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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

曲愛~壊れた女~

作者: 恵 輝

私には最愛の恋人がいる。

でも、私には夫もいる。

恋人の優とは手を振る関係から始まった。


夫の信也は小さな介護施設で働いている。安給料でなんとか中古のマイホームを手に入れたけど、私は今の家の近くに建つ高層マンションに住むのが昔からの夢だった。当然、信也の給料では到底住めるはずもない。この家に引っ越して来たばかりの朝、私は洗濯物をベランダで干していた。

「あのマンションいいな~」

そう呟いて、マンションの最上階で二十九階を眺めていると、こちらに向かって手を振っている人がいた。初めは助けを呼んでいるのかと思って、信也の安いホームセンターで買った双眼鏡を寝室へ取りに走った。ベランダへ戻り、マンションの方へ双眼鏡の焦点を合わせた私は目を疑った。どうしたって私に向かって手を振っているように見えた。なんとなくだけど見えたのは若い男の人だ。

「あの人なにかしら・・・・」

私と優が出会ったのはこの日が初めてだった。翌日も、洗濯物を干していると優は私に手を振った。そしてメッセージボードに『会えませんか』と書いてある。

私は、A4のコピー用紙を三枚用意した。そこに『どこで会うの?』と書いてベランダに出た。優は地面を指さし、手を振って来た。私は大きく頷きエプロンを脱ぎ捨てマンションの建つ方へ走った。


信也との夫婦関係は微妙な時期に来ていた。付き合って四年目で結婚。それから十年が経ったけど子供は授かっていない。信也は介護施設のケアスタッフで、四歳年上の三十六歳。やっと役職もついて主任になった。マイホームもローンを組んでいるから、生活も楽じゃない。いつも疲れた顔で帰ってきては、ビールを飲んで寝てしまう信也に不満は募っていた。

「ねえ。信也・・・・聞いているの?」

信也はいつもソファーで寝転びながら私の話を半分聞いて、半分はどこかへ行っている。ご近所で出来た友達の美里の話も『へえ~』ってしか聞いてくれない。退屈な時間と信也の冷めた態度にも嫌気がさしていた。

実際、若くてイケメンの彼氏でも出来たらって、心のどっかにはあった。でも、私は三十二歳だし別にお洒落でもないし綺麗でもないから、そんなの諦めていた。


エプロンを脱ぎ捨てた私は、何故かはっきりと顔も見えない優の事を考えていたというより刺激が欲しくて走っていた。走っている私は、髪も乱して額には汗をかいているのが自分でも分かった。全力で走るのなんて何年ぶりだろう。私は高校のマラソン以来な気がした。


