”気づき”
「では、列を乱さず一列に並んで待て!! 開門!!」
鎧を着た兵士、門番が叫んだのを合図に、木製の巨大な扉が開いていく。
そのわきには指示を出した人物とは別の兵士が控えており、危険行為を働こうとする者がいないか目を光らせている。
カルマは御者台の上で一台一台、馬車が監査を受ける様子を眺めていた。
時刻は早朝、恐らく体感で6:00~7:00くらい。
このように街へと入る為には、開門の時間を待つ必要がある。門が閉じている時間帯、夜に関しては、例え傷だらけの旅人であろうと街に入ることはできない。この世界において、夜とはそれほど恐ろしい時間帯なのだ。
列がゆっくりと短くなっていく様子も見ていて楽しいものだったが、しかしそれよりも目を引く物があった。
外壁を隔てるも隠れ切れていない、立派な建物。もしや城か何かかとも思ったが、にしては質素だし、もしそうだったとしたら街の規模がこの程度であるはずがない。となると、貴族の屋敷なのだろうかとも考えたがそれも正しくはないように思えた。
こういう時こそソフィアに聞くべきなのだろうが、しかしソフィアは今、どうも自分に対し不信感を抱いているらしい。その原因が、”混沌”との邂逅した後の自分の様子の変化にあることには気づいていたが、だからといってすぐに解決できるようなものでもない。時間をかけ、信頼を勝ち取っていくしかないだろう。そんな時におそらく誰もが知っているのであろう建物について彼女に尋ねればどうなるか、考えるまでもなかった。きっと彼女の不信感はより一層強まることだろう。それはさけなければならなかったのだ。
「次の者、前に」
「っと、はい」
兵士に呼ばれ、馬車を前に進め、そして止めると自身は馬車を折りて兵士の前に立つ。この時に両手をあげるのも忘れてはいない。通るだけで危険物の有無を確認するゲートなどあるわけもないので、身体検査は手探りで行われる。手をあげるのはこの検査に抵抗する意思がないという証明のためだ。
兵士はカルマの体を数度触ったり、衣服の中を確認したりした後にようやく首を縦に振ってくれた。
それを確認してから御者台へと戻り、同じく検査を受けているはずのソフィアの方へと目をやった。ところがソフィアは検査を受けておらず、何か手紙の様な物を兵士に渡すところであった。
受け取った兵士はと言えばそれを確認するようにしばらく眺めていたが、やがてそれをソフィアに返すと一言二言声をかけた後に立ち去ってしまった。それで検査は終わりらしい。
何を渡したのか気になるところではあったが、ともあれ2人とも許可を得たため、カルマは街の中へと馬車を進めるのだった。
外壁の外からでもその姿を確認できた件の建物の正体だが、街に入ってすぐに知ることができた。なぜなら一風変わった服を着た少年少女たちの姿があったからだ。
「学校だったのか、あれは」
その服とは、恐らく学生服。
カルマの服とは正反対の白の服のデザインは、カルマの知る学生服のデザインと大差なかった。男子はネクタイ、女子はリボンの色で学年かあるいはクラスを区別しているというのも、前世と変わりない。
「カルマも、学院に通った経験が?」
「無いな。 いろいろなことはがっこ‥‥‥学院じゃなくて、ある人から個人的に教わった」
ソフィアからの問いにカルマは正直に答える。ある人、というのはこの場では”災厄”の事だ。
ソフィアは門で馬車に乗り込むときに、荷台ではなく御者台の、カルマの隣に座っていた。さすがに初めて訪れた街の地理までは知ったかぶりもできないため、大人しく彼女に指示を仰いだのだ。
「ところで、さっき見せた紙は何だったんだ?」
「ああ、これのこと? 読めばわかるわって、そうか、カルマは‥‥‥‥」
ソフィアはカルマに先ほどの紙を渡そうとするも、カルマが文字読めないことに思い当たり、その手を戻す。しかしカルマはそれを制した。
「いや、大丈夫。 一回見せてくれ」
「? まあ、そう言うなら‥‥‥‥」
カルマはソフィアから受け取った紙を広げると、それに目を通す。
アルファベットともまた違う、この世界特有の文字で書かれた文は、相変わらず読むことはできないかと思えたが、しかし今回は読めるという確信がカルマの中にはあった。
―――――――――あなたは、人間じゃない
『俺は、普通の人間ではない‥‥‥‥』
思い出すのは”混沌”の言葉。
あの幼女の姿をした怪物は言った。
「人ならざる者だという事を自覚していないから、”必悪”になり切れていない」と。ならばそれを心で認められずとも、頭で認識した今であれば。
「‥‥‥‥‥」
「どうしたの?」
