13 シルメリアの異変
シルメリアの瞳は春碧色に似た翡翠のような麗しさを持つ瞳だった。
思わず吸い込まれそうなその瞳が、今は 紅 に染まりうつろな光を浮かび上がらせている。
「・・・っ・・・・・・・・・・っ・・・・」
シルメリアが虚ろに呟くその言葉が聞き取れない。
「どうしたのだ、何か食べたいものでもあるのか?の、喉が渇いたのか??」
「そ、そう・・・・・のどが・・・かわ・・・・て」
「待たれよ、今水を持ってこよう」
サイドボードに水差しがあったことを思い出した真九郎は手を伸ばそうとしたその時。
切り傷を負った親指から血がぽたっとシーツに染みを作った。
「くっ・・・・・・うああああああうぅ!」
シーツの染みを凝視しつつ頭を抱え呻きはじめる。
水差しをシルメリアの口に近づけようとしたが、彼女は真九郎の右手首を握り締めた。
「いっ!!」
その膂力は軽く大人の男性を軽く凌ぎ、ぎりぎりと手首を締め付け始める。
いかん、このままでは折れる!
「シ、シルメリア!しっかり気を持つのだ・・・落ち着いて」
右腕の痛みに耐えつつ落ち着かせようと試みたが、若干弱くなったり強くなったりを繰り返す。
「の、飲みたい・・・・」
「おお、水ならあるぞ、飲んで落ち着くのだ」
「み・・・・水・・・・いら・・ない」
右手の親指から止まりかけた血を、シルメリアは見つめ始める。紅の光が徐々に強くなっていく。
「血・・・・・・・うぅっ!!!! に、逃げて・・・真九郎様・・・・」
「逃げろとは・・・・何があろうとシルメリアを放って逃げたりはしないぞ」
紅の瞳から涙が溢れ出す。瞳の焦点はぼやけていて、いまだ意識は虚ろであった。
ゆっくりと親指を口に近づける。
「だ・・・・だめ・・・・・うああああああああ!」
シルメリアは必死に自分の中の何かと戦っているようであった。
だが、彼女が右腕を握る力が徐々に弱まっていくのを感じる。
その弱まり方がひどく儚いものに感じられた真九郎は、血でもなんでも良いからこの人を救わなければと覚悟した。
「シルメリア、拙者の血があればそなたを救えるのか?」
「だめ・・だ・・・め・・・しんくろ・うさま・・・・・・にげ・・・」
意を決した真九郎は、小柄で彼女が握る付近の皮膚を切り裂いた。
軽く虚脱状態になったが、すぐに血を見てわなわなと震え出した。
「血・・・・・の、飲みたい・・・・うぅ・・・・」
ぽろぽろと流れ出す涙。
真九郎は肩ごしにシルメリアを抱きしめると、血があふれだす右腕をシルメリアの口に近づける。
「元よりそなたに救われた命のなのだ。その涙も、その迷いも、全て俺が受け止める。生きてくれ・・・・シルメリア」
懇願するように右手をシルメリアの口に押し付けた。
彼女の嗚咽が続く、そして右手から少しずつ少しずつ血が抜けていくのを感じる。
シルメリアが血を啜る音は、ひどく扇情的で真九郎の中の彼女への思いがさらに熱を帯びていく・・・・・
ゆっくりと・・・唇を離したシルメリア。
うつむいたまま。何も言わずにシーツを握り締めていた。
「もう、よいのか?足りなければいくらでも吸ってよいのだぞ?なんならもっと血が出る場所でもかっさばいて・・・・・」
遮るようにシルメリアが真九郎を抱きしめていた。
「もういいのです!十分です!!真九郎様・・・・・・どうして・・・・どうしてあなたはいつも・・・・」
「命の恩人に恩を返すのは当然であろう・・・・・それに・・・」
「それに?」
「うむ・・・・そのなんだ、こういうのは慣れておらんのだ許せ」
「はい・・・・」
ゆっくり真九郎から離れる。
「・・・・・・ん・・」
血の影響か、少しずつシルメリアの顔に生気が戻ってきている。
体温も上昇しているようだ。
シルメリアの頬に突然手をあてる真九郎。
