少女と少年6
小鳥のさえずりが日差しと共に窓から入り込んでくる。
露骨なまでの朝の雰囲気と人の気配のせいで、アイナ・エルヴィアは目を覚ました。
「…………んんっ」
光の眩しさから目を背け、小さく唸って寝返りを打つ。
朝は嫌いだ。
狩人の朝は早いのが基本ではあるのだが、アイナの場合はクランのメンバー達と顔を合わせないためにも少し寝坊する必要がある。決して自分がまだ寝ていたいからとか、そんなことはない。
本当に、絶対に……多分、ない。
……え? 人の気配?
ここでアイナはひとつ違和感を覚え、がばっ、と体を起こしてベッドの横でしゃがみこむ人影を見付ける。
「お、起きた。おはよう」
「おはよう、じゃないわよ……。何で部屋にいるの」
……最低な寝覚めね。
飄々とした態度で挨拶を繰り出す彼の非常識さについ頭を抱えてしまう。
「さっきリズさんに起こしてこいって言われてさ。そしたら、んんっ、とか声だしててちょっと卑猥だった」
「……黙りなさい」
赤面するアイナの顔を覗いてから少年は立ち上がる。
「それにしても、お前起きるの遅いんだな。もう他の人達は出て行ったぞ。俺たちも早くした方がいいんじゃないか?」
「もう、わかったから……。アンタも早く部屋から出なさい」
「別に待っててやってもいいぞ?」
彼の常識外れもいいとこな馬鹿げた台詞に、アイナはとうとうこめかみに青筋を浮かばせる。
「――だからっ、着替えるから出ていきなさいって言ってるのよ!」
どうして、朝からこんなに叫ばなければいけないのだろうか。
……最悪な朝だ。
この、ソラという少年とパーティを組んでしまったという億劫になる事実を思い出しながら、アイナはそう思ったのだった。
*
アイナも準備を終え、その後二人はある場所に辿り着いていた。少なくとも弱くはない日光が照りついて、アイナのテンションを軽く下げる。
「人、多いわね……」
街へと出てみると、やはり狩人や商店のおかげで活気付いているようだった。最近のアイナは依頼の選択を全てリズに任せきっていたので、こうやってギルド付近の街へ足を運んだのが随分と久し振りなように感じた。
そんな人混みの中、隣を歩くソラが「なあアイナ」と肩を叩いて呼んでくる。
「あれ、大丈夫なのか」
疑問を口にして彼が指を差した先には、小型の地竜が飼い主らしき人に手綱を引かれていた。
ソラはきっとその飼い主の安否を気にしているのだろう。
「あれは乗竜用の地竜よ。子竜の頃から育てたものだから、人間になついているのよ。だからああして乗って足に使ったり、他にも客車や荷台を引かせたりするわね」
「そういうものか。案外竜ってのも都合が良いんだな」
それ以外にも何かを見付ける度、キョロキョロと視線を四方八方へと動かす彼の態度に、アイナは「ねぇ」と切り出した。
「アンタのその無知加減はいったい何なの? 素人の狩人だからって、ここまで世間知らずなのもどこか変だわ」
「それは当然だろ。なんていったって、俺が住んでいた村は山奥にあるかなりの田舎だったからな。竜狩りとかいう仕事が存在することだって知らなかったし、この街に来たのだってつい昨日の話だ」
「……なっ、昨日って」
驚いたわね……。
そう言われてしまうと、これまでの彼の言動も納得がつかなくもないけれど。しかし、だからといってそんなにすぐこの竜狩りを……命を懸けるこの仕事をやろうと思えるものなのだろうか。
アイナがそう疑念を抱いていると、ソラはこちらに一度目を当ててから答えた。
「三年前くらいかな、その俺が住んでた村が化け物に襲われてな。それで俺以外の村人の全員が死んだんだよ。行く宛も無かったから、しばらくは村に残って一人でやりくりしてたんだが……とうとう食い物だったり金だったりがなくなって」
