潮騒の思い出
ザザーン、ザザザ・・・
久しぶりに来た。この海。この潮騒。高校生の時に見つけた、秘密の場所。人気のビーチからちょっと離れた、洞窟を進むと行き着く砂浜。この時期に、人はいない。だってまだ12月。海水浴なんて、誰もしない。
私は現在25歳の社会人。看護師をしている。仕事は楽しいけど、やっぱりきつかったり辛かったりすることはある。そんな時私はいつもここにくる。落ち込んだり、悲しかったり、辛かったりする時はいつもくる。すると潮騒や海の匂い、カモメの鳴き声、遠くの船の音、沈む夕陽、それらが私を癒してくれる。
私は靴を脱いだ。スニーカー。中には白いスニーカーソックス。私は靴をその場に置いて、靴下のまま砂浜を滑る波に向かって歩き出した。さら、さらと靴下ごしに乾いた砂の感触が伝わる。気持ちいい。波が近づくに連れ、足元が濡れ出す。靴下に砂がまとわりつく。しまいには波がそれを直接濡らした。12月の海は冷たい。けれど今の私にとっては、これも気持ちいい。私はズボンの裾が濡れるのも気にせず、その場に立ち止まった。目の前の陽が、赤く染まり出した。そう、あの時もそうだった。
高校生のとき、私はちょっとしたいじめのターゲットとなっていた。先生に相談するでもないし、そんなに嫌じゃなかったけど、ストレスがたまっていた。帰り道に、私は自転車で毎日浜辺の見える道を通っていた。ある冬の日、私はいつものようにその道を通っていた。砂浜を見て、思った。ちょっと行ってみようかな。私は自転車を止め、砂浜へと入って行った。立ち入り禁止などではなかった。ローファーのままで乾いた砂の上を歩く。当時の私は白いスクールソックスを履いていた。それも、ハイソックス。学校指定のものだった。
ローファーのままで歩いていくと、やはり砂が大量に入ってくる。私はそのざらつきに違和感を感じながらも、進んだ。その時も波は優しく浜を滑っていた。不意に足の感触が硬くなる。次の瞬間、私のローファーは波に触られていた。冷たかった。何処かに穴でも空いていたのか、海水が靴の中に入り、私の靴下を濡らした。私はあとずさった。
ふいに、後ろから誰かがくるのを感じた。振り向くとそこには見知らぬおじさんが立っていた。漁師さんだと、すぐにわかった。
「おんめえ、こおんなとこでえ、なにしよるん?かぜひくでえ」
「あ、すんません。ちょっと、うみをみだくて」
「そうかあ。じゃったら、おれがいいとこおしえてやるべ。だんれにも、ひみつのばしょだあ」
「ええの?」
「うん。さ、ついてけえ。なんがあっだがしらねえが、なくんじゃったら、人に見られんとこんのが、ええじゃろ。
「ありがとお」
私はそのおじさんについていった。今思うと、危ないことだったかもしれないけれど、おかげで私は素晴らしい場所を教えてもらえた。
「ここだべ。だいじょうぶかあ?いけるか?」
おじさんが指したのは、岩の合間。
「ここ、いくん?」
「んだ。ちとくるしいかもだが、がまんせえよ」
「うん」
私はなんの疑いもなく、おじさんについてそのトンネルに入った。中は意外と広く、数分で終わった。
「わああ・・・」
「どじゃ?すんげえじゃろ。おれのひみつのばしょだ」
静かで、綺麗な砂浜だった。狭くて、まさに私たちだけのビーチ、という感じ。
「あ、ありがとお。こんなに素敵な・・・」
「うんにゃ、れいなんか、いらんぞ。じゃあな、おれはもうけえるよって。気をつけてかえんなよ。くらなったら、あかんかんな」
「うん」
私はバッグをそばの石におき、伸びをした。そして、海に向かって歩き出した。ちょうど太陽が赤く染まり始めた。相変わらずローファーの中は、砂まみれ。私は思い切って、それを脱いだ。片足ずつ、ローファーを脱いで、バッグの横に置いた。靴下は、面倒だから脱がなかった。その方が気持ちいいと思った。寒かったし。
私は靴下のまま、波の中へと入っていった。冷たい水が私の足を包んだ。一気に目が覚めた。気分がよくなった。ああ、なんて気持ちいいんだろう。それに人に見られる心配もないし。
太陽はますます赤く燃え出した。それを見ているうちに、私の目から涙がこぼれ出した。泣くもんか。そう思っていたのに。止められなかった。私は涙を拭った。まさにその一片が、地平線に飲み込まれるところだった。
砂浜は、潮騒は、一気に闇に飲まれた。
あの時を思い出す。こうやって、靴下のまま波打ち際に立って、潮騒をきいて、夕陽を見ていると。今この場所に来れるのは、私一人。今日だって、私はなくもんか、と思っていた。でも、むりだよね。こんなに大きくて、真っ赤な夕陽。私は静かに泣いた。しゃがんで、夕陽に赤く染まりながら。あの頃の、潮騒の思い出を、頭に描いて。
おわり