6 二人
ダナル・ダン砲台からの衝撃を避けるために遥か後方へと距離をとった貴族連合軍は敵の奇襲を警戒することもないためか、燃え盛るデュランシルトの炎を肴に酒宴に興じていた。
取らぬ狸の皮算用・・・・の米という穀物の魅力を知っている貴族たちはその栽培に携わっている開拓村の住民やラヴィ班の情報を既に入手しており彼らを拘束し大陸貿易の特産品として富をいかに得るか。
そのために整備された田んぼをどの程度切り取れるか、そんなやりとりをしている始末だ。
貴族の私兵たちも主人たちがご機嫌なのことに気を良くし警戒などは末端に押し付け賭け事に精を出している。
軍全体が浮かれていた中・・・・・貴族領から徴兵された住民兵たちは周辺警戒に狩り出されており、その不満や怒りは爆発寸前まで高まっている。
そのため元々低かった士気はもはや無きに等しく、食料の節約という名目で彼らは一日にパンと粗末なスープの1食しか与えてもらえないことが拍車をかけていた。
中には武士団への憧れを持つ住民兵も少なからずいたのだ。
最下層という立場ながら、厳しい鍛錬の元、多くの人々を救う希望の光になった侍たちは憧れの対象であったのだ。
弱き者を守る・・・・自分の身を挺して子供たちを守った十六夜の話は若者たちの心の奥の青臭い正義感に火をつけていた。
そんな彼らに混じることなくただ1人、夜の草原で空を赤く染めるデュランシルトを眺めていたのはパトリック男爵であった。
彼は本陣奥で事態の成り行きを見守っているというラグレイ伯爵へ意見を伺おうと何度か訪れていたが、何故かウォルドレッド伯配下の兵たちに制止され近づけずいたのだ。
だが今は酒宴に夢中で手薄な状況・・・・・
今こそラグレイ伯爵の本意と覚悟を聞き、今後の方針を決めたいと考えていたパトリックは収納魔法を応用した簡易コテージのドアを開け、
「ラグレイ伯爵!突然のご訪問お許しください!!!・・・・うぐっな、なんだ・・・・・この臭いは!!?」
薄い色調だが美しい刺繍がほどこされた絨毯やや華美な装飾はないものの、シックな木目が生きた家具の数々・・・・壁には彼の若かりし頃の不敵な笑みを浮かべた杖を掲げる動きを見せる自画像。
天蓋付きベッドのレース越しからは・・・・鼻が曲がりそうな腐臭がパトリックの脳髄を侵蝕する。
「くっ!!?ラ、ラグレイ伯爵!!!?こ、ここにおられるのですか!??」
これ以上見てはいけないと本能が警告している、だが確かめなければいけない、あのレースの向こうの人影を。
一歩一歩絨毯を踏みしめる音が恐怖を加速させる・・・・レースにそっと手をかけたとき、一瞬でも躊躇した自分が恥ずかしかった。
単身乗り込んできたあの女性の勇気の足元にも及ばない自分の覚悟に、哀れささえ感じ・・・・・半ばやけになりながらレースを引いた。
腐汁が染みこんだシルク製の高級寝具がその悲惨な末路を飾っていた。
沸き上がる猛烈な吐き気と寒気にも関わらず、パトリックはラグレイの腐乱死体に・・・・恐怖より哀れさと無念さを感じ取っていた。
うじがたかり腐肉を貪り、ハエが新たな卵を産み付けるべくその死体の周囲を飛び回る光景は自然の摂理でありながらもおぞましさより無情さを感じさせる何かがあるとパトリックは思った。
「・・・・これは数日でどうこうなるものではない、少なくとも10日以上経過していなければこうは・・・・・であるならばあの時のラグレイ伯爵は既に・・・・」
ふとコテージの内部を見渡してみると、見慣れぬ兵士のもの思われるローブや杖が多数・・・・ほかにもアルマナガードの制服が数着部屋の隅にまとめおかれていた。
どうして・・・・何故このようなものが?ラグレイ伯爵の指示とは思えない・・・・!?
「これは・・・・もしや」
多くの杖が立てかけられた長壷の中に無造作に放り込まれていた一振りのソルダがそこに紛れこんでいた。
「・・・・」
抜いたら意識を失ってしまうと慎重に鞘ごと手にとったパトリックは想像以上の重さに驚くが、その鞘に巻かれた紐が・・・・・橙色のような瑞々しい色合いであったことに目を奪われてしまっていた。
夜が開けた。
暗闇に隠されていた被害の甚大さに改めてデュランシルト側に絶望が襲い掛かってくる。
夜を徹しての救出作業と安否確認によってその被害規模が少しずつ判明しつつあった。
シェルターの脱出路の作成と救出班の指揮に飛び回っていたニーサは砲撃時にシェルター側にいたことで難を逃れていた。
ここでザインとの打ち合わせですぐに抜けられそうな地上への出口作成へ目的を変更し、総員脱出の準備へと移りつつあったが負傷者をどれほど運び出せるのか、その見通しはまだたっていなかった。
夜明けの時点で判明した死者は522名、行方不明者63名に及んだ。
だが貴族連合はここで部隊を動かし、デュランシルトを広範囲に包囲する方針へと作戦を変更し南側の街道沿いをほぼ網羅する形で進軍を始めている。
脱出路はかなり北よりに作ってはいるが、包囲網の外を抜けられるかは微妙なラインとなってしまっている。
何度か交渉旗を掲げ、話し合いによる解決を模索しようとしたがもう受け入れる余地はないようで使者に向けて攻撃呪文が放たれる状況だった。
半兵衛は何度も飛び出そうと機会をうかがっていたが、もっとも効果的な状況で単身出て行くしかない。
