16 たゆたう笹船
予てより手配していた浴室の工事がようやく完了したと連絡が入った。
真九郎が大まかに図面を作り、ジングの知り合いに石細工関連の職人を紹介してもらい完成にこぎつけたのだ。
4畳ほどの湯船と広々とした洗い場。
石材は近隣で採れる大理石に似た灰色の石を石材加工の呪文が得意な職人が仕上げた。
排水も呪道具を利用し要望どおり設置されている。
かなり昔はこのような湯浴みの施設があったそうだが、最近では洗浄魔法によりすっかり廃れてしまったそうだ。
井戸から水をせっせと運んでいた4人は体力作りを兼ねてやっていたが、さすがに疲れて休憩していたところ、風呂祝いを持ってやってきたシルメリアが水呪文を非常識な出力で放出したため湯船はあっという間に水が満たされる。
「ね、姉さん、ありがとう・・・・」
「いいのよ気にしないで」
「お姉さま!、これからお湯を沸かすのに、ここへ焚き木を入れて燃やしてお湯を沸かすんだって」
「聞いていたより面倒そうね、お湯にしちゃえばいいんでしょ?初日だし私がしてあげる」
「え?」
シルメリアは水が満たされた湯船に次々と火球を打ち込んでいく。
そのあまりにも強引な手法に鬼凛組はドン引きしている。
「これぐらいかしら?」
「お姉さま・・・・・・煮立ってます・・・・」
ボコボコ・・・・グツグツ・・・・
「・・・・加減が難しいわね・・・・じゃ氷ぶち込んで冷やしましょう」
すぐにコブシ大の氷が空中に10個ほど現れるとちゃぷんと煮えたぎるお湯に落ちていった。
しばらくその作業を繰り返し、手ごろの温度になった頃、真九郎がニーサとレシュティア、レインドを連れてやってきた。
「姫様?」
「シルメリア、私もお邪魔させてもらうことにしたわ。ねえ、真九郎おふーろって何なの??」
「そうだな、じゃあまず女性から先に入ってもらおうか、着替え場もあるからそこで服を脱いでみんなで入っておいで」
「え、服脱ぐの???」
ナデシコの問いに皆が視線を真九郎にぶつける。
「俺とレインドとヨシツネは風呂上りに良さそうな飲み物を買ってくるから、ゆっくり入りなさい」
姫様付きのメイドが外で見張っておくと念を押すと女性たちは恥ずかしそうに風呂場に入っていった。
「風呂上りには冷たい飲み物があうのだ、ヨシツネ、何かおすすめはあるか?」
「そうだなぁ 大人ならお酒になるんだろうけど、蜂蜜をなんかの果物で割ったおいしいのがあるって聞いたことあるな」
「よし、それがいいだろう、レインドはどうだ?」
「ぼく詳しくないからヨシツネについてく」
頭にマユを載せながら歩く侍はこんな穏やかな日々が来ることを心から感謝していた。
さて、女性陣といえば・・・・
「ねえ・・・ほんとに服全部脱ぐの?」
ナデシコとサクラがもじもじしながら照れている。
「お湯に入るのであれば服を脱ぐのは当たり前なのでしょう、冷めてしまってもあれですから入りましょう」
そう答えたニーサはさっさとローブや下着を予め用意されていた籠へ放りこみ、恥ずかしがることもなく風呂場に入ってしまった。
「「「さ、さすが出来る女!」」」
「ニーサの言うとおりであるな、ここは女だけなのだから恥ずかしがらずに入ろう」
これまた強引に脱いだものをとっちらかしたお姫様もお風呂場に突入する。
残されたみんなは眼を合わせるとそれぞれがえいっと服を脱ぎ、思い切って風呂場に飛び込んだ。
そこには既にお湯につかって緩んだ顔をしたニーサと姫の顔があった。
「ううううううーーーーーーーーーーーああああああーーーーーーーーーー」
お湯につかって声をあげる2人に戸惑うが、気持ち良さそうな姿を見て、全員で頷くと一気に肩までお湯につかるのだった。
後々、体を洗ってから入るように指導されることになるが初日だし細々したことはいいだろうという真九郎の配慮でマナーが棚上げになった状態、であった。
「「「「うううううううううううううううう、ああああああああああ」」」」」
「なんという気持ちよさでしょう・・・・・真九郎様が風呂風呂言っていたのがやっと分かりました」
「これは素晴らしい・・・・専用の呪文を生み出すことができたら、湯船だけでお風呂を楽しめるようになるわね、後でジン兄様に作らせましょう」
「ね、サクラ、私たち、生きててよかったね・・・・」
