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女神の名のもとに  作者: Sonne Story teller
序説 作品のテーマ
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序説

 人間はエゴの塊のような生き物である。どれだけ慈善を唱えていようと、本質はエゴなのだ。ガンジーやヘレンケラーといった例外はあるやもしれないが、大筋としてそう思っていて構わないだろう。他人よりも自分を優先して喜びを感じるのが人間という生き物なのだ。誰かが死んで悲しいのはかけがえのない人だったからであり、決して死が悲しいわけではない。

誰しも、親友と呼べる者がいると思う。無人島において、自分と親友だけがいる状態で、食料はなく、1人乗りのボートがあるシチュエーションを想像してもらいたい。そのシチュエーションで誰を助けるか、という問いに対する私なりの模範解答は「自分が乗る。親友は食料にする」である。たとえ親友であろうとも自分の命に比べれば安い。ならば親友を犠牲にするのが最善だ。これ以外の答え、特に「自分が犠牲になる」という趣旨の回答は私からすれば「偽善」としか言いようがない。それは本当にあなたの望むことなのか、という嫌悪を交えた一言を抱かざるを得ない。

 では、「偽善」ではない、本物の「善」とは何なのだろうか。人の「善」は本質ではない。だが、「偽善」でもない。とすると、いったいどこから湧き出てくるものなのだろうか。いったい何をもって「善」と「偽善」を仕分ければいいのだろうか。先ほども述べたように、人間の本質はエゴである。自分の利益を求めることを歓ぶ生き物なのだ。そのような人間が奉仕活動などの善をおこない、それが善であると称されるのはどういう基準なのだろうか。

この物語は女神の名のもとに慈悲といううさん臭いものを投げかける人間を中心に描く戦記モノである。戦いがあちらこちらで勃発し、たくさんの血が流れていく中で命を救う人間は何を想い、そしてどんな行動をしていくのか。自分ならこうする、といったことを思ったり、ごくごく普通に読んでいってもらっても構わない。何が偽善で何が善なのか。自分なりの結論を得てもらえれば感涙極まりないことである。

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