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車男短編集  作者: 車男
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サマー・ソックス

 暑い。今年の夏はとにかく暑い。去年も同じようなことを言っていたような気もするが。しかも今は午前11時。日差しがジリジリと体を刺す。半袖のシャツから出た腕に否応無しに日光が当たる。頭も暑い。どうしてこんな中、僕は外を歩いているのだろう。そうだ。学校に忘れた参考書を取りに行くためだ。それでわざわざ自宅から電車に乗って学校までやってきた。それをとったらちょっと本屋にでも行くか、と思っている。

 僕は今年高校2年生。現在公立高校に通っている。勉強もスポーツもそこそこのフツーの高校生。女子とはあまり話さないし、かといって男子の友達も多いわけではない。退屈な時間を過ごしている。

 校門をくぐる。先生が来ているのか、部活なのか、僕の学校の校門は僕が見るときはいつも開いている。校舎の端っこ、昇降口に着くと、僕は靴箱から上履きを取り出した。スニーカータイプ。ブルーの線が入っている。僕はそれを履くと、外靴を靴箱に入れて、校内へと立ち入った。

 しーんとしている。人の気配は全くない。いつもの様子が嘘のようだ。なんだか違う学校に来た気がする。早く取って、帰ろう。なんだか、不気味だ。薄暗いし、異様に涼しい。

 僕は階段を3階まで上ると、左に曲がって突き当たりの教室へと向かった。そこが僕のクラス、6組だ。足音はなるべく立てないよう、慎重に歩を進める。教室の窓やドアはすべて閉まっていた。誰もいないようだ。今日は夏休み2回目の土曜日。みんな何処かへ遊びに行っているのだろう。ホッとしてドアを勢い良く開ける。一歩中に踏み入る。ドアを閉め、振り向く。と同時に、僕は固まっていた。

 そこには先客がいた。同じクラスの女子。それも、クラス一可愛いと男子の間で評判の、名前は吉田瑠璃さん。ツヤのある長い黒髪に、大きな澄んだ目に高い鼻、キュッと結ばれた唇、美人というより可愛いという表現の当てはまる幼さの残る顔立ち。それにスラリとしたプロポーション。手足は細く、モデルを彷彿とさせる。雑誌に載っていてもおかしくない女の子。男子からも女子からも人気は高く、秀才でスポーツもできる、完璧な人だという。残念ながら、僕は彼女についてそういったこと以外、全く知らなかった。話すことさえできなかった。

 だがいまは驚くことに、その彼女と二人きり。僕の鼓動は早まり出す。彼女は何かいけないことをしていたかのように、僕から顔をそらせ、ほおを赤くしてうつむいた。どうしたのだろう。だが僕はこんなチャンスも生かせず、ただ自分の席に、忘れ物を取りに近づいた。そしてそのまま帰るつもりだった。我ながら情けなく思う。僕が参考書を手にとったとき、彼女の姿が目に入った。半袖の白いシャツにしっかりしめられた青いネクタイ、濃い緑と紺のチェックスカート、白ソックス。この点で彼女は他の女子と大きく違っていた。靴下の色である。僕のクラスの他の女子はみんな黒か紺のソックス。白を履いているのは彼女だけであった。その点で彼女は目立つ存在だったと思う。学校に数人しかいない白ソックスの女の子。僕にとって好みの格好である。もちろん、こんなこと人に言えるわけがない。

 僕がそうしている間、彼女は微動だにしていない。ずっとこちらを気にしている様子で、立ったままでいる。何をしていたのだろう。こんなに暑い、夏の締め切った教室で。冷房さえもつけていない。しかも一人で。勉強していたわけではなさそうである。彼女の鞄はそのまま机の上に置いてある。開けた形跡はない。僕はすっかり汗だくになっていた。だが彼女はいたって普通である。汗など全くかいていない様子。僕は思った。早くでたい。でも彼女も気になる。かといって、話しかけるのも、気が引ける。僕はどうすればいいのだろう。誰か来てくれたりしないだろうか。

 その時、僕はさらに気づくことがあった。彼女の足元。見る角度によって机の足で隠れていたが、そこに僕は驚いた。彼女は上履きを何も履いていなかったのである。僕の好みの純白のハイソックスだけで、そこに立っていたのだ。

 僕は思わず顔を彼女に向けた。彼女は頬を赤らめてこちらを見ていた。なんだ?なんなんだ?

