少女と少年2
「――アンタ、馬鹿じゃないの!?」
崖の割れ目にて、潜めた声でありながらもアイナは怒鳴り付ける様に少年にそう言った。
「え、あぁ。うん。さっきも聞いたけど……なにが?」
「はぁ!?」
首をかしげる少年の態度にアイナはつい声をあげてしまう。
しまった、とあわてて口を押さえて割れ目の陰から翼竜を確認してみるが、まだ向こうはこちらの場所には気付いていないみたいで、うろうろと首を巡らせながら歩き回っていた。
安堵してアイナが胸を撫で下ろすと、口もとで人差し指を立てた少年は、
「しーっ、バレたらどうするんだよ」
と、アイナに向けてひそひそと言った。
何なのこいつ……腹立つ。
静かにイラつきながら、アイナは彼の服装を指して言った。
「あのねぇっ、そんっな薄っぺらい装備でアレに勝てると思ってるの?」
「そんなのやってみないと分からないだろ。まあ、確かにちょっと苦戦はしたけど」
「わかるわよ普通っ。ていうか、アンタ苦戦どころか死にかけてたじゃない。それに何なの、その魚もさばけそうにない安っぽい武器は」
「何を失礼な。これはなぁ、俺が十日分の食費を削ってまで買った大事なダガーなんだぞ。銅十枚もしたんだから、これで無理ならもう無理だ」
「なにをアホ言ってんのよ……」
なんとも非常識な彼に、アイナは呆れて溜め息をつく。
ていうか、一日分の食費が銅一枚って、こいつかなりの貧乏なんじゃ……。
改めて装備を見ても、格好はボロボロで、強いてましと言えるのが、中古であろう胸当てと手元の安物ダガーナイフだけだろうか。だとしても、とても狩りが出来るとは思えない装備揃えだ。
「……もしかしてアンタ、竜狩り初めて?」
「ああ。よく分かったな」
やっぱりか……。
「ほんっとに……もう。だったらなんでこの依頼にしたのよ。素人のアンタなんかが勝てるわけ無いでしょ」
「いや、だってギルドのお姉さんが初心者には翼竜とか地竜とかがおすすめだって言ってたから……一番報酬が多かったし、翼竜だし、ってな感じでこの依頼選んだんだけど、ダメだったか?」
「ダメに決まってるでしょーが。この翼竜は希少種なの! まず報酬額で気付きなさいよ、馬鹿じゃないの! っていうか、アンタの装備じゃ普通の翼竜も倒せやしないわよ」
次から次へと口からつい飛び出してしまう「馬鹿」という言葉に内心驚く。初対面の相手にここまで言ったのも初めてだ。
まったく、クランのメンバーたちにもここまで怒ったこともないのに、不思議というかなんというか……いや、こいつが馬鹿だから気が立っているだけだろうな、とアイナは考えてから結局はそんな風に思い至った。
彼女は息を吐いて、立ち上がる。
「とはいっても、アレに立ち向かえる勇敢さだけは誉めるべきかしらね。ただの怖いもの知らずな馬鹿とも言えるけど……」
「おたく、さっきから人のことを馬鹿だアホだと言いたい放題だな」
「本当の事でしょう。いいから、アンタはそこに隠れてなさい」
「おい、ちょっと待て」
アイナがその場から出ようとすると、後ろから少年が彼女の腕を掴んで引き留めた。ややバランスを崩す。
「何よいきなり!」
振り向いて睨み付けると、少年は腕を握る手をほどいて尋ねた。
「……お前、アレと戦うのか? 死ぬぞ」
「何が、死ぬぞ、よ。アンタに言われたくないわね」
「そうは言ったって……」
変に不安そうな顔で少年はアイナを見る。
あれ、心配してくれてるのこいつ。思ったより悪いやつじゃないみたいね……馬鹿だけど。
「……大丈夫よ。私、強いから」
「でも……」
「――それに、もうバレちゃったみたいだし」
凄まじい咆哮が空気を震わせる。
さすがに会話から溢れた雰囲気に翼竜の方も感付いてしまったのか、翼竜はこちらに向かって来ていた。
それに対してアイナも駆けていく。
走りながら、アイナは考える。
リズしかりあの少年しかり、少なからず自分を心配してくれている人物がいたこと。それはとても喜ばしいことかもしれないけれど、アイナに関して言えば、彼女自身のプライドと対立してしまうのだ。
きっと、もっと自分は心配ではなく信頼される人物である必要があるのだろう。