「なっ!」
「温かみが戻ってきている、瞳の色も元の美しい色に戻っておるぞ。紅も魅力的ではあったがな」
うつむくシルメリアの顔色がさらに赤みを増している。
「おや、顔が赤いな急に起きたので体がびっくりしてしまったのだろうな。今先生を呼んでくる」
小走りに部屋を出て行った真九郎。
「うーーーーああああああ!!!もう!」
思わずドアに向けて枕をぶん投げる! くらいには回復したようである。
シルメリアが回復したと知ってレインドが夜にも関わらず飛んできた。
続いて上司のアルバイン、近衛の同僚たち。
恥ずかしそうに皆の声にこたえている様子を見て一安心した真九郎。
今日の夕食に肉が入っていないことを願いつつ帰ろうとした矢先、声をかけられたのだった。
シルメリアの上司、近衛隊の隊長アルバインだった。
「色々と礼が遅くなってすまなかった、改めて部下とレインド殿下のお命を救ってくれたこと感謝します」
「こちらこそ命を救われた身だ、よしてくれ」
「そうか・・・で、知ったのだろ?シルメリアの抱えているその・・・秘密とか今後のこととか」
「秘密?? 今後とは・・・・????もしや・・・・・」
と言い出して真九郎の顔色が青くなっていく。
「もしや・・・・・シ、シルメリア殿はもう嫁ぎ先が・・・き、決まっていて・・・いや、あれほどの才媛と美貌だ!!引く手あまたであろう・・・」
「おいおい・・・・思ってた印象と違うな」
「い、いやアルバイン殿、はっきり言ってくれ、その・・・・今後とは、同情は・・・」
これがあの死界人を倒した男だとは誰も信じないであろう。
ひどくしょんぼりと、思春期の少年のようにあたふたと落ち込んでいる。
「いや、俺が言いたいのは・・・・血だ、あいつお前の血飲んだのか?」
「血??ああそういえば血を飲んだら回復したようだ、いやはや回復して本当によかった・・・・」
「あ、あのさ・・・・血を飲んだことは気にしないのか?」
「うむ、そういう嗜好を持つ人もいるのだな、しかし血を飲まれるというのも以外と悪くないな」
「あ、ああ、そ、そうですね・・・・」
アルバインは頭を抱えてうずくまった。
覚悟をしてこの男に説明しよとしていた自分が馬鹿みたいだ。
「大丈夫か?」
「実はだ、シルメリアの出自と血統について話しておきたことがある」
「そ、そうか・・・・嫁ぎ先とかの話になるのか・・・聞くのが辛いな・・・・」
否定する気さえ起きなかった。だが聞く態度であるのだから無理にでも話を続けてしまおう。
アルマナ帝国領に近い奥深い森のさらに奥、精霊の血を引くとされる妖精族。その中でも森の妖精エルフ族の村。
シルメリアの母シェラはここで生まれた。一族の中でも強い魔法力を持つシェラはゴブリンやオーク種の警戒任務などを担っていた。
あるとき、森の外れで見慣れぬ男が倒れているのを見つけ保護する。
村で治療をしていたが、警戒心の強いエルフ族はこの男の素性を魔法で調べ上げた。
判明したのは、人間と別種族のハーフであったことだ。
ニュクス族、魔法の才能に恵まれた人とほぼ同じ容姿を持つ種族であるが、血を摂取しなければ生きられない宿命を持つ種族でもあった。
そのため数はエルフ族以上に希少であり、伝承上の存在と断定する学者も多い。
そのためすぐに村を追い出そうとする長老たちと対立したシェラは、男が動けるようになるまで献身的に看護した。
時に血を与えることも厭わず二人はやがて惹かれあうようになっていった。
そしてシルメリアはあまり語りたがらないが、シェラと父はシルメリアを逃がすために命を落とし、さ迷い歩いていた所を行商人に助けられた経緯を持つ。
その後は奴隷に落とされる寸前であったが、10才になると義務化された魔法資質と魔法力の適性検査を受けた結果、その血筋からすさまじい数値をはじき出した。