「うん・・・・ナデシコ・・・・・」
「それにしても・・・・姫様ってすごくお胸が大きいのですね」
「そんなことないわよ、胸なんてあっても邪魔なだけ」
「えーーうらやましい」
サクラはのぼせ気味なのか洗い場でナデシコと一緒に体を洗い始めた。
「む・・・むね・・・・」
自身の胸に手をあて、レシュティア姫のとを比べ愕然としている。
こうして一部をのぞいてお風呂を満喫した女性たちはほかほかになって風呂場から出てきた。
そこにちょうど飲み物を買って帰ってきたヨシツネたちが女性たちによく冷えた果実水と蜂蜜のジュースを手渡した。
「ぷっはあああああああああ!!これはうまい!!!」
「たまりませんこれは!」
かなり好評なようだ。
「じゃ俺たちも入るとするか」
こうして真九郎宅に念願のお風呂が設置されたのだった。
しばらくは姫やシルメリアが毎日のようにお風呂通いを続けることになった。
今日も姫とシルメリアがちょうどお風呂で鉢合わせになった。
「姫さま、失礼してもよいでしょうか」
「真九郎の家のお風呂よ、構うことはないわよ」
「それもそうですね」
すっかりお風呂を我が物にした女性陣。
「ふーーーこのお風呂につかるために生きている気がするわー」
2人で湯船につかりながら懐かしい空気を思い出していた。
「ええ」
「そうだ一回聞いてみたかったんだけど、シルメリア、あなたと真九郎が戦ったらどっちが勝つ?」
「難しい質問ですね、しがらみも無く縛りも無く一切の容赦が必要のない本気の殺し合いでしたら・・・」
「殺し合い・・・・」
「確実に真九郎様が勝ちます」
「薄闇の月光でも勝てないっていうの?」
「はい、その条件でしたら私に勝ち目は一切ありません」
「そ、そう・・・・もし模擬戦だったら??」
「7割で私の勝ち・・・6割ぐらいで勝てると思います」
「本当に底が分からない男ね、粗暴に見えて礼儀正しく、名誉を重んじる割には隠れスケベだし」
「ほんとに、うふふふ」
「真九郎ともっと一緒に過ごしたいって思っちゃったの・・・・・・これっておかしいかしら?」
「・・・・いえ、おかしくないです・・・・私だって・・・」
「やっぱりあなたもなのね、なんかねこう、胸のあたりがあったかくふわーってなってそれから、苦しくなるの」
「・・・・・・・・・そう・・ですか」
「あなたがうらやましいわ、シルメリア」
「え??」
「だってあの人、真九郎はあなたといる時が一番楽しそう。それに血をくれたのに態度がまったく変わらないんでしょ?」
「はい・・・変わりません。全然、まったく・・・・血を吸われるのも悪くないって言ったんですよ!!」
「ほんとに、大きい人だわ・・・・」
「はい・・・・・」
勝負よ、とは2人とも口にしなかった。
ずっとこんな日が続くと思えたらどれだけ幸せだったでしょう・・・・
真九郎は物思いにふけるとき、城壁の塔の上で過ごすことが多くなった。
この地に来てからのこと、これからのこと。
少々流されるままに過ごしすぎた感がある。
たしかに世話になった人がたくさんいる、皆心優しく誠実な人々だ。
その人たちを助けることができたのは何よりもうれしかった。
王族を助けたのだ、ヒノモトであれば皇族か将軍家の血縁者を助けたに等しい働きであろう。
だが、死界人なるモノを倒すための切り札として扱われていることは、少々思うところはある。
協力したくない訳ではなかった。
1人で出来ることは限られている、だからこそ可能性のある鬼凛組の育成に力を注いでいる。
ナデシコ。サクラ、ヨシツネ、皆かわいい。実の妹や弟たちのように思ってさえいた。
だがいいのだろうか、自分は侍だ。
武士道を生きるモノだ。
この地に来てから、ある意味では武士道を強く意識した生き方をしてきた。
弱きを助け士道に誇れるような生き方を逆に強く自分に課してきたと思う。
・・・・だが忠義、この一点において自分は侍とは言いがたい生き方をしている。
本当の侍なら・・・・忠義を重んじるならば、一日でも早く巴波に帰還するべく最善を尽くすべきではなかろうか。
でも・・・鎖国のわが国では戻ることさえ許されない身。
それを言い訳にしていないか?
強く自問自答する。
鎖国を言い訳にして、この輝くような日々を過ごす時間を無理やり作っていないのか?