それでダメもとでこの街に下りてきて仕事を探した、とソラは言った。
彼の言葉を聞いて、アイナは顎に手を当てる。
……三年前、……化け物。全ての元凶、『白き母龍』の討伐の出来事といくつか関連するような単語はある、けれど。
――まあ、気のせいかしらね。
首を横に振って、アイナはソラに向き直る。
「アンタ……見かけによらず、随分と辛い目に遭ってきたみたいね」
「すまん。気分悪くしたなら謝るけど」
「別に、私が聞いたことをアンタが話しただけでしょう。謝る必要なんか無いわ」
「そうか」
お互い、内容に似合わぬ淡々とした口振りで話してから、ソラがふとアイナに聞いた。
「ところでさ、今日は何しに行くんだ? ギルドのある方向とは逆に向かってるみたいなんだけど……」
「それなら、ちょうど着いたわ」
しばらく会話を混じらせながら歩いているうちに、目的の場所へとたどり着いて、「ここよ」と右手側にある一件の店を指した。
「何の店なんだ、ここ」
ソラがアイナに質問を投げる。
「この店でアンタの装備を揃えるのよ」
アイナがそう言うと、ソラは自分の格好を今一度確認してみてから首をかしげた。
「これじゃダメか?」
「ダメに決まってるでしょ! それ昨日と同じ格好じゃない!」
本格的に狩人をやるつもりであるのなら、今すぐ彼のこのふざけた装備をどうにかしなければならない。
最低でも武器と上半身の防具はマシな物にしなければ、この先はやっていけないだろう。
「でもお前の装備だって薄っぺらいように見えるけど?」
アイナの藍色を目立たせたコートを指しながら彼が言う。
しかし、失礼ね、とアイナはソラに鋭く眼を当てる。
「私が着ているのは魔法を付与したやつよ。アンタのゴミみたいなのと一緒にしないで」
「ゴミとか言うな。それ身に付けた俺が可哀想だ」
「その為の武具屋でしょう。……アンタ、昨日の白鱗はどのくらいで売れたの?」
「おお、あれか。わりかし金になったぞ」
すると彼は、腰にぶら下げてある大きく膨らませた巾着をアイナに渡した。アイナはその中身を覗いてみる。
「そうね……ざっと銀六十枚ってところかしら」
「そんなにあったのか。一年は食費に困らなそうだな」
「これっぽっちで一年も暮らせるなんて、アンタも相当に難儀な生活送ってたのね。でもまぁ、これならどうにかなりそうね。今日はこれ全部使ってアンタの装備揃えるわよ」
「……え? 全部? 武器とかってそんなに金がかかるのか?」
「そうよ、アンタが今身に付けてる玩具なんかとは違った、ちゃんとしたやつはね。いいから、早く入るわよ」
いつまでもうだうだと言っているソラの手を引いて、アイナは店の扉を開けた。
僅かな埃が舞った、自分達の他に客がいない薄暗い店内。その奥の方に位置するカウンターでは、長い髪を後ろでひとつに束ねている若い男が新聞を眺めながらくつろいでいる。
近づいて行くと、彼はこちらの存在に気付いて顔をあげた。
「おお、エルヴィア嬢か。久しいじゃねーの」
「お久し振りです、シセさん」
この武具店の店長であるシセとの挨拶を済ませると、隣のソラが口を開かせる。
「知り合いか?」
「ええ。自分で言うのもなんだけど、ここの常連なのよ私」
「そっちの兄ちゃんはエルヴィア嬢のボーイフレンドか?」と茶化すようにシセが言うと、「まあ、そんな感じです」とソラが答え、「違うわよ!」と結局はアイナが全力で否定した。
「この男とは、不本意ながらパーティを組まされただけです」
「ほぉ、エルヴィア嬢がパーティ組むなんて珍しいな。それで、今日はどんなご用で?」
「このボロ雑巾みたいな装備をどうにかしに来ました」
