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第一話  うしろのツキムラさん

第一話   うしろのツキムラさん


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「おい。また『憑かれて』んぞ、おまえ」

 ヤマダに乱暴にひじでわき腹を突っつかれて俺は顔をしかめた。

 暑い。夏休みの登校日くらい無駄に思えるもんはない。特になんてことない用事と説教と全校集会を耐え抜くだけの半日だ。

 窓の外では蝉がフライヤーにぶちこまれた山盛りのフライドポテトみたいな声でわめき散らしている。このおんぼろ学校ときたら今どきのトレンドも無視してクーラーなんぞついていない。いや違うか。職員室と音楽室と視聴覚室と図書室とその他、つまり俺みたいな生徒には縁のない場所にはしっかりついてるっていうことだ。

「うるせーよ。俺には関係ねえ」

「誰か霊能者にでも頼んで祓ってもらやいいんじゃね? 俺の親戚に寺生まれの人とかいるぜ、頼んでやろうか」

「嘘ぶっこいてんじゃねえよお前、こないだは親戚にどっかのJリーグの選手いるとかジャマイカの大統領いるとか石油王の御曹司いるとか噴いてたろうが。お前の親戚いったい何人いんだよ、つかなに人だよお前」

 気にすんなよお、とヤマダはへらへら笑う。俺はぐにゃんと肩によりかかってくる奴を手荒に押し戻しながら後ろを見る。こっそりと。

 やっぱり憑いてきてた。

 なんか壁の曲がり角から顔半分出してこっち見てる。

 なんでもいいけど幽霊って手だけとか足だけとか首だけとか多いよな。いや全身現れるほうが多いのかどうかは知らないけど心霊写真とかわりとそうじゃね? なんかよっく見たら顔っぽいのとか光とかオーブ? とかさ。俺も小学校の時はそういうテレビとか見てバカ正直に震え上がったもんだけど、今じゃカメラについた埃だろー、葉っぱがそんな風に見えてんじゃね? とかさめた目で見てる。妹のサヤカはお兄は夢がない! とか怒るけど幽霊って夢があるとかそういう問題なのか?

 話がそれた。

 とにかくそいつは一ヶ月くらい前から俺にずーっととっ憑いているのだ。

 うしろを振り向いたら、いる。さすがに家の中まではついてこないけどとにかく一歩家の外に出たら、いる。電柱のかげから顔半分出してこっち見てる。ポストのかげから顔半分出してこっち見てる。校門の扉のかげからこっち見てるし休み時間にはこうやって行く先行く先どっかから顔出してこっち見てる。星飛雄馬のねーちゃんかお前は。

 でもっていちばん困るのはこいつは幽霊でもなんでもなく、ただのふつうの、生きてる人間だということだ。

 しかも女子。

「生きた人間相手じゃ寺生まれの人もきかねーなぁ」

 ヤマダがのんびり言っている。

「しかも生き霊ってわけでもなし。アレじゃね、やっぱお前、惚れられてんじゃね? こっちから近づいて話しかけてやったらどうよ。案外それで成仏するかもしんねーよ?」

「うっせ。そんなことなら何度もやったっての……」



 一ヶ月前にあいつを助けたのはいわゆる成り行きってやつだ。俺はそれまで名前だけは女子の噂で耳にしたことがあったけど、そいつがどんな奴までかは知らなかった。だからたまたま体育の授業のあとでボールをしまいに体育倉庫へ入っていったら、なんか不穏そうなボソボソ声が聞こえてしまったんで、つい好奇心で覗いてしまったんだ。

 一目見て、うわあ、と思った。

 クラスのボスっていうか女子にボスは変かもしれないけど、とにかく女王様的な感じでお取り巻きとかいっぱいいるミサキアヤカって女子生徒が仁王立ちで腕組みしてて、お取り巻きの女子たち五、六人といっしょに、ひとりの女子を取り囲んでた。

 輪の真ん中にいる女子はもうすでに何度か殴られるか蹴られるかしたあとみたいで、夏の白いブラウスにいっぱい黒ずんだ上靴のあとがついてた。体育マットの上に倒れてなんとか起きあがろうとしているけど、どっかを痛めてるらしくてうまく動けずにいる。

 真っ黒で長い髪が乱れて垂れ下がって、顔はよく見えない。ミサキアヤカはなんかキラキラにデコったピンク色の爪の先に、やぼったい黒のセルフレームの眼鏡をつまんでくるくる回している。

「……あの。返してください」

 蚊の泣くような声で倒れてる女子が言った。

「それ、ないと、困るんです。あたし……」

「バッカみたい。根暗のブスが伊達メガネとか似合わないものしてるのが悪いんじゃん?」

 ミサキアヤカが冷笑した。普段あいつの尻追っかけまわしてる大多数の男どもが裸足で逃げ出しそうな顔だった。うわ怖え。

「わーほんとだ、度入ってないわこれ」

「伊達なんて似合わないことすんならもうちょっとオシャレなフレームにしたらあ? あーでもどうせ似合わないかーブスだもんねー」

「あっ、もしかしてメガネっ子萌えのキモオタならひっかかるとか思ってる? ざーんねんでしたー、あいつらでもあんたみたいな根暗ブサイクお断りだってさー、あっはは」

 お取り巻きがギャーギャーピーピーわめき立てる。勝ち誇った顔で眼鏡を捻り回していたミサキアヤカは、これ見よがしに黒縁眼鏡を両手に持って、へし折ろうとするみたいにぐいっと力を入れた。

