食い倒れミニッツ
「すべてを知る、だって?」
「ヒロキさん。私は空腹を感じています」
「は?」
レシピの行方を知っているという少女に問いかけると、すぐさま答えが返ってきた。が、それは的を大きく外れたものだった。しばし呆然としていると、少女が顔を上げて口を開いた。
「ヒロキさん。私はとても大きな空腹感を覚えています」
「い、いや――」
「ちょっとあなた! ヒロキ兄様をいきなりファーストネームで呼ぶなんて、馴れ馴れしいですよ!」
さらに的外れなことを言って怒り出すスズを抑え、蹲った姿勢のまま顔を上げた少女の目を覗き込んだ。深い、漆黒の瞳がまっすぐに俺を見返していた。迷いのない、澄んだ瞳だった。髪と同じ色の睫毛が、玉のような目を縁どっていた。病的なまでに白い肌と、真紅の唇のコントラストが美しかった。ぽってりとしたそれに目を奪われていると、バラの花弁のようなそれが突如動いた。
「ヒロキさん。見つめ合っていてもお腹は膨れません。私は、本当に空前絶後の空腹を感じていて、今にも気を失いそうなのです……」
言い切ると少女は、はふぅ、と吐息を吐いて横倒しに倒れた。忍者のスズとパーティーを組むため、表出属性を“悪”に変更したバーニィはもちろん、生来の悪女であるユキナ、腕力的に不可能なスズは、倒れゆく少女に手を差し伸べようともしなかった。
「おっと。大丈……」
パーティー内で唯一“中間”の表出属性である俺は、思わず少女に駆け寄り、抱き起した。腕の中で仰向けになった少女は予想以上に軽い体重の割には、ユキナに迫るほどの巨乳の持ち主だった。
「ヒロキ。今生唾を飲んだだろう」
「あらあら。元気ねぇ」
「兄様!?」
「そんなことはないぞ! 断じて! さあ、とにかく飯にしよう!」
バーニィが意地悪くツッコミを入れ、ユキナが反対の肩にすり寄ってきた。それによってスズの煩悩滅殺のスイッチが入りかけたため、俺は話題を変えることにした。
メシ、という単語に反応したのか、謎の美少女――ミニッツさんのお腹がギュルル、と鳴いた。さっきから本人が繰り返している通り、腹が減っているらしい。俺の腕の中で目を閉じているが、彼女の胸は規則的に上下しており、死んではいない。ひとまず何か食わせて落ち着かせ、レシピのありかを聞き出すんだ。
「あー! ヒロキ兄様、施しをなさるんですか?」
「仕方ないだろう。このまま行き倒れさせるわけにもいかないし」
「じゃあ、外で待たせてもらうよ」
「私も」
「スズも、です」
パーソナリティーが悪のせいか、皆パーティー以外の人物にはいたって不親切だ。だがこれも、上位の職業に就くためには仕方のないことだ。パーティーのカルマは、中立の俺がいることでギリギリのラインに保たれている。
さて、そんなことより料理だ。
レシピが無くなっても、記憶に残っているものだっていくつかある。簡単な料理なら作れるだろう。
俺は錬金窯を前に、腕を組んだ。
突然だが俺が転生した世界で錬金術を行使するには、この“錬金窯”が必要不可欠だ。窯には“アイテム窯”と“武器・防具窯”の二種類が存在する。簡単に言えば前者が携帯用で、大きさもデザインもシンプルなカセットコンロによく似ている。鍋を設置する部分にぽっかりと穴が開いており、俺たち錬金術師はそいつに小さな素材――例えばキノコだとか粉末にした魔物の干物やなんかを入れて魔力を込めることで、新たなアイテムを生み出すことができる。
ちなみに一般的な錬金術師が好んで生成するのは、魔法の粉だ。様々な効果を有するパウダーを複数組み合わせて行使することで、僧侶や魔法使いとは異なる形で戦闘をサポートする。アイテムを使うため戦闘中は魔力を消費することがなく、魔物の魔法耐性を無視して状態異常をかけたり弱体化させることができるし、味方の強化もできる。
錬金のスキルが上がっていくと、素材を掛け合わせて武具の生成、強化まで行うことができるため、パーティーの強化はもちろん資金面でも頼りになる存在なのだ。アイテム窯では他にも小さな武器やアクセサリーを生み出すことが可能だが、投入できる素材に限りがあるため低~中ランクのものしか錬金できない。対して後者は“窯元”と呼ばれる錬金術の師匠の家やなんかに設置されているもので、この世界に存在する物質でできたものならどんなものでも放り込むことが可能――もちろん、人が持ち運びできるレベルのモノ――な代物で、その名の通り武器や防具を生み出すことを主目的とする。当然、俺がこれを利用しても宴会料理みたいなものが飛び出す始末なので、もっぱらアイテム窯のお世話になっているというわけだ。
ここで、俺のオリジナルとしか言いようがない“お料理錬金”の具体例を挙げよう。
錬金は、二種類以上の素材を合成するのが基本だが、俺がしょっちゅう作らされるのは“錬金パンシリーズ”だ。
レシピは簡単な上にルーティンで造らされるので暗記している。以下に素材とパンシリーズの一例を示そう。
“錬金バタール”
効果:体力小回復(HP最大値の5%)
素材1:薬草×1
素材2:マーマル虫の卵×1
“錬金チョコロール”
効果:体力中回復(HP最大値の15%)
素材1:薬草×2
素材2:チャドクガエルの皮×2
素材3:薬草+1×1
以上のように、同じパンでも投入する素材が結構違う。