睨み合いになった昼頃であった、とうとう貴族連合の中央部隊およそ3000が正門正面に向けて進軍を開始した。
見たところ貴族連合の中でも錬度が高そうな部隊である・・・・・
だがこれは半兵衛の予想の範囲内であり、むしろ5日間以上奴らをここに釘付けに出来たのであればそれだけで戦略上の目的は達したに等しかった。
本来の目的は生き延びること・・・・そのために半兵衛は自らの策に奴らが乗るかどうか賭けに出る必要があっただろう。
腰にはルシウスの無銘と蜜柑の愛刀水芭蕉・・・・脇差は背中に結び万が一に備えていた。
身につけるのは隊服のみ、四式装備も一式装備の着用も半兵衛は拒絶した。
ナデシコは四式装備だけでも身につけるべきだと主張したが、半兵衛には理由があった。
帝都正門前で勝手に検問をしていた貴族連合の指揮官たちは隊服を来た半兵衛を偽者と誤認した経緯があり、確実に見間違うほどの状況を作り出さなくてはならないためあえて四式装備でさえ断ることにした。
本隊が整然とした行軍で正門へと距離を詰めてくる中、半兵衛は蜜柑を包む繭を愛おしそうに撫でると正門から威風堂々と歩を進めていった。
狼人族の男が悠然と真っ直ぐ正面を向いて進軍する3000の兵たちの前に進み出ていく。
当初は死にたがりの馬鹿が出てきたとしか思っていなかった本隊だが、その姿にいたる所から声があがりはじめついには前線部隊指揮官が進軍停止を言い渡ししてしまう。
「は、半兵衛様ではないか!?」
「あれは、内通者だった半兵衛様だよな・・・・・?」
「どうなっているんだ」
だが半兵衛は歩みを止めず、兵士たちは戦闘を仕掛けることすらなくあたふたと前後左右の人間の顔を見て狼狽するばかりだった。
まだ焦げ臭さの残る風に背中を押されるように半兵衛は目の前にいる兵士たちを意に介することもなく、半兵衛という刃に切り裂かれるように道を開けていく兵たちの間を散歩にでも歩いていくかのような足取りで真っ直ぐ・・・・だた真っ直ぐに貴族連合軍を断ち割っていく。
その様子は内通者である半兵衛が帰還したのではないかと思えるほどに自然であり、もしかしたら半兵衛が工作活動の一環でデュランシルトを訪れその帰路にあるのだと思う兵士たちも少なくなかっただろう。
だがその思い込みは、前線部隊を通り抜けた際に覆されることになった。
「俺の偽者と聞いていたから、さぞかし男前だと思ったんだがな・・・・顔が歪んでいるぞ」
「・・・・どうやって抜け出した?」
紺の鬼凛組隊服を身に纏う半兵衛と、真紅のローブを着こなした半兵衛。
二人の半兵衛が対峙する姿は、それを取り囲み事態を見守っていた兵士たちを混乱させるには十分すぎた。
ある者は双子だと主張し、ある者はデュランシルトの幻覚呪文だと口にしていた。
だが、ある者は・・・・
「赤いローブのほう・・・・顔がおかしくないか??なんかこう右にずれているっていうか・・・・」
「ほんとだ!!!顔に・・・・傷かあれ・・・・・」
「貴族連合の兵士たちよ俺は鬼凛組参謀の半兵衛だ!!!こうして俺の偽者に吹き込まれたみたいだな、奴の言っていることは出鱈目だ!早急に撤退せよ!」
この発言を聞き、既にあざとい貴族連中は巻き込まれるのを恐れ早々に後退命令を出し始めている貴族部隊もちらほら見かけるようになっていた。
前線部隊はそういう訳にも行かないが、それでも士気は衰え足並みは乱れ構えていた杖は力なく垂れ下がっている。
兵は各部隊の指揮官でもある貴族たちに確認しようと殺到しているが、多くの貴族たちは自分たちの大義名分が崩れ去りそうな気配に口角泡を飛ばし怒鳴り散らした。
「どこで間違った・・・・お前を殺さなかったことか?」
「いや、違う・・・・俺の偽者になろうとしたことだ」
半兵衛の体から吹き上がった闘気と気迫・・・・・腰を落としいつでも刀を抜ける姿勢をゆっくりと練り上げる。
その迫力と威圧感に気圧され腰砕けになり散り散りになって逃げ去り始める貴族連合の兵士たち。
そんな彼らの様子に憤慨したのはこともあろうに偽半兵衛であった。
「使い物ににならん兵隊だ・・・・指令・・・・了解・・・・目標設定」
突如両手を突き出した偽半兵衛の手の平には黒くぬめり気のある黒い球体がいくつも・・・・次々と生み出されていく。
ぼとぼとべちゃっと草原に零れ落ちたそれは・・・・得体の知れない汚染物質が大地を汚すようにも見え、思わずそのおぞましさに半兵衛は顔をしかめる。
兵士たちもその異様な光景に逃げ出すことさえ忘れ、視線が釘付けになっていた。
半兵衛の胸中には焦りがあった。
問題は虚脱症状の発生に関してだが、貴族連合軍相手に何かあればこの虚脱状態の発生こそが生き延び敵を打ち破るチャンスであったはずだ。
もしあれが出てしまったら、虚脱症状の発生で犠牲になる兵士たちがいったいどれだけ出てしまうのだろう。
こんなときに師匠の教えが・・・・敵軍であっても情けをかけるのを忘れるな、同じ人同士は無用の争いを避けるべきであると。
ここで貴族連合の兵士たちの犠牲など考えもせず刀を抜けたならどれだけ・・・・・どれだけ楽だろう。
違うな、ここは抜いてはいけないときだ。
本物の侍ならば、ここでするべき行動はただ一つ・・・・・砲撃されたことへの恨みは忘れることはできない、許されない!