――それなら、もっと、私の強さを証明してあげようじゃない。
アイナは腰の剣に手を添えながら、竜に向けて加速する。
そのまま走りながら翼竜からの激突をよけ、鞘から剣を抜いて竜の足に刃を入れる。
体を捻らせ続けてもう一撃を振るうと、かきっ、と刃が触れる際に微かな高い音がなった。
初めに斬りつけた場所からは真っ赤な鮮血が飛び散り、叫び声らしい竜の鳴き声と倒れ込む音が辺りに響く。
すぐさま振り返り、体勢を崩した翼竜に攻撃しようとするが、尻尾で反撃をされて、アイナは受け身を取りながらも飛ばされてしまう。
竜は起き上がり、こちらも体勢を直して互いに視線を向け会う。
「希少種なだけあって、そう簡単にはいかないみたいね……」
希少種の討伐は初めてではあるものの、どうやらこの翼竜は体の硬さにも特化しているようだ。そのせいか、先程入れた一撃もとても浅いものだった。片足の機能を奪うほどにはいかなかっただろう。
「それなら――」
すぐさまダッシュで向かったアイナは、尻尾を振る翼竜の攻撃をかわし、素早く相手の膝裏に潜り込むと、
「てぁっ――!」
そこに攻撃をかました。
ようやく剣を振り抜くことに成功して、さっきよりも多くの血液が噴き出した。竜はわずかに膝を折ったものの、仕返そうと巨大な尾を振り回す。
アイナは瞬時に距離を置き、それから身を逃がす。
「当たり前と言えばそうだけど……正解だったみたいね」
特に硬化しているのは表面部分だけで、関節部分は比較的柔らかく、それなりに手応えはあった。
再びアイナは剣を構えると、翼竜も自身の大翼をはためかせて飛行しながら突進をしてきた。
アイナはそのまま両手に握り変えると、やって来た翼竜の突進を避けながら相手の翼の根本に刃をひと振りさせて、流れるように一撃を入れる。加えて間髪を入れずに、着地をした直後の翼竜の膝裏を斬りつけると、それに翼竜はバランスを崩して激しく転倒をした。それでもすぐに立ち上がって、再び剣を構える彼女に対して咆哮で怒りを露にしつつ、大きく広げた翼を見せながら睨み返す。
「……やっぱり硬い。どうしても、刃の入りが甘くなるわね」
いくら関節部が他所よりも柔いとはいえ、どうしても腱を削げるほど深くに攻撃を与えられない。
動くスピードが速いというのもあるけれど……。
そして、また互いの戦闘が繰り広げられる。だが、今度のそれは明らかに一方的なものだった。
アイナが素早く移動しながら剣を振るうのに対し、一方で翼竜は彼女のスピードに付いて行けず、致命傷にはならないものの、浅い傷を何箇所も与えられている。
——よし、これならいける。
翼竜の体に幾度も刃で線を描きながら、アイナは確信に近いものを抱き、切り口から飛び散る血もその考えを深くさせていく。
しかし同じように攻撃を継続くさせていくアイナであったが、やがて違和感を感じて、一度翼竜との距離を置いた。激しい運動量から乱れてしまった呼吸を整えつつ、剣は構えたままにこちらを睨み付けたままの翼竜と対峙した。
おかしい。
そう感じた理由は、いつまでも竜の動きが鈍くならないことにあった。
確かにこの翼竜は希少種で耐久力も防御力もあるのはわかってる。でも、これだけ切り付けられながら体勢を崩したのは初めの三回の攻撃だけでそれ以降のこちらの攻撃では膝を着かせることはおろか、翼竜の動きを遅くすることさえ出来ていない。
——甘く見てたかしら……面倒かけさせてくれるわね。
剣を握る手に再度力をいれて呼吸の調子をとりもどすと、アイナは翼竜へと向かって走り出した。
さっきと同じようにちまちまと攻撃を加えていくだけでは埒が明かない。
絶対、腱を削いでやる。
そう考えたアイナは翼竜の正面で切り返し、すぐさま竜の後ろへと回り込むと、全力で刃を振りぬいた。
——が、手応えは無かった。
触れた感触も音もしない。
精一杯に振り抜かれたアイナの刀剣は、霞のみを裂いていた。
瞬間的に視線が上へと向けられる。翼を大きく広げて離陸した翼竜はすでにこちらに鋭い眼光を当てていた。
——しまった。
