5 シエードの散る時
ナスメル西門近く商業区画に位置するシズクの母親が経営する宿泊所ラグマ亭の朝は早い、日も昇らぬうちから女将手製の朝食が40人にのぼる隊士たちに用意されている。
ぼちぼちと女性たちが最後の朝風呂を楽しむために中庭の大浴場でゆったりと湯に浸かっている。
隊の中で飛びぬけた魔法術師のイングリッドが張った結界に明らかな人の気配が感じられたことから、すぐに風呂からバスタオル一枚まいて飛び出すと既に真九郎と義経が扉の両脇で侵入者に備えているところであった。
「いったいどんな感覚してるのよ・・・・・私でさえ気付いたばかりなのに」
「おいイングリッド、目のやり場に困るから着替えてきなさい」
コンコン・・・コンコンコン
ご丁寧にノックをする相手であるが、その音のリズムに気付いた義経が扉を開けるとそこにフードかぶった男女が1人ずつ。
すっと何も言わずに宿に入った2人は扉が閉められたことを確認するとさっとフードをとって真九郎と挨拶を交わす。
「急ぎますので用件は手短に話します、事情はノルディン隊長からの魔道鳩で把握していますが、もうすぐ貴族連合の指示を受けた私兵140名ほどがこちらを包囲する予定です」
「ノルディン・・・・助けられてばかりだな、それで我々の脱出ルートは手配済みということでいいのか?」
女性隊員があまりの察しの良さに呆れ気味に頷くと、男性隊員はジョフと名乗った。
「私はエルマです、どれくらいで出発準備は整いましょう?」
「恐らく後数分だろう」
「え!?まさか・・・・そんなに早く!?」
と後ろを見渡すとほぼ半数にあたる20数名が既に旅装を整えて階下に降りてきている。
義経は隊士たちの人員の確認をさせるため各部屋のチェックと忘れ物の確認に当たらせていたが、そこへ着替えを済ませた女性隊士たちが駆け下りてきたため人員確認を済ませていた竜胆により全員集合の案内が為されている。
ヴァルレイと眠そうな顔の支援部隊員の準備確認を済ませており、ジョフたちがやってきてから5分程で全員が揃ったことに信じられないといった顔をしている。
「わ、私たち・・・・どんなに急いでも一時間はかかるだろうって思ってたのに・・・・」
「手配はどうなっていましょう?」
「は、はい、西門に馬車を6台ほど用意させましたのでそれにて目的地へ」
「みんな、これからジョフたちの手を借りてナスメルを脱出、貴族連合の追撃を受ける前に騎馬を受け取りたい」
大きな声をあげることができないため皆、思い思いにうなづいていたが、一人だけ異を唱える人物が現れていた。
「あんたたち、朝食も食べずに出て行く気かい!?」
「女将さん!?あの緊急事態なのでご迷惑をおかけしてしまうから」
「いいや、後数分待っておくれ全員分の朝食を弁当にして包んでしまうからね、手が空いてるのはちゃんと手伝いな!!いいかい朝飯食わなかったら、勝てる相手にも勝てないよ!」
なんというかこういうお母さんのような強引な愛情に飢えていた隊士たちは、素直に自ら進んで女将から差し出された弁当用の包みへパンとおかずを詰めていく。
その不思議な光景を見つめていたジョフとエルマにも女将さんは弁当を差し出している。
「あんたたち、頼むよ・・・・こんないい子たちを絶対に死なせないでおくれ・・・・お願いだよ」
「は、はい!!!」
「はっ!!」
「女将さん、最後の宿にここを選んで本当に良かった・・・・・落ち着いたらシズクやレインドたちのことよろしくお願いします」
じっと真九郎の目を見つめる女将はそっと頷くと、涙ながらに真九郎の手を握った。
「女将さん、色々ありがとうございました、それでは行って来ます」
「シズクを嫁さんにもらってくれるんだろ?楽しみにしてるんだからね」
「はい、義母さん」
「まったくもう・・・・泣かせるんじゃないよ、ほらぐずぐずしてると変なのがきちまうんだろ?」
「はい・・・・ではジョフさん、案内お願いします」
「了解しました、エルマ認識阻害術ランク2でかけていくぞ」
「私も手伝うわ」
イングリッドと3人で認識阻害術をかけながら宿を後にする鬼凛組。
認識阻害術のおかげで、いつの間にか人が消えたような空気に包まれた宿のテーブルには女将さんと話をした隊士たちの手紙がそっと置かれているのを手にとった。
「若いくせに感心なことだね・・・・神様どうかあの子たちをお守りください・・・・お願いします」
鬼凛組隊士たちは夜明け前にナスメルの濡れた石畳の上を静かに駆けている。
古びた建物が多い入り組んだ路地が、今までの人生の迷いや辛い思い出の前を通り過ぎているかのような、そんな思いを抱いていた隊士たちもいたのかもしれない。
一つ一つの窓の向こうにそれぞれの人生があり、透けた窓ガラスからのぞく紐で吊るされた魔法薬の原料となる植物たち。
軒下に放置された口が欠けた壷や人々の生活の匂いが漂ってくるたびに、多くの人生があったのだ、これからの人生がある人々がいるのだという感傷がレインドの胸に飛び込んできた。
やがて見える西門の門番たちは既にシルヴァリオンの別動隊によって眠らされており、そのまま門の近くに待機していた輸送用馬車に対したちは乗り込んだ。
「ジョフさん、見事な手際だなさすがシルヴァリオンだ」
「いえ、私たちが役に立てるのはこれぐらいですから」
「いやシルヴァリオンの支援なしに武士団は成立しないさ」
「緋刈局長・・・・」
「すいません私、武士団の人ってもっとなんというか歪んでいる人が多いのかなって思ってました」
「歪んでいる?」
「いえ、その魔法が使えないことで辛い思いをした人も多いだろうって」
「たしかに入ったばかりの頃はそういう奴も多いが、鍛え抜いたおかげで今では礼儀正しいかわいい奴ばかりだよ」
「はい、なんか勝手に思い込んでいて私恥ずかしい」
一緒の馬車に乗り込んできた竜胆がその話に乗り込み告げてきた。
「私は入隊直後に緋刈局長をいんちきの腑抜け野郎って馬鹿にしてそれはもう酷かったんですよ」
『出発します!』
真九郎が手をあげたのをきっかけに馬車は一路、オリバーの牧場へ向けて走り出した。
「え、あの・・・・イルミスとの最終決戦で活躍されたあの竜胆様が!?」
「竜胆と呼び捨てにしてください、私は苛立ちを局長にぶつけるだけの愚か者でしたが、曲がった根性ごと叩きのめしてくれた局長のおかげでこうして多少まともな言葉遣いができるまでになりました」