アイナが用件を伝えると、「おい酷いかよ」とソラが口を挟む。「本当の事を言ったまでよ」とアイナは軽くあしらってから、シセの方に再び目をやる。
「それじゃあ、しばらく見させてもらいます」
「どうぞどうぞ。ごゆっくり選んでってくれ」
彼とのやり取りを後にして、二人は装備品の列なる方へと向かった。
*
まずは胸当てを選ぶことにして、それらが並ぶ棚に視線をやってみる。
「そうね……胸当ては鉄製の物にしましょう。安くてある程度丈夫よ」
そう説明してソラに言ってやるも、彼は不思議そうな表情で並ぶ品を眺める。
「なんだ、お前みたいに全部魔法が付与された防具にするのかと思ってたんだけど。違うのか」
まったく何を言っているんだか、とアイナは呆れて溜め息をつく。そういうことはまず値段を見てから言って貰いたいものだ。
「たったの銀六十枚で、そんな高い装備を揃えられる訳がないでしょう。魔法付与の全身装備なんかしてたら軽く金二枚は飛んでいくわよ」
「なんだその金額。食費何年分だ」
「なんでも食費で考えるのやめなさい」
「というか、それ全部揃えてるお前はどれだけ金持ちなんだよ」
確かに、お金はそれなりに持ってはいるけれど……。
「馬鹿ね。こんな高い防具を一括で揃えられるわけがないでしょう。ちなみに私の装備はオーダーメイドだから……そうね、全部の値段は昨日の報酬だけじゃ、とても払いきれないわね」
「突然の自慢やめてもらえます? ――って、金四枚より上とか馬鹿げてるな!!」
珍しく声をあげて驚く彼を一瞥して、アイナは幾つか胸当てを手に取り見定めながら言う。
「馬鹿げてなんかいないでしょう、商売道具であり自分の身を守るための物でもあるのよ。命を預けるのなら、いくらかけたって足りないくらいよ」
「そういうもんか」ソラが問う。
「そういうもんよ」アイナが頷く。
これにしなさい、とアイナは手に取った胸当てをソラに渡す。
「少し重たいけど、良い素材使っているわ。サイズもアンタにピッタリじゃないかしら」
「おお。して、いくらだ?」
「銀八枚」
「高いのか安いのかわからないな。食費でいうと……」
「それやめなさい。……次行くわよ」
アイナはそう言って、ソラを連れ再びシセのもとへと戻っていく。
*
「――しばらく見てたけど、めっぽう仲良いみたいじゃねぇの」
ニヤついた表情で言うシセに対して、アイナは眉間にしわを寄せる。
「冗談でもやめてください、怒りますよ。
……それより、これでこの男の体に合う魔法付与のコートとレギンスとブーツをくれませんか?」
アイナはカウンターテーブルに銀三十二枚を出してそう言った。
シセは僅かに口角をあげる。
「……ちょっと待ってな」
そう残して席を立った彼は、しばらくして複数の装備品を持ってきてまた現れた。
両手で抱えていた物を、カウンターに並べる。
黒のレギンスと鉄製のブーツ。そして、えんじ色の魔法が付与されたコート。
「これ全部で、銀が三十四枚だな」
とシセが口を開かせる。
「銀二枚分多いですね」
「こっちも商売だからな」
「……まあ、別に良いですけど」
「おお、毎度あり」
しかしそうなると、残りが銀十八枚と銅が数枚程度か。曲がりなりにも剣士を志望しているソラには、なるべく良い物をと思っていたのだが。
――取り敢えずは防御優先ね。
「アンタ、ちょっとこれ着てみなさいよ」
たった今購入したばかりの防具一式を、ソラに渡してそう促す。「ああ、はいはい」と返事をした彼は身に付けていた安物の胸当てを外すと、新調した胸当てを装備する。次にレギンスとブーツを履いて、最後にコートを羽織ると、苦笑いを浮かべた。
「どうだろう」
「いいんじゃない? アンタの馬鹿さ加減も少しは軽減されたみたいで。まさに馬子にも衣装って感じかしらね」
「そうか、それはよかった」
