02話 賢能と蒙昧の魔女
「ここは、パサラン島ではない。そうなんだな?」
「はい」
「そして、2087年でもない。つまり君は……第三次世界大戦を知らないということか」
「あ、やっぱり起きたんですね。第三次大戦。随分と先送りになったことで」
「……軽いな」
予想に反してコロコロと笑う侍女に、肩透かしを受ける。
だが、その反応からして、この侍女が決して世情に疎いわけではないことも理解した。
まるで夢のような話だが――ここはきっと、現実ではないのだ。
「……そうか。だが納得もいった。俺は死んだんだな。死後の世界なんて信じちゃいなかったが、あるものなんだな」
自嘲の呟きと同時に、ある意味で肩の荷が降りた気がした。
もう、拷問の日々が続くことはないのだ。
「あ、いえ。死んでませんよ、まだ」
「なんだと」
目が覚めたらまた、あの悪趣味な拷問管とご対面しなければいけないというのか。いい加減うんざりだ。
「そこから先は私が説明してあげるわ!」
小さな胸を精一杯に反らして、悪魔少女が言い放つ。
そういえば、この娘が何なのかも分かっていない。
「まずは自己紹介ね。私はアペルチャイルド。このレッドガーデンを支配する賢能と蒙昧の魔女よ。この娘は楓。私の身の回りを世話させてるわ。あなたは?」
「……俺は兵士だ。ここがどこかも分からん状況で、素直に身上を喋ることはできない。コードネームだが、サイノプスと呼んでくれ」
「いいでしょう。ではサイクロプス」
「おい」
それは一つ目の化物の方だ。
俺のはイモリの方なんだが。
「まず、ここがどこか説明してあげる。ここは隣獄よ」
「リンゴク?」
「そう。隣の地獄と書いて、隣獄。正確には、地獄と煉獄の間という中途半端な位置にある地獄よ」
なんだか、短い言葉の中に沢山の地獄が出てきた気がする。
「待て待て。地獄はまだしも……レンゴク? さっぱり分からん。俺は仏教もキリスト教も明るくないんだ」
「まぁ、あなたはそうでしょうね。でないと選ばれる訳が無いし。楓、簡単に説明してあげてちょうだい」
「かしこまりました」
楓と呼ばれた侍女が、どこから取り出したのかホワイトボード的なものを手にしていた。
ご丁寧に図解付きらしい。
「まず、地獄ですが。ぶっちゃけ、一つではありません。沢山あります」
「あるのか」
「はい。天国を信じる人間の数に応じて、地獄が生まれます」
初耳なんだが。
「人間達の祈りを聞き届けた神が、まず天国を作るのですが。その天国の影にできた闇の部分に、存外働き者な悪魔達がせっせと頑張って作ってます。悪魔は人間の魂をエネルギーにしてますので、結構切実です。大きな病院の側に薬局が乱立するようなものですね。最寄りの地獄にも一緒にどうぞ、的な」
「どこの国の話だ、それ」
「日本ですよ。私、日本の女子高生でしたので」
彼女の言葉には、謎の説得力があった。
これが書籍でのみ伝え聞く、本物のジャパニーズハイスクールスチューデントガールなのか。
「次に煉獄ですが。ここは天国に行く前に生前の罪を償う場所です。罪が清められるまでエンドレスで焼かれます」
「クレイジーだな」
拷問官でもそこまでやらない。
「そうは言っても、償いが終われば天国行きですので。軽めの罪や、自殺した人がここに行きます。ちなみに私も電車にダイブした口ですので、ここで焼かれる予定でした」
「……なんというか、軽いな」
「ここに来てから吹っ切れたんです。で、最後にこの隣獄ですが……少々特殊でして。地獄の中の天国とでも言いますか、保養所みたいな?」
「なんだかよく分からなくなってきた」
ホワイトボードに隣獄の図が記され、さらにクエスチョンマークが描き足される。
説明とは一体何だったのか。
「実際、私も分からない所が多いです。何か理由があってフワッとしているらしいのですが、お嬢様を始め、全ての悪魔がフワフワしておりまして。とりあえず、煉獄の側で浮かんでいる、緩い地獄だとでもお考えください。私も煉獄に行く前に、お嬢様に虫取り網で捕獲されましたし、多分適当なんだと思います」