「あの時の竜胆は本当にかわいかったのにな」
「や、やめてください局長!さすがに恥ずかしいな」
「旅の恥は掻き捨てということわざもある、人の人生は旅のようなものだ、恥は恥だが己の成長の肥やしにできる奴は大好きだよ俺は」
「・・・・・はい」
「あの・・・どうしてそんなに変われたのですか?」
「変わったのかな、いや本質は変わっていないと思います、反骨精神というか大きい力に負けたくないって思いは今でも心の奥底で溶岩のように煮えたぎっている」
「素敵です、竜胆さん!」
「え?俺が?」
「はい!だって帝都だけじゃなく、地方都市でも竜胆さんは若い女性の憧れなんですよ、レインド様はもちろんかっこよすぎますけど、後は義経副長も人気ですね」
「なんてことだ、そんなことになっていたなんで」
「いいではないか、そういうものもしたたかに利用していく強さも身につけなさい竜胆」
「はい!」
オリバーの牧場に到着した時にはもう、騎馬たちは出発準備のために丁寧にブラシをかけられ毛艶も見違えるような健康的な輝きを取り戻している。
主人と再会した馬たちは皆甘えるように顔をこするつけ喜びを顕わにしている。
「いやあまったくいい子たちだね、普段から大事にしてもらっているのが分かるよ」
真九郎の愛馬は黒鹿毛の牝馬で真九郎の肩を甘噛みして甘える癖がある。
顔全体で真九郎へ甘える姿に寂しかったのだろうと首筋や頬をたくさん撫でてやると宝石のような紺碧の瞳に喜びが滲むのがわかる。
馬具を取り付けそれぞれの隊士たちが愛馬に声をかけている様にはジョフたちも、人と馬がこれほどに心を通じ合わせている様に驚きを隠せないでいる。
「信じられない・・・・まるで家族のようだ」
「私たちって馬を道具ぐらいにしか考えてなかったわ・・・・こんなに仲良くなれる生き物だったのね」
「ああ、呪文で無理やり従わせるのが当たり前になっていた」
「各隊、準備完了次第報告急げ!!」
義経の号令に皆、次々と愛馬に騎乗していく。
ヴァルレイたちも馬車に乗り込み街道へ向けての移動体勢に入っていた。
「ジョフさん、エルマさん、一つだけお願いがあるのです」
レインドが騎乗前に深く頭を下げながら、ジョフの手を握った。
「わ、私たちで出来ることでしたら・・・・」
「ラグマ亭の女将さんが貴族連合に狙われる気配があったら、全力で守ってもらえませんか?」
自分たちの護衛や安全のことではなかった。
世話になった女将さんの安全だけが彼の気がかりだったのだろう。
この美しき侍たちの将・・・・・
「は、はい、既に別動隊が宿泊所を監視しておりますので戻り次第一時避難を提案します」
「ありがとうございます、ありがとう」
トップの舞台役者でさえこのような覇気と美貌を持つ少年を一時的にでも演じられる者はいないだろう、こう背負っているモノが違いすぎるのだ・・・・そんな彼にお願いをされるのは想像以上に照れくさいものでありもったいないと思ってしまう。
「オリバーさん、ジョフさん、エルマさん! お世話になりました、では征ってまいります! 鬼凛組出るぞ!!!」
『おおおおおおお!』
レインドが愛馬の馬腹を蹴ると一つの生き物のように動き出した騎馬隊は南に向けて走り去った、一寸の迷いもなく。
「いったい、彼らはどんな強敵と戦うのでしょう・・・・・」
「本来であれば・・・・街中の人間たちが見送らなければならないものを、こんな逃げるように隠れるようにしか送り出せないなんて!」
「私、悔しいです!!命かけでがんばっている人が、我が身を省みずがんばる人が無実の罪をでっちあげられて、なんで竜胆さんたちは一言も不満を・・・・愚痴ぐらい言ってくれたって」
「それをしないのが・・・・彼らの言う侍の精神性なのかもしれんな」
「竜胆さん・・・・無事に帰ってきてください」
鬼凛組の去った方向をいつまでも泣きながら見つめ続けるエルマの肩をそっと叩いたジョフはレインドから託された願いを果たすためナスメルへの帰還を急いだ。
ダルツェン侯爵の屋敷では暴徒と化した一部住民たちから屋敷を守るために私兵数百人が防衛に当たっていたが、その絢爛な屋敷に避難し身を寄せていたのが皇帝陛下一行であった。
いかに帝国中枢として王城エル・ヴァリスに機能が集約しすぎていたかを知らしめた一件であったが、代替施設の設置についての目処は立っていない。
屋敷の物見部屋という替わった一室に皇帝陛下や侍従やソルティたちとダルツェン侯爵家の一団が集合していた。
黒く光沢の乏しいギネル石を磨きぬいた継ぎ目をほとんど感じさせない見事な作りの床ではあるが、無機質な怖れを内包しているような重圧を放っていた。
壁もギネル石を加工したタイルが丁寧に貼り付けられ天井には僅か明かりが部屋全体を照らしているが、お互いの顔が分かる程度の薄明かりの中での集合である。
年季の入った、だが重厚な品質重視の杖を持つのはダルツェン侯爵その人である。
「皇帝陛下、わざわざご足労くださって申し訳ございません」
「事態は悪化の一途を辿っているようですね、でも侯爵のおかげでわずかではありますが援軍を送ることができました・・・・なんとお礼を言ったらよいか」
「貴族連合のやり口に不満があると理由をつけて抜けたいという書状が既に何通か私のところにも来ておりますが、やはりラグレイ伯の参加が大きかった・・・・」
「まさかあの人が・・・・」
「悔やんでも仕方ありませんな、我が手の者が先ほどの轟音の正体を突き止めましたので皆様にそれを説明するためにここにお越しいただいたのです」
「ダルツェン侯、あの轟音の正体次第では皇帝陛下を安全な場所に移っていただかなければいけないと思います」
「そうなのだが・・・・まずは見てもらったほうが早いな」
ダルツェンは腹心の部下であるダイズデルという初老の紳士に向け頷いた。
彼は低くしっかりと通る声で詠唱を開始すると、ギネル石床が淡く光を放ち始め軽い眩暈のような感覚が押し寄せたのはその後だった。
「!!!なんだあれは!!燃えているのか・・・・・!!???デュランシルトが燃えている!」
「!!」
皇帝はその光景にショックを受け、何か恐怖に怯え震えており支えるソルティに抱きつくも視線があってないかのような虚ろの表情で事態を受け止めきれずにいる。
