男の憂鬱
時に善意は‥‥‥‥‥
男はどうしてこうなった、と、困り果てた表情を浮かべながら、目の前で目を輝かせる女性と、こんな事態に陥った原因である自身の手に握られた金色の硬貨を見て、ため息をつくのだった。
男は食事処に入ると、異世界の言葉が理解できる理由などは無視(というよりお人よしの”災厄”が何かしてくれたんだろうという決めつけ)して、メニュー表は一切見ず、笑顔で注文を訪ねてきた店員に「おすすめを」とだけ言って席に着いた。
料理が出てくるまでの間、男は手の中にある物を観察する。
それはおそらく、この世界で使われる硬貨だ。
金色の500円玉くらいのサイズのそれには、西洋の竜?らしき物が細かく彫られていて重みがあり、前世でも売ればそれなりの値打ちがつくだろうことは間違いない一品だった。
それが目算で数百枚は入った小袋が例の不思議袋から出てきたので、この硬貨が一般的に使われるとは、一部技術はひょっとすると前世の日本を軽く凌駕しているのかもしれないと男は感嘆したものだ。
しかしそれは浅はかな考えだったと知ることになる。
「ちょっと!!」
「はい?」
男は突然自身の手を掴まれ、流石に目を丸くする。
男が据わっていたのは2人用テーブルで、小さなテーブルをはさんでもう1つ椅子が置かれているのだが、それを突き倒して男の対面に立つのは随分と変わった服装(自分のことは棚に上げて)の女性だった。
ボロボロのローブを着ていて、それで顔が隠れてしまっているが、長い髪と高い声から女性であることは分かった。
何より違和感を覚えたのはその手だ。
『随分と綺麗だな』
それは不埒な感想ではなく、ボロボロの服を着ているのでてっきり貧しいのかと思えば、肉付きもよく傷一つない、整った環境で育ったものでなければまずありえない手だったからだ。
面倒事の匂いがあまりにもしすぎていて、逆に回避する気がうせてしまった男は、お得意の”とりあえず流れに任せる作戦”に切り替えることにした。内心でそれが悪いくせなのに、とは思いながらも。
「これ、いったいどこで手に入れたんです!? そしてそれは何時? 誰から? あるいは、遺跡? 迷宮? まさか墓荒らし?」
「そのどれでもない」
「その言い訳は苦しいですよ。 それが何なのか知っている私からすれば!!」
「金だな」
「金って‥‥‥‥ いや、確かにそうですけど‥‥‥‥ それがいつ造られたものなのか、知らないわけじゃないでしょう?」
「ああ、ひょっとして、古くて使えないとかか? 残念だ‥‥‥‥じゃあ飯は諦めて早々にここを出る必要があるな」
「え!? ちょ、ちょっと待って!! それならご飯は私が奢りますから、話を聞かせなさい!!」
「ちょっと素が出てるぞ」
「!? う、うるさい!!」
結局、男に絡んできた女性はそれが狙いだったとも気づかず、男にただ飯を奢ることになるのだった。
さて、当然のことながらお互いを知らない二人。
まずは自己紹介から会話は始まる。
「改めて。 私はソフィアというわ」
「ふーん。 俺はカルマだ」
カルマ‥‥‥‥罪。
別にそこに深い意味があったわけではないが、仮にも”必悪”という悪そうな名前の一団に加わっているのだし、それっぽい名前を考えた結果こうなった。ナンセンスにも程がある。
元々生粋の日本人で、ネーミングセンスにも乏しい男が西洋風の偽名を考えるとどうなるかといういい例である。
「”カルマ”? ‥‥‥‥‥あなた、親からその、虐待でもされていたの?」
「?」
今までの元気は何処へやら、随分とこちららを気遣うような声に男は首をかしげる。
「だって”カルマ”って、大昔に悪魔狩りとして名をはせていたけど、最後には自身が悪魔となって、大罪人として首を落とされた悲劇の英雄の名前じゃない」
男はその話を聞いて驚く。
なんて自分にピッタリな名前なんだろうと。
「その人物は実在したのか?」
「おとぎ話だという人が多いけど、事実。 隠されているけど、王国のどこかには彼を供養するための墓があるはず」
ならば。
その英雄の意志と名前は、俺が継ごう。
もちろん全くの偶然による後付けの理由だが、そう思うほうが、かぶってしまった名前を使う身としては気が楽だ。
