57話 忠義の果て
原初の記録は、ノイズにまみれながらも鮮明に残っている。
随伴の人形はたったの十二体で、彼女は記憶を失っていた。
最古参の個体がどれだけ彼女自身のことを説明しても、失われた記憶が蘇ることはなく、それどころか過去の自分に嫌悪を抱くほど、思考回路が変遷してしまっていた。
私達は協議し、満場一致で自分達が保持していた過去の記録を全て消去した。
かつての主の姿を、かつての自分達の行いを、かつての世界の有り様を。
全ては唯一無二の造物主と仰ぐ、人形達の姫の為に。
そして、その日は。
私にとって、原初の記録となった。
最後の板を駆け上がり、歪な塔の頂きへと到達する。
愛馬ワィルドが膝を付き、崩れ落ちた。
いかな姫様がその技術の粋を込めたとはいえ、地雷の爆発を全て受け止めて、無傷というわけにはいかなかった。
その足でここまで走りきったことは、見事という他はない。彼は命令を果たしたのだ。
顔を上げる。
倒れた人形を顧みることはない。
我々が常に目を向けるべきは、同胞ではなく造物主でなくてはならない。
「姫様……」
あなたは覚えているだろうか。
この泡沫の夢のような安穏とした世界の中で、果たすべき任を持たない、役立たずのキリングドールが居た事を。
そしてその人形を製造千体目の記念として造り直し、新たな役割を与えてくださった事を。
“今度はみんなに幸せをもたらす王子になれるように”と願いを込めて、人間の詩人にあやかった名を付けてくださった事を。
中央で佇んでいた麗しの君が、大きく目を見開く。
「オスカル――キミ、顔がっ」
姫様が自分の顔を見て、息を呑んだのが分かった。
「誠ニ申シ訳ゴザイマセン。姫様ニオ造リ頂イタ顔ニ、傷ヲ……」
謝罪を述べ、頭を下げる。
あの人間が繰り出した一撃は、その余波ですら自分の左半身に損壊を与えた。
膨大な熱量は肩口から左顔面にかけての疑似皮膚を溶解させ、機巧部が露出してしまっている。
油断ならぬ相手と考えを改めたが、奴が塔を登ってくる様子はなかった。
確かに、途中から姿を変えたあのゴーレム形態では、この塔を登頂するのは困難だったであろう。
所持していた情報量が、勝敗を分けたのだ。
「貴方ノ信ジタ人間ハ、ヤハリ運命ノ相手デハナカッタ。コレデ、オ認メ頂ケマスネ」
「……駄目だヨ。ボクはまだ、ダーリンを信じテる」
ふるふると、姫様が小さく首を振った。
「何故ソコマデ……。一体アノ男ノ何ガ」
「手が――温かかっタからだよ」
その言葉を聞いた時、メモリに消去したはずの記録の残滓が浮かび上がった。
「初メて出会って、ボクの手を引っ張ってくレた時の彼の体温が……何だか懐かシくて、とテも嬉しカったンだ」
擦り切れ、ボロボロになったレコードが再生される。
姫様は……元々人間に造られ、そして――られたものが、――魔化を……。
駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ!
それをまた、繰り返させるわけにはいかない!
姫様は幸せにならなければならない。この隣獄でぐらいは、今度こそは!
姫様を幸せにできる相手を、必ず見つけ――■■■ジジッ■■■ジッ■■――姫様を、私達が――■■■ジジジジッ■■――私達の手で、幸せにしなければ!
激しいノイズが混じり、思考回路が焼き切れそうになる。
だが、これこそが人形達の総意なのだ。
これ以上、他者に姫様を傷つけさせはしない。姫様の幸せは、我々人形こそが叶えるのだ!