ウジュウジュとした黄色い粘液を纏う巨大なイモ虫の卵や、体中に寄生するフジツボのような生き物が分泌する茶色い毒で攻撃してくるカエルの皮を素材にして、甘くて香ばしいパンができるなんて夢の様だろう? このように素材の種類は多岐にわたっており、それぞれが「+1」とか「+3」などとランク付けによって性状も変化し、それらを「いくつ入れるか」によって出来上がるものがまったく変わってしまうという俺のお料理錬金が、レシピなしにはほとんど成り立たないことが分かってもらえただろうか。
錬金は――いやもう合成と言ってしまおう。一度に合成できる素材の数と種類は、錬金術師のレベルによって増加していく。もうわかったと思うが、俺が転生した世界は職業ごとに“レベル”が存在し、必要な“経験値”を溜めてそれを育てていく必要がある。この世界に暮らす人々は誰でも“ステータスカード”を持っていて、自分の職業を育てていくことに余念がない。かつて女戦士として名をはせた女傑が、“主婦”にクラスチェンジして奮闘しているなんて話がざらにあるのだ。ちなみに転職するとすべてのステータスが種族の初期値に戻ってしまうため、転職の際は熟慮されたし。タイミングもとても大事だ。というのも数年前とある王国で、“王子”が“国王”に転職した時を見計らってクーデターを起こされたなんて例もあるからだ。
さて、そんな世界で錬金術師をしている俺のレベルは、現在580(最大1000だがある条件をクリアすると上限突破できるらしい)だ。最大で五つの素材を同時に五十五個まで合成することができる。迷宮深くに潜り、意味不明かつ貴重な素材を集めてお料理錬金を試すのが至上の楽しみだ。ちなみに失敗した場合――要するにとても食えそうもないゲテモノが出現した場合、低レベルの魔物を寄せ付けない虫よけのような効果があることが最近分かった。しかしそういう効果の料理は俺たちの嗅覚をダメにしてしまうため、錬金術師のスキル“消去合成”で無に帰すことにしている。
消去合成は、錬金窯に消去したいアイテムを投入し、他には何も入れない状態で錬金を行う。要するにいらないアイテムを消し去るスキルだ。持ち物がいっぱいの時や捨てることができない呪いのアイテムを消し去ることができるという便利なスキルだが、消去対象のアイテムが魔力を保有するようなものであった場合、それと同等のMP(魔力の量を数値化したもので、ステータスの一つ。魔法やスキルを行使すると消費され、ゼロになると気絶する)を消費してしまうという難点もある。貴重な素材を大量投入した結果出来上がったゲテモノを消去した途端、ばったりと倒れてしまうこともしばしば起こるのだ。
こんな俺でも勇者パーティーに居させてもらえるのは、この連中が食にうるさいからだとしか言いようがない。勇者バーニィを筆頭に、どいつもこいつも最低三回は転職を経験し、二系統以上の魔法と攻守ともにバランスの取れたスキル構成に成長している四人の仲間たちにとって、錬金術師のサポート業務はほぼ必要ないと言っていい。武具やアイテムの合成は、金を支払って窯元にやってもらえば確実なのだから。
バーニィたちは、いつしか迷宮を攻略して世界に平和をもたらすだろう。その時が来たら、俺は溜めこんだレシピでもって食堂を開くのだ。この世界で俺が生きていくにはそれしかない。だから俺は、どうしても錬金レシピの行方を知りたいのだ。
ガシャガシャ! チーン!
「できたぞ~」
年代物のレジと電子レンジを合体させたような機械音の後、錬金窯からパンが飛び出した。次々と素材を放り込んでパンを焼き――いや作って仲間に配った後、出来立ての錬金バタールを布巾に包んで、木陰に移動して休ませてある少女――ミニッツとか名乗った黒衣の女の元へ運んだ。
「これは……」
黄金色に焼けたパンを初めて見たのか、ミニッツがもともと丸い目をさらに丸く見開いた。
「パンを知らないのか?」
「名称や形状は知っていますが、実際に手に取るのは初めてなのです」
出来立てのバタールは香ばしい麦の匂いを振り撒いている。いや、原材料は薬草と魔物の卵であることは間違いないのだが、俺がやるとこうなってしまうのだから仕方がないだろう。ちなみに市販のパンを食べてもHP(ヒットポイント。言わずと知れた生命力を数値化したもので、攻撃を受けたり疲れると減少し、ゼロになると死亡する)が回復したりはしない。これは紛れもなく、魔術の為せる業なのだ。
「暖かい、そしてとてもいい香りですね」
「そうかい? へへへ」
パーティーメンバーは食べ慣れているものなので、ごく自然にパンを口元へ運んでいたが、久しぶりに新鮮な反応を見た俺は、少々照れた。
「ヒロキ兄様が、鼻の下を伸ばしているですっ!」
「落ち着きなさい、スズ。あの女……ただの行き倒れとは思えないわ。成り行きを見守るのよ……モグモグ」
テントの中から鋭い視線が送られてくるが、ひとまずミニッツの横に腰を降ろした。
「ミニッツさん、だったよね? 俺はあのレシピがないと本当に困るんだ。君が本当に世界の全てを知っているというなら、レシピのありかを教えてくれないか?」
「…………」
「おい、大丈夫か?」
できるだけ優しく話しかけたつもりだったが、ミニッツは応えなかった。俯いていてその表情は見えなかったが、背中が時々ビクッ! と痙攣しているように見えたので、俺は四つん這いになって彼女の顔を覗き込んだ。
「うわあっ!?」
「ひぐっ、うぅ……」
ミニッツの口からバタールの半身が飛び出していた。残りの半分は恐らく口中と喉を占拠しているに違いない。要するに、ミニッツはバタールを喉に詰まらせて悶絶していた。
「ユキナ! バーニィ! どっちでもいいから助けてくれ!」
はたして俺は、世界の全てを知るという謎の少女ミニッツから、レシピの行方を訊き出せるか!?