そんな短い言葉が頭を過った時にはもう遅く、アイナは翼竜の尾で薙ぎ払われるように吹っ飛ばされた。
凹凸の目立つ固い地面を転がり、近くの岩との衝突でようやく止まる。
「いっ……たい、なぁ! もう!」
苛つき混じりに叫びながら、アイナはすぐに体を起こす。
「何なのよあのパワー。希少種ってこんなに面倒なの?」
あの防御力も去ることながら、攻撃の一つ一つもかなり重たいものだ。無しよりはましかと盾代わりに構えた剣も何処かに飛ばされていったみたいで、アイナは翼竜が二撃目を加えてこないことを確認してから視線を巡らせて剣を探す。
――あった。
少し離れたところに横たわっている剣を見付けて彼女は立ち上がる。
その瞬間、突如に風が起こって辺りの砂が舞った。微かに目を細めて翼竜の方を見ると、奴は数度、広げた自身の大翼を羽ばたかせた後に飛び上がる。
何もしてこないままあっという間に飛んでこの場から離れていった翼竜を確認し終えてから、
「はぁ」
と大きく溜め息を吐き出し、自分の体に付いた砂を手ではらっていると、視線を感じて横を向く。
岩影から出て来ていた先程の少年は、目を丸くしたままこちらを見つめていた。
「どうかしたの?」
彼女の問い掛けに対して彼は、
「すげぇ」
と呟いた。
「なんだよさっきの戦い、お前すげえって。よくあんなのと互角にやれるなあ」
僅かに興奮した様子の少年は、アイナに近づいてそう言った。一方アイナの方は、このくらい当然でしょうと言わんばかりに「そりゃどうも」とさっぱりとした返事をしながら、飛ばされていた自分の剣を拾って腰の鞘に納めた。
「さて、と。たしか向こうの方だったっけ……」
アイナは呟いて、ついさっき翼竜が飛行していった方角を眺める。
最後、こちらには隙があったのに奴は何もしてこなかった。しばらく様子を見るでもなく逃げ出す事だけを選択したのはどうも引っ掛かる。
もしかして、手応え以上にこっちの方が圧していたのかしら、と顎に手を当てながら考えていると、「なあ」と横から少年が声をかけて思考を妨げてきた。
「……なによ」
「いや、怖いから睨むのやめてくれ」
考え事の邪魔をされてイライラとしたオーラを露骨に表に出すと、少年は両の手の平をこちらに向けた。
「別に睨んでなんかないわよ」
「いやいや、睨んでるでしょ」
「あーもう、うるさいわねっ!」
どうにもこの男が気に食わない。
その原因が、最初の常識知らずな言動にあるのか、それとも今しがた翼竜に吹っ飛ばされたことの八つ当たりなのか、よく分からない。
まあ理由はなんであれ、今こちらは腹立っているのだから色々と気安く話し掛けないで貰いたいところではある。
――でもまあ、こいつ素人みたいだし私が助けたのもあるから少しくらい相手してやるのもしょうがないかな……。
少しは大人にならないと、と自分に言い聞かせてから口を開く。
「で、なんなの?」
「さっきの翼竜。あれ、追うのか?」
「当たり前でしょう。このまま逃げられたんじゃ格好つかないじゃない」
あんな最後で諦めるなんてことしてしまったら勝ち逃げされたも同然だ。今までの討伐で敵を逃がしたことがないアイナにとっては、希少種だからといって黒星を付けていいことにもならず、むしろこの希少種討伐という最良の結果を残すこと以外の考えは既に捨て去ってしまっている。
それに、先程の翼竜の様子を見る限りここで手を引くのは惜し過ぎる。
「考え無しにこの依頼に手を出したアンタはこんな情報知らないだろうけど、この翼竜討伐でもう四組もリタイアが出てるらしいの」
アイナが言うと少年は「へえ」と声を漏らす。
まあ私もリズさんから聞いたんだけどね、と心の中で転がしてからアイナは続ける。
「あのマギ・ファミリアの二人組パーティもリタイアだったらしいし」
アイナの言葉に少年は「まぎふぁみりあ……?」と首を傾げていたが、そんな仕草にも彼女は気付く様子も無いようで、
「どこの組も逃がした訳じゃないみたいだから、逃げさせるまで追い込んだのも多分私が初めてなんじゃないかしら。そう考えるとここで後を追わないなんて嘘ね。絶対に仕留めるわ」
と気持ちを昂らせながら言った。