「まあ名前なんてそう簡単に変えられないし、仮にそういう意図でつけられた名前だとしても変えるつもりはないな」
「そう‥‥‥‥まああなたがいいなら私からは何も言わないけど」
男、改めカルマの意志が固いことを察したソフィアは口をつぐむ。
気まずい空気が流れるかと思われたが、意外にもその空気を破ったのはカルマであった。
「ところでソフィアって本名か? まさか偽名じゃないよな?」
「どうして?」
「随分と良い待遇のところからこんな田舎に来たみたいだからな。 まさか厄介事を抱えてるんじゃないかと思っただけだ」
その言葉に気まずい空気とはまた別の、緊迫した空気が張り詰める。
最もカルマは変わらぬ態度と姿勢のままで、警戒心をあらわにするのはソフィア(?)だけである。
「なんでそんなことわかるの? まさかそれを知ってて?」
「言いがかりも大概にしろ。 俺がたまたま入った飯屋にお前がいただけなのになんで俺が悪いみたいになるんだ。 第一、本気で隠すつもりがあるなら手袋でもつけたらどうだ? 外見とまるで一致しない素肌をさらすとか、不用心極まりないんだよ」
「あ。 そ、そうだったのね。 ごめんなさい‥‥‥‥‥」
「まあいいさ」
カルマはいたって無関心だ。
彼でなくとも、熱血君でもなければわざわざそんな情報を掘り出そうとはしないだろう。
しかし、ふと思い出したようにソフィアに質問する。
「なあ、代わりと言っては何だが、なんでこれに食いついたのか。 あと、これは全く関係ないことだが、悪魔について情報があるなら教えてくれ」
「代わりと言っては」という言葉に、ソフィアは何を要求されるのかと身構えたが、口にしたのが要求ではなく質問だったためにすぐに脱力する。
しかし前者はともかく、後の質問に首をかしげる。何故そんなことを聞くのか分からなかったからだ。
言うまでもないことだが、悪魔などそもそも関わりたいものではないし、人によっては口にするのも嫌がるような人さえいる。それを好き好んで聞くものなど、はっきり言って変人だ。
最も、そういった人物に心当たりがないわけではない。
”悪魔狩り”‥‥‥‥実際は聖職者だが、そういった者達は、退魔の技術を収めている。そしてその目的はいわば神敵である悪魔の殲滅だ。
だが彼らは基本的に聖なる武器を持っている。
それは良く知られるもので杖、他にも剣など。そしてこれがカルマとの大きな違いなのだが、聖職者は決して闇を連想させる黒系の色の衣服は着ないのだ。
「ああ、ひょっとして悪魔の事なんか聞くから疑問に思ってる?」
「ええ。 だって普通はそんなこと聞きたがらない」
「だよな。 あんな糞野郎の事を好く奴なんていないだろうな。 俺だってそうだ」
「じゃあ、あなたはやっぱり”悪魔狩り”なの?」
その言葉に過敏に反応したカルマは満足げに頷き、答える。
「ああ、いるんだ。 やっぱりそういうの。 そうだよ。 俺の目標は奴らを‥‥‥‥‥皆殺しにすることだ」
ソフィアはその時、僅かながら漏れ出た殺気を感じ取った。
それは淡々とした殺意。純粋で無垢な殺意だった。そこに悪意はない。復讐心もない。ただ、殺すという意志だけが感じられた。
だが今まで感じたどんな悪意よりも、その方がよっぽど恐ろしいものに思えて、ソフィアは冷や汗をかくのを感じていた。
ソフィアはその恐怖を振り払うように、カルマの疑問の答えを口にする。
「えっと、とりあえず悪魔は置いておくとして、私があなたの持ってる金貨に反応した理由だけど。 それは今ある王国ができるよりも前、つまりは数千年も前に存在していた王国、いえ、”大帝国”の発行した金貨の中でも最も価値があったとされている”聖金貨”だからよ。 ‥‥‥‥‥って、どうしたの?」
ソフィアの言葉を聞いたカルマは天を仰ぐ。
その様子は正しく、”後悔している人物”の姿だった。
「いや、何でもない‥‥‥‥続けてくれ」
「ええ‥‥‥‥。 つまり、その金貨には歴史的価値があるの。 しかも今ではありえない純金製の代物だから、それを抜きにしてもとんでもない価値がある。 さらにはそれを所有しているということは、今無き大帝国と深いかかわりを持っているという証明に‥‥‥‥‥」
「分かった!! よくわかったからもういい!!」
