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車男短編集  作者: 車男
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A thing left behind

 「あら、チカったら、忘れ物してる。ねえ、ちょっと」

母さんが僕を呼ぶ。僕は今朝、お腹を壊してしばらくトイレにこもっていたため、お昼から学校に行くことにしていた。朝ごはんに飲んだ、賞味期限を2日過ぎた牛乳か、いつのものかわからない魚肉ソーセージかが、いけなかったのかもしれない。それか、昨夜食べた、賞味期限を3日過ぎたお饅頭・・・。うーん、どれがいけなかったのだろう。

 だけど、いまはもうお腹は収まっているようで、まだゴロゴロする感じはあるけれど、学校には行けそうだった。その準備の最中のことだった。

「どうしたの?」

ネクタイを締めながら自室を出ると、大きなネコのついたエプロン姿の母さんが、巾着袋を手に、困った表情で立っていた。

「だから、チカがこれ、忘れてっちゃったのよ。大事なものなのに」

そう言いながら、僕の方をチラチラと見てくる。ちなみに、チカとは、僕の姉。現在高校2年生で、高校1年生の僕と同じ学校に通っている。僕は兄弟で一緒の学校というのは別に嫌でもないし、その学校が良かったら、そこに行っているだけだ。姉の方は、どうかはわからない。ただ、僕がその高校に受かったことを伝えると、こどものように喜んで、僕を祝福してくれた。その時もらったシャープペンシルを、僕は毎日使っている。

 相変わらず、ちら、ちら、と母さんの目がこちらを向く。僕はあえてそれを無視して聞いた。

「そうなんだ、で、どうするの?」

「そりゃあ、あんた、持ってきなさいよ。同じ学校なんだから」

母さんが眉をピクピクさせながら、言った。やっぱりそうきたか。以前にも僕は、姉のお弁当やノートなどを届けさせられた事がある。姉は吹奏楽部に所属しており、朝は早く、夜は遅い。僕が起き出す7時頃には、家に姉の姿はもうない。一緒に夕食を取ることも、滅多になかった。以前、部活はどんなものかを尋ねてみたことがある。とても楽しくて、やりがいのある部活。姉はそれから毎日の必死の練習の様子を、生き生きと語ってくれた。

「わかったよ。じゃあ、持ってく。姉ちゃんに手渡した方が、いいのかな」

「んー、なるべく早く届けてあげた方が、いいかもね」

なんなんだ、そのビミョーな言い方。早い方がいいのか。まあ、早いに越したことはないのだが。

お昼ご飯にお粥を食べ、暖かいお茶を飲み、整腸剤を飲んで家を出た。背中には教科書を詰めたリュックサック、手には姉の忘れ物。冬が迫る街並みは、何処か乾いている。

 そういえば、これ、なにが入っているんだろう。まだ聞いていなかったな。僕は少しだけ悪いとは思いながらも、それを開けてみた。そこには、一足の上履きが入っていた。だが、片方だけだ。もう片方は知らない。まあ、母さんが持たせてくれたものだから、片方だけでいいのだろう。おそらく、姉は片方だけ上履きを持って行って、もう片方を家に置いて行ってしまったのだろう。片方しか上履きを持ってきていないことに気づいた姉はどうしているのだろうか。片方だけ履いて過ごしているのかな。それとも、誰かに借りたのだろうか。まさか、上履きを履かないというわけにはいかないだろう。綺麗好きの姉がそんなことするわけがない。・・・一刻も早く届ける必要があるようだ。僕は意識せず、歩幅が広がっていった。

 学校には電車を使う。いつもより早く駅に着いた僕は、予定していたものより一本早い電車に乗れた。20分ばかり乗ると、学校の最寄り駅に着く。そこから学校までは、自転車で丘を登って15分。自転車はこちらの駅の駐輪場に置いてある。駅前に数年前にできた、最新式の駐輪場だ。無料で誰でも使用可能で、以前は常態化していた駅前の放置自転車が、全くなくなった。歩道上に鮮やかに咲いた花が植えられたプランターを並べたことも、作用しているのだろう。

 僕はそんな駅前を抜け、丘を立ち漕ぎで登ると、ようやく学校に着いた。公立高校で、僕の住む県では2番手の新学校だといわれている。それでいて、部活は盛んだし、行事は大々的に行われる。伝統もあって、とにかくいろいろとすごい学校だ。

 自分の上履きに履き替えると、今学校に来たことを担任の先生に伝え、僕は姉に忘れ物を届けようと、2年生の教室の並ぶ階へと足を運んだ。

 1年が2年生ばかりいるところに行くと、なんとも居心地が悪い。僕は小さくなりながら、姉の教室を目指した。そこは校舎の中央部にあった。ちらりと中を覗くと、本を読んでいる先輩や、プロレスをしている男子、楽しそうにおしゃべりしている女子、その中に、姉の姿はなかった。そのとき、肩をトントン、と叩かれた。

「あ、すいません、その、怪しいものではございません」

とっさにそんなことを口走ってしまった相手は、なんと、姉だった。笑顔をこちらに向けている。

「なあんだ、姉ちゃんか」

「なあんだはないでそ。どしたとね?わざわざあたしんとこまで」

なんか変な言葉遣いだな。

「どしたとねって、こっちが聞きたいよ。なんでそんな、どこの方言使ってんだよ」

「うふふ、今、暇だったから、図書室で方言についての本を読んでたのよ」

「ふうん。あ、で、母さんにこれ、頼まれてさ」

巾着袋を差し出す。姉はああ、と納得したようにそれを受け取り、中を確認していた。

「そうなのよ、これ、忘れちゃってねえ。おかげで大変だったわ。今日は今の今まで、ずっと裸足だったのよ。もう、教室がきたなくって。片方だけ履くわけにもいかないし。靴下で床拭きしてるみたいだったわ。おかげで靴下真っ黒」

そう言って、姉は自分の足元を指差した。確かにそこには上履きを履いていない、白ソックスだけの足があった。姉がその足の裏をヒョイと足を持ち上げて僕に見せた。足型に真っ黒な跡がついていた。

「それは・・・、災難だったね」

「そうよねえ。ま、ありがとうね。といっても、今日はもう履く気ないけど。靴下汚れちゃって、このまま履いたら、上履きまで汚れちゃう」

確かに、そうだなと思ったが、それなら、僕はなんのためにここまで上履きを持ってきたのだろう。僕のその不満が伝わったのか、姉はニコッと笑って、

「まあ、まあ、いいじゃない。あ、そだ。帰りにアイス買ったげる」

「なんだよ、それ・・・、でも、まあ、ハーゲンダッツが食べたいな」

「このやろ」

そう言って姉は靴下だけの足で僕の上履きを踏みつけた。痛くはなかったが、上履に姉の足形がうっすらついた。

「ちょま、なにするんだよ」

「じゃあ、放課後、靴箱でね!」

そう言って姉はまた廊下をかけて行った。靴下だけで走る姉は、どこかかっこ良く見えたのだった。


おわり

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