さまようXXX
夜の散歩
暗い道を歩いていた。
周囲に人の姿は見当たらない。見上げれば、十三夜の月が青白く輝き、足元を照らしてくれていた。
森の中に続くこの道は、通るものもあまりおらず、雑草などで歩きにくい。獣道よりはまだマシ、といった程度だ。足元は悪いが、一度は整備されていた為か、苦労するという程でもない。
夜目は利く方だが、該当のない道を懐中電灯なしで進むのは辛い。月明りがなければ躓いたりしていても何も不思議はない。月が出ていて、空が晴れていて、良かった。こんな場所を、こんな時間に通る羽目にならなければ、もっと良かったのだが。
あたりに人の気配はないが、全くの無音、何の気配もないというわけではない。虫の音と、フクロウか何かか、鳥の声がかすかに聞こえる。姿まではわからない。見える範囲にいないだけかもしれない。まあ、そこまで興味があるわけでもないのだが、どうにもこの声は気味が悪く、早く足を進めたくなる。
目的地は然程遠くないはずだ。辿りついても声は聞こえているのだろう。ああ嫌だ。とはいえ、あまり森の奥まで踏み入れたいわけではない。あまり奥まで分け入れば戻れなくなる。
もう一度空を見上げる。月と星と、幾らかの雲が見える。明日は晴れるだろうか。
そろそろ辿りつく筈だが。辺りに注意を向ける。
目印があるはずだ。なければ、見つからなければ困る。
何処だ。そろそろあるはずなんだ。
不気味な彫像を通り過ぎ、立ち枯れた大木の傍に、真新しい、土を掘り返した跡がある。此処だ。見つけた。
柔らかくなっている地面を掘り返す。道具はないので、手で掘り返す。汚れを気にしている余裕はない。爪の間に土が入り込んでいるがそれでやめるわけにもいかない。砂利混じりの土をどかし、掘り進めていく。
どれだけ時間が経ったのか、穴はだいぶ深くなっていた。土の中に潜り込ませた指が、それまでと違う感触を捉える。
ついに、見つけて、掘り当ててしまった。
それを損ねないように慎重に掘り進めていく。
見たくはない。確認したくはない。だが、それを掘り出さなければならないのだ。
耳が痛くなるような静寂。いつの間にか虫の音が止んでいる。或いは耳が聞こえなくなっていたのかもしれない。自分の鼓動が、早鐘を打つ心臓の音が、煩いくらいに響いている。
一度大きく深呼吸をして、覚悟を決めてそれを見る。月灯が白く浮かび上がらせているもの。
まず目に入ったのは、土に汚れた白い腕。汚れた衣服は土に含まれた湿気でじっとりと湿っているようだった。
ゆっくりと、視線を上半身の方へ向ける。腹、胸、肩と順番に視線を動かす。見慣れた顎に一度動きを止め、思い切ってその顔を視界に収める。
安らかな顔で眠っていたのは、自分自身だった。他の誰かではない、そっくりさんでも、他人の空似でもなく、人形でもなく、自分自身が、身動ぎもせずそこに収まっている。
触れた躯は柔らかく、冷たい。この夜の土の中で冷え切っている。
その冷えた躯を、担ぎあげて掘り返した穴から出る。思ったよりも重かった。自分とは、このように重いものなのか。そんな事は知りたくもなかった。
ふと、誰かの足音のようなものを聴覚が捉える。土を踏みしめたようなざらりとした音。穴の縁に腕をかけて這い上がろうとしていた己の視界に影がかかる。
「――みぃつけた」
勢いよく、身を起こした。心臓が、全力疾走の直後のように煩く鳴っている。荒くなっていた息を、意識して落ち着かせる。
今の今まで、自分は眠っていたようだ。全ては夢だったのだろう。
そう…あれが、現実の筈はないのだ。現実に起こり得る筈のない事があったのだから、あれは夢だっただけなのだ。
悪い夢を見た、と汗をぬぐおうとした時、ざり、とした感触がした。己の手に目をやると、湿った黒土で指が酷く汚れている。爪の間にまで、土が入り込んでいた。
誰かが近づいてくる足音がドアの向こうから聞こえてくる。軽快で、不遠慮な足音が、この部屋のドアの前で立ち止まった。