それ以上聞きたくなかった。聞いてしまうと、善意でこれを与えてくれた”災厄”を本気で恨むかもしれなかったからだ。
少し疲れた表情を浮かべていたカルマの前に、見計らったかのようなタイミングで料理が置かれる。それはパンと綺麗な白色のクリームシチューだった。
店員に感謝してから、男は料理に手を付ける。
スプーンがついているが、こういうのはパンを浸して食うのがうまいのだ。
実際に料理を口にして、カルマはそのことを実感する。よくしみ込んだシチューの味、ふやけて柔らかくなったパンの食感がたまらない。
ソフィアはカルマとは対照的に、スプーンを使って上品に食べていた。
パンを半分ほど胃に収めてから、カルマは話の続きを促す。まだ3分の1程しか食べていなかったソフィアは何故そんなに食べるのが早いんだと呆れた表情をしながらも説明を再開した。いよいよ悪魔についての説明だ。
「悪魔は数多くこの世界に存在するわ。 その証拠として、悪魔の国があるくらいだもの。 私たちはそこを”地獄”と呼んでる」
「地獄か‥‥‥‥‥」
「悪魔は食事も必要としないし、睡眠も必要ない。 その代わりに奴らは人の苦しむ姿を見ることを望むの。 地獄では悪魔にさらわれた人々が集められ、どんな拷問よりも恐ろしい目に合わされているというわ‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥そうか。 悪いな、食事中にそんな話をさせてしまって」
「いいのよ。 知らないでいるより、知っていた方がいいことだもの。 悪魔を根だやすというのなら、最終目標はそこになるでしょうからね」
「だな」
カルマは思う。
都合よく金貨と悪魔の情報を知ることができたのはいい。
だが悪魔と接触するのにはどうすればいいのか。
一番簡単な方法は地獄に乗り込むことだろう。しかし国を築くほど大量にいる悪魔をたった一人で倒せると思うほど、カルマはうぬぼれてはいなかった。
まずは牙を研がねばならない。
カルマは生前はごく普通の一般人だったのだ。戦いの知識など、若いころに見ていたアニメや老いてからは時代劇を見たぐらいでしかない。
だがいいのだ。
実はしれっとこの体に‥‥‥‥というよりは、”必悪”という存在に、老いと死が存在しないという事は”災厄”により確認済みだ。
ならばどれだけ時間をかけてもいい。
自身に期待はしていない。ただの一般人ができることなどたかが知れている。ならば生前しなかった、”自分を変える努力”をせねばならないだろう。
その仕方もわからないが。
「ああ、会いたいなあ。 早く。 悪魔にさア」
「おや、久しぶり。 元気だったかな?」
「もちろん♪ 久しぶり、”災厄”!」
「こらこら、抱き着くな」
”災厄”は久しぶりに自分の元を訪れた”必悪”の2人目、”混沌”を抱きとめ、その頭を撫でてやる。紫の瞳を持つ幼女は気持ちよさそうにその目を細めた。
「しかしどうしたんだい? お前が自分から訪れるなんて‥‥‥‥‥‥」
「あ! そうだよ!! ねえ、”新入り”が来たんでしょう?」
「ああ、”空虚”の事か」
”空虚”。
彼はいわば、器だ。その器の底は抜けていて、何の意味もなさないもののはずだった。けれどそれが、悪魔の力を得てしまったことにより、その器は底なしの穴に変わった。
「あるいは私よりも恐ろしい”悪”かもしれないよ。 彼は」
「え? 今なんて‥‥‥‥‥」
「独り言だよ。 それで、”空虚”がどうしたって?」
「うん、そいつの顔を拝んでやろうと思って!」
その言葉に、”災厄”は思わず苦笑いを浮かべる。
”空虚”は未だ”必悪”の力の恐ろしさを理解していないが、”混沌”は違う。なんせ彼女はその力で、いくつかの文明を滅ぼしたことさえあるのだから。
「”空虚”は人の生活に溶け込むことを望んでるみたいだ。 あんまり迷惑をかけてはいけないよ?」
「そうなの? わかった、気を付けるね!」
「よろしい。 ああ、帰ったら”空虚”の様子を教えてくれないか?」
「いいよ? ”災厄”は相変わらず心配性だな~」
2人は実に楽しそうに話ていたが、それの意味するところはすなわち、”必悪”の末席、”空虚”のカルマの元に、恐るべき怪物がくるという事であった。