他の者たちもショックは受けてはいるが、皇帝陛下ほどではなかったのだ。
「陛下!?陛下!!?どうなされたのですか!??」
何度も首を振りながら、頭を抱え搾り出すような呻きを漏らす。
「私は・・・・私は見誤っていた・・・あの日見た予知はこのことだったなんて・・・・・」
「「「!!!」」」
皇帝陛下が予知の才能を持つことは貴族たちには広く知られていたが、万能ではなく直近の最も深刻な事態を予知する程度のものであった。
だが帝国に危機が訪れることをいち早く察知できる皇帝陛下の存在は国防上非常に有益であったのは間違いない。
そんな皇帝陛下が予知したデュランシルトが燃える光景はあのイルミス戦役の際、アルマナガードの一部がデュランシルトを攻撃した時のビジョンであろうとの結論は既に出ていたのだ。
だが今目の前で起きているのは闇夜に浮かぶ燃え盛るデュランシルトの姿であった・・・・・各所から炎が上がり闇に佇む月藍湖の湖面に反射し炎の赤がサムライたちの血の叫びに見えなくもなかった。
「陛下が見られた予知・・・・まさか今回のような事態であるとは・・・・ダイズデル、轟音の正体について説明さしあげろ」
「はっ・・・・帝都外周壁の西方第21砲台ダナル・ダン・・・・これから拡散魔力爆撃砲弾が発射された模様でございます」
「馬鹿な!!!」
多くの人々が叫び、悲鳴をあげ、崩れ落ちる人々も多かった。
ソルティでさえ皇帝を支える役目がなければショックで気を失っていたかもしれない・・・・帝国最大の恩人を救国の英雄たちの故郷を帝国自身が砲撃してしまったのだ。
「エル・ヴァリス崩壊で砲台制御は機能していなかったはずではないのですか?」
「一部は独立稼動式の呪印石で起動できる仕組みのようだ、我らに助勢してくれる将兵や貴族たちの兵の多くはデュランシルト防衛に向かってくれているが先ほど砲台占拠のために精鋭部隊を派遣したところです」
「ダルツェン侯爵・・・・申し訳ありませんこのような時に私が取り乱してはいけないのに」
「いえ陛下の予知があったからこそ救われた民も大勢おります、武士団への詫びや補償などは後で考えるとして今はデュランシルトの民をどれだけ救えるかを考えましょう」
この時にダルツェンが味方であることがどれだけ心強いだろう・・・・・だがそんな彼らにも醜悪な悪意がにじり寄っていた。
まずは皇帝陛下の勅命で帝都内の貴族たちを全員招集し貴族連合を討ち果たせとの命を出すこと、半兵衛が偽者であったことはリンダを通じて知らされていたことから、すぐに投降した貴族には温情を持って報いるが、聞き入れない貴族は1人残らず討ち果たせとの苛烈な命が出たのである。
それを先んじてのことなのか、人の悪意はどこまで醜くおぞましく猛烈な腐臭を放つのだろう・・・・・
陛下の勅命に関して深夜でも書状や檄文を書き上げていたダルツェンの元に信じられない報が飛び込んできたのだった。
普段は冷静で取り乱すことのない・・・・あのダイズデルが悲鳴のような声をあげながらダルツェンの執務室に飛び込んできたのだ。
「ダ、ダイズデル!?」
彼に仕えて40年余り・・・・このような姿を見たことがないダルツェンもその様だけで事態がどれだけ深刻なのかを察した。
以前の権力争いで屋敷を暗殺者に包囲されたときでさえ泰然と紅茶を入れていた彼がである。
「ダルツェン様!!!お嬢様が!!!お嬢様があああああ!!!!」
「しっかりしろ、娘がどうしたのだ!!!長女のクリステルか!?」
「い、いえ!!マルレーネ様の石像を打ち壊そうとあの侍の石像ごと打ち壊そうという暴徒たちが帝都の台所へ集結しているそうです!!!」
「!!!馬車を用意せえ!!!攻撃呪文を使える者は全員我に続け!!!」
ダルツェンは愛用の杖を持ち出すと屋敷内に号令を発し、ものの数分で自ら馬車に飛び乗り帝都の台所に向かい僅かな共を引き連れたのみで出発してしまった。
深夜にもかかわらず帝都に各所では火災が発生し、家財道具を持ち出す住民たちや店の商品を強奪する暴徒たち・・・・路地裏に数人がかりで引き摺られていく若い女性・・・・
既に恐怖と欲望が支配する都と成り果てた帝都の惨状には目もくれずダルツェンは御者を叱咤し強引に帝都の台所へ急がせた。
途中横転した馬車と倒壊した家屋によって道が塞がれたため、仕方なく馬車を放棄しダルツェンは老体に鞭を討ち駆けた。
ちょうど台所の中心にはあの講堂が存在する。
霊廟と呼ばせなかったのは死んでいないと信じていたからであり、その維持費の大半も侯爵家が負担していたこともあって建造物事態は頑丈なはずだ・・・・あの結界があればきっと大丈夫だ!
そう心の中での叫びはいつの間にか声になっていた。
杖先に光源をつけながら走り抜ける初老の男性に野次馬たちも何事かと振り向いているが、その辿り着いた先で荒い息を吐きながらダルツェンが見たのは講堂を取り囲む集団とそれに抗おうとする人々の姿があった。
人混みを掻き分け講堂に転がり込んだダルツェンを人々が制止しなかった理由はただ一つ、ここの参拝者である近隣住民たちに二日に一回は娘の姿を見に来るマルレーネの父親として親しまれていたからだ。
「ダルツェン様!ご無事ですか!??」
「わ、わしはいいのだ、マルレーネは無事か!!」
「はい、今のところ問題ありませんが取り囲む暴徒たちは増える一方なんです」
そう我が子を抱きしめながら母親は訴えた。
遅れて到着したダイズデルが二人の石像を確認するが結界が壊された気配はなくほっと胸を撫で下ろしている。
「わしが説得してみよう・・・・」
「ダルツェン様危険です!アルマナガードを待ちましょう!」
近隣で商会主を営む男性も商会の従業員たちを動員しこの講堂の防衛に協力してくれているようだ・・・・・
「アルマナガードの実態は貴族の私兵だ・・・・あいつらを扇動する側なのだよ」
「な、なんてことだ」
「皆さんありがとう、このダルツェン、皆様の善意と勇気に対し必ず報いると約束しましょう、私はこれから民衆の説得にあたりたいと思う。もし失敗したときのためにいつでも逃げだせる準備をしておいてくれ」
「そんな!!十六夜さんとマルレーネさんの勇気を踏みにじるような真似は私たちはできません!」