「あの。ほんとに、お願いです。やめてください。駄目なんです、本当に。それがないと、あたし」

「うわお願いですとか言ってる。ひっしー」

 ぎゃはははは、と笑い声が起こる。女子って男子の目がないと豹変するってほんとなんだなーとかちょっと遠い目になった。美人はやさしくておとなしくてかわいいとか思ってる幻想を踏み壊していくのはマジ勘弁してほしい。男は夢見がちな生き物なんだよ。

「そーゆー必死なカオしてるとさー、ついこういうことしたくなるよねー」

 輪の中心の女子があっと小さい声をたてた。眼鏡は床に転がって、その上にミサキアヤカの上靴の底があった。

「むかーし、ゾウが踏んで壊れないってCMあったんだってさー、知ってる? このおっきな眼鏡も、踏んでも壊れないのかな?」

「ゾウが踏んでも壊れないんだから、アヤカが踏んだくらいなんともないよねー」

 きゃはははははは。

 狭い体育倉庫で甲高い笑い声が爆発した。

 なんかいろいろとプッツンきた。なんでかはよくわからない。俺は押してたバレーボールが山盛りのカートを多少乱暴に押し込んだ。

 カートはガツンと扉にぶつかって、いくつかボールがこぼれた。ミサキアヤカと取り巻きが止まった。こっちを向いたやつらの足もとに、うす汚れたバレーボールがてーんてーんてーん、と跳ねながら転がっていった。

「あのな、邪魔するつもりはないけど、もうちょっとしたらセキウチが来んぞ。鍵閉めに」

 セキウチっていうのは体育教師で、やたら熱血で汗クサくて『みんな友達! 青春は美しい! 友情は宝物だ!』とか輝く瞳で堂々と言っちゃうタイプの奴だ。ミサキアヤカは明らかにひるんだ。

「俺このボールしまわなきゃいけないんで、そことりあえず通してくれる? 俺もセキウチ苦手なもんでさ」

 ミサキアヤカが足をおろし、くるっと向きを変えて俺のわきをすり抜けていった。お取り巻きがあ、まってよ、アヤカー、とか言いながら次々あとに続く。いっぺんにガランとした体育倉庫で、床にぺたんと座り込んだ女子がしきりに目をこすっていた。

 カートをちゃんと所定の位置にしまってから、俺は落ちた眼鏡を拾い上げ、「ほら」と差し出した。

 女子はこちらを向いてぽかんとしていた。目をこすっていた手が中途半端なところで止まっている。

「それ。足」

 変な感じに曲がっている足首をあごで指す。

「ケガしてんだろ? 保健室行くか? たぶんまだ先生残ってるぞ」

「あ、あの、いいです。大丈夫です。ありがとうございます」

 早口に言って女子は眼鏡をおずおず受け取り、かけてほっと息をついた。身体の大事な一部分を取り戻したみたいなそんな感じだった。よろよろしながら立ち上がろうとしたので、とっさに手が出た。ふらついた手をつかんで支えてやったら、青白いほっぺたにぱっと血の色が上った。熱いものにでもさわったみたいにサッと離れる。

「だ、大丈夫です。ほんとに、あの──大丈夫、ですから……」

「そうか? 無理すんなよ」

 誓って言うけど俺はそんなに正義漢じゃない。めんどくさいことは人並みに嫌いだし、ミサキアヤカみたいなボスタイプに目つけられると、学校生活上いろいろ面倒なのはわかってた。だからもう、このころには関わっちまったことに後悔しかけてて、目の前でもじもじしている相手のことはほとんど考えていなかった。

「じゃあな。お前も早く帰れよ。セキウチが鍵閉めにくるのはほんとだかな」

「あの」

 体育倉庫を出かけた俺に、後ろから声がかかった。

 なんだ礼でも言われるのか、とちょっとうんざりしながら肩越しに振り向いたら、女子がこっちをじっと見つめていた。かけた眼鏡が少し下にずれて、上の端からすかし見るような感じだった。

「どうした?」

「あの。今日帰るとき、右の音に気をつけてください」

「右の音?」

 なんじゃそりゃ。

 思わず聞き返した俺に、女子はうん、とひとつ頷いて、

「右の音です。気配でもいいです。とにかくそういうのを感じたら、すぐに避けてください。横にでも、前でも後ろにでも。でも右はダメです。避けてください。帰り道。ミギノ、オト」

「お、おう……」

 眼鏡をすかして光っている目がなんだか妙な感じだった。人形の目玉っていうか、ほら、ガラスの目の入った人形ってあるだろ? あのガラスの目玉をそのままはめ込んだみたいな、冷たくて透明で、なのに変な感じに吸い寄せられる目力のある、そういうやつ。

「わかった。右の音だな。気をつける。それじゃ」

 俺は急いで体育館を出て教室に走った。あとからかすかに、「ありがとうございます」という声が聞こえたけど、無視した。なにかに追いかけられてるみたいな気分で、気味が悪かった。


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