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魔女と兵士と人形喜劇  作者: 安土仁守
第9章 あなたも魔法使いだったのね。
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53話 契約完了

『……ちっ、だが分かった』


 ばつが悪そうに舌打ちすると、へリルメルクが落ち着いたトーンで続ける。


『契約は契約だ。ここから先はお前達の指示にきっちり従ってやる。ただし、敗北は許さんぞ』

「もちのろんよ。このアペルチャイルドの辞書に、敗北という文字は846651ページに載っているわ」


 なんでナポレオン的な言い回しまで知ってるんだ。しかも載ってるのか。

 沿道で声援を上げる悪魔達を横目に、第二チェックポイントを駆け抜ける。

 それまで石畳だったコースが、ダートへと変化した。

 オスカルが巻き起こす土煙の向こうに、黒い湖が出現する。


「なんだ? あれは」

「すん、すん……何だか油臭いわね」


 アピィの呟きに、言われてみればと同意する。

 確かに工業系の工場のような、独特な匂いが鼻をつく。


『機械オイルのようだな。そしてその先に歪な塔ということは……渡れというわけか』


 へリルメルクの言葉通り、湖の背後には積み木をランダムに積んで出来たような、ちょっとした高層ビルほどの塔が聳えている。

 今にも崩れそうな不安定さだが、あれの頂上でラフィーナが待っているのだ。


「メルク、渡れそう?」

『飛べば何のことはないが、足の短いこの身体では不利だろうな。姿を変えるぞ――おい人間』


 へリルメルクが、一瞬思案したのが分かった。


『このレースはお前が受けたのだろう? ならばお前が考えろ。眼前の黒濁とした湖を渡りきり、あの小生意気な人形を抜き去る速度を誇る獣――いや、獣でなくたっていい。それを思い浮かべろ。僕が再現してやる』


 その言葉は、まさしく悪魔の囁きだった。


「――再現? 俺の考えたものをか。元帥殿、本当にそんな事が?」

『疑うのか? 僕を誰だと思っている。我が名はへリルメルク、支配と忘却の■■なり』


 最後の方は、ノイズが掛かってよく聞き取れなかった。

 彼が今、何と言ったのか――気にならないわけではないが、心中はもはやそれどころでは無い。


「あらハリー、中々良い笑顔じゃない。見たことないぐらい、口元だけがにやけてるわよ」

「おっと」


 アピィの指摘に、慌てて口元を覆い隠した。

 どうにもこれを考える時だけは、自分が自分ではなくなってしまう。

 治すことのできない、悪い癖だ。


「しかし、そいつはクールだ元帥殿。悪いがもうクーリングオフは受け付けないぞ」

『クーリ……なんだそれは?』


 そう聞き返すへリルメルクは、アピィやラフィーナと違って人間文化に疎いらしい。

 それならそれで、こっちとしては都合が良い。


「契約完了って意味さ」


 自分の運転は少々荒っぽいが、彼には諦めてお付き合い頂くとしよう。







 中継ドローンによる空撮映像が、新たなステージを視界に捉える。

 たった二日でどうやって用意したのか、直径数キロはありそうな広大な黒い湖は、実況の解説で全てオイルであることを知った。

 先頭を走る金色の人形の愛馬が、重く揺らめく波打ち際に足を踏み入れた。

 さすがに速度も鈍るであろうと考えた予想とは裏腹に、なんとその蹄はオイルに沈むことなく軽快に走り抜けてみせた。

 まるで忍者のようなその光景に、会場からもどよめきが漏れる。

 そしてそれもまた、実況の解説によってラフィーナの超技術が実現した驚異の撥油効果であることが告げられた。

 あの魔女は気軽に凄いものを作り過ぎだと思う。


「うーん、ほんとに大丈夫なんでしょうか……」


 コース内容を決めたのはオスカルだと聞いた。

 しかし実際にコース制作を指揮したのは、ラフィーナの側近である、あの執事人形らしい。

 であれば、一応は公平に勝負できるようになっているはずなのだが……。


(メルクちゃんが空回りしてるのを除いても、やっぱりオスカルの動きに淀みがなさ過ぎるんですよねぇ)


 開始直後の閃光手榴弾による奇襲を除けば、オスカルは一切足を止めていない。

 いくらお嬢様がついているとはいえ、彼女は必ず契約を守る御方だ。自身の直接攻撃禁止というルールは破らないだろう。

 これ以上離されるのはまずい――と。


「おい、何だあれ?」

「ゴーレ厶か? あの豚はどこいったんだ?」


 ぶ、豚……。

 バクを知らない悪魔達にはそう見えるのか。

 メルクが聞いたら絶対激怒するだろう。

 そんな事を思いながら、観客達の呟きを確認しようとモニターの画面端へと視線を移す。


「えっ――あれって、まさか」


 画面端から怒涛の勢いで追い上げてきたのは、ダークブルーの迷彩塗装を施した、鋼の異形。

 器用に交互に動く八脚がうまく荷重を分散するのか、オイルの湖にも関わらずまったく速度を緩める様子がない。

 あの動きは、自然系のドキュメンタリー番組で見たことがある。タランチュラだ。

 巣を張って待ち構えるのではなく、機敏な動きで獲物を捕らえる獰猛なハンター。


「メタル・ブルーム……」


 何をどうやったのか知らないが、あれはハリーだ。

 いつも冷静な彼が、あれほど信頼を寄せる兵器なら――きっとオスカルにも勝てる!


「頑張れー! ハリーさーん!」


 届くと信じて精一杯の声で叫ぶ。

 私に出来ることは、ここから三人を応援することだけなのだから。

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