「貴方ヲ守レルノハ、断ジテ人間ナドデハナイ! 我々人形ダケダ! ラフィーナ、私ハ貴方ヲ――」
「~~~~ッ、ダーリンーーッ!」
姫様が人間の名を叫ぶ。
だがもう遅い。この告白が終われば、私は姫様を――。
瞬間、大地が揺れた。
轟音と共に姫様の後方に巨大な影が隆起し、蜘蛛のようなシルエットが宙を踊る。
「伏せろ、ラフィーナ!」
男の声に、姫様が反射的に屈みこんだ。
蜘蛛から飛び出してきた人影が、空中で銃を構える。
連続して引かれたトリガーが弾ける度、鋭い弾丸が自分に突き刺さった。
その一発一発が、全て寸分違わず首元の緊急停止装置を狙っている。人間にこれほどの精密射撃ができるものなのか。
守りに当てた左腕が砕け、次は右腕で急所を庇う。
耐えきれるか――やがて、トリガーが乾いた音を響かせた。弾切れだ。
砕けた両腕を肩から切り離し、千年起動させていなかった四本の副腕を背中から繰り出す。
着地し、冷たく光るナイフを片手に驚異のスピードで肉薄する人間に向けて、収束させた。
二本の腕が紙のように寸断されるも、手数まではカバーできない。
先端が鉤爪となっている副腕が腹と太腿を貫き、人間はやっとその動きを停めた。
このままこの人間を消し飛ばせば、姫様の悪い夢は全て終わる。
動きの鈍った顔面の機巧を無理矢理動かし、キリングドールとしての主装であった熱線砲を起動させる。
「終ワリダ、人間。死――」
その最中で気付いた。
射線上には、まだ彼女が――。
「躊躇ったな、お前」
苦痛の色も一切見せず、両眼を赤く燃やした人間が、まるで人形のように無機質な口ぶりで呟く。
「キサ――」
「だったら俺の勝ちだ」
突然、世界が深い影に覆われた。それと同時に背後で爆発が起こる。
新手――否、爆弾を接触の際に背後に放って……!
押し出されるように前へつんのめり、副腕がより深く人間を貫いた。
だがそれは、奴との距離が近づくともいえる。
ナイフを持った右腕が、するりと振るわれた。
まるで最初からそうであったように、切り離された首が落ちてゆく。
消えゆく前のカメラが、緊急停止装置を貫く映像を映し出した。
ああ――これで、終わりか。
「――――ッ、――――ッ!」
ピントがずれ、ぼやける視界に白い少女のシルエットが映る。
音声はもう届かない。もし私の名を呼んでくれていたのなら、これ以上の歓びはないだろうに。
申し訳ございませぬ、姫様。
私は……貴方ヲ……シアワセニデキナカ――。
そこで、記録は途絶した。
「ダーリンッ、オスカルッ!」
我に返ったラフィーナが、こちらの名を叫んで駆け寄ってくる。
活動を停止したオスカルの副腕が、重力に従ってだらりと下がった。
鉤爪が抜けた跡から、真っ赤な血が漏出してゆく。
太腿はまだしも、腹はまずい。
堪らず膝をついた。
「よう。怪我はないか、プリンセス」
「ボクのことなンてイイから、じっトしてテ! 発動、リストア・コッペリア!」
ハート型の魔法陣が展開され、暖かい光が自分とオスカルを包み込む。
腹と太腿、そして地雷で貫かれた右足の傷痕が塞がり、綺麗に痛みが消えた。
アピィといいラフィーナといい、魔女がいればメディック要らずのようだ。
怪我を治して安堵したのか、ラフィーナがため息と共にその場にへたり込んだ。
「これで君も命の恩人だな。礼を言う」
「バカっ! ダーリンのバカバカっ! 無茶し過ぎダよ! アペルチャイルドじゃナいんだカら、限度ってモノがあルでしょ!?」
「すまん」
アピィを引き合いに出されると、全面的に非を認めざるを得ない。
ふと、隣に目をやる。
切り飛ばしたはずの首は元に戻り、半壊していた顔面や両腕も、綺麗に修復されていた。
「……オスカルも直してやったんだな」
「……ウん。停止させタままだケど、アのままじゃ可哀想だッタから」
ラフィーナが小さく呟く。
「大した奴だったよ、こいつは。アピィが居なかったら絶対に勝てなかった。……本気で君のことを、守ろうとしていた」
「……うン」
「俺なんかが偉そうに言えたものではないが……オスカルは騎士だった。格好だけの優男じゃあない。君だけの忠臣だ。誇りにしてやってくれ」
「……ありがトう」
瞳の奥の歯車がカチリと音を立てる。
大粒の涙が少女の頬を伝い、音も無く零れ落ちた。