「ハーハーハ―」

優のマンションまで五百メートルは走った気がする。エントランスに着いた私は、何とか呼吸を整えたが、膝は震えていた。

「本当にきてくれたんだ」

そう声を掛けてきたのは、私の恋人になった優だ。優は大学に通う十九歳。私は声のする方に目を向けた。

「・・・・・」

「ねえ。会えて俺うれしい?」

その時の私は主婦をからかっているのかと思って、優に怒鳴ってやった。

「からかっているの?それともこんなオバサンにお金でもせびる気?」

「そうじゃない。俺はあなたに一目ぼれしました。洗濯を干していたあなたに恋したんです」

「・・・・・・」

私の鼓動は激しく鳴った。走ってここまで来たからではない。優の瞳を直視できない程に愛してしまったからだ。

優は、そんな私を見て、人前でもなりふり構わず抱きしめて来た。

「名前は?・・・・・」

優は言った。

「美絵」

「俺は優」

私は、優に鼓動を聞かれるのが怖かったけど、私と優はマンションの下で暫く抱き合っていた。こんな事、信也に知られたらなんて考えてもいなかった。

「優・・・・愛しているわ」

体も心も熱くなった私は、優の耳元で思わずささやいていた。

それから私達はカフェで何度も会って、優はコーヒーを飲みながら将来ついて語っていた。

「俺ね。父さんと同じくパイロットになる」

「優、すごいね。素敵な目標。きっと優ならなれるわ」

優のお父さんは国際線の機長で、ほとんど家に帰って来ない。優の本当のお母さんは優がまだ幼いころに亡くなっていた。今は継母とほとんどの時間を過ごしている。

「母さんは出来がいいほどに家事もこなしてくれる。でもそれは俺の為じゃないんだよ」

優はそう言った。

「なんでそう思うの?」

「母さんは、ただ俺を父さんと同じパイロットにさせるために、良い母を演じているだけなんだよ」

「そんなことはないわよ」

「いや、そうなんだ」


「優・・・抱いてくれない」

私は、優の俯く姿も好きだった。私は、駅前のシティーホテルで優に抱かれた。優は女性経験が少なかったから、私がいつもリードをしていた。優は懸命に私の乳房に吸い着いて離さないくらい私の体を求めたし、私も優を求めていた。二人の愛の証で買ったペアのネックレスも、私は肌身離さず着けていた。

「優。私はあなたなしでは生きれない」

抱き合う度に私はお洒落にもなっていった。信也は私が髪を染めもネックレスをしていても全く気に留めている様子もない。私が、優に溺れている夜は、夜勤で信也は仕事に出ている。

そんな、私と優との間に邪魔が入ったのは、優と付き合い始めて半年が過ぎて頃だった。いつもマンションのベランダから手を振る優の姿が今日はない。

私は優の携帯に電話をかけた。

「現在使われておりません・・・・・」

無情なアナウンスが流れた。

私の手は震えた。携帯を持つ手は力が抜け、携帯は床に落ちた。

「優。どうして。どうしてなの・・・・」


優と付き合うようになってからの私は、今までしていた家事もやらなくなっていた。

「ただいま—―—―」

信也が帰宅をしても、私は料理も作らず、柿ピーとビールを冷蔵庫から出していた。

「おい、お前。俺は仕事から帰って、腹減ってるんだ。なんなんだよ柿ピーにビールって」

「節約よ・・・・」

「節約?その割には最近、随分小洒落ているじゃないか」

「文句があるなら出て行けば」

私は信也の存在すら邪魔になっていた。信也が実家へと出て行った翌日も、私は優と会っていた。


優と連絡が繋がらなくなって、私は優に手紙を書いた。


【優へ―—―

どうして手を振ってくれなくなっちゃったの?

どうして私から離れちゃったの?

あんなに愛し合っていたじゃない。

優。私はあなたが全てなのに・・・。

優。声が聴きたいよ。

二人で買ったペアのネックレス。優が選んでくれたよね。

優。私は、体も心も優の色で染まっていたんだよ。

寂しいよ。苦しいよ。愛している。

だから、また手を振って私を愛して。

手を握って歩いた夜の公園も、二人で行った水族館も忘れないで。

優。私の心は泣いています。体は凍えそうに冷え切ってしまっています。

優。愛している。私から逃げるなんて、そんなの絶対にさせないわ】


私は、手紙を集合ポストに入れた。

マンションまで歩く足取りは早く、今にも息が切れそうだった。

手紙を入れた翌日の朝も優はベランダには出て来なかった。

私は、もうこの時には信也をなくしても怖くなかった。ただ、優との時間を思い返せば返すほど優への執着が激しくなっていた。

私が優のマンションに張り付くようになったのは、手紙の返事も出さない優が、あれほど文句を言っていた継母と笑顔でアーケード街を歩いている姿を見てからだ。

私の心は崩壊した。

「優。あなた私を捨てて、自分だけ親子円満なんて許さないわ」心で叫んだ。

そして私は、優の部屋に訪れた。オートロックのこのマンションの下で2・9・0・3と押した。優の声を一週間ぶりに聞いた。

「はい」

「優?優、開けて。私よ美絵」

「ごめん。帰って」

「優。どうして突然私の前からいなくなっちゃうの—―—―?」

「ごめん。俺、手紙とかもらっても返せないし、もう美絵さんの事が怖いんだ」

「優―—―—―」

私は、優が継母に取られたんだと思って、また手紙を書いた。


【優へ―—―

私は優を離さない。

どこへもやらない。

私の命を優に預けても構わない。

優。あなたの体の一部は私と繋がったの。

優は私の中で何度も感じていたでしょ?