「おはよう、結城くん。」

「あ、お、おはよう・・・。」

急に切られた会話のスタート。僕は照れながらも彼女の方を見ていた。だがそれ以上に気になるのは、足下だ。

「忘れ物?」

彼女はつとめて明るく話そうとしている。

「あ、うん。そう。」

ぎこちない。もっとこう、スラスラと言葉は出てこないのか。

「あ、ごめんね、邪魔しちゃって。バイバイ。」

「・・・。」

どうしよう。彼女にこのことを聞きたい。なんで上履き履いてないの?ここで閉め切って、何してたの?僕にはだいたいその答えの予想はついていた。だがその答えが彼女の口から出てくるとは到底考えられなかった。でも、そう答えてほしい。聞くべきか。どうしよう。僕はいまだ身動きしない彼女の目の前で思案に暮れていた。彼女はそんな僕から目線を逸らさない。汗が滴り落ちる。

「どうしたの?結城くん?」

はっとして顔を上げる。いけない。ずっとこうしてても、だめだ。よし、もうどうにでもなれ。

「あ、あの・・・。」

「な、なあに?」

「吉田さん、こんな暑いとこで、何してたん、です、か・・・?」

「・・・・・。」

ごめんなさい、ごめんなさい。

「ばれちゃった。ごめんね、結城くん。心配かけちゃって。私が上履き履いてなかったからでしょ?」

図星。

「私ね、どうしてなのか、こんな風に靴下で歩くのが好きなんだ。学校とか、グラウンドとかね。」

うんうん。

「でもね、やっぱり恥ずかしいんだ。もう高校生だもんね。みんなの中で、私だけ靴下で歩くなんて。絶対にできないな。」

そうなの。そうだよなあ。

「でね、だからね、・・・私、こんな風に誰もいない時に一人でこっそりと靴下で歩いてるの。おかしいでしょ?でも仕方ないのよね。これしないと、心がモヤモヤするの。」

はああ・・・。

「引いちゃった?結城くん・・・。」

「え?いや、ううん、全然そんなことない。」

「そう?」

「うん。別に、全然普通だよ。吉田さんが靴下でいたって。僕は、気にならない。」

「結城くん・・・。ありがと。・・・ねえ、今日、今から時間ある?」

「ええと、うん、大丈夫だけど・・・。」

「じゃあ、ちょっと、付き合ってくれる?せっかく私の秘密、話しちゃったから。」

「・・・いいよ。」

「それと、このことは私たちだけの秘密だよ?絶対に他の人に言っちゃだめだよ。・・・恥ずかしい、から・・・。」

「わかってるよ。僕は、口が固いんだ。だから、大丈夫。」

「ありがと。」

彼女は優しく微笑んだ。僕の鼓動がさらに早まるのを感じた。


 「こうやってね、靴下で歩いてると、足の裏にいろんな感覚が伝わってくるの。」

僕たちは教室を出て、二人で廊下を歩いていた。日が差し込み、明るい世界が広がっている。僕は至近距離で吉田さんと歩いていた。靴下姿の彼女と。気分が高揚している。どうしても目線は下を向いてしまう。

「廊下って、つるつるしてて、ひんやりとしてて、気持ちいい。うまくいくと、ツーって滑っていけるのよ。ほら。」

吉田さんはそう言って、スケートをするように廊下をちょっと滑ってみせた。子どものように無邪気にはしゃぐ彼女が、そこにいた。クールで大人な、いつもの彼女はそこにいない。僕は黙って、彼女について行った。