「そうだ!!十六夜さんがいなかったら、武士団がいなければ今頃帝都の住民たちは誰一人生き残ってないんだ!!!あいつらはそんなことを忘れやがって!」
「いざよいがねぼくたちをまもってくれたんだよ、だからこんどはぼくたちがまもるんだよね?まま!」
「おおお・・・・」
ダルツェンは決して善意と正義の人ではない、家の存続のために権謀術数を勝ち抜き権力争いに明け暮れた時期もあった。
その間、多くの人間を苦しめてきたことは彼の自責の念となって堆積し、表立って武士団を支援することをためらった原因でもある。
だがこの住民たちの行動はなんなのだ・・・・決して魔法力に優れたわけでもなく何の得にもならないのに、戦う力のない民が我が娘と1人の侍を守るために正しき声をあげているのだ。
いつしかダルツェンはおいおいと年甲斐もなく泣き出していた。
「マルレーネ・・・・お前が求めた世界は神話は間違いなくこの帝都に芽生えておるぞ・・・・ならばできることをやろうではないか」
「話は変わらない、皆は逃げなさい!もしそのことで幼い子が傷つけば最も心を痛めるのはマルレーネと十六夜殿であろう」
「「「!!!」」」
「ダルツェン様!!危ないことはおやめください!」
「今知り合いの連中集めてますんで、なんとか拮抗状態に持ち込めばいずれ熱も冷めると思いますが・・・・・」
そう会話をしていた矢先にも講堂の屋根に誰かが放った呪文が着弾した振動が伝わってくる。
「くそう、万が一に備えて頑丈に作ってはあるが・・・・ダイズデル!住民たちの避難誘導は任せたぞ!!」
「お待ちくだささい!!!」
ダイズデルの制止を無視し、ダルツェンは取り囲む暴徒たちの前に単身で飛び出していた。
「変なおっさんが出てきたぞ!!!」
「なんだあいつは」
杖に拡声呪文を行使しダルツェンは暴徒たちへと呼びかけていた。
火災の炎が照らし出す夜空と赤い光が人々の心をより攻撃的にさせているのではないかそう思えるような張り詰めた空気が焦げ臭い煙とともに漂っている。
『私はダルツェン侯爵である!帝都の住民で我が名を知らぬ者はいないであろう!!こたびの騒乱とこの講堂は何の関係もない!早々に引いて欲しい』
「何いってんだくそじじい!そこにいる侍が俺たちを騙してたってのはもうばれてんだよ!」
「そうだ!」
「武士団を許すな!!!」
「おい、ダルツェンの娘がここで一緒に石になってるんじゃなかったか?」
暴徒たちの間に妙な空気が漂いはじめていた。
「だったらこいつも武士団の味方だ!!!」
「自分たちだけ良い思いしやがってこのクソ貴族ども!」
「貧乏人の気持ちも分からない奴が何言ってんだ死ね!!!」
暴徒たちのボルテージは逆に昂ぶり押さえが利かなくなりかけている、逆効果だと誰もが思った時だ。
『わたしだってなぁ!!かわいい娘をあんな男に取られて最初は殺してやろうとさえ思ったわ!!!』
「何言ってんだあいつ・・・」
「切れやがった」
『どこの馬の骨とも知れぬあんな褐色肌の図体だけでかい奴なんかに、娘を取られた父親の気持ちがお前たちに分かるかあああああああ!』
石畳に散らばる瓦礫を蹴飛ばし息を荒げながらダルツェンは吼えた。
およそ貴族とは思えぬ口上・・・・罵り・・・・愚痴・・・・
『あげくの果てに一緒に石になりおったバカ娘を持つ親の気持ちなぞ分かってたまるかぁ!!!』
「おいなんだかめんどくせえな」
「あのおっさん黙らせろよおい!」
「さっさとあの石像ぶち壊した方がいいんじゃねえか?」
「俺の娘がもしそうだったら・・・・」
「いや娘持つ父親なら多少同情しちまうな
『だから引いてくれぬか・・・・頼む』
だから何なのだと・・・・特に理由もなく説得の材料さえない、だが不思議と心に響く何かがあったことだけは事実だ。
ボルテージが上がっていた暴徒たちの空気が明らかに別の流れへシフトしつつある。
娘を持つ父親たちが俯きつつ、暴徒たちの群集から離脱していったのだ。
裏切り者と罵られながらも、娘を持つ親同士で肩を組合い静かに去って行く彼らの思いは心情はいったいどういうものであったのだろうか。
「侍は生かしちゃおけねえんだよ!!」
「そうだ侍を殺せええええええ!」
「殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!」
「殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!」
「殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!」
「殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!!殺せ!」
いつしか湧き上がったシュプレヒコールは帝都の台所を埋め尽くしていく。
『良いか帝都の臣民たちよ、今回の件、貴族連合のウォルドレッド伯が武士団を貶めようと広めた嘘だと判明したのだ!』
「おい、まじかよ!」
「あんな貴族の言うことが信用できるか!」
「そうだ!!殺せ!!」
「ふざけんな!騙されるわけあるか!」
『私のことは貴族のことは信用しなくてよい・・・・むしろ信用してくれというのは虫が良すぎる話であるな・・・・だが・・・・だが!!!侍と!!!十六夜殿だけは信じてやってくれ!!!私は彼が元に戻った際は娘の婿として迎えるつもりだ!!ふざけんな馬鹿野郎!!!せいぜい貴族の作法を学ばせる上で散々嫌味を言ってやるわあああああああああ!』
「・・・・・・」
「ここにいてもしょうがないんじゃねえか」
「なんかめんどくせえ」
「おい、誰かあの貴族ぶち殺せよ」
『散々いびって作法が甘いと常識がないと、それぐらいのことが分からんのか!!と怒鳴りつけたやるのだ・・・・・だから、だから娘と婿殿を助けてやってくれ・・・・・・お願いだ』
杖を捨て、石畳に頭を擦り付けながら土下座するダルツェンの姿はもはや貴族ではなく、1人の娘を溺愛するただの・・・・ただの父親の姿だった。
「なんかしらけた・・・・他で武士団の残党探そうぜ」
「そうだな、めんどくさ」
「おい、あの石像ぶっ壊したい奴は他にいねえのか!!」
一部の納まりの付かない連中が取り残される形になったが、集団心理の流れに逆らうほどの覚悟を持った連中はおらず少しずつ暴徒の集団は散り散りに去り始めていく。
