56話 嘘の中の真実
眼下には瓦礫を積み上げたようにも、玩具を積み上げたようにも見える退廃的な塔が聳えている。
塔の頂上は円形の平地になっており、中心には一人の小さな少女の人影があった。
その表情は不安を抱き、祈るように組んだ両手は頼りなく震えているようにも見える。
憎悪と絶望の魔王、ラフィーナ。
人形達を統べる頂点にして、かつて地獄で人形戦争を引き起こした、アペルチャイルドの再来とまで恐れられた悪魔。
それがどうだ。本来の二つ名と記憶を奪われ、今や見る影も無い。
「悲しいねェ。あのラフィーナがアタシなんかに上を取られて、気付きもしないんですぜ。下の様子ばかり気に掛けて、まるで乙女じゃねェですか」
これはもはや弱体化なんてレベルのものではない。中身の差し替えだ。
この隣獄は実に正しく機能している。
正しくここは、悪魔にとっての地獄なのだ。
「果たしてアタシがやってることは、本当に悪なんですかねェ。この世界こそが既に嘘にまみれてるじゃあないですか。あんたはアタシを品のない嘘つきだと言いやすが、嘘の嘘は一周回って真実にもなり得る。ねェ、そういうもんでしょ――」
塔の麓から膨大の魔力の高まりを感じ取る。
刹那、爆発でも起きたかのように土煙が立ち昇った。
怒涛の勢いで伸びてくる巨大な木。
三日前に見たあの召喚も、やはりこの魔女の仕業だった。
天を貫く巨木が迫る。その幹の先端には、いと憎き悪魔が座している。
「アペルチャイルドォッ!」
「何でいきなり怒鳴ってるのか分かんないけど、どうせまたグチグチと嫌味なこと言ってたんでしょ。あなたがどんな思想を持とうが勝手だけど、私の周りの子に手を出すんじゃないわよ」
伸びる巨木の勢いを借りて、アペルチャイルドが跳躍する。
自分に抗う術など無い。生まれ持った力の差は歴然で、絶望を通り越してもはや笑えてさえくる程だ。
だがそれで良い。無抵抗の自分を、魔女が一方的に攻撃したという事実さえあれば、己の目的は達成される。
過去の失敗を踏まえ、今回は動画をアラクネットにリアルタイム配信している。
新聞と違って、起きた事実を揉み消すことは不可能だと思い知るがいい。
「召喚――」
死がやって来る。
千の槍で串刺しか、腐食の毒液か、それとも哀れな虫のように喰われるのか。
何でもかかって来るがいい。いずれの死をも乗り越えて、復讐を果たしてやる。
お前の理不尽が常にまかり通ると思ったら大間違いだ。それを今証明してやる!
「ワールドエンド・ヴィクトリア!」
力ある言霊と共に、世界が断絶した。
――否。なんだ、これは。
「緑の……壁?」
自分がどこを向いているのか、平行感覚がおかしくなる。
それほどの壁が、世界の果てまでも広がっている。
前後左右、どちらを向いても壁しかなくなっている。
唯一上だけが、変わらないラブパレードの退廃的な曇り空だ。
なんだ、一体何が起きた!?
「聞こえるかしら、ルカノール」
壁を通り越して、よく透る魔女の声が空に響く。
「混乱してるようだから教えてあげるわ。あなたの前に広がっているのは、蓮の葉よ。地獄で最も大きな種類のね」
「蓮だと――馬鹿な!」
こんな、これ程の大きさの蓮など、聞いたことが!
「まぁ、みんな島として認識してるから無理もないけど。これでもれっきとした植物よ。あなたに突破は……きっと無理ね。しばらくすれば消えるから、たまにはのんびり日光浴でも楽しみなさい」
こともなげに呟かれた言葉に、憤怒の感情が灯る。
殺す価値すらないと、そう吐き捨てられたように思えた。
「これで……こんなもので、アタシに勝ったつもりか!」
「はぁ? 何で勝ち負けを挟まないといけないのよ。私達はまだ、対話の席にすら着いてないじゃない」
「なっ」
アペルチャイルドの信じられない言葉に、声が詰まる。
対話などと、どこからそんな呆けた発想が出てくるのか。
「いっつも核心に触れようとしないけど、私に何か言いたいことがあるんでしょ? マシュマロをつまみながらなら多分聞いてあげれるから、今度上等な茶葉でも手土産に持ってきなさい。襟をただして正面から来れば、魔女として歓迎してあげるわ。じゃあね」
一方的に告げて、魔女の気配が遠ざかる。
残されたのは世界を隔てる蓮の大地と、曇天の空。
そして、配信中の動画に寄せられる、視聴者からの罵倒と嘲笑の声だ。
誰も彼もが偉大で寛容な魔女を称賛し、対極の存在として卑屈で矮小な悪魔を蔑む。
ああ、そうだ。あの時だってそうだった。
「……アタシは認めやせんぜ、アペルチャイルド。絶対に認めねェ。必ずいつか、あんたをアタシの所まで引きずり下ろしてやる……!」
乾いた慟哭が空に響き渡る。
握りしめた拳から零れ落ちた紫の血液が、緑の大地に爛れた染みを滲ませていた。