首謀者は無残に討ち果たしてやりたいとう憎悪が心中を駆け巡っている・・・・
だが目の前の兵士たちは、明らかに動揺し自らの行いが不正義であったことへの恐怖が滲み出ている。
殺してやりたいほど憎い・・・・だがここで殺したら貴族共と同じになってしまう。
「あんたらは逃げろ!俺の勘だが、あの黒い玉は非常にまずい・・・・あいつらが来るぞ!!!早く逃げてくれ!このままじゃ刀をソルダを抜けないんだ!!!」
この半兵衛は何を言っているのだろう・・・・
多くの兵士たちの思考は停止している状態でそこまで考えを巡らすのにはかなり無理があったが、そんな彼らにも伝わった思いがある。
この男は敵である我らの命さえ救おうとしている・・・・と。
皆、逃げ出す許しを得たと受け止めた一斉に逃げ出し始めるが・・・・そのタイミングで地面から落ちた黒い玉が周囲の兵士たちの体に打ち込まれていく。
「ぎゃあああああああ!」
「ひぎいいいいいいい!」
「ごふっ!!」
10人ほどの体に打ち込まれた黒い玉は数秒で兵士の体を・・・・消滅、いや食い尽くしていった。
その黒い玉は数秒単位で倍以上に膨れ上がり・・・・見る見るうちに蠢く何かへと姿を変えようとしている。
今しかない!虚脱に陥った兵士たちが回復する間まであれが・・・変形か変身を続けてくれるならば生き延びる機会が・・・・
半兵衛は刀を抜くと、それを目撃した兵士たちがバタバタと倒れていく。
心が痛むが、今これしかチャンスがない・・・・
その間にも変態を遂げていく黒い物体はあきからに手足のようなモノが生え揃った生物然とした姿へと変貌していった。
偽半兵衛はその様子を感情のない顔で見つめていたが、顔面に走った亀裂ははっきりとし大きく歪みを生じさせている。
「やはり・・・・お前らが相手か」
半兵衛の目の前には偽半兵衛が生み出し、黒い玉から変貌した黒い人型のナニカが10体・・・・出現している。
体格は様々・・・・・体に走る赤い線と各所に生まれているカニの甲羅のような部位。
頭部には巨大な赤き目玉が10個・・・・その視線を半兵衛に向けている。
「死界人!!」
10体相手か・・・・師匠なら余裕かもしれないが俺の腕では・・・・しかもどの程度の固体だ?
台所に現れた程度の捕食数が限りなく少ない固体であれば、俺でも5体ぐらいまでならいけるか・・・・・
だが国境に出現したあのレベルとなれば・・・・・
冷や汗がたらりと額から頬をつたって、首筋に流れる感覚が生まれていた。
落ち着け、冷静に考えろ・・・・俺の偽者はなぜあれを生み出せる!?
話のできるシカイビト・・・・・イルミスとは違うナニカだ。
そうか・・・・可能性はいくつかあるが、こいつは。
「てめえが空魔か?」
「・・・・・その名・・・・どこで聞いた?」
「教えると思ったか?」
「既に利用価値はないか・・・・殺せ」
氷のように冷たい声色で発せられた命令により、半兵衛に近い3体がいびつな挙動で力任せに討ちかかってきた。
手から生えた剣とは呼べないほどの棒切れの打撃は強烈で大地にめり込み、空を切ったその斬撃の鋭さと膂力に寒気が走る。
だが、半兵衛は同時に冷静な分析を巡らせている。
国境で戦った固体ほどの戦闘力はない・・・・
いびつな動きだが、単調なその動きは・・・・・
「散々師匠から叩き込まれてんだよ!!」
一瞬で走り抜けた半兵衛の剣撃で斬り飛ばされた剣を握ったままのシカイビトの腕が宙を舞う。
腕を失った感覚に僅かな戸惑いを見せた奴らの隙を見逃す半兵衛ではない。
襲い掛かる3体目の攻撃をかわしたその挙動の延長で2体の手負いの首を切り落とし、返す刀で目玉を両断してしまった。
転がる頭に走る赤い線から蠢く牙と口腔が餌を求めて口をパクパクさせているが、3体目の上段からの振り下ろしを避けた半兵衛は残った目玉を走りながら地を切りつける要領でとどめを刺すことに成功する。
一連の首を切り落とした流れでの目玉の処理・・・・
これは鬼凛無法流の型、斬眼十字や斬眼一文字と呼ばれるもので目玉をそのまま両断することが難しい場合への対応策として真九郎が編み出した型の一つである。
頭部にある目玉を両断するというのは、首を切り落とすよりも難度が跳ね上がってしまう。
その特徴として剣の軌道が目玉を狙うとなると、動きまわる相手の頭上を掠めてしまい大きな隙を与えてしまうことになりかねないのだ。
首元に甲羅様の装甲がないことと首をくねくね動かすタイプも多いこともこの技が生まれた経緯となる
隙を与えずより手傷を負い難い対抗策として真九郎が考案した剣技の一つである。
地に落ちた目玉を仕留める剣技 【跳ね霜】 を放った半兵衛は後方から迫る3体目の打ち込みが予想以上の鋭さだったことに動揺することもなく上体を捻り下段からの両手首を切り上げ、つま先に力を込めて後方へ飛び下がるや獣人族の持ち味でもある稀有な脚力で飛び込み正面上段から股座まで切り下ろす。
蛍光ピンクの不気味な体液を噴出し倒れる死界人から距離を取った半兵衛だが、新たに動き出した4体がじりじりと剣や槍を手に距離を詰めてくる。
「あの化け物はなんだ!!!」
「あれってもしかして・・・・あいつらなのか????」
「伝え聞いた奴らの特徴と一致するぞ・・・・・」
だが恐慌状態に陥った一部の兵士たちが死界人に向けて攻撃呪文を撃ち始めていく。
火球や氷矢、岩石弾など多種多様な呪文が後ろで様子をうかがっていた死界人に着弾する。
だが、呪文は岩に吹きかけられた紫煙のごとく霧散し愚かな兵たちは恐るべき死界人の攻撃対象に挙手しただけの行いをしたのだった。
死界人との激戦を繰り広げる半兵衛には、彼らを救う余力などあろうはずもない。
半兵衛が新たに迫るシカイビト4体の猛攻を受ける間、残った3体は自ら存在をアピールした愚かな餌に飛びついた。
振るわれた吸魔の刃は数mほどの距離しかなかったが恐怖で這いずり回る手ごろな餌を次々と捕食し育っていく。
吸魔の刃で一瞬にして体を引き裂かれた兵士たちはまだ幸運だったかもしれない。
触手に捕まれじわじわとかじられていく兵士の断末魔が戦場に響き渡る。
皆、大小便を漏らし泣き喚き逃げ惑う。
突如崩れた前線が後退する波に踏みしだかれ落命する兵士たちも続出し、完全に貴族連合軍は壊走の憂き目にあっている。
それでも半兵衛は兵士に襲いかかるシカイビトを倒すべく、必死の抵抗を続けるが残り7体を相手にするには分が悪すぎた。