ダルツェンを助け起こしたのは先ほどの親子であった。
「侯爵様・・・・ありがとうございます、貴族の方々も同じ人の親なのだと思えました」
そう微笑む母親の笑顔に救われた気持ちになったダルツェンは汚れを払いながら立ち上がりダイズデルの名状しがたい表情を見て苦笑した。。
苦笑した顔が少しずつ引きつり・・・・・ゆがみ始めたときにはもう彼は力なく、壊れた家具のように倒れこんでいた。
「ダルツェン様!!ダルツェン様!!!」
ダルツェンの腹部に氷矢が突き刺さり、溢れる血がダイズデルの執事服をぬらしていった。
「だ、誰か!!治癒術を!!!ダルツェン様ああああああ!」
「おじちゃん!!!」
「ダイズデル・・・・最後に、娘の・・・マル・・・レーネの下へ」
呪文を放った男は既に住民たちに取り押さえられているが、貴族への恨み罵詈雑言を並び立てており並々ならぬ恨みを晴らす対象として3大貴族のダルツェンを選んだらしいことだけは伝わっていた。
急所であった。
戦場に出ている者、医学的知識のある者たちにとっては一目瞭然の状態である。
おびただしい出血と朦朧とする意識の中、ダルツェンは皆に運ばれちょうど二人の前に降ろされた。
「マルレーネ・・・・元に戻す手立てを見つけられず・・・・・ごめんよ、ダイズデル・・・・・頼む、どうか二人を元に・・・・・」
「ダルツェン侯!!あなたはこんなところで死んではならぬ方ですぞ!!!しっかりなさいませ!!」
「報いかも、しれん・・・・・婿どのを・・・・いびる役は・・・・・お前にゆずって・・・やるダイズデル・・・・どうか、ここを守った民たちに・・・・・むくいてやってくれ・・・・・」
「ダルツェン侯!!ダルツェン侯!!!」
必死の治癒術と蘇生が試みられたが、彼が再び意識を取り戻すことはなく・・・・娘が眠るその講堂で彼は穏やかな顔で逝った。
夕刻にはデュランシルトに入れると予想していた半兵衛たちの目論見はたった一発の砲弾によって水泡に帰した。
街道近くに着弾した拡散砲弾の流れ弾によって馬車が吹き飛ばされ馬は即死・・・・
馬車の車内は頑丈な作りであったことから車輪が外れて転がり続け、なんとか外形を保っていたが・・・・・
「く・・う・・・みんな・・・無事か・・・・」
「ヒ、ヒルデ・・・・生きてるみたいだけど全身が痛い・・・・」
「レイス・・・・です・・・・くっ!!!あ、足が・・!!」
「半兵衛・・・・無事だ・・・・蜜柑!!?蜜柑!!???」
日が落ちた影響で車内は真っ暗・・・・様子がまるで分からなかった。
「蜜柑!!蜜柑返事をしろ!!レイスさん明かりを頼む!!!」
動けるヒルデがまず車外に出てからレイスを引っ張り出し、苦痛に歪む顔でレイスは光の呪文をつけてみるが・・・・・
「い、痛いわけだね・・・足が折れちゃってる」
「今、添え木をします!!」
「それより、蜜柑んちゃんと半兵衛さんを!」
レイスが痛む体で光を車内に入れると半兵衛が椅子と椅子の間で身動きが出来ない状態で挟まれており、蜜柑は・・・・・
「蜜柑ちゃん!!蜜柑ちゃん!!?いないよ!蜜柑ちゃん車内にいないよ・・・・ああああああ!!そうだリンダ先輩先輩!!!!」
全身の尋常ではない痛みに関わらず這いずるようにリンダと蜜柑を探すレイス・・・・・
光源を頼りに椅子を取り除いて半兵衛を引き摺り出したヒルデだが、蜜柑はどこを探しても見つからない・・・・
「みかあああああああああんん!!!どこだあああああああああ!!!」
半兵衛の全身にいくつも刺さった木片による負傷は決して軽くはないが、闇夜が支配する街道脇の草原で彼は探し回った。
「蜜柑どこよおおおおお!!お願い返事をしてよおお!」
「グルルルルゥ・・・」
「ひっ!?」
周囲の光源はレイスが灯した明かりと、1つの浮遊光源のみだ・・・・・そこへ現れたのは・・・・・
腐った足からは垂れ下がった皮膚がぶらさがり、白い骨がのぞいてる・・・その姿は黒に近い緑色の小柄な体躯・・・・・
「妖人種!」
あわてて刀を抜こうとするヒルデだが、車内で取り落としてしまったらしくおぞましい腕につかまれそうになるも必死に泣き叫びながらに明かりのほうへ逃げ惑う。
「いやああああああ!!助けて!!」
ヒルデの悲鳴に反応した半兵衛が一刀で首を跳ね飛ばすが、ここに不死の怪物がいるとなれば車外に飛ばされた蜜柑が危ない!!出血していれば奴らを呼び寄せてしまう。
「くそうどこだ・・・蜜柑!!
『しっかりせえ・・・・・お前は・・・・・狼人族であろう』
「バルケイム!!」
闇の中からのっそりと姿を現した羽リナは埃にまみれ前足を負傷しているようだが、無事なようだ。
『蜜柑の匂いを感じる・・・ここから北西だが・・・・・』
「蜜柑!!!」
『ヒルデ、君は私と一緒にリンダの捜索にあたろう、何もう不死者は近くにはいないようだ』
「うう・・・・怖かったよ・・・・ありがとうバル」
街道から外れた草原に広がる暗闇・・・・・デュランシルトの空が赤く燃えている様はまるで生きることを諦めろと言われているかのような絶望さえ感じてしまう。
踏みしめる草を踏む音がいつにも増して耳に突き刺さる・・・・暗がりが聴覚をより鋭敏にしていることが恐怖を一歩ごとに蓄積させるようだ。
ふと鼻についた鉄のような・・・・あの血の匂いがヒルデの脳髄を刺激する。
「!」
『ヒルデはここで待っておれ・・・・』
「わ、私も行く!!」
荒い息を吐くバルケイムがようやく搾り出すように展開した移動式お浮遊光源が点灯されると目の前にはの二階建ての家ほど高さのシエードの木が爆風で枝が何本も、花も吹き飛ばされ哀れな姿を晒していた。
そしてそのシエードの根元には、体が引き裂かれ絶命しているリンダの亡骸が横たわっていた。
「リンダさん!!そんな・・・・そんな・・・・いやあああああああああ!」
『リンダ・・・・君が自分のことよりも馬車への防御結界を最優先で展開してくれたおかげで半兵衛たちは助かったのだ・・・・君もやはりシルヴァリオンだったよ』
泣きじゃくるヒルデに対しバルはたった一言、告げるのだった。
「ヒルデ、リンダは命がけでお前たちを守ったのだ」
「!!!・・・・」
ヒルデも数々の修羅場を潜り抜けた侍である・・・・その一言が正気に戻し魂に火をつけるには十分だった。
「リンダさん・・・・」