嬉しそうにはにかむソラに、シセは「褒められてねーぞ兄ちゃん」と突っ込んだ。
その後、残りの金額相応の剣を選んで買い物を終わらせた。
「それじゃ、私たちはこれで」
「お世話になりました」
それぞれ口にして店を出ようとしたその時、「待った待った! エルヴィア嬢、ちょっと」とシセがアイナを引き止める。
疑問に首を傾けつつ、
「ちょっと外で待ってなさい」
とアイナはソラに指示をする。
わかった、と彼は頷いて扉を開け店から出ていった。それを確認したアイナはシセのもとへ足を進ませる。
「時間取らせちゃって悪いね」
「いえ別に。それで……何でしょうか?」
アイナが尋ねてみると、彼はまずこう言った。
「エルヴィア嬢、希少種の翼竜仕留めたんだって? 今日ギルドに行ってみたら、ぽつらぽつらと名前が上がってたよ」
それを聞いて少しだけ驚くが、考えてみるとそこまで不思議なことではないのかもしれない。希少種は基本的にパーティ討伐するのが定石であるのに対し、昨日のアイナの討伐成績としてはソロでの討伐ということになっている。
加えてアイナは、名のあるクランよりも先に討伐を成功させた。そのことでアイナの名前が知られてしまうのも当然ではあるだろう。
「それで、こっからが本題なんだがな……」
神妙な面持ちになったシセが開口させる。
「ギルドに来てた何人かの騎竜狩団の奴らが話していたのを小耳に挟んだんだけどよ。どうやら……最近、希少種の数が増えているらしい」
「……それ、本当ですか?」
だとしたら、それは多くの狩人は良く思わない事態ではあるだろう。依頼状にあれば目が付きやすく、討伐報酬額も高い。
しかし、それ以上に希少種は強敵過ぎるのだ。
希少種一頭の討伐であるならまだしも、数が増加しているということであるなら、他の討伐の際に乱入される危険性だって無視できないはずだ。
――でもどうして、シセさんは私にその事を……。
アイナがそんな疑問を抱いていると、それを摘み取ったのか、シセは続けて言い出した。
「エルヴィア嬢、最近ギルドに行ってなかっただろ。それなら伝えておいた方がいいんじゃねーかと思ってな……。さっきの兄ちゃん、見た感じ新人の狩人だろ……」
シセの言葉にアイナが首肯する。
「でも、それが何だって……」
「エルヴィア嬢…………あの新人とパーティを組んだんなら、希少種に気を付けろよ。二頭の希少種なんかあらわれてみろ。とてもじゃねーが、あんた一人であの兄ちゃん庇うのは無理だろうよ」
こちらを心配するような彼の言葉を受けて、アイナはシセに対してギロッと睨みを利かせる。
「……シセさんは私の実力を知っているでしょう? あまり舐めないで貰えますか」
「その実力を知ってるからこそだ。確かにその自信はエルヴィア嬢、あんたの強さだってことには変わりねーさ。でも……」
「もういいです。今日はありがとうございました」
「――それは、諸刃の剣だ」
シセさんのその言葉を聞き終える前に、アイナは彼に背を向けた。
「……いつか、自分を傷付ける原因になる」
最後にシセがそう言うも、アイナはそれを扉の開ける音によって埋没させながら店から出ていった。
外に出ると、ソラは店の前の石段に腰を掛けていた。
「割りと早かったな。何話してたんだ?」
彼に問い掛けられて、アイナは数秒口を噤んだ。
……大丈夫、私は強い。希少種だって倒せた。一人くらい重荷があってもやっていける。
そう心のなかで呟いて、ソラの面を見やる。そんなアイナの様子に違和感を覚えたのか「どうした」とソラが聞いた。
アイナは彼から視線を外して、首を振る。
「何でもないわよ」
――私なら、こいつを守ってやれる。
その決意を胸に抱いて、アイナ・エルヴィアの色は徐々に深みを増していった。