繰り出される触手・・・・・人を食い力を増した固体が現れ追い詰められていく半兵衛。
貪り食うのに夢中な2体をのぞいた5体のシカイビトが半兵衛に狙いを定め始めている。
ちらりと視界の隅を掠めたのはひびの入った無機質な顔でこちらを観察する偽半兵衛の姿だ。
じりじりと猛攻に削られていく余裕と偽者に対する蓄積された怒りに火がつきそうになった瞬間だった。
不規則な軌道の横薙ぎを避けたかに思われたが、左側から迫った槍状の武器が繰り出され半兵衛のわき腹を串刺しにしようと獰猛な突きが見舞われた刹那、
白銀の光閃が槍シカイビトの目玉を刺し貫き、勢い余った槍によって頭部は弾け飛び辛うじて難を逃れた半兵衛であったが、その光閃の元凶であるナデシコはそのまま走り抜けると貪り食うシカイビトたちと兵士たちとの間に割って入る。
「あんたたちは早く逃げて!!!」
自分のの意図をよく組んでくれたものだと感心する。
さすがはナデシコ姉さんだ。
「半兵衛さん!!」
「半兵衛!!」
後ろからの掛け声に振り向く余裕はないが、声色でマルティナとヒルデも駆けつけてくれたのだと美しい援軍に感謝した。
「マルティナとヒルデは一体ずつ受け持て!!倒さなくていい、攻撃を受けないことだけを考えろ!!」
「「はい!!!」」
ヒルデはともかく、マルティナの剣の腕はあまり達者とは言えない、むしろ努力によってなんとか合格ラインにしがみついていると言ったほうが正しい。
その特徴としては攻撃が苦手、防御は並・・・というところだろう。
一対一で防御と回避に徹っしてくれれば、一体をひきつける間に味方が助勢に来る時間を稼げる。
この点は鬼凛組の基本戦術でもある。
対シカイビト戦において数の利は期待できない場面が想定されるため、余力のある隊士が駆けつけるまで引き付けられる技量というものが重視されている。
その点、ヒルデはマルティナとは正反対の性分で攻めを信条としていた。
その類稀な身体能力を駆使した連続技とタフさを活かした猛攻は、竜胆や焔でさえ一本取られることがあるほどで花梨と並び若手のホープとして期待されている。
ナデシコが2体、半兵衛が3体、マルティナとヒルデが一体ずつ・・・・なんとか勝機が見えてきたとそうデュランシルト側からも観測できたように見えた。
再び現れたシカイビトとの戦闘に逃げることも忘れて立ち尽くしていたパトリック男爵。
部下たちが必死に連れ出そうとしても勝手に逃げろの命があるのみで、ただひたすらその成り行きを見守っている。
「何故だ・・・・偽者はこちら側だったのに、どうして敵である我らを救おうとするのだ」
あの半兵衛と棒状のソルダを持つ美しい女性の動きは見事としか言いようがなく、逃げる兵士たちとの間に入り守る戦いをしている。
まるで貴族連合の後詰のごとき戦いぶり。
「私たちは・・・・君たちの街を砲撃で破壊し、仲間を殺した許されざる敵のはずだ・・・・・それなのに何故・・・・・助けるのだ」
そこにはあざとい計算も目論見もない、ただ人が人を守りたいと思う心しかなかったように思える。
それがどれほど純粋で美しい行為か・・・・パトリックは完全に打ちのめされていた。
そしてあのニーサが命を賭して守ろうとしたのは彼らのような尊い精神を持つ侍を守りたかったということも・・・・ようやく腑に落ちた。
例え殺されることになっても、例え汚名を着てでも守り通す覚悟。
口では美辞麗句を並び立て、歯の浮くような着飾る巧言を振り撒く貴族の中身のない空虚な妄言と虚飾の外面に猛烈な嫌悪感が沸き上がる。
そしてそれは自分自身に対する嫌悪、許されざる罪を犯した我が身の愚かさに対する憎悪だと気付くのにさほどの時間はかからなかった。
朦朧とするほどの自己嫌悪と罪悪感の濁流はパトリックの内側から彼を破壊しかねないほどの衝撃となって打ち付ける。
胸が抉られたように痛い・・・・だが彼らの心の痛みはこれ以上なのだということだけは・・・・・
4人の侍はよく戦った。
半兵衛は3対1の苦境の中1体を倒し、ナデシコは捕食し強化されたシカイビトを1体仕留めていた。
ヒルデは最初こそ動きが固かったが、徐々にその動きは俊敏さを増し少しずつシカイビトの体は無数の手傷で蛍光ピンクに彩られてつつある。
マルティナの奮戦には貴族連合、デュランシルト双方から悲鳴や歓声が沸き起こっている。
美女、美少女揃いの武士団においても3本の指に入ると言われるほどの輝きを誇るマルティナの戦う様は天から使わされた天使か妖精が舞っているかのような華やかさと切なさを秘めていた。
受け太刀をしない戦闘方針にも関わらずマルティナは守るためにあえて刀で弾き、受け流した。
刃こぼれを気にしている余裕などなく、今自分に出来るひきつけるための任務を全うしようと必死だった・・・・腕や足がシカイビトの刃で手傷を負い徐々に追い詰められるマルティナだがそれでも彼女は諦めていない。
自分が倒れればみんなを危険に晒してしまう!!これだけがマルティナの戦意を挫くことなく沸き上がる闘志を支えている。
食い入るようにその戦いを見つめる両軍の間で激闘を繰り広げる侍たちの戦いは、半兵衛の奮闘によって大きく動こうとしている。
3体打ち倒した半兵衛は苦戦していたマルティナに助勢すると獰猛な袈裟切りで上半身を斜めに両断すると、そのままマルティナに始末を任せヒルデの元へ駆け抜けた。
善戦していたヒルデは自らの攻撃で目玉を数合斬り付けていたが、そのせいで怒り狂ったシカイビトの予測不能な攻撃を避けるのに必死であった。
猛然と懐に飛び込んだ半兵衛は両の二の腕を下段から切り飛ばすと、反撃の触手の軌道を完全に読み切った。
その隙を逃さなかったヒルデの気合の入った掛け声と共に目玉は真横に輪切りにされ、地に落ちたシカイビトは不気味な体液を振り撒きながら石化していく。
その頃にはあの強化されたシカイビトを屠ったナデシコが偽半兵衛相手の牽制に移ろうとしており、その卓越した戦闘センスに半兵衛は脱帽するしかなかった。
「さあ、後はてめえだけだ偽者!」
「・・・・・武士団の本隊はここにはいないと理解した、なればここにいる必要はないな」
「ただで帰れると思ってんのか!」
言うが早いか斬りかかった半兵衛の一刀は、偽半兵衛の手で受け止められてしまう。
「なんだと・・!」
「ソルダ・・・・カタナと呼ぶそうだな、こんなもので傷つけられはしない」
バキン!!!
