行き倒れミニッツ
会議室のろうそくに火が灯され、いつものように会議が始まった。
最初に口を開いたのが創造主であることも、いつものことだった。
「さて、諸君。今回のやつは料理ものにしようと思うのだが」
創造主は、鼻の穴を膨らませた。
「しばらくバトルだ復讐だ、とまあ、血なまぐさいのが続いたからな」
私は粛々と、彼の言葉を書き留めた。
「ダイエットのやつは、もうやったからね」
脚本家が頭の後ろで手を組んで言った。彼のこうした態度は、初めのうちこそ創造主をイラつかせていたように思うが、会議の回数が五千回を越えてもうすぐ六千回を数える今となっては、創造主が眉を潜めたり、苛立たしげに咳払いをすることも無くなった。それどころかあの日の創造主は、意味ありげに含み笑いをして答えたのだった。
「ふふふん。安心したまえ。新作はもっと斬新な――」
「モンスターが来る食堂とか異世界食材を使って奮闘するやつとか宮廷料理人とか魔王の料理番とか新米料理人が戦国時代にタイムスリップとかじゃないやつですか?」
創造主の発言を遮って、圧倒的な早口で言葉を発したのは演出家だった。創造主は何か言いかけていた口をつぐんで、唇をぐっと噛んだ。そして眉根を寄せて目線を虚空に彷徨わせたのち、ポンと手を打って右手の一指し指を立てた。
「ふ、ふふん。なんと新作の主人公は、高額の報酬を得て超絶美味の料理を作るさすらいの料理人で――」
「それ、もうやったやつだよ」
「ぬ? そうかでは、さすらいの――」
「医者もやりましたからね」
創造主はまた、黙ってしまった。
脚本家は机の下で足を組んで、椅子ごと身体をのけぞらせながらため欠伸をし、演出家は頬杖をついてため息をついた。
「……ネタ切れなんじゃないの?」
一分は続いた沈黙を破ったのは、脚本家だった。彼らが黙っている時間は、私の仕事を奪う。私は、おしゃべりで行動的な脚本家に感謝した。
「い? いやいや。そんなことは断じてない!」
創造主が右手を顔の前でブンブンと振った。最近の彼は、「ネタ切れ」という言葉に過剰に反応する。
「今回の物語はな、主人公が女性なのだ」
大量の油汗を浮かべた創造主が言うと、頬杖をついたまま黙っていた演出家が顔を上げた。
「いやそこは、男性にしていただかないと」
「なぜかね?」
創造主は不満げだった。
演出家は創造主から視線を逸らし、机の上で指を忙しく動かした。すると、彼の指先が淡く光り、その軌跡はシンプルな棒グラフを机上に描いた。
「御覧なさい。女性を主人公にした場合、男性観客の共感を得るのが難しくなるのです。しかも、男性型の観客はそれぞれの価値観で女性を見てくれますが、女性型の観客の好みは複雑で、これを取り込むのに失敗すると盛大に叩かれます。特に、色恋が絡んでくるとその傾向は顕著になるのです」
演出家はさらに、「ただでさえ、料理というジャンルは好き嫌いが分かれるところなのですから、せめて登場人物くらいは動かしやすいものでお願いしたいですな」と続けた。それを聞いた創造主が頭を抱えた。
「だが、さすらいの料理人はもうやったのだろう? 私は……私はどうすればいいのだ!?」
「まあ、そこは私の腕の見せ所でして……実は」
演出家が創造主に何かを耳打ちした。
もちろん、私はこの部屋で起きた事の全てを記録している。演出家が創造主に提案したのは、新しいような新しくないような、二番煎じと言えば言えなくもない――そんな内容の物語だった。
「なるほど! 素晴らしい!」
しかし、涙目になって演出家の言葉を聞いていた創造主の表情が、みるみるうちに明るいものへと変わっていった。
「うんうん。今回も期待しているぞ」
「恐悦です」
「待ってよ。なに“その線で行こう”みたいな顔してんの? 演出家、あんた何するつもりだ!? 最終的に困るのは僕なんだぞ!?」
固い握手を交わした二人に、割って入る形で、脚本家がテーブルに身を乗り出した。
演出家が黙って口角を吊り上げて創造主に目配せすると、彼は大きく二回頷きを返した。
「なにニヤニヤしてんだ!? 僕にも教えろ! 脚本を書いてやらないぞ!?」
脚本家の言うことももっともだが、私は彼の反逆の兆しに少々怯えた。
「まあ、まあ。まずは創造主と私が、物語を形にしていきます。あなたにはとりあえず、“勇者パーティーの錬金術師に転生したんだけど、弱すぎて戦えないから料理番することにした”というタイトルだけ、お伝えしておきます」
「はああ!? 中身がわかんねーと脚本書けないんですけど!? つーか何それ? タイトルが長すぎる上に意味わかんないし!!」
脚本家が腕を振り回して喚いた。
「ふむぅ。元料理人という線を外すのか」
「ええ」
「聞いてんの? 錬金と料理となんの関係があるの!?」
創造主と演出家が立ち上がった。
いつの間にか創造主の手には、大量の紙束があった。彼はその中の一枚を取り、演出家に手渡した。
「主人公が豊かな料理知識を披露しても、観客の多くはそのような知識ネタに共感してくれません。与えられた能力を活用しつつ、試行錯誤の末に――という流れの方がベターです」
演出家が羽ペンを取り出し、スラスラと筆を走らせる。箇条書きにストーリーを組み始めたのだ。
「ちなみに名前なんだが、これなんかどうだ」
創造主の周囲には、複数の男女の人物が描かれた紙が浮かんでいた。
「ああ、それはちょっと……こちらの方がモアベターでは?」
「ふむ……あえてなんの縁も感じさせない路線か」
「ちょっと、さっきから無視しないでくんない!?」
二人は顔を寄せ合って話し込む。背を向けられた脚本家が椅子を蹴って立ち上がった。
揺らめくろうそくの明かりに照らされて、あれこれとアイデアを出し合う三名の姿は、なんだか微笑ましいものに見えた。
◇
あれは、まだ会議室の三名が仲良く協力していた頃のこと。あの日生まれた物語の主人公は今、どこで何をしているのだろう。
議事録を参照しようと思ったわけではないのに、こんなことを思い出すのはきっと……
私が、空腹だからだ。
◇
「あれ? ねえ、ヒロキ兄様! ちょっと来てください!」
スズが俺を呼んでいる。
しかし、今の俺にはどうすることもできない。
「ねえー、ヒロキ兄様ってば! スズ、すっごいものを見つけたんですよ!!」
「こら……