61話 さよならは笑顔で
「それじゃあ、準備はいいか。ラフィーナ」
「うン。みんナ、本当にアりがトう」
ハリーが血を吐きながらお嬢様との約束を履行した、その翌日。
城の深部に用意された特別な部屋に、私達は集まっていた。
ハリーの最後の確認に、ラフィーナが清々しい笑顔で応える。
「キミ達が来てくレなかったラ、この国はドうなってイたか分からナいよ。愛と笑顔の魔女とシて、心からお礼を言わセて欲シい」
ドレスの裾を軽くつまんで、ラフィーナが小さくお辞儀をした。
「だカらボクも約束通り、魔女の務めを果たス為にシリアルを受け入れルよ。ミんな、このシェルターを見て」
ラフィーナが背後に鎮座していた揺り籠のような白いシェルターに手を触れる。
前面はガラス張りになっており、SF映画でよく見かけるコールドスリープ装置にそっくりだった。
「こレは過去のデータを元にボクが作った、シリアルを安全にフィードバックさセる為の装置だヨ。この中に入った魔女にシリアルを掛けレば、60日掛けてユッくりとシリアルを適正値に馴染マせる事が出来るンだ。これナらシリアルを掛ケた直後に、魔女が暴れ出す心配も無クなるはずサ」
その説明に、お嬢様とハリーが驚きの声を上げる。
やはり彼女の科学的な技術力は、魔女の中でも随一のようだ。
「コレを収納した魔法球をアペルチャイルドに渡しテおくネ。残りは丁度分しか無いかラ、失くシちゃ駄目だヨ」
そう言って、ピンポン玉より少し小さい程度の球が、お嬢様へ手渡される。
「ふむふむ、任せなさい。よーし、こいつに決めた!」
「言っタそばから速攻で使わナイで!」
受け取った直後にぶん投げられた魔法球から、二つ目のシェルターが飛び出した。
即座にラフィーナの魔法で再収納されると、今度はしっかりと握りこませるように魔法球が手渡された。
咳払いをして、ラフィーナが続ける。
「えっト、説明は以上かナ。何か質問ハ?」
「スーパーな球とか、ハイパーな球は無いの?」
「……ゴめん、ボクには何の話か分かンない」
駄目です、お嬢様。それ以上はいけない。
「たまにキミが、ホントに同じ次元に生きテるのか疑いタくなルよ」
「よく言われるわ。賢すぎるのも罪な話ね」
多分、誰もそんな事は言っていない。
諦めたように溜息をついて、ラフィーナがハリーへと向き直った。
「……ダーリン。そレじゃ、元気で。次に目覚めた時、ボクは全部忘れチャってるだろうケど……みんナで撮ったこノ写真は、ロケットに入れて必ず未来のボクに届けルよ」
パチリと音を立てて、ラフィーナが首から下げたロケットの蓋を開ける。
昨日の夜、四人でパーク名物の大観覧車に乗り……その頂上で撮った思い出の写真だ。
夜空に咲いた花火をバックに、満面の笑顔でハリーに抱きつくラフィーナが写っている。
「だカら、キミもボクのことを忘れナいで。人間を好きにナった、変ワり者の悪魔が居たコトを」
「頼まれても忘れないさ。これまでこなしてきた任務の中で、数少ない人助け――いや、悪魔助けの記録だ。俺からも礼を言わせて欲しい。……どうか、達者でな」
ハリーとラフィーナが固く握手を交わす。
その姿に、なんとも言えない切なさがこみ上げてきた。
自分はまたいつか、未来のラフィーナとも仲良くなれる日が来るかもしれない。
だが、ハリーとラフィーナに関しては……もしかしたら、これが今生の別れとなる可能性だってあるのだ。
ラフィーナが、今度は私を振り向いた。
「楓も。キミがダーリンを守っテあげてネ。魔女の中にハ、危険な子も居ルから」
「ラフィーナ様……。お任せください、楓の命に換えてもっ」
片膝をつき、そう約束する。
「へーき、へーき。万が一死んでも、ちゃんと生き返すから」
などとシリアスに決めてみたら、敬愛する主に台無しにされた。ひどい。
「というかあなた達、ちょっと重いわ。地獄でまた会おうぜ、ブラザー! ぐらいのノリは出来ないの?」
「確かにそのノリは俺も嫌いじゃないが、今は静かにしていようか」
「むぐーっ⁉」
そっとハリーがお嬢様の口を塞いだ。手際が良い兵士だ。
窒息しないと良いのだが、今は主への不敬も大目に見よう。
「アはは……敵わナいなァ。うン、じゃあコレで。ミんな、バイバイ!」
最後は彼女らしく笑顔で手を振って、ラフィーナがシェルターの中へ入る。
ガラス蓋の向こうで、目を閉じ胸の前で手を組んだその姿は、童話の眠り姫のようだった。
ハリーがシェルターに静かに手を触れ、小さく何か呟いた。
あれは英語だったのだろうか。
お嬢様がハリーに掛けた翻訳魔法を通しても、不思議とそう聞こえた。
「では、俺も与えられた使命を果たそう。――クリエイト」
短い呟きと共に、ハリーの足元に三角形の魔法陣が展開される。
発動の呪文が、練習と時と変わっていた。
それだけじゃない。魔法を撃つための構えだった姿勢も、穏やかで静かなものに変わっている。
お嬢様でさえも、驚いた顔をしていた。
「ラフィーナはシリアルを受け入れると、そう言った。そんな彼女に魔法を“撃つ”のは違うと思う。だから、これが俺の出した答えだ――シリアル」
広げた手のひらの上に魔力が凝縮していき、小さな結晶へと変わる。その形は、今回の旅で散々見てきた食べ物――マシュマロだった。
「虹色のマシュマロ――お、美味しそう……!」
「……君のじゃない。ステイだぞ、ステイ」
血相を変えたお嬢様が、興奮気味に魔法のマシュマロを見上げる。
それを呆れ気味に制止して、ハリーが虹色のマシュマロを遠ざけた。
「でも、どうしてマシュマロなんですか?」
「アピィがあんまり幸せそうに食べてるもので、ついな。形も何というか、攻撃的ではないし」
確かに、平和の象徴のような柔らかさであることは否めない。
何より甘味は正義だ。女子的に。
「眠っている間、君が良い夢を見れることを祈っている。また会おう、ラフィーナ」
ハリーが虹色のマシュマロをそっとシェルターに近づけた。
溶けるようにマシュマロが吸い込まれ、虹色のヴェールがシェルターを優しく包み込む。
ガラス越しに、ラフィーナの口元が小さく微笑んだ気がした。
「うーん、これは私がシリアルを受ける時が楽しみになってきたわね。中々良い仕事するじゃない、ハリー」
「……断っておくが、味なんてイメージしてないからな」
なら私の番までにイメージしておきなさい、とお嬢様から新しい難題が告げられた。
またハリーが頭を抱えることになったのは、言うまでもない。