なんとその握力だけで刀を砕き折った偽半兵衛の威圧感は・・・・・背筋を凍らすほどの未知の感覚だった。
「半兵衛・・・・!」
間髪いれずに攻撃に移るナデシコは巧みな突きを繰り出すが、ふらふらとした動作ながら避けきられてしまう。
蜜柑の水芭蕉を抜きつつ、その動きの先を読み左側から切りつけた半兵衛だがまたしても左篭手で受け止められてしまった。
受けるのか!?避けずに!?
そのまま腕を払われ吹き飛ばされる半兵衛はなんとか受身を取ることには成功するが、切りつけた感覚がおかしい。
まるで手ごたえがなく布団に拳を打ち込んだような・・・・威力が吸収される様に本能的な違和感と恐怖が押し寄せる。
空魔とは言ってみたが何なんだこいつらは!?
それでもナデシコは払い突き、まるで自分の手足のような槍さばきに半兵衛でさえ呼吸を忘れる。
まてよ!?
おかしいと感じている。
半兵衛の打ち込みは受けたにも関わらずナデシコの突きや切り払いは決してうけようとせず回避に及ぶ行動・・・・
槍を恐れているのか!?
ならば確かめるしかあるまい。
覚悟を決めた半兵衛はナデシコの突きの後にできるわずかな隙をカバーすべく真っ向上段から切りつけるが右腕で払われてしまう。
やはりそうきたか・・・・気付いてくれナデシコ姉さん!
見え見えの打ち込みを数度しかける半兵衛の剣に、ナデシコは一瞬だけ攻撃の手を緩めるとその意図を察してか後方へ飛び下がると重厚な構えをとってみせる。
半兵衛の打ち込みは少しずつ鋭さを見せ始め、体を数度切りつけられても傷一つつけられない。
切りつけた時の反発を織り込んだ攻撃の連続だった。
これにはさすがに偽者も嫌がり、もはやボロボロになったローブから見える灰色の体表はあきからに人のものとは思えぬ無機質な質感を放っている。
その猛烈な攻勢の際に生じた一瞬の隙をナデシコが見逃すはずはなかった。
十文字槍が見事偽者の腹部を刺し、切り裂いた。
溢れ出したのは白い体液・・・・・苦悶の顔を見せる偽者は10m以上飛び下がると両の手で自身の頭部を掴み、バリバリと引き裂き始める。
その異様さに顔をしかめて目を伏せるマルティナとヒルデだったが・・・・・半兵衛の皮を脱ぎ捨てたその存在の異様さにすべての人々が言葉を失っていた。
ナスメルの北西に位置する城塞都市ベルメ。
過去の大戦では重要な戦略拠点として名を馳せたこの城砦都市も今では近隣で発見された希少鉱石の発掘とその加工を行う拠点として発展していた。
自然と人の出入りは鉱石加工業や二次三次加工の職人たちが住み着いた街へと変貌を遂げていく。
そんなベルメからナスメルへ向かう今ではほとんど使われない旧街道を300人ほどの集団がナスメル方面へ移動していた。
ぼろぼろに擦り切れたマントや焼け焦げた揃いのローブ。
所どころに見えるのは、ある王国の紋章のようにも見え、皆疲れた顔で馬車の荷台で丸くなっている。
その中でも一際豪華な馬車も泥や埃、呪文に撃ちかけられたような傷痕が醜く残る車内にその疲れきった老体が虚ろな瞳で座している。
かつて大貴族であったその男は今は見る影もなくやつれ衰え、覇気すら感じさせない哀れな老人の風体を晒していた。
同乗していた部下も希望の欠片もない状況にうなだれ、ぼそぼそと何かを呟いていた・・・・
この集団に希望は微塵も存在していないと断言しても良いほどの暗く冷たいオルナが周囲を満たしていた。
洗浄魔法をかける余裕さえなく、垢だらけの異臭を放ち突き従う兵たちも怯えた犬のような目で小枝や石が散らばる旧街道を黙々と進んでいた。
いわゆる敗残兵なのであろう。
既に食料は底を尽き通りがかった小川では杖を投げ出し獣のように水をたらふく飲んだ。
それでも満たされない腹は森に住む鹿や野うさぎを狙うが既に動物たちはこの集団からの殺気に気づき逃げ去った後であり、飢えた腹でも迷うレベルの渋い果実ほどしか手に入れることができず彼らの苛立ちは限界を超えていた。
そして限界を超えた怒りは諦めへと変わり、徐々に人が減りその数は森に入ったときの半数前後にまで痩せ細っていた。
「イルビィ伯・・・・もう糧食も尽きこれまでかと思われます・・・・」
唯一の高級馬車の車内でうずくまり頭を抱えいた小男にその者の配下と思われる初老の男が力なく声をかけた。
「私から、伝えよう・・・・下がれ」
「かしこまりました」
イルビィは虚ろな瞳で虚空を眺め口を開けたまま呆けている老人の姿に思わずため息を漏らしながら声をかけた。
「デイン王・・・・糧食が尽きもはやこれまでとの報告があがってます、どうします?」
王と呼ばれたのはかつてリシュメア王国の王位を簒奪した王国最大貴族のデイン公爵その人である。
レインドに並々ならぬ恨みを持ち、ヴァルヌヤースで王子を惨殺し要の儀を行おうとするも突如現れた死界人を呼び覚ます手助けをしたことが発覚することを恐れ関係者の処罰や暗殺にまで手を染めた愚か者である。
その後マルファース王子とジン王子を軟禁状態にし、王位を簒奪。
苛烈な税制で民を苦しめたことと、レインド王子の廃嫡に激怒した王都の民と各都市の反発を招きエルナバーグや旧近衛衛士たちの活躍で国を追われた元国王の哀れな姿である。
イルミス教団との繋がりも噂され、そのことも多くの怒りを買う原因ともなった。
リシュメア王に即位したマルファースは温厚で慈悲深い性格であったことから加担した貴族たちを許し、受け入れる度量を示すとあのデインとは違うさすが正当な王家の血筋を持つお方だと内外に知らしめた。
そしてデイン王によって薬漬けにされ廃人とされたあげくに殺された元国王である父の仇を討つべく、リシュメアの戦女神と名高いレシュティア姫が率いる追撃部隊を編成しデイン残党の追撃にあたった。
一度はベルパ国境にてデイン側8000とレシュティア姫率いる討伐軍4000との戦が行われたが錬度と戦女神の威容を信じる兵士たちの圧倒的士気の前にあっけなく敗北。
