おひとよし
上履きが、ない。
通院のために、今日は学校に3時間目から登校した。しんとした玄関に入り、いつものように自分の靴箱を覗く。背の割に位置が高く、いつも背伸びして靴の出し入れをしなくてはならない。他の人にとっては普通なのかもしれないけれど。そう、私は人並み外れて背が低かった。中学生の今でも、130ちょっとくらいだ。クラスの背の順では、いつも一番前。小学校の時からそうだった。私より背の低い人を今まで見たことがない。たまたまかもしれないが。
何度も手を靴箱に入れてみるが、上履きに触らない。ジャンプして中を見るが、やはりない。忘れたのかな?いや、持って帰ってないはず。この前洗ったばかりだし。じゃあ、なんで?いじめ…?私が…。なにかしたのかな?みんな仲良くしてくれていたのに…。
落ち込んだまま、靴を脱ぎ靴箱に入れる。そして靴下のまま、廊下を進む。まずは担任の先生に会わないといけない。気難しそうな、おじいさんの先生だ。定年間際だそう。もうとっくに過ぎているんじゃないかと、噂されている。靴箱から廊下を少し進むと、職員室。先生の席は…。ない。あれ?ああ、そうだ。美術室だ。美術の先生なのだから。ドジしてた。
美術室は4階の外れだと思い出し、階段を上りながら陰鬱になる。疲れるなあ。遠いなあ。上履きどこかなあ。生徒とあまり関わらない、私の担任の先生なので、埃っぽい美術室に入って、挨拶をしても、そうか、じゃあ教室に行きなさいと言っただけで、後は本に目を落としていた。いわゆる、ラノベだ。初めて知ったが、意外に思った。というより、変でしょ?
3階に降りて、廊下を進む。靴下だけなのを先生に何も聞かれず、少し寂しかった。忘れただけなのかもと、思ったのかもしれない。でも、ちょっと聞いてくれてもよかったじゃん。ペタペタと歩を進めていると、チャイムが鳴った。2時間目の終わりだ。廊下に生徒がどっと出てくる。集団とすれ違う時、何度か足を踏まれた。2時間目と3時間目の間に20分の休みがあって、そこで遊ぶ子もいるのだ。
にぎわう廊下を突き当たりまで行くと、そこが私の教室だ。何人か、私の足をじいっと見ていて、恥ずかしかった。沈んだ気持ちで教室に入る。男子はほとんどが遊びにいっていて、女子がほとんどだった。席につくと、クラスでもかわいいと評判で、男子とも仲のいい女の子が近づいてきた。私とはあまり面識はない。見覚えのある上履きを履いていた。それって…。
「ごめんね、伊藤さん。上履き、私が履いてたの。今日忘れちゃって。今返すね。ほんとにごめん」
「あ、うん。わかった。よかった」
その場で上履きを脱ぎ、靴下で立つ。手でくるっとして、こちらに踵を向けてくれた。そこに自分の足を入れる。柔らかな温もりを感じる。でも、いつもより大きくなっていた。かかとも踏んづけられて、つぶれている。
「あ、ごめん、私の足が大きくて、入りきらなくて。伊藤さん、今日来ないのかなって思って、借りちゃったんだけど、ほんとに、ごめんね」
「いいの。私、足小さいし…。靴下汚れちゃうもんね。よかったら、このまま履いとく?」
「いや、それはいいよ。自分が忘れたんだし。でも、伊藤さんの足、小さくてかわいい。なんセンチ?」
「19」
「わあ、3センチも違う。どうりで、きつかったんだ」
「でも、かわいいなんて言われたの初めて」
「ほんとにかわいいよ。こんなに話したの、初めてだね。ね、これからも、よろしくね。怒ってなければ…」
「うん、こちらこそ。ぜんぜん怒ってないよ。ほっとした。小林さん、よろしくね」
握手を交わすと、小林さんは自分の席に靴下のまま戻っていった。
足元を見る。そこにはやや大きくなった、自分の上履きがあった。色は、赤。いままで何も思わずただ履いていた上履きだったが、こんなに意識したのは初めてだ。これのお陰で、新たな友人ができた。上履きがなかったら、足元がおぼつかなかった。汚れもつく。いつもありがとう。心のなかで、私は上履きに感謝した。予鈴がなり、少ししてまた教室が騒がしくなる。男子がどたどたと教室に駆け込んでくる。私に挨拶してくれる子もいる。今日は何だか気持ちよく返せた。もう一度チャイムが鳴り、先生が入ってくる。あら、伊藤さん、いまきたのね。おはよう。国語の優しい先生が話しかける。おはようございます。いつもより大きな声で返事した。さあ、あと少しだけど、今日一日、頑張るぞ。
おわり