ならば自分は侍失格なのではないか。
忠節を尽くせぬ侍など・・・
いつもここで浮かぶのは二人の顔だ。
レインド・・・・・王族でありながらあの若さで過酷な運命を受け入れ、慕ってくる王子。
鬼凛組と同じく弟のように思っている。
この王子にせめて運命を切り開く力を身につけさせてやりたい・・・・
シルメリア・・・・・・・
君のことを考えると心が波立ってしまう。
数奇な血の宿命を持つ才媛。
もし巴波に帰ることができるとしたら、俺はあの人と離れることができるのだろうか。
忠義と・・・・・君への思い、まこと川面に漂う笹船のようだな・・・・
何を青臭いことを言っているのだ、今はこの日々を大切に生きよう。
鬼凛組とレインドの稽古は、それぞれが長所と短所を明確にしつつある段階まで来ていた。
レインドは基本に忠実で真九郎の教えた剣術を着実に引き継いでいる。
ナデシコに関しては、攻めが苦手なのがよく分かってきた。
打たれないようにかわし、さばき、いなす、そんな戦い方が得意で攻めになると躊躇していまう、そういう癖が出てきていた。
逆にサクラはその身体能力を活かして果敢に攻めるが体がまだ出来ていないこともあり、持久力に欠ける。
ヨシツネは体格がしっかりしつつあり、攻めに特化するかと思われた。
しかし意外にも相手の隙を付くこと、体勢を崩し自分の得意な展開に持って行く能力に長けていた。
こうまで個性が分かれるとは逆におもしろいなと素直に思った。
ナデシコ・・・・彼女は薙刀か槍のほうが適正が高いかもしれんな。
サクラ・・・得物は刀ではなく短刀か短刀の2本持ち、この方が彼女の敏捷性と戦闘センスを活かせるだろう。
ヨシツネ・・・・こいつは実戦を積ませれば積ませるほど伸びるとみた。
レインドに関しては真九郎の剣術を正当に引き継いだ戦いになるだろう。
そして最後に、自分自身だ。
兵士やシルメリアに手伝ってもらい、対魔法戦闘におけるコツや戦術を少しでも構築しようと魔法ありの模擬戦も試みていた。
魔法における最大の弱点、それは詠唱だ。
詠唱に入る挙動と詠唱の妨害、これを気をつければ対魔法戦闘で圧倒的優位に立てる。
さらには発動に関わる念を練るためには発動地点を強くイメージしなければならず、視線の先が読みやすいことも分かった。本能的に闇風との戦いの折に感じた奴らの視線の先がまずいと反応したことを考えるとよく気がついたものだと改めて思う。
真九郎にとって最大の敵はシルメリアの無音声詠唱と移動発動だった。
そのため彼女の発動する呪文は、発動挙動を読むのが困難でほぼ全てが無音声詠唱。
こいつは反則だと改めて思う。他の魔法術師とはあきらかに別物。
そんな彼女に有効に働いたのは、懐に飛び込む挙動を匂わせる動き、すなわちフェイントだった。
その瞬間から数秒は無音声といえど詠唱はできず、大きな隙を作ってしまう。
そんなフェイントを織り交ぜながら、5本中2本取れればいいところというのが今の真九郎だった。
「まいりました、明日こそ勝ち越したいなぁ」
「真九郎様との模擬戦はすごく勉強になります、私も前よりずっと強くなった気がします」
「うむ、もしや無音声詠唱とやらの速度がまた上がっていないか?」
「若干早くこなせるようになった呪文がいくつか増えました」
「やはりそうであったか、むう益々追いつけなくなるなぁ」
「真九郎様こそまるで心を読まれているかのような動きに、ついていくのがやっとです」
たまにレシュティアも模擬戦を見学したり参加させてもらっていた。
レシュティア自身もこの界隈では敵う者がいないと言われるほどの魔法力と実力を持っているが、このシルメリアだけは別格だった。
何度か戦闘講習を受けているものの、手も足も出ない。
魔法を使う身で太刀打ちできないのに、魔法なしで渡りあうこの男・・・・・
他の兵士たちにはない、あの引き締まった筋肉についうっとりとしてしまう自分がいる。
楽しそうに会話を続ける二人を、うらやましそうに見つめていたレシュティア姫の下に至急の呼び出しがあった。
それはあの二人にも伝えられたようである。
関係者はレグソール伯の私室に集められていた。
「いましがた、タラニス司教より魔伝鳩が到着した」
「では私が読み上げさせていただきます」
ニーサは書状を開くと文面に眼を見開くが冷静に読み上げ始める。
「こたびの査問委員会で決定したことをお知らせします。貴族院は自らが死界人の復活を招いた事実を隠蔽しようと躍起になっています、その第一段階としてエルナバーグへ軍が送られる予定です」
皆の表情が硬い・・・・・
