50話 開幕
アピィと共に、スタート地点に並び立つ。
向かって立つのは金色の人形の王子だ。
ラフィーナは既にゴール地点に待機しているようで、巨大モニターにはドローンのカメラ越しに心配そうにこちらを見上げる姿が映し出されていた。
「デハ、互イノ乗リ物ノ提示ヲ。私ハ勿論、コノ愛馬ダ」
オスカルが指を鳴らすと、空の彼方から金色のペガサスが舞い降り、いななきを上げた。
「名ヲ、ワィルドト言ウ。私ノ為ニ姫様ガオ造リ下サッタ、兄弟ノヨウナ存在ダ。ソチラハ?」
「ふっ。ならばこちらも自慢の愛バイクを披露してあげましょう。しかと刮目なさい!」
アピィがオスカルと同じように指を弾く。が、スカッという音が虚しく響くだけだった。
だから、出来ないのになぜやるのか。
同じ仕草を何度か続けた時点で、段々とアピィの顔が苛立ちを増してきた。
やがて我慢の限界に達したのか、両手を地面にかざして魔法陣を展開した。
「ふぬぁぁー! セレクション! メルク限定マシュマロ――」
『ええい、お前は不都合があるとすぐに召喚する癖を改めろ!』
どこかでこちらの様子を窺っていたのか、へリルメルクが転移によって現れた。
姿もバクの状態で、律儀に自分達を乗せるのに丁度いい大きさに調整してある。
こいつもこいつで、悪魔の癖に真面目な奴である。
へリルメルクの姿を確認したオスカルが、その全身をスキャンするかのように見回した。
「ウム……問題ナイ。通達ノ通リ、飛行ハ禁止ダ。デハ、始メヨウ」
それ以上語ることはないというように、オスカルが愛馬にまたがる。
そのままゆっくりと、スタートラインへと進んでいった。
「さーて、こっちも準備準備」
アピィが気楽そうに呟いて、くるりと指先を回す。指を鳴らすのはようやく諦めたらしい。
キラキラとした光がへリルメルクを包み込むと、鞍と手綱が取り付けられる。
『何たる屈辱……完全に乗り物じゃないか』
「そりゃ乗るんだもの。一度頷いたんだから、文句言わないの」
ぶつぶつと愚痴るへリルメルクを無視して、軽快にアピィが飛び乗った。
バクに幼女という、ファンシーすぎるコンビの出来上がりだ。……正直、セットで乗りたくない。
観念して鐙に足を掛ける。そこで、へリルメルクが不機嫌そうにこちらを睨んできた。
『おい人間。これだけは理解しておけ。僕はお前なんぞが気安く触れていい存在ではないんだ。契約故、特別に乗らせてはやるが、常に畏敬の念を払え』
なるほど、彼は中々分かりやすい性格のようだ。
ようやく尊大な性格の悪魔に出会えたことが、不思議と嬉しかった。
一気に鞍へと駆け上がり、アピィを抱えるようにして手綱を持つ。
「サー・イエッサー。では、そちらの事を何と呼べばいい?」
そう返すと、多少は機嫌が良くなったようだった。
『ふん、殊勝な心掛けじゃないか。勿論、名を呼ぶことは許さん。ただ最上級の敬意を込めて、呼ぶがいい』
「では、元帥殿と。俺からすれば、雲の上の存在に等しい呼び名だ」
現実の元帥は、遥か遠くから眺めたことがあるだけだ。会話なんて当然したことがない。
『いいだろう。迂闊に神の名を口にしなかったのは評価してやるぞ、人間』
へリルメルクがゆっくりと歩き出し、オスカルと並んでスタートラインに立つ。
マーチング人形達が盛大にファンファーレを吹き鳴らした。いよいよレースの開幕だ。
俺はさりげない動作である装備を取り外し、手に隠し持った。
「アピィ、元帥殿。スタートを切る時、目を閉じていてくれ」
「ハリー?」
二人にだけ聞こえるよう、小さく呟いた。
アピィが不思議そうに見上げてくるが、それに答える間もなくファンファーレが鳴り止んだ。
スタートラインの脇に立つ人形が、マスケット銃を空へ向けるのを見て、ピンを抜き振りかぶる。
乾いた銃声が灰色の空に響き渡り、レースの火蓋が切って落とされた。