まるで眠っているかのような安らかな笑顔・・・・恐らく即死であったろう。
ヒルデは纏っていたローブを脱ぐと、半分以下の軽さになってしまったリンダの亡骸を丁寧にローブでくるみ抱きしめた。
「ありがとうリンダさん・・・・救ってもらった命は必ず!・・・・バル、もどるよ!」
『その意気だヒルデ・・・・・』
「みかあああああああん!」
半兵衛が叫びつつも狼人族の嗅覚で怪我を気にすることもなく駆け抜けた。
「・・・・・・・・みかん・・・・・・みかん!?」
最初は地面に杭でも打ってあるのかと思った。
草むらに唐突に生えた杭になんでこんなところにと。
杭ではなく馬車の部品が棒状になって突き刺さっていた・・・・蜜柑の体を刺し貫いて。
どうしたのか覚えていない。
ただ揺れる視界と歪む思考の果てに抱きかかえた蜜柑の体はまだ温かく・・・・そのぬくもりと蜜柑の甘い体臭が幸せな日々を思いを呼び起こし・・・・・吼えた。
自身に流れる狼の血がそうさせたのかもしれない・・・・
まだ微かに息のあった蜜柑を馬車のレイスとバルケイムに治癒術をかけてもらうことしか頭になかった。
何を叫んだのかも分からない、バルケイムとレイスが重傷の体にも関わらず痛みで乱れる集中にも負けず治癒術をかけ続けてくれたが蜜柑の出血が激しすぎた。
徐々に弱くなる脈・・・・
叫ぶ半兵衛の涙が嗚咽が蜜柑の名前を連呼するが、蜜柑は呼びかけには応じない。
『下がっておれ半兵衛!』
「バルケイム!!なんとかしてくれ!!頼む!俺の命を触媒にでもなんでもしていいからお願いだ!!!」
『蜜柑を助けたかったら下がれ!!!』
今までに発したことのない気合に、言われるまま下がる半兵衛の顔はもう涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。
『ウォードメレルサーグ・メディナ・エーグ・サーガラグメイラ・・・・・・』
数分間に渡る詠唱の間に蜜柑の命が尽きるのではないか・・・・その心配でどうにかなってしまいそうだった。
痛みに耐えるレイスも・・・・既に顔面蒼白でリンダの死を受け入れる余裕すらない。
『レジェンサーグ』
静かに発動した呪文は冷たく蒼い光の玉を発生させると蜜柑の体に吸い込まれ・・・・・その体から漏れ出した光の糸は瞬く間に体表を多い尽くすと・・・・・まるで蚕のような繭になってしまう。
「バルケイムなんだこれは!!」
『はぁはぁはぁ・・・・・現状で助ける手段はない!現在蜜柑の肉体にかかる時間を凍結させた、治療の目処がついたところで解呪する以外に方法は、ごほっ!』
突如バルが血を吐きぐったりと横たわる。
「バル!?」
「バルケイム!おい!」
『少々無理が祟ったわ・・・・ここからデュランシルトまでは遠くない、二人を運んで走れるか?』
「任せろ!!ヒルデ・・・・・君はリンダさんの亡骸と蜜柑の水芭蕉を頼む」
「はい・・・半兵衛は?」
「俺は蜜柑とレイスさんを運ぶ、ここからの距離なら問題ない」
「私は置いていって!リンダ先輩みたく立派にシルヴァリオンの覚悟見せてやるんだから!」
「だめだ!」
「絶対助ける・・・・これは俺がリンダさんに勝手にした約束なんだ・・・・置いていくなんて絶対にさせない!」
半兵衛はたすきで繭になった蜜柑を背中にきつく結びとめると、レイスを両手に抱えながら走り始めた。
「半兵衛さん、あなただって怪我してるじゃない!!」
「黙ってろ舌噛むぞ!!!バルケイムはヒルデの頭にでも載せてもらえ!」
『ヒルデ・・・すまんがそうさせてくれ、落ちないように呪文で固定させるから揺れは・・・・気にしないでくれ』
「バル!もう少しでデュランシルトへ着くよがんばって!!」
砲撃後のデュランシルトの惨状は筆舌に尽くしがたかった。
多くの家屋が破壊され火災により炎上が始まっており、本部の中央広場は壊滅に近い損害を受けている。
たまたま前線に赴いていたザイン、シルフェ、ノルディンたちは無事であったが死傷者の数は予測すらできずにいた。
砲台の挙動を察知したザインによって散回と可能な限りの防御結界を張る指示が出されたおかげで生き残れた兵士たちも多かった。
だが生き残っても爆風や破片で手足が吹き飛ばされる者、直撃弾で爆散した集団も・・・・・・
辛うじて難を逃れた前線での迎撃部隊は爆風が去った後もしばらく立ち尽くすしかなかった。
「ダーリン!!ねえダーリン!!!どうしたの!!ねえ・・・・重いよ・・・大きいからだしてるんだから・・・・ねえ」
ネリスに覆いかぶさるように衝撃から守ったジョグは・・・・
「ダーリン!!」
「アル・・ビス・・・・・たのんだよ・・・はにー」
「え?」
ジョグの背中は大きく抉れ・・・・そして一部が炭化している状態であった。
それでも彼は己の体を盾にして襲い掛かる爆風の嵐の中、防御結界をネリスに掛けつづけた・・・・・
「いや、いやいやいやいやいやああああああああああああ!!!!!!!」
いたる所で悲鳴や慟哭の叫びが広がっていた。
煙と炎・・・・散らばる家屋の残骸と人々の血肉・・・・・
一週間前までは穏やかな安住の地であったデュランシルトが蹂躙され踏みにじられていく・・・・
それはまるで美しく咲き誇る花畑に臓物をぶちまけられたかのような汚されかただった。
死傷者は3割を軽く越えるだろう・・・・あの妖人種との戦いを勝ち抜いた誇るべき帝国軍の勇士たちがここにその命を散らした。
醜き貴族たちの強欲の贄となり・・・・
辛うじて無事な人々も大小様々な傷を負いながらも生存者を探すために互いに助け合いながら・・・・この地獄から抜け出そうとしている。
そして保存食の持ち出しのために鬼凛の庄の厨房へと戻っていたシズクたちとその護衛についていたマルティナとナデシコたちが食料庫から保存食を運び出している最中の出来事である。
大地を揺るがす衝撃と耳を劈くほどの轟音・・・猛烈な爆風と吹き飛ぶ瓦礫、そして飛散る火炎。
一瞬にして鬼凛組本拠となる屋敷は半分が壊滅し吹き飛ばされていた。
そしてその散弾が着弾したのが食料庫の真横であった。
耳がキーンとしていてよく音が聞えない・・・・一緒に来てくれたラヴィ班の少女二人がシズクを助け起こしながら必死に叫んでいるが・・・・
どうやら二人は無事のようだ良かった・・・・・
そうだナデシコさんとマルティナさんは!?
