25話 現実
「――と思っていたのに、何でこんなことに!」
迫る掌底を捌き、毒づく。
続いて踏み込んでの肘鉄を左腕で受け、組手なのにまるで容赦のない目潰し攻撃をスウェーで回避し、距離を取った。
ただでさえ険しいハリーの眉間は、何だかよく分からないぐらい皺が寄っている。
悪魔とはいえ、元女子高生相手に力が入り過ぎではないかと思う。
「手は抜かなくていいぞ。本気で打ってくれ、楓」
「そうではなくてですね! 何で私達、遊園地に来てまで朝トレしてるんですか!」
「何でも何も……どこであろうと朝トレはするだろう、普通。日課だぞ、日課」
何故か呆れ気味に諭されてしまう。
くそぅ、ロマンスの欠片もない脳筋軍人め。
「それに、いつになく攻撃が過激な気がするんですけど……」
「本気になる理由ができたからな。君達に迷惑を掛けるわけにはいかん」
「それってどういう――」
「いくぞ。少し攻め方を変える」
言うやいなや、ハリーの構えが変化する。
立って戦うアメリカ式の近接格闘技に対し、今の構えは腰を低く落とし、距離を詰めている。
次の瞬間、肉食獣を思わせる瞬発力でハリーが大地を蹴った。
極限まで身を低くしたタックルでこちらの左足に組み付くと、足を浮かせると同時に、蛇のように自身の両足を滑り込ませる。
「ちょっ――」
女子的には、もはや格闘訓練どころではない。
ストッキングを履いているとはいえ、こちらはスカートなのだ。
そんな事を思う間にも、視界は一回転し、灰色の空を映し出す。
「受け身を取れ!」
ハリーの言葉に我に返り、引き倒される方向の地面に勢いよく掌を叩きつける。
何とか、間に合った。
「……ハリーさん。私が女の子だってこと、分かってやってます?」
「すまん。俺の力では到底引き倒せないだろうと思ったんだが」
スカートを思いっきり捲り上げられれば、さすがに気もそぞろになるに決まっている。
差し出されたハリーの手を掴み、起こしてもらう。
今更怒りはしないが、もうちょっと女の子扱いして欲しいと思うのは贅沢なのだろうか。
「それで、何ですか今の技は」
「コマンドサンボと言う、ロシア式の近接格闘技だ。タックルや関節技を多用する、対象の破壊を目的としたスタイルだな」
「もしかして、私のことお嫌いです?」
「断じて違うので、頼むからその刀を下ろして頂けないか」
私的には、一度くらい斬っても許されると思う。
「実は、昨晩ラフィーナと口約束をしてな。ちょっと気合いを入れようと思ったんだ」
「逢引ですか」
おのれ、あの泥棒ネコ。
夜襲を掛けるとはやってくれる。
「違う……。というか、何で君はラフィーナをそんなに敵視してるんだ」
「それを聞きますか。そういうの、セクハラですよ」
「なぜ!?」
珍しくハリーが狼狽える。
そういえばこの兵士は、大尉という中間管理職なのだった。
管理職はセクハラ問題に弱いといのは、事実だったらしい。
そんな中、予想だにしなかった声が掛かった。
「あなた達、こんな所に居たのね。二人とも部屋に居ないから、探したじゃない」
「お嬢様っ。ご起床されていらしたのですか」
城の二階テラスからこちらを見下ろしていたのは、お嬢様だった。
いつもなら自分が起こしにいくまで熟睡してるのに、今日は既に着替えまで終わっている。
「異常にテンションの高いラフィーナが、いきなり部屋に突っ込んできたのよ……。話があるから、みんな来てほしいって。だから二人も上がってきなさい」
「はっ、かしこまりました」
先に玉座に行ってるわ、と言い残してお嬢様はテラスから姿を消した。
「ラフィーナ様からお話って、何でしょう? ……ハリーさん?」
ハリーの方を見ると、その表情がいつになく険しかった。
いや、正確にはあれがきっと、本来の彼の目つきなのだ。
「楓、先に謝っておく。勝手な事をしてすまない」
そう告げて、彼は無言のまま歩きだした。
その背中は話し掛けることを躊躇させる、静かな威圧感に満ちていた。




