04話 新しい朝がきた
「ふんふんふ~ん♪」
その日、アピィは鼻歌を口ずさむほど機嫌が良かった。
脳天気な彼女は基本的に毎日を楽しんでいるが、鼻歌がでる時は特別だと言えた。
それは目覚し時計が鳴る一分前に目が覚めた日であったり、煉獄の日差しが雲間を抜けて届く日であったり、通り雨に濡れた楓の黒髪が綺麗な日であったりした。
退屈を嫌って日がな一日遊んでいるアピィにとって、その日の一番楽しかった出来事を決めるのは、難しいことだった。
だからこそ、それを決める尺度として、自然と漏れ出る鼻歌はとても分かりやすい基準だったのだ。
「うーん……もっと意外性が欲しいわね」
ドレスが土で汚れるのも厭わずに、アピィは城の庭園で朝から作業をしていた。
普段なら楓が止めるのだろうが、昨晩は城中の召使い達も巻き込んで朝まで騒いでいたので、彼女さえも寝かせたままにしてある。
アピィは単に、楽しくて寝付けなかっただけだ。
この世界の悪魔達は、大体こんな感じなのである。
「ここで敢えて、この花を入れて……」
アピィがせっせと手を加えているのは、一株の鉢植えだ。
庭園に咲く色とりどりの草花を、思うままに生けてゆく。
出来上がったプレゼントは、奇抜なセンスが過剰にアピールする、いい塩梅の迷品だ。実に隣獄らしい。
「うん、我ながらイカすわね!」
その出来栄えに、アピィは自ら太鼓判を押した。
早速これを、あの人間に見せてあげるとしよう。きっと驚くに違いない。
ブゥン、という低い振動音と共に、真紅の光が六芒星の軌跡を描いて交差する。
展開されたのは、アピィが得意とする召喚魔法陣だ。
「セレクション! ハリー限定マシュマロ召喚!」
朝を告げる鶏声の如く高らかに、アピィのスペシャルな術式が執行された。
「何をやってるんだ? あれは」
夜通しのどんちゃん騒ぎのせいで、寝ついたのは僅かニ時間前。だというのに、カーテンの隙間から差し込む微かな光で目が覚めた。
光と音には就寝中でも敏感に反応できるよう訓練してきたが、こんな時ぐらいは鈍れば良いのにとも思う。
こうなってしまうと、中々二度寝は難しい。
仕方ないので、軽い運動でもしよう。そう考えてカーテンを開けた所、庭園で何かしているアピィの姿が目に入ったのだ。
二階から見下ろすこちらには全く気付いていない様子で、どうも花を集めているらしい。
せっかくなので、柔軟運動をしながら、その様子を眺めることにした。
彼女達に力を貸すと決めた以上、クライアントの事をよく知っておく必要がある。
何が好きで、何が嫌いなのか。スムーズな任務遂行には、互いの信頼関係構築も重要なファクターとなる。
そういうわけで、観察を始めてもう十分以上経つのだが……。
鉢植えを作ろうとしているのは分かったものの、その目的が分からない。
「子供な上に、悪魔とくればな」
ただでさえ思考の固い自分に、理解できるはずがないのかもしれない。
考えても仕方ないので、こちらも柔軟運動に注力することにした。
上着をベッドの上に脱ぎ捨てると、筋肉をほぐし、痛めやすい腕や足の筋をじっくりと伸ばしてゆく。
関節周りは特に重点的に。腰や首周りも大事だ。
ぐっと背中を反らし、その状態を数秒キープする。
伸びの心地よさは、生き物であれば共通の快感であろう――その最中、庭園から元気の良い少女の声が響いた。
「セレクション! ハリー限定マシュマロ召喚!」
「は?」
なんだその謎のフレーズは?
そう思った矢先、ブゥンという機械の起動音のような音がして、視界がブレる。
赤い光に包まれた気がした直後、屋敷が逆さまにひっくり返っていた。
「あらまぁ、大胆な格好ね」
背後、ではなく正面から少女の声がする。
ひっくり返っていたのは、俺の視界の方だ。
「何が起きた!?」
反り返った上半身を戻し、周囲を見回す。
緑豊かな庭園の中に佇む、黒いドレスの少女が一人。アピィの艶のある赤髪が、柔らかな風を受けて肩口でそよいでいた。
昨日もこんなことがあった気がする。
「アピィ……一体、何をした?」
「何って、召喚よ」
「俺はそこの客室に居たわけだが?」
「知ってるわ。楓から報告は受けているもの」
「そうか……。呼びに行くという選択肢は?」
「人間には、兵は接触でかっ飛ぶという金言があるそうじゃない。早いに越したことはないものだって、楓が言ってたわ。あなた、兵士なんでしょう?」
なにやら兵士がすごい特性を持つ存在になっている。俺達はニトロ爆弾か何かか。
「それは、兵は拙速を尊ぶだ……。中国の兵法で進軍における心得を表したものらしいが、物理的な意味じゃないと思うぞ」
「そうなの? まぁ、早くあなたに見てもらいたかったのには変わりないから、良しとするわ」
そうか。俺は良くない。
「ところでハリー。あなた、どうして上半身裸なの? レディの前ではしたないわよ。最初のポーズもちょっと卑猥だったし」
自称淑女は、もの凄い真顔だ。
「柔軟中にいきなり召喚したのは君だろう!?」
「出来る男は言い訳しないって、楓が言ってたわ。あなたはどうなの?」
なんでこっちの金言は、間違えずに覚えているのか。
「……上着を取ってくる」
「そう? じゃあ待っててあげるわ。急ぐのよ」
「……心遣い、感謝する」
短く言い置き、背を向ける。
言い訳はしない。男の世界とは、いつも理不尽なものなのだ。