・・。二人はもぞもぞと、なにも言わずにそこに立ちすくんでいた。

 そのときだった。彼女が、あっと声を漏らし、商店の上の方を指差した。彼もそちらを見上げると、そこにあったのは、大きくかかった虹だった。彼らの町の端から端、いやもっと遠くまで結んでいるような大きな、大きな、虹。彼の方を振り返った彼女は、眩しいほどの笑顔だった。

「乗って、いかない?方向、一緒だから・・・」

彼の申し出に、彼女はこくりと頷くと、またにっこりと、微笑んだ。

また明日も、雨だといいなと、彼は思っていた。


おわり

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