壊走に敗走を続けたデイン残党は混乱するドゥベルグ・アルマナ国境を抜け城砦都市ベルメをかすめるようにナスメルへと入ろうとしている。
一度に多くの兵を入れるわけにもいかないため、平服に着替えた商人を装い食料の買出しに出かけた数名がナスメルへ潜り込んだがここでデインの部下の1人が妙な情報を仕入れてきたのだ。
相談を受けたイルビィ伯は再起のための情報収集として調査を命じた。
ナスメルの領主を始め、この町を地盤とする貴族たちに中央から妙な指令が来ており、どうやら手配人がおり莫大な恩賞が約束されているのだという。
資金も枯渇しようとしていたイルビィたちにとって、手配人を拘束できれば帝国貴族にもパイプが築けるかもしれない。
イルビィの僅かに残った部下たちは必死に情報を集め、その手配人たちの身元を突き止めることに成功していた。
それらの名を聞かされたイルビィは思わず食べかけのパンを取り落とし、しばらく呆けていたが狂ったように叫びまわり絶叫した。
「なんという天の差配!これこそ運命であろう!!!さっそくデイン王にお伝えせねば!!!」
その報を受けたデインの目はしばしイルビィ力なく見つめていたが、その首領であるレインドの名を出したところ・・・・・
虚ろだった目に憎しみの炎が宿り、得体の知れない悪魔のごとき唸り声を発し始めたかと思うと突如甲高い声で叫び始めていた。
気でも触れたかと諦めかけてたイルビィにデインは大音声で命令を下す。
「レインドを討て!!!報告通りならば人数差は我らが有利だ!」
「デイン王!?」
「なんという運命のめぐり合わせだ・・・・ここであの小僧を殺せば全てうまく行くではないか!?やはり神は見てくれているのだな」
「はい!これ以上の好機がありましょうか!!すぐに部下たちに伝え奴を拘束・・・・・拘束ですか?殺害ですか?」
「拘束だ!捕えたあの小僧の皮をわしが一枚一枚丁寧に剥いでやる!待てよそれよりも奴の部下を一人ひとり目の前で殺して怒りにあの顔が歪むのを見物するのも一興だ・・・・ぐふふふふふふっふ」
気力を取り戻したのはいい、だがこの状態を喜ぶべきなのかイルビィはこの件を報告したことを後悔し始めていた。
僅かに残った行き場のない世捨て人に成りかけの残存兵力に再起への可能性を提示すると、まったくの新天地で貴族になれるチャンスが来たと誇張したのがまずかったか、死んだ魚の目をしていた兵士たちがにわかにきびきびと動き始めてしまったのだ。
もしかしたらいけるかもしれない、そう思わせた貴族という特権階級への欲望が彼らの生きる活力へと変換されている。
それからは早かった。
どうやら南に向かうための地図や情報を集めているらしいとの情報を得たデイン残党はナスメルから南に伸びる街道沿いに念入りな認識阻害陣を張って待機し待ち伏せに全てをかけることにした。
コニス村へと向かう街道は馬車の往来が盛んでナスメル側が街道整備に税を投入していることもあり石畳はないものの、路面を魔術で強化保護され見た目以上に快適な移動が為されている。
これは学術都市で開発された陣と魔術構成の実験的側面をはらんでいたが、それでも便利になることが歓迎されているためいたる所でこういった取り組みが盛んだった。
いつになったら奴らは来るのか・・・・・彼らは待った・・・・森に身を潜めやぶ蚊やヒルの格好の獲物として血を吸われていながらも耐えた。
貴族になれるかもしれないという、ありもしない望みのために。
彼らが焦るにはまた別の理由がある。
デイン残党の追撃のために、あの戦女神レシュティアの率いる追撃部隊が迫っていたのだ。
ギリギリでの勝負、レインドを拘束したら速やかにナスメル領主へ保護を求める・・・・・
これしか生き延びるチャンスはないとイルビィは覚悟をしていたが、デイン王、いやデイン元国王は違った。
レインド王子をいかに苦しませて拷問したあげくに殺すかを口にするばかり・・・・・憎しみが限界を突破してしまうと人はこうなってしまうのだろうか。
あの事件が原因だろう・・・・今思い出しても悲劇としか言いようがない。
イルミス教団と手を結び手を貸したのも発端はあの事件だろう。
死者の復活・・・・・とうとうそんなものはないと出鱈目のでまかせであったことが判明した後の荒れようは凄まじかった。
デイン公爵の屋敷で働くメイドや侍従たちを10人以上をなぶり殺しにし、すれ違った馬車が気に入らぬとその一家を焼き殺したあげくその執行をした部下まで手ぬるいと拘束したあげく拷問にかけて殺してしまっている。
鬼凛組の馬列はベルメへ向かう街道を南下しコニス村方面へと入りつつあった。
馬たちは休養をしっかり取ったこともあり蹄の音からも快調さが伝わるようで主人を乗せて走ることに喜びを感じてくれているようだ。
昼休憩の際も人馬共に気合が十分に育って来ている。
商人たちがよく利用していると思われる遺跡跡は、簡易の休息所となりえる小屋があり馬たちが繋げる柵も用意されているため隊士たちも足腰を伸ばし揉んだりと疲労回復にいそしんでいたが。
若さというのはすごいもので、馬の世話や食事が終わるとすぐさま竹刀を取り出し友人たちと実戦的な自主練をする者たちまでいる。
つい真九郎も自ら稽古に加わりあれこれと指導している様をレインドと義経は辛そうな面持ちで見つめていた。
「義経・・・・もうすぐなんだね」
「俺は未だに納得なんてしてない・・・・なんで師匠はあんなに冷静なんだ・・・・」
「多分・・・・それは侍だからなんだと思う」
「武士道・・・・か」
「師匠は言った・・・・あまり武士道という規範に縛られる必要はないと」
「お前たちだけの武士道を作り上げてくれ・・・・か」
小屋にあった椅子を引っ張り出し休憩していた二人の様子を気にしてか、夕霧がひょこひょこと近づいてきた。