「軍の派遣目的ですが、王子誘拐と闇風を使って死界人復活を企んだシルメリア・ウルナスを捕縛・処刑するとあります。自らの悪行を彼女に着せて逃れるつもりのようです」
「ふざけるなあああああ!!!」
レシュティア姫の怒りにオルナがパチパチと反応している。
「姫!落ちついてください!!」
メイドたちにたしなめられるが姫の怒りは爆発寸前といったところだ。
「あの豚共め!こうなったら王都に乗り込んで奴らを丸焼きにしてやる!!!!」
姫にはシルメリアがどれだけ体を張ってレインドを助けたかを知っていた、だからこそこの怒りであった。
「最後まで話を聞くのだレシュティアよ、皆も怒りに堪えているのだ・・・」
「はい・・・・おじいさま・・・・」
「おほん、では続けさせていただきます。到着予定は9の月と水の週・・・・後6日後のようです」
「派遣予定軍は、第二軍。速やかにシルメリア様を脱出させてください、またレインド殿下は王都にお戻りなっていただきたいと思います」
「第二軍か・・・・よりによってか・・・・・」
レグソール伯が頭を抱えた。
今回キュウエルが率いた軍は第三軍の一部を引き抜いた者たちだった。
だが、第二軍は王国軍の中でも軍紀の乱れ著しく駐留した村での乱暴狼藉がひどいことでも知られていた。
指揮官のダーニルはデイン公爵の甥にあたる男で、その権力を惜しみなくふるい臣民たちからの評判は最悪であり、シルメリアを絶対に逃さない覚悟もうかがえた。
近衛の駐留隊のリーダーであるバルダが重々しく口を開く。
「我らとしてはシルメリアに脱出させる件にむしろ感謝したいと思っています、ですがあいつが何というでしょうか・・・・」
「なんとって何よ!」
「いえ、エルナバーグに迷惑をかけたくないと・・・あいつなら言いかねないと思いまして。投降すると言い出したときのための対策も立てるべきかと思います」
「ニーサ、シルメリアと真九郎を呼んでくれ、レインドは呼ぶな・・・・」
「はい、かしこまりました」
ニーサがすぐに二人を連れて戻ってきた。
「レグソール伯、お呼びでございますか?」
真九郎はただ一礼する。
「うむ・・・これからする話は隠さず伝えようと決めたのだ、聞いてから考えを聞かせて欲しい」
「ご配慮ありがとうございます」
シルメリアに関することだ、真九郎は嫌な汗が流れるのを感じる。
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ニーサが説明を終えると同時に真九郎から隠そうともしない殺気があふれ出す。
「落ち着いてくださいね真九郎様」
シルメリアが笑顔で真九郎の頬を突っついた。
「ん、うむ、すまぬ・・・・・」
「「「「ふう・・・」」」」
シルメリアは気付いていた、真九郎の左手がいつでもあの武器を抜ける準備状態にあることを。
そんなことをさせない!と思いつつも・・・抱きつきたくなるぐらいにうれしかった。
自分のことでこんなにも怒気を顕わにしてくれるこの人が。
「シルメリア!!良く聞きなさい!投降だけはぜっっったい!許さないからね!!」
「姫様・・・・・」
「あんたとは、色んな勝負が残ってるだからぁ!!!」
レシュティアはシルメリアに抱きつき、えんえんと声をあげて泣いている。
感情の起伏の激しいお姫様だ、だから大好きなんだこの人が。
「でも・・・・このままではエルナバーグは戦禍に巻き込まれてしまいます」
一堂が重々しい空気に包まれる。
「あの皆さん、ようはシルメリア様が脱出できてエルナバーグが被害を受けなければよろしいのですよね?」
冷静沈着なニーサが淡々と発言する。
「そうだが、そのような策があるとでも言うのか?」
「はい」
そんなあっさりと言ってのけるニーサ嬢。
その時、副官が部屋に飛び込んできた。
「領主様!また魔伝鳩から書状が!!!」
「何、ニーサ頼む!」
「はい・・・・・続報があると書いてあったので待っておりました。さすがタラニス司教ですね」
「ちょっともったいつけずに言いなさいよ!」
「レインド殿下が王都にお戻りになっていただく理由、それはアルマナ帝国に正式な招待を受けたからであります」
「お、おい・・・まさか!?」
「はい、アルマナ帝国はこのたび、アルマナ・ラフィール 盟主会議 を開催することを宣言しました。各国は盟約に従い関係者を2ヶ月以内にアルマナ帝国の帝都オルフィリスに派遣しなければいけません」
盟主会議 アルマナ・ラフィール・・・・・この会議が参集されるということは、死界人の脅威が確実のものになったことを意味するものであった。
第一章 ヴァルヌ・ヤースの儀 完