そしていち早くそれに目をつけたアルバインが彼女を引き取り現在に至る。
アルバインが知る範囲のことをかいつまんで話し終えたとき、真九郎はぼろぼろと涙を流し声をあげて泣いていた。
「なんと壮絶な運命なのだ・・・・・それなのにあのような慈悲深い心を・・・・うおおおおおお」
分からない、こいつが分からない・・・・
「だからなんだ、ニュクスの血が生命の危機に反応して血を求めたのだろう」
「そうだったのか、では にゅくす の血筋に感謝せねばな!!!」
「あ、ああ・・・ちょっと聞きたいんだが」
「何なのだ、もうあまり泣かせるな。俺は意外と泣き虫なんだ」
いや意外じゃなくて泣き虫ですよ
「じ、実はな、ニュクス族の血が入っているということは、穢れた呪われた血と言われていてな、あいつもそれで苦労してきた」
「なんだと!!!穢れているだと?両親から受け継いだ尊い血統であろうが!」
「・・・・・・あんたは・・・いい奴なんだな」
「いい奴?? 知らんそんなもの、あ!だとしたら、許婚はおらんのか!? 夫婦の約束している奴とかはおらんのか!!!?」
「あ、ああ、その穢れた血には根も葉もない噂があってな、それを信じて男たちは手を出せないのだ」
「そ、そうか・・・・シルメリア殿はお1人であったか、そうかそうか!」
少年のような奴だ・・・・
「真九郎・・・これからお前は色々な奴らが利用しようと近づいてくるだろう。だが、あいつだけは信じてやってくれ」
「あなたがシルメリアの父親代わりであったのだな、本当に良い父君にめぐり合われたものだ」
「俺はただ引き取っただけだ、力を生かせると思った。王子をお守りできる力になればと。俺は利用したんだよシルメリアを」
「血は水より濃い、とも言うが 産みの親より育ての親とも言う。やはりアルバイン殿は良い父君であると思う」
「そうか育ての親か・・・・」
恥ずかしそうに真九郎の肩をポンと叩くとアルバインは去っていった。
レグソール伯はタラニス司教や王国軍のキュウエル、さらにはレインド王子、意識を回復したシルメリアから聴取した情報を整理しつつも理解できないことが多すぎた。
その一つが、緋刈真九郎 であった。
レグソールの個人的な思いとしてはかわいい孫を救ってくれた恩人である。
あまりにも異様・異質・・・・魔法力がないにも関わらず死界人を屠ったという・・・・
だがレグソールは懐疑的であった。
これは彼が疑り深い性格であることを差し引いても、死界人の伝承・伝説のもたらす恐怖が大きすぎた。
元々は大アルマナ帝国の一つの領地だったリシュメア。
死界人の来襲によってこの大地が、帝国が滅亡しかけたことにより各領地はそれぞれが帝国を援助するという建前の下に独立。
過去の歴史から見ても死界人は歴史の事実として人々に認識されている。
決して倒せぬモノ、触れてはいけないモノ、傷つけることが叶わぬモノ
帝国は滅びに瀕している中、ありとあらゆる手段を用いて死界人に対抗しようとした。
だが、あらゆる魔法、あらゆる手段、全てに効果がなく。
見えない巨大な力で瞬時に大軍ごと引き裂かれ、そこは死界人の餌場になるのだった。
エルナバーグでは近衛衛士隊と王国軍が共に王子を危機からお救いした功績を賞賛されていた。
王国軍はこの街では毛嫌いされているが、兵士たちが酒場で語るレインド王子の武勇伝に市民たちが食いついた。
たちまち彼らは称えられ、レインド王子は皆を導く英雄と呼ばれ始めていた。
レインドはそんな中でも毎朝早朝から、日中も時間の許す限り剣の稽古を続けている。
真九郎もレインドに付きっ切りで指導にあたっている。
たしかにあの戦を乗り越えてから、レインドの剣は一変した。
