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車男短編集  作者: 車男
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放課後

 夏の夜は遅い。時刻が午後6時をすぎてもなお、太陽はまだまだその勢いを保っている。私はそんな時間に誰もいない学校の廊下に立っていた。もちろん、校舎内に生徒は誰もいない。先生がまだ何人か、職員室で作業しているのが見える。

 私は中学2年生。セーラー服に身を包み、短い丈の白いソックスを履いている。上履きは今、自分の靴箱の中にある。だから校舎内にいる私の足元は、その靴下だけ。ひんやりとした廊下の冷たさが、足裏を通して体へ伝わる。そして、床のゴミのザラザラとした感触までも。

 私は靴下を汚すのが好きになった。自分でも、こんなのおかしいと思ってる。けど、ある日以来、その思いが芽生え始めた。上履き忘れである。その日一日中、学校内を白い靴下だけで歩き回り、帰り際に見たその状況に、私は心打たれたのである。何でだろう。どうしてこんなにも、私は足裏が真っ黒に染まった白ソックスに惹かれるのだろう。たった一度、靴下を汚してしまったくらいで。その日も今日と同じ、この短い丈の白い靴下だった。

 難しく考えることなど、必要ないのかもしれない。人には人の好きなことがあるのだから。あれから1ヶ月、私はそんな考えを持ち始めた。気にする必要はない。自分の心の中に留めておきさえすれば。でも他人に知られるのはやはりまずいだろう。おかしい、きっとそう思われるに違いないのだから。

 だから私はこの時間にここにいる。たった一人で、廊下に靴下のまま立っている。誰にも知られることなく、密かに、自分の欲求を満たすために。私はカバンを床に置いた。そして真っ白な、まだ汚れのない白い足元を一歩踏み出した。トン。静かにその足を床につける。それを繰り返す。そのまま階段を登る。埃がたまった校舎内。掃除をしてもしても、どこからかそれは出没する。私はわざとそれを踏みつけた。興奮していた。鼓動が早い。心臓の音が校舎内に響き渡るのではないかと思うほど、激しく脈打つ。

 校舎の3階に足を載せた。生徒数の減少で、今この階に人が足を踏み入れることは皆無だった。もともと3階建て校舎2棟を使っていたのだが、数年前からこの3階は使わず、他の5フロアだけを使用するようになったという。西日が強くなってきた。校舎内は次第に闇に包まれる。私は落ち着きながらも、機敏な行動を心がけた。完全に闇に包まれては、危険だし怖いのだ。

 私が今いる棟に、先生がくることはこの時間はない。生徒は皆下校しているはずだ。私は階段の先に張られた立ち入り禁止のロープをまたいで、使われなくなったそのフロアを歩き出した。

 そこは目に見えて埃がたまっていた。私が歩いたところには、私の足の形の跡が残った。私の学校ではないような感じがする。割れたあとに修理された窓、板が貼られた窓、剥がれてコンクリートがむき出しになった床、落ちた天井。散乱する砂埃。私の興奮はますます昂ぶっていた。靴下をこんなに汚せるなんて。しかもこんなに自由に。のびのびと。なんの心配もなく。私は廊下を突き当たりまで進んだ。そして振り返った。そこには私の足跡が残っていた。ずっと、向こうまで。その影が、夕日に照らされてくっきりと見えている。

 私は同時に目を見張っていた。こちらに向かうその足跡の軌跡は2人分あった。廊下の真ん中を真っ直ぐ貫く私の足跡のすぐ隣に、同じように真っ直ぐに、私のものよりやや小ぶりな足跡の軌跡が並んでいた。埃まみれのその床に、その2人分の足跡だけがくっきりと見えた。少々埃をかぶり、数年前のものと思われた。でも、間違いない。数年前にも、私と同じ思いでここを歩いた人がいたんだ。私と同じように、靴下で。この足跡はそうに間違いない。そう思うと、その廊下に並んだ2本の軌跡はより明確に私の目に入ってくる。きっと女の子なのだろう。私より足のサイズが小さくて、やや内股気味の足跡。私と同じ好みを持つ人が、いるのかもしれない。いや、きっといるに違いない。私は嬉しかった。顔がほころんだ。自然と、笑顔が現れる。誰だったんだろう。友達になりたかったな。そして一緒にここを歩きたかった。胸をはって、堂々と。

 その足跡が、だんだんとはっきりしなくなった。腕時計をみると、もう7時を過ぎていた。やば。早くここを出ないと。鍵を閉められてしまう。教室にも入りたかったけど、それはまた今度にしよう。今日はもう十分だ。

 私はまたその廊下を戻り始めた。校舎には階段は一カ所しかないのだ。階段を降りきり、靴箱へ向かう。私の荷物はそこにあった。靴を履く前に、そのドキドキの時間は訪れる。そう、どうなったのかな。私の靴下の裏。床に座り、胡坐をかく。ちょっと恥ずかしいけど、これが一番見やすいんだ。

 私は興奮を隠せなかった。そこには足型に真っ黒になった元々は白かった靴下があった。土踏まずと指の間以外はほぼ真っ黒。今まで見たことがないほどの汚れだった。両足ともに。満足だった。これは記念にとっとこう。私はその場でそれを脱ぐと、カバンから真新しい白ソックスを取り出し、履いた。真っ黒ソックスは大事にカバンにしまった。靴を汚したくなかったのと、汚れをそのまま保存しておきたかったからだ。

 それから私は靴を履くと、こっそりと学校を後にした。達成感と満足感に浸っていた。ちょうど世界が、闇に包まれたころだった。


 その後私があのフロアに立ち入ることは、二度となかった


おわり

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