「……君も大変なんだということが、よく分かった」
「ご理解いただき、感謝の極みでございます。ではお嬢様、続きをどうぞ」
「うん? ああ、終わったのね。退屈だったから羽繕いしちゃってたわ」
アペルチャイルドと名乗った悪魔は、そう言ってコウモリのような羽を背中につけ直した。
驚愕すべきことに着脱式だったのだ。まさかのフェイクである。
「こほん。さて、普通は隣獄といえども死者しか来れないのだけど。私は凄い悪魔だから、特別にあなたを生者のまま召喚させてもらったわ。良かったわね。人類史上初の快挙よ」
「俺の意思は関係ないのか」
「無いわね。……と、言いたいところだけど、あるわ。それは後で話してあげる。実は、ちょっとピンチなのよ」
ちょっぴり、というアピールなのか、親指と人差し指で小さな隙間を作ってみせる。
「あのね、隣獄が煉獄にぶつかりそうなの。あとちょっとで」
「それは駄目な方のちょっとなのでは?」
生き延びた矢先の死刑宣告である。
「落ち着きなさい。語尾が震えていてよ?」
「そっちは膝が震えているようだが」
「ふっ、言ってくれるじゃない。実はあなたの召喚で割と力を使い果たしているわ」
「座ってくれ」
何なんだ、こいつは。
戦場にはナチュラルにドラッグ決めてるような変わり者もよく居たが、これは初めて出会うタイプだ。
「お嬢様、椅子でございます」
「楓、私を見くびらないでくれるかしら。このアペルチャイルド、疲れを隠すのに椅子の手など借りないわ!」
いや、椅子は脚なんじゃないのか。
「ご安心ください。これはお嬢様の溢れる威厳をさらに増大させる為の、過度に豪奢な椅子でございます」
「ならば良し!」
フカァ、と柔らかな音を立てて、椅子が弾む。
見た目通りに体重が軽いらしく、クッションに持ち上げられるようにしてアペルチャイルドの華奢な体が上下した。
足を組み、肘掛けに頬杖をつくと、邪悪な笑みを浮かべる。
「クックックッ……さて、人間よ」
どうやら椅子が気に入ったらしい。
「さっき、あなたの意思がどうとか話をしたわね。ここまで喋れば予想もつくだろうけど、あなたにこの隣獄を助けて欲しいのよ」
「そう来ると思ったが……何故、俺なんだ? 死にかけの人間が都合が良かったのか?」
「いいえ。あなたでなくてはならなかったの。あなたには、適正があったから」
「適正?」
「ええ。この世界を救う為の、ある魔法。私はそれを知っているけど、今は理由があって使えないわ。だから、その魔法を扱える特別な才を持った人間が必要だったの」
魔法という言葉を聞いて、世界がぐらりと揺らぐのを感じた。
地獄がどうとか、悪魔の羽がフェイクだったとか、実は実感が薄かった。
だが、魔法を使って世界を救え、なんて言われたら、さすがにファンタジーの度を超えている。
「勘弁してくれ。魔法を使って地獄を救えだって? 俺にポッターにでもなれというのか?」
「あ、ハリー・ポッター。ご存知なんですか?」
「2087年でも知名度はあったよ。戦争が本格化するまで、定期的に映画も作られていたしな」
確か最後の作品は、魔法使いとインベーダーの地球大決戦だったはずだ。
箒対UFOというシュールなポスターを薄っすら覚えている。
「悪いが俺は彼のような英雄じゃない。敵に捕まって拷問を受けていた、間抜けな兵士だ。そんな奴が君達の世界を救えると思うか? 他を当たった方が良い」
「英雄では駄目なのよ。常に成功を収めてきた彼等では、前向きに過ぎる。この魔法は、優秀でありながらも苦い経験を味わってきた、誰よりも現実を知る人間でなくては扱えないわ」
アペルチャイルドの説明は曖昧だ。
だが、英雄には扱えない、という点が気にかかった。
誰だって、歴史に名を残す英雄には憧れるものだ。
自分がそんな器ではないと分かっているからこそ、夢物語は耳障りが良く聞こえてしまう。