「ねえお館様・・・・・辛そうな顔してます」
「あ、ごめん・・・・そんな顔見せちゃだめだよね・・・・・気をつけるよ」
「きっと師匠のことだよね?」
レインドと義経が目を合わせてどうごまかそうかとしていることなどは既に夕霧に見透かされている。
「大丈夫、何があっても師匠は私が守るんだから」
「夕霧は・・・・強いな」
「えへへへ・・・・恋する乙女は最強ってね」
だが真九郎にはシルメリアという女性が既にいることは夕霧も承知の上なのだが、そこが義経には理解しかねる部分でもある。
「夕霧・・・・一度聞いてみたかったんだが、どうしてお前や花梨は・・・・そのシルメリア姉さんがいるのにそう思えるんだ?」
「うーん・・・・紫苑にもよく言われるんだけど理屈じゃないんだよね、しょうがないじゃん大好きなんだから」
「そうか、お前が決めたことなら何も言わないさ」
「それにさ、武士道にとって最も大事なことは 『仁』 人を愛する心だって言われてるよ」
「仁・・・・そうだな、俺もナデシコや向日葵、光輝のためなら」
「うん、だから何があろうと私は師匠を絶対に守り抜くからね!」
「・・・・ああ頼りにしているよ夕霧、そろそろ出発だね、皆に伝えてくれるかな」
「はっ!了解しました」
弾けるような笑顔で走り去っていく夕霧の思いが痛いほど分かるだけに・・・・その思いを挫くことしかできない自分たちの無力さに理不尽さに・・・・耐えることしかできなかった。
着実に近づいてくる決戦の空気はより密度を増し濃密に鬼凛組にまとわりついていた。
出発後、しばらくして偵察飛行に出ていたイングリッドが先頭を行く義経と並走するように飛びながら停止するよう指示を出した。
全騎が速度を緩めながら停止すると、イングリッドの元へ義経とレインド、真九郎たちが駆け寄る。
「お館様、この先で200名近い人数による待ち伏せがございます」
「待ち伏せ!??いったい誰が?」
まさにそれであった。いったい誰が?
「私も始めて感じる認識阻害術のパターンでした、上空から私が察知できるほどなので手錬とは思えませんが200人の敵意ある集団はさすがに無視できません」
「・・・・ヴァン!全員に一式装備もしくは二式装備と耐術護符を装備させろ!それからヴァルレイをここに」
「はっ!!」
レインドの声に含まれる緊張がヴァンに伝わったのか隊列を組んだままの隊士たちに気合のこもった声で指示を出し始めていた。
「お館様・・・・何か思い当たることが?」
イングリッドの問いにレインドはかぶりを振る。
「師匠・・・・局長、ここからならイルミス教団支部跡地までは補給なしで行けると思いますか?」
「食料と水があれば問題なかろう、むしろいつその機会を切り出すか悩んでいた矢先であった」
「やはりそうですか・・・・」
その時、背中に荷物をいくつも抱えたヴァルレイがレインドの呼び出しに応じて息を切らしてやってきたところだった。
「お館様、遅れて・・・はぁはぁ申し訳ございません」
「いや何、気にしないでくれ・・・・ヴァルレイはここら辺にも詳しかったね、ここからは騎馬隊のみで目的地まで強行しようと思うが意見を聞きたい」
「そうおっしゃると思っていました」
ヴァルレイが差し出したのはトレボー商会が必要になるだろうと送って寄越した魔法のバッグの数々である。
「おい・・・・これほどの魔法のバッグ・・・・いったいどうやって!?」
ほぼ人数分の魔法のバッグは収納能力こそ大型リュックの1,5倍ほどであるがサイドポーチ形式の嵩張らないサイズであり、こういう非常時の対応としてはもっとも役立つものであると言えた。
「トレボー商会が西方大陸や北方大陸まで駆けずり回って集めた品でございます・・・・トレボー様のご好意で必要になったら惜しみなく使えとの指示を受けておりました、資産価値は言うまでもありませんがここで使わなければいつ使うのでしょう」
多くの貴族たちが敵に回り・・・・逃げるように南下してきたレインドたちにもまだ味方がいる・・・・自分たちは1人ではないと肌で感じられた瞬間だった。
ちょうど一式装備を身につけた焔と竜胆が真九郎たちの一式装備を抱えてやってきたので、装備の装着を手伝ってもらいながら話を進めていく。
「トレボー殿の心意気受け取りました・・・・必ず・・・・要の儀を果たしてみせましょう」
「さすが我が主君レインド将軍でございます・・・・こんなこともあろうかと既に魔法のバッグには水と食料、医薬品や魔法力のない者でも発動できる照明器具などを入れておきましたので今から隊士たちに配ってまいります」
「ヴァルレイ殿・・・・」
真九郎は彼の手を握り・・・・しばらくそのまま力強く握り締めたまま声をもらした。
「局長・・・・・」
「頼む」
そう一言、強い思いを込めた言の葉はヴァルレイの心に響いたのだろう・・・静かに頷きながら、
「はい・・・・わが生涯をかけてその約束果たしましょう」
「緋刈真九郎・・・・どうその恩に報いればよいか分からぬが必ず要の儀を成就してみせよう・・・・それを持ってどうかご容赦願いたい」
「かしこまりました局長」
ヴァルレイは両手で真九郎の手を握ると、いつしか嗚咽し何度も何度もその手を固く固く握り締めていた。
一式装備に身につけた隊士たちが整列している。
黒母衣衆筆頭のヴァンをはじめ、夕霧やナディア、美しく成長した花梨たちが凛々しく立ち並んでいる。
レインドの隣にいた義経が一歩前に出ると普段は半兵衛が行っていた作戦説明を受け持った。
「ここより先に正体不明の敵集団による待ち伏せが判明した!そこで鬼凛組と支援部隊は別行動に移る!」
普段なら動揺し声をあげていただろう彼らは一切、一言も発しようとしなかった。
「我らは待ち伏せを朧組の支援を受けて突破しそのまま目的地まで駆け抜ける!」
背筋になにかが走った瞬間だった。