素振りの一刀一刀に思いがこもっているのを感じる。
どこからか真九郎がこさえてきたシナイという木刀に似た稽古用の剣と、簡易防具をレインドに装着させ打ち合いの稽古も始まった。
シナイで打たれても続けられるこの形態は、レインドの剣術の技能をさらに伸ばすことに成功した。
徐々に操杖術を使う兵士やエルナバーグの衛兵たちも、稽古や試合をしてみたいと言い出してきた。
真九郎は練兵場を借りると集まった10人に、一度に相手になると言ったところ彼らは馬鹿にされたと感じたのだろう、殺気や敵意がむき出しになる。
体調の回復しつつあるシルメリアと見学に来ていたレインドも気が気ではない。
真九郎に、彼らを挑発する意図などは毛頭ない。自身であの時の多対一の戦いを再現し効果的な位置取りや体裁きを会得したいと思い相手をしてもらおうと思ったのだ。
小隊長のケインが審判役になり、はじめの合図をする。
操杖術とは、魔法対策が厳重な謁見の間や一部の祭祀場にある魔法遮断エリアで護衛するために生み出された長杖を使った戦闘術である。
基本的な概念がまったく異なる闘技であり、初めて見る相手ということも真九郎にとっては今回の試合を考えた理由でもある。
10人は示し合わせたかのように練習用の長杖を縦方向にくるくると回し始めた。
「・・・・・・・」
少しずつゆっくりと近づく兵士たち。
真九郎は青眼のまま構えを崩さず、じっくりと相手を観察した。
縦方向の回転が、体の右側で回されていたものが左側での回転に移った瞬間であった。
「どおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」
中央の兵士が電光のような一撃に胴を抜かれ、もんどり打って倒れた。
そのまま走りぬき、距離をとって下段に構える。
「な、なんだいまのは!!!??」
「お、おい囲め!!!囲んでしまえ!!」
定石どおり、兵士たちは真九郎を半円状に囲み始める。先ほどより息があっていない、
「だあああああああああああああああ!!」
気合に気圧され体勢が崩れた隙を見逃すはずのない真九郎。
篭手を決め、杖を弾き飛ばし3、4人で土砂降りのように打ちかかる杖を見事な剣技で応じる。
観客のボルテージはすさまじかった。
見たこともない芸術と呼べる域まで昇華した技術。
残りは3人。
一斉に突きを放つ兵士の中央にすっと飛び込み紙一重の見切りでかわすと、逆胴を決められた兵士は悲鳴をあげうずくまった。
背後から打ち下ろされた2本の長杖は真九郎が振り向きざまに跳ね飛ばされ、練兵場にカランカランと乾いた音を立て転がった。
10対1 にもかかわらず長杖を掠らせもしない。
あまりの実力差に倒された兵士たちも言葉がない。
真九郎は試合開始位置まで戻ると竹刀を納め、一礼し試合を終える。
すぐさましたたかに打ち込んでしまった兵士の怪我の具合を確認に向かう。
その様子に兵士たちも顔を見合わせ二人の下へ集まった。
「あんたの強さ・・・・甘く見ていたのはこっちのほうだった」
「いやこちらこそ、失礼な物言いをして申し訳ない。どうしても多対一の稽古がしたかったもので」
「あの、もしよかったら俺にも稽古をつけてくれないか??」
「お、俺も!」
「俺もだ!」
圧倒的実力差はもはや怒りや嫉妬を通り越し、憧れや目標としての存在としてしまっていた。
「シルメリア、やっぱり真九郎はすごいね、ぼくもがんばらなきゃ」
どこか上の空のシルメリアを不思議そうに見上げる。
顔はどこか熱に浮かされたようでもあり、瞳をうるうるさせている。
手を祈るように胸元で握る姿は今ままで見てきたどの彼女より綺麗だと思った。
「かっこよすぎです、真九郎様・・・・・」
2018/7/22 誤字・誤植、一部表現修正