先の戦闘で厄介だった防御力や耐久力にも少しばかり見当も付けてあるから、もう同じ様な真似はさせない。
ともあれあの翼竜を仕留めるにしても、八裂くにも、切り刻むにも、串刺しにするにも、他にもいろいろ……は一旦置いといて、そうするにもまずはご本人を見付けない事にはどうすることも出来ない。
この砂丘付近の地形には詳しいので、翼竜が移動する場所も大体は心当たりがある。それにもし本当に自分の攻撃でダメージを負っているのだとしたら、そう遠くへは行ったりしないはずだ。
——大体の場所は絞れたわね。あとは……
おおかたの予想を立ててみて、それから、アイナは隣の少年の方へと目を向けた。
「あ、もう動くのか。どの辺にいそうなんだ?」
アイナの送る視線に反応を見せた少年は、そう問い掛けてきた。
——この素人バカをどうするかね。
アイナは少年からの質問には答えずに口を開く。
「ねえ……悪いことは言わないから、今回はアンタ諦めて帰ったほうがいいわよ。それでパーティでも組んで、もっと初心者向けな依頼見付けて出直してきなさい」
「え、嫌だけど」
やっぱりか……。きょとんとした面持ちでの即答に、呆れた意としてアイナはため息を吐く。
——流石は素人……いや、馬鹿といったところかしらね。
「……アンタ、さっき自分が死にかけてたこともう忘れたの?」
「何言ってんだ、俺はこんなに元気だぞ。ほら、逃げ回ってた時のかすり傷以外目立った怪我してないし、この通り屈伸だってできるし、問題ない」「それ以上ふざけるつもりなら翼竜の前にアンタの首を刎ねるわよ」
「すいませんでした、冗談です。だから剣に手添えるのやめて、洒落になんないから。あと目が怖い」
少年の台詞に自分の声をかぶせ気味にしてアイナが脅しをかけると、彼は、自分が悪かったという意としてまた両の手を上げる。
眼前の男の態度にまたも怒りのパロメーターを上昇させてしまうが、それを半強制的に治めてから気休め程度に深く息を吐きだす。
まったく……こんな初対面の相手と会話するだけでいったい幾つの幸せを逃がしてしまっているのかしら、と思いながら、アイナはようやく剣に添えていた右の手を下すことに成功した。
「次は無いわよ」
「お、おう。分かって貰えて何より……。それと茶化して悪かった」
「はぁ……何を今さら。謝るタイミングがおかしいのよ」
あからさまに着地点の間違えている彼の返答に項垂れてから、アイナは尋ねる。
「で、そこまでアンタがリタイアを拒む理由は何なの?」
まさか本当に、倒せる、何てこと考えてはいないだろうし、いくら馬鹿だ阿保だと言っても人間だ。最悪の事態は免れたいに決まっている。
「正直今のアンタの選択肢は、アレを相手にして死ぬか早々に諦めるかのどちらかね」
「ああ、だよな。いや……ま、そのくらいは分かってるんだけどさ」
「だったら、どうして」
そう問い掛けてみると、彼は視線を外して自らの後ろ頭を掻いてから、ゆっくりと答えた。
「まぁ、あれだよ、お前みたいな女の子がやろうとしてる事を、男の俺が逃げるのもなんかなぁ……みたいな」
少年はそう言った。
しかし、
——なによ、それ。
自分はまだ、そんなことを言われてしまうのか。そう考えると無性に腹が立った。
「馬鹿に、しないでっ」
声を荒げて少年の胸ぐらを掴む。
「何よそれ! 心配でもしてるつもり? それともアンタのプライドの話でもしてるわけ? どっちにしろ、アンタには百年早いわよっ!」
掴む手の力を緩めて、少年の胸元を押し飛ばす。
「アンタなんかに心配されるほど私は弱くないし、アンタと比べられるほどにも弱くない。なのに……なんで……」
女だから、まだ十六歳の子供だから、だからいけないのだろうか。
それとも、ただ単に……。
自分を否定されてるみたいで嫌だ。一人でも出来ると、そう思っているのに。
——一人でも強く、みんなから頼られるようなあの人には、私は……まだ遠い。
「……もう、勝手にして」
そう呟いて踵を返す。
「言っておくけど、アンタがどうなっても私は構ってあげないから」
やや急ぎ足に歩き出す。少しして、背後からは続く足音が聞こえてきた。