目的地という言葉がもたらした意味・・・・それは死を伴う覚悟をしなければ辿り着いてはいけない場所。
この旅の間、皆と語り思いを育みながら心に刻み付けてきた思いが試されようとしている。
皆の目に宿る光は清らかな小川のせせらぎのごとく穏やかにその言葉を受け入れようとしている。
大したものだ、と真九郎も感心せずにはいられない。
武家の子息でさえこうはいかないだろう。
興奮し自棄になっている気配もなく・・・・
俺があのままただの藩士として過ごしていたなら、これほどの覚悟と武士道を貫く意志を持つことが出来ただろうか。
幼少から叩き込まれてきた侍の道・・・・・
だが遠い異なる世にて出会った彼らと過ごす日々は・・・・比べることなどできないが素晴らしい日々であった。
俺1人の死でどうにかなるなら・・・・だが度重なる試練の連続は恐らくこれから先にも巨大な敵が待ち構えていることだけは皆が肌で自覚している。
誰一人死なせたくない、家族同然の隊士たち・・・・・まだこれから青春を謳歌し愛を育み家族を持ち・・・・己の夢をかなえて欲しかった。
だが人の住む世が崩れてしまうほどの事態であればそうはいかない・・・・この場を逃してもいずれ待ち受ける理の崩壊は皆の未来を奪うだろう。
絶対に避けられぬ戦い・・・・むしろこれ以上命を賭けるにふさわしい戦場があるだろうか。
それは己の武士としての本能を沸き立たせ、戦で散ることが出来る我が身の運命に感謝したい気分でもある。
それでも誰一人死なせたくない、彼らが稽古で怪我をするたびに我が身の指導力不足に反省し指導内容を再検討するなどして眠れない夜を過ごすことも多かった。
誰にも言わないが日々の指導が正しいのか・・・・・ヴァンが強引な攻めをする癖をつけてしまったのは自分の指導が甘かったせいだと・・・・
イルミス戦役で散っていた隊士たちのことを考えると胸が張り裂けえぐられるような痛みを感じている、我が心の弱さを嘆く日々が増えた。
シルメリアはそんな気持ちを察してかいつも側で支えてくれた。
夜うなされることが続くたびに何も言わず優しく抱きしめてくれていた。
この中で一番弱いのは俺かもしれん・・・・
皆あれほどの覚悟を決めているのに、俺だけが迷っているかのようだ。
局長か・・・・武士道を導くか・・・大層なことを言ってはいるが一番芯がしっかりしてないのは俺じゃないか。
過去の戦で名将と言われた信玄公や謙信公・・・・家康公・・・・皆もこれほどの苦しみを背負って戦っていたのだろうか。
かの信長公であれば割り切った戦いをなされたのだろうか。
何故これほどの重荷を俺は背負うのだろう。
「局長から一言お願いします」
いつしか説明を終えた義経が物思いにふけっているであろう真九郎の声をかける。
「ありがとう義経」
「え?」
すっと前に出た真九郎。
いつになく優しい目をしている局長に隊士たちは意外そうな表情をしている。
きっと戦いの覚悟を決めろと叱咤激励されるものと思っているようだ。
「あざとく人の顔色をうかがい利に聡い連中が、まっとうに生きる人々の富や命を奪う理不尽な世が続いている、それはきっとどんな世界でも変わらない・・・・そいつらはきっと俺たちが神々の恩寵を取り戻した後でも感謝することもなくのさばり続けるのかもしれない」
一歩一歩・・・・隊士たち1人1人の顔を見つめ肩に手をおきながら真九郎は語り始めた。
「醜い貴族共の権力欲と権謀術数の過程で犠牲になる人々・・・・これも恐らく変わることはない、奴らは俺たちがどれだけ死界人から守ろうと同じことを続けるだろう。領民から不当な搾取を続け我が身の贅沢を満喫するだろう」
辛そうな顔をしているヴァンの目の前で立ち止まった真九郎は、頭をくしゃくしゃと撫でながら言葉をつなぐ。
「人の世とは兎にも角にも理不尽がまかり通るものだな・・・・だが、それでも尚、我が身の危険を厭わず俺たちに力を貸してくれる尊い魂を持つ愛しい人たちがいる」
ふとシルメリアの恥ずかしがる顔が脳裏に浮かぶ。
「世界を救うとか神々の恩寵を取り戻すとかそういったご大層な大義名分など犬にでも食わせておけ」
え?っという顔で真九郎を見つめる隊士たちのきょとんと驚いた顔はかわいかった・・・・武士道の講義をしている際に見せたあの新鮮な驚きを見せる童子のような表情を思い出す。
「ただ・・・・愛しい人々を守るため、これだけを考えておけばよい、俺もそうするつもりだ、仁・・・・武士道にとって勇と同じぐらい大切な心構えだ、人を愛しすぎれば勇が立たず、勇が激しすぎれば仁がおろそかになる・・・・これらの両立こそ武士道の本質であり、愛しい人々を守るための戦いこそ最も尊い人の行いだろう」
再びレインドの側に立った真九郎・・・・・・
「頼む・・・・生き残ってくれ」
真九郎の溢れる思いがこぼれ出た言葉だった。
そう言い残すとレインドの肩をそっと叩き真九郎は愛馬の元へと歩いていく。
作戦は決まった。
ヴァルレイたち支援部隊はこのまま撤退。ナスメルに滞在しシルヴァリオンの支援を受け事が済んだ後の回収任務を担当。
朧組の一部は支援部隊の護衛を受け持ち、イングリッドとソルヴェドは待ち伏せに対応するため最後まで行動を共にする。
待ち伏せ突破後はそのまま旧イルミス教団支部を急襲し、不命の大穴にレインドと真九郎を送り届け儀式を行う・・・・・
隊士たちは勇敢な支援部隊の人々と別れの握手を交わし、ヴァルレイはひたすらに彼らの一挙手一投足を記憶に焼き付けようとその様子を脳裏に刻み付けていく。
出発の号令がかかり、走り出した彼らは振り向くことなく・・・・・街道をコニス村方面へと駆けだした。
土煙が遠ざかっていく中・・・・ヴァルレイの部下たちはその姿に皆涙を流しいつまでも叫び続けている。
神々よ・・・・どうか彼らをお守りください・・・・・恩寵や加護が断たれた状況であると分かりつつもヴァルレイは祈らずにはいられなかった。