優の体も心も私から離れるなんて許さない。

優。愛している。苦しいくらい愛している。

さよならなんってしない。

優。また手を振って。

そして私の事を連れ去って】


この頃から、私の心は壊れ始めた。でもそんなのは怖くなかった。

信也からの離婚届がポストに入っていた。そんな事はどうでも良かった。

優が南に行くなら私も着いていく。北に行ったって私は着いていく。

私は、自分の姿を鏡に映すことすらしなくなった。

優への手紙は、優が私から離れて二か月が経つ頃には、五十二通送った。でも、優はベランダへも出て来ないし返事もない。

どうしても、優の傍にいたい。私は、マンションの清掃員になれば、優に会えると思って。管理会社を調べて電話をした。

「もしもし。スカイタワーのマンションの清掃員は募集していますか?」

見事に採用された私は、優の住むマンションの清掃員として働いた。

二九〇三号室の前に立って、優の声が聴けないかドアーに張り付いた。ドアー越しだけでも声が聴けるなら私は幸せだった。

そんな頃、私の家に優の継母が訪ねて来た。

「小柴美絵さんですよね」

「そうですが・・・・」

「もう迷惑なんです。手紙もそうですし、マンションの清掃にまでなって、優には将来があります。こんな事もう止めえほしいんです」

優の母親は美しかった。ジャケット姿にひざ丈のスカートを履いて、巻髪をしていた。私は、優の継母を睨んだ。

「私には、優しかいません。優の声だけでも聴かせてください」

「いい加減、分からないのですか?優は怖がって部屋から出れなくなっています」

継母は私に強く訴えて来た。

私は、ネックレスを継母に見せた。

「優と二人でペアで着けているものです。優は私の体を愛してくれました。あなたの事も良い母親だなんて思っていませんよ。私が彼は全てなんです」

「あなた・・・・・・あなた三十も過ぎた大人でしょ。夫もいる身なんじゃないですか?優はまだ二十歳です。あなたみたいな女性を優が愛するなんて、あり得ません」

「優・・・・ハタチになったんですか」

「そんなことはあなたには関係ない。このまま付きまとうんでしたら警察に相談します」

私は、優が二十歳なったと聞いて花屋に向かった。真っ赤な薔薇の花を二十本買った。そして、優のマンションに清掃員として入って行き優の部屋に置いた。

【優へ。心から愛して止まない優。二十歳の誕生日おめでとう】そう書いた。

でも、いつまでも清掃員として働けなかった。

継母が管理会社に私を解雇するように電話を入れたのだろう。

私は、優のマンションへは入れなくなってから考えた。優の傍で一生いられる方法を寝ずに考えた。


そして私は、優が愛してくれた乳房から乳首をカッターで切り落とした。不思議と痛みがなかった。

封筒に入れ【優愛している】と書いた。

私はマンションの住人に紛れ、エレベーターで二十九階まで上がった。意外とたやすく侵入できた。そして優の部屋のインターフォンを鳴らした。

私は優の部屋の前の通路に立ち、胸の高さほどある手すりの格子に足を掛けた。

封筒に入れた乳首と手紙を優の部屋の前に置いた。

優と継母が玄関から出て来たのが分かった。

そして私は目を瞑り、頭から墜落した。


私は死んで優の傍に住み続ける。

何処へでも着いていく。


優の継母の「キャ―――」という声が聴こえた。


優の傍に居られるなら死ぬことさえも怖くなかった。


『優。あなたが私を愛してくれないなら、私は優のトラウマになりたい・・・・』


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