紙を見たままに硬直してしまったカルマを不審に思ったソフィアが声をかける。
それに上の空だったカルマは現実へと引き戻された。
「ああ、いや。 実はひそかに言葉に関してはもう勉強していて。 ある程度は読めるようになったんだ」
「ふうん? そう、勤勉なのはいいことね。 で? なんて書いてあった?」
「ああ、全部はわからないけど・・・・・・契約書だろう? これは」
「・・・・・・まさか本当に読めるだなんて・・・・・・その通りよ」
驚いた表情を浮かべるソフィア。そこに疑いの色などはなく、どちらかといえば見直したというような感じの雰囲気だった。やればできる男、とでも勘違いしてくれたのかもしれない。
苦笑いを浮かべていたカルマに、ソフィアは説明する。
彼女はこれからの行動をするにあたり、拠点となる街を必要としていた。
やろうとしていることがとんでもない大ごとな為に、冒険者という立場はいささか弱い。それなりの立場につき、爪を研ぐ必要があったのだ。
そんな中目を付けたのが学院。この学院は身分よりも実力を優先し、飛び入りであっても実力さえあれば教師となることも可能だった。そして日本でも教師とは公務員という社会的地位が高い職業であったように、この世界でもまた、貴族も含まれる生徒の上に立つ教師はそれなりの地位が約束されていた。
ソフィアは元騎士ということもあり、武術には秀でていたし、さらには頭もそれなりにきれるほうだ。金銭も稼げるうえに、多くの人脈を築けるであろうこの職業につくことは、悪いことではなかった。
とはいえ、大きなデメリットもある。それは行動の自由が縛られることだ。
「悪魔相手に戦争を仕掛けるような真似、自分の力だけでは自殺行為。 他人の助力も必要になるわ。 それも一人や二人だけでなく、腕が確かなものを大勢ね」
「そしてそれを動かすのに必要不可欠なものこそ、権力と金、か」
「正直、金銭に関してはあなたに頼ればすぐに解決するでしょう。 でも権力ばかりはどうしようもない。 でしょう?」
ソフィアの言葉にカルマは頷く。
数字にするのも恐ろしいだけの価値を持つ大帝国金貨。カルマの持つそれをもってすれば、大抵のものは買い占めることもできよう。しかし権力ばかりは、身元不明ということになっているカルマにはどうしようもできない。ソフィアも身元不明というわけでこそないものの、隠しているのだから似たようなものだ。
たとえ大金を持っていようと、2人が民衆の前で「悪魔を倒そう」と呼び掛けたところで誰も耳を貸すまい。どころか、妄想に浸る金持ちのガキだと笑われることだろう。
しかし、それが誰もが知る・・・・・・とまでいかなくとも、それなりの有力者であれば。その行いはたちどころに現実味を帯び、多少はその力になろうとするものが出てくるかもしれない。希望的観測ではあるが、今はその希望すらない状態になるのだ。それゆえの現状である。
「さすがだな。 お前の本気が伝わるようだよ」
「冷やかさないで。 私は最善の策を取ろうとしているだけ。 けれど問題はあなたよ」
「・・・・・・ま、そうだな」
今ソフィアが話したのは、あくまでソフィアが1人で動いていた時立てた計画。そこには、カルマの存在は組み込まれてはいないのだ。
ソフィアが教師になり、この街を拠点とするのはいい。しかし、カルマはその連れだからと言って教壇に立てるわけではない。
「旨い話が転がってくるのを期待するか・・・・・・」
「馬鹿なこと言ってないで、まじめに考えてよね」
適当な返しにソフィアはあきれていたが、しかしカルマの頭の中を埋め尽くしていたのは別のことだった。
そう。本当は全く勉強もしていない、この世界の言語で書かれた文書が、読めないはずのそれが、読めてしまったという事実。
そんな都合のいいことが、普通であればおきるはずがない。
「起きるはず、ないんだよなあ」
「そういえば、”必悪”っていつからあるんだっけ」
「どうした? 急に」
”災厄”に”混沌”が尋ねる。
「なんとなく?」
「そうか。 でも、残念ながら、それはわからないんだ」
「でも最初の”必悪”は”災厄”なんでしょう?」
「それはそうだけど・・・・・・私を最初の”必悪”にした存在がいるんだ。 不思議と思い出すことができないが」
「最初の”必悪”は”災厄”だけど、”必悪”そのものはそれよりも前に存在してたってこと? 面倒な話」
全くその通りだ・・・・・・と言おうとして、”災厄”はふと思いとどまる。
『そういえば、私はどうして”必悪”になったんだ・・・・・・?』
その疑問はとても重大なことのようにも思えたが、しかしそれもなぜか、たいして時間もたたぬうちに薄れていったのだった。