視界の下方でマルティナさんらしき美少女がナデシコさんに肩を貸しているからおそらく大丈夫なのだろう・・・・よかった。
でも私はどうなってしまったのだろう。
うまく体が動かないような・・・・・力が入らない。
「・・・ちゃん!!し・・・ちゃん!!!シズクちゃん!!!」
ナデシコさんが必死に私の頬を軽く叩きながら私に声をかけている。
あれ・・・・なんだか目もおかしくなっているのかな・・・・・目の前に青いオルナの光が見える・・・・水の中のよう。
綺麗だな・・・・・
「シズクちゃん!!!」
「・・・・」
虚ろに目を開けたまま意識が朦朧としているシズクの瞳には・・・・周囲から立ち上る煙と炎・・・・それと猛烈な土埃が巻き上がっている。
だが人事のように見つめるシズクの意識は戻らず・・・・ただ目の前に漂う美しい青い光に見とれていた。
『ぷお~!』
「・・・・」
『ぷおぷお~ぷお~!!』
「・・・!?」
あの声は・・・知っているあの声は・・・・
「シズクちゃん!しっかりして!!」
「ナ・・・ナデシコさん・・・・・」
「よかった!!無事でよかった・・・!!」
ラヴィ班の少女たちもほっとしたのかシズクに抱きつき堰を切ったように泣き出した。
「!!あ、すごい爆発が・・・・え!?」
意識を取り戻したシズクが目撃したのは・・・・人智を超えた出来事であった。
食料庫や多くの思い出の詰まった食堂が跡形もなく吹き飛ばされ・・・・シズクたちのいた場所だけが青い光で守られ無傷で残っている。
「・・・・・!」
『ぷお~?』
「ピスケルちゃん!!!」
『ぷお~ぷおぷお~』
「え・・・御使い様・・・・?イゾルデ様???」
『ぷおぷお~ぷぷぷ~ぷお!』
「御使い様から最後の力を借り受けて・・・・守ってくれ・・・・・たの?」
『ぷお~』
ピスケルはシズクに頬ずりをして甘えるように抱きついた。
「え、えっとシズクちゃん色々大変なことが起こってるいるけどその・・・・ピスケルとお話できたのね?」
ナデシコがどこか頭でも打ったのではないかと心配しているようだが、それは違うと自分でもはっきり分かった。
「大丈夫です、なんか分かっちゃうんです・・・・」
『ぷおぷぷお~』
「え?私が・・・・水の・・・・え?」
「シズクさん?」
マルティナが落ちていた保存食を回収しまとめながらどうしたのだろうと声をかけてくる。
「あの・・・・ピスケルちゃんが言うには水の民の血を引く私の魔力をもらって顕現することができたそうです」
もしかしたらその際に一過性の魔法力欠乏症に陥ったのかもしれない。
「すごいんだねシズクちゃん・・・・・」
「いえ・・・・そうだ!!こうしてる場合じゃないよ、早くみんなの救援に向かわないと!」
「そうね・・・・でも何が起きたのかしら・・・・」
「ナデシコさん、恐らくあれです」
マルティナが憎悪に満ちた目で見つめていたのは・・・・・屋敷が吹き飛ばされ遮蔽物のなくなった先で魔方陣の残滓を宙に残す帝都の砲台である。
「わ、私たちを撃ったっていうの・・・・そんな・・・・ひどすぎる!」
「やっぱり私たちは・・・・いらない存在なの?」
「そんなことない!絶対そんなこと言わせない!」
立ち上がるシズクはピスケルと視線を交わすと同時に頷いた。
「ピスケルちゃん、力を貸してちょうだい、今はこれしかないけど・・・・」
シズクがそっと差し出したのはピスケルの大好物の親子丼である。
『ぷお~!!!はぐはぐはぐはぐ!!もぐもぐごっくん!ぷお~』
「食うの早い!」
『ぷお!ぷおぷぷんぷお!』
「任せて・・・・ぼくも、・・・・・ぼくも・・・・」
声を詰まらせるシズクは口にご飯粒をつけたままのピスケルに抱きついた。
「ぼくも武士団の一員だって」
「ピスケルあんた・・・・」
「ピスケル様・・・・」
『ぷおーーーー!!』
一瞬で凝縮した青い光は瞬時に弾け飛び、その勢いで周囲の土埃を跳ね飛ばすとその青い光の帯は放物線を描きながら湖の方角に消えていった。
闇夜を切り裂くような青い光の帯に勇気をもらったナデシコたちはピスケルに先導されるように屋敷跡から駆け出していった。
この時点でザインは撤退を決断し、ノルディンたちも賛同してくれたのだが、
「俺は最後まで残って撤退を支援する」
「それは俺の役目だ、お前はまだ若いんだ明日の帝国のためにその命を無駄にするな」
「俺には守る理由があるんだ、大地母神神殿だけには手を出させるわけにはいかない」
ノルディンはシルフェが生半可な覚悟で志願しているとは思えなかった。
恐らくそれは人としてのもっとも・・・・・純粋な思い。
「シルヴァリオン隊長として許可しよう、だがザインは撤退を指揮してくれなければ困る」
「おい!」
「ダズの脱出路も既に3km近くに達しているはずだ、ザイン、君が避難民を導いてくれ」
「シルヴァリオンこそ帝国にとって重要だろ!」
「ははは、反目していたアルグゲリオス師団の元隊長とは思えない発言だな」
「ザイン、お前は緋刈に頼まれたんだろ?最後まで住民たちの避難のために全力を尽くせ・・・・俺は最後まで神殿を守る」
「シルフェ・・・・」
それは叶わぬ恋心じゃないか・・・・・・・
とは誰も口にできなかった。
シルフェ自身がもっとも分かっていたことだろう。
最初から自分があの人の心に入り込む余地など微塵もなく・・・・あの人の思い人はどう抗っても敵わぬ侍。
嫉妬したこともあった、だが嫉妬してもどう考えても自分が太刀打ちできる要素がないことは分かりきっている。
でも捨てきれない思いをどうにかできるほど器用な性格でもない。
強引に偵察へ出てしまったシルフェを引き止める術はなく、ザインは生存者の収容と救出に全力を尽くすことにした。
貴族連合軍は砲撃の余波を恐れて近寄ろうとしないことだけが唯一の救いである。
救助を皆に任せての偵察任務は後ろ髪を引かれる思いだが、今動ける俺たちがやらなければならない・・・・
月影は全員が前線にいたため直撃を免れたが、そのまま湖方面から抜け出し偵察に出ようと思った矢先だった。
ふと視線を移した正門の先に見慣れた人影を見つけたのだ。
「おい・・・あれはリンダじゃないか?」
「え?あいつ戻ったのか!?どこだ??」
「あそこだ、正門付近の防壁の外・・・・・なんであいつ指差してるんだ?・・・・・左手が真上にあがって・・・救助要請のサインか」
「おいシルフェ・・・・」
「ジョシュ!すぐに馬車を一台用立てろ!!!中央広場に無事な一台があったはずだ!」
「あ、ああ!」
商会用の空の荷馬車に繋がれていた馬は恐慌状態から脱しかけていたので、すぐ安静化の呪文で落ち着かせ宥めてからジョシュと治癒術が得意なバライを乗せる。
ジョシュが馬車を正門付近に走らせるがちょうど馬車一台が通れる範囲の瓦礫が吹き飛ばされている。
「ジョシュ!このまま正門から出るぞ!」
シルフェの操る風の呪文のおかげで道を得られた馬車はそのままシルフェを回収すると正門を駆け抜ける。
「おいシルフェ・・・・いったい何が」
「リンダが救助要請のサインを出していた!方角は東・・・・やや南よりだと思う、あいつちゃんと待っていればいいのに!」
「隊長・・・・リンダさんがいたんですか?」
「お前らだって見ただろう!あいつが正門前で指を差しながら救助サインをあげていた!シルヴァリオンは仲間を見捨てないんだ当たり前だろ!」
「わ、分かった俺はお前に従おう」
「了解しました隊長!」