「ねえ、結城くんって、何か人に言えない秘密、あるの?」

「え?・・・うん、そりゃあ、ね。」

「じゃ、教えてよ。」

「なんでだよ。」

「私も教えたじゃない。ね?聞きたいなあ。結城くんの秘密。もちろん、私も誰にも言わないから。」

「そうだね。じゃあ、秘密だよ。実は・・・。」

「・・・うそ?ホントに?」

「誰にも言うなよ?ほんとに。」

「くすっ。かわいい。結城くん。」

「ああ、もう。恥ずかしいな。他のこといっときゃよかったな。」

「ありがと。教えてくれて。」

彼女はにっこり微笑んだ。可愛かった。僕は思わず、目線をそらしてしまった。

「ねえ、誰もいないし、このまま外に出てみない?」

階段を降りた僕たちは、昇降口にいた。砂の積もったコンクリートの、靴箱が並んだその場所を、吉田さんは躊躇なく靴下のまま歩いてきた。

「吉田さんがいいなら・・・。」

日は高く上がり、気温もみるみる上がっていた。僕は額から滝のような汗をかいていた。吉田さんはというと、全く汗をかいていないようにみえる。さすがだ。

「いこっ。」


吉田さんは僕の手を握ると、靴下のまま砂のグラウンドへと降り立った。踊るようにくるくる回り、靴下は一瞬のうちに砂まみれになってしまった。

「砂の上ってね、一番気持ちいいんだよ。さらさらしてて、特にこんな晴れた時にはね。濡れてる時はあまり好きじゃない。靴下が湿って、気持ち悪いの。」

靴下で砂を撫でながら、吉田さんは話す。僕は上履きのままグラウンドに立って、その様子を見つめていた。日光に当たった彼女の真っ黒な髪の毛はつややかに光っている。さらさらとしたそれは、彼女が動くたびにふわふわなびいていた。

 彼女は校舎の裏手へと僕をいざなった。そこには弓道部が部活を行う、的がおかれた空間があった。校舎の1階部分を使っている。床はコンクリートで、埃や砂が溜まっていた。日陰になっていて、風も通るので、僕の汗はいくらか引いた。

「ここも私、好きなんだ前に友達に誘われてここに来たんだけどね、靴履いてたんだけど、脱ぎたくて仕方なかったの。ひんやりして、ザラザラして、足の裏がすごく気持ちいい。」

吉田さんはそういいながら、楽しそうにそこを歩き回っている。靴下の汚れは気にならないのだろうか。足の裏は真っ黒だ。

「ねえ結城くん。」

「ん?」

吉田さんが急に立ち止まり、僕の目の前に歩いてきた。身長は僕の方が少し高く、彼女は僕を見上げ、また視線を下げた。恥ずかしそうにもじもじしている。僕の体が再び熱くなる。

「また、付き合ってもらって、いい?」

彼女は僕の目を見てそう言った。キラキラした、大きくて丸い目だった。こんなに吉田さんが、可愛くて、美しく見えたことはなかった。

「もちろん。暇な時はいつでもいいよ。」

「わあ、ありがとう。一人じゃ心細かったんだ。かと言って、誰にも言えなかったし。結城くんが来てくれて、よかった。ありがとう。今日はほんとに。」

「いいよ。僕も楽しかった。また、一緒に歩こう。」

「うん。」

「あと、その・・・、」

「なあに?」

今度は僕がもじもじする。

「今から一緒に、お昼、食べに、行かない?僕がおごるよ。」

すると彼女はパッと表情を輝かせて、

「わあ、いいの?やったあ、いく行く!」

ぴょんぴょん跳ねて喜んでくれた。僕も嬉しかった。

「で、その・・・、」

「なになに?」

「その靴下、どうするの?」

「あ、これ?もちろん、履き替えるよ。このままだと帰れないもん。汚いでしょ?」

「あ、そうなの?」

「そうだよ。私って、潔癖性なんだ。」

僕の頭は混乱した。

夏の不思議な、出会いだった。


おわり

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