馬車で走ること10数分・・・・
「おいリンダがどんなに足が速くても絶対に追い抜いていると思うが・・・・ジョシュ探知呪文はどうだ?」
「おいシルフェ!!・・・・レイスだ・・・レイスの反応があるぞ!このまま直進だ!」
「レイス!?爆風でやられていないかが心配だ・・・・畜生!ここらにも着弾してるじゃないか!」
ほどなくレイスの掲げていた杖の光が目印になり、半兵衛に担がれているレイスと少女を発見することになる。
「シルヴァリオンのシルフェだ!!!無事か!!」
「た、隊長・・・・」
「レイス!!半兵衛!???お、お前は・・・・」
「俺は本物だ・・・・・早く!早く蜜柑を助けてくれ!」
背中に背負われた繭のようなものが蜜柑だと知ったシルフェたちは驚愕したが、すぐに馬車へ運び込みシルフェは周囲を見渡し何かを探している。
「おい、お前たちはリンダと一緒じゃなかったのか!?」
「リンダさんは・・・・」
レイスが嗚咽をもらしながらバライの治癒術を受けていたが・・・・
「リンダの奴、デュランシルトまで来て救助サインまで出してるのに俺たちを置いて先に向かったみたいなんだ」
「・・・・」
「シルフェさん・・・・・リンダさんは・・・・そこに」
「おい・・・・・なんだこれは・・・・」
ぽろぽろと涙を流すヒルデが抱きしめていた血が滲んだローブでくるまれた・・・・・それは。
「リンダさんです・・・・私たちを守るために防御呪文を・・・・!!」
「おいレイス・・・・報告を・・・・」
「ヒルデさんの言う通りです・・・・リンダ先輩は御者役をしてくれていました、でもあの衝撃から馬車の車体を守るためにわたしたちぉ・・・・ごめんなさい先輩・・・・」
「・・・・ジョシュ、出発だ!いそげ!」
「は、はい!」
移動中も傷だらけの3人に対しての治癒術が行われていた。
レイスの足は重傷だったが、半兵衛が受けていた傷の多さとその体で二人を背負って走ってきたこの男の体力には驚くしかない。
「なんで・・・・・リンダ・・・・・さっきいたのに・・・・亡霊になってまで救おうとしたのか・・・・・」
ジョシュは手綱を握りながら体を震わせ耐えている。
「シルフェさん、リンダさんのこと・・・・・すまない・・・・・デュランシルトの状況を教えて欲しい」
「そう・・・・だな、あいつがいたら怒鳴られているところだな・・・・悪いが半兵衛、お前が本物かどうか戻り次第詮議する」
「ああ、好きにしてくれ俺でもそうすると思う・・・・壊滅的被害なんだな」
「ああ・・・・ザインは撤退の準備に移っている、俺だって本物だって思うさそこまでの怪我して動けるのは鬼凛組ぐらいなもんだ」
「戻ったら蜜柑を大地母神神殿にまず運びたい・・・・」
「手配しよう・・・到着したらバライ!お前は負傷者の治療にあたれ!ジョシュは偵察任務に付き合ってもらうぞ!」
「了解だ隊長!!!」
馬車で飛び出したシルフェたちが再び戻ると共に半兵衛が繭を担いで神殿への階段を駆け上るのを見て、本来であれば偽者の疑いがある彼の正体を突き止めるのが先決であったがその必死な表情とそれどころではない惨状であったのだ。
神殿前に溢れる負傷者に胸を痛めながら、内部に入ると治療中ソラがの返り血で神官服を真っ赤に染めながらその繭の存在に目を丸くしていた。
「半兵衛さん!??ほ、本物なんですか!?」
「俺のことはどうだっていいんだ!!!繭の中に蜜柑がいる・・・・救うためにこうするしかなかったんだ!頼む助けてくれええええ!」
その悲痛な叫び、泣き出しそうな瞳と垂れ下がった耳・・・・それだけで彼が本物であると断定するのは容易だった。
「いったいどうしてこんなことに・・・・」
『私が説明しよう、この娘の体内時間を極々遅々たる時の歩みに変える古代呪文を行使した』
「な、なんで羽リナがしゃべってるの!?」
やれやれここからかとかいつまんで話すバルケイムの話を無理やり脳内に叩き込んだソラは半兵衛と神官に空いたばかりの治癒魔方陣が施設されたベッドに繭を乗せるよう指示をした。
「とりあえずここで治癒効果を高めます、それにしても時間遅延術なんて聞いたことがありません・・・・・」
『半兵衛よ・・・・蜜柑はわたしが必ず救おう・・・・お前はここで惚れた女が苦しむ様を見ていることしかできぬ男か?私の生涯のライバルの息子はそれほどの腰抜けか?』
「・・・・蜜柑、水芭蕉・・・・借りていくぞ。バルケイム、後はまかせる」
『心得た』
半兵衛にも即座に治癒術が行使されていくが、彼は震えていた。だがそれは恐怖によるものではなく怒りに似た何かであることだけはソラにも伝わっていた。
ジョグに続き、リンダの壮絶な死を知らされたノルディンは苦悶の表情を何とか表に出さないように耐えていたが、彼らと共に築き上げてきた思い、ジョグとネリスの馬鹿夫婦ぶりはシルヴァリオンでもからかいのネタでありあんな嫁さんもらいたいと皆に言わせるジョグは幸せ者の代表でもあった・・・・
「ここまでの犠牲を出しながら撤退するしかないのか!貴族どもめ!!」
前線からも一部を除き負傷者の救助と撤退準備に移行しており、燃え盛る火災の消化作業にまで人が回らない状態である。
未だ煙と土埃が舞う淀んだ空気のデュランシルトに前触れもなく雨が降り注ぎ始めていた。
夜の帳をキャンバスにし残酷にも彩っていた傷痕のような赤い炎へ、月藍湖から放物線を描くように降り注ぐ青い光がやさしい雨となりデュランシルトへ降り注ぎ始めている。
やがてその雨は局所的に強まり、燃え盛る悪意の残り火を清めるかのごとく消化していった。
その神秘の現象に目を奪われる生存者や負傷兵はその奇跡の技が誰が起こしたかを知ることになる。
悠然と歩を進めるピスケルに従うのはシズクとマルティナ、ナデシコの3人。
ただでさえかわいらしいピスケルが気合を入れて鼻息荒く歩く姿はこの地獄のような戦場と懸け離れた滑稽さと柔からかさをあたりに振り撒き、混乱と恐怖で打ちのめされかけていた人々の心に再び立ち上がる気力を与えてくれたのだった。
そんなピスケルたちの前に姿を現したのは腰に二本の刀を差した半兵衛であった。
「半兵衛!!本物なの!?偽者!?」
『ぷおお!』
「本物だから大丈夫だって」
「半兵衛!!無事でよかった!」
「半兵衛さん、きっと戻ると信じてました!」
「ナデシコ姉さん・・・・奴らはきっと朝には攻撃を仕掛けてくるだろう、そこで俺が単身乗り込み偽者とけりをつける!」
「私も行くわよ!」
「私もです!」
『ぷおぷぷお!ぷぷんーー!』
「え!??そんなことって・・・・」
「シズクちゃんどうしたの!?」
何故かピスケルの言葉が理解できるようになったシズクが青い顔で震えていた。
「シズク様!?」
ナデシコに支えられながらピスケルに抱きつくシズクだが、それでもピスケルは言葉を紡いだ。
『ぷぷぷー!ぷおぷおぷぷぷんぷぷー!』
「あ、あの偽者は・・・・人間じゃないと・・・・・魔族でもない何か別の存在があの軍隊を操っているって・・・・」
「な、何それ・・・・人間じゃないって・・・・」
「姉さんは万が一の備えで残ってくれ、ここは俺がその姿を晒して乗り込むことでしか敵の進軍は止められない」
「分かった、投げやりではなくちゃんと考えた上での発言なのね?」
「はい、偽者をおびき出し奴らの大義名分を奪い、撤退条件を成立させてみせます・・・・今は徹底だ、今だけは撤退で許してやる!いずれ必ずこの落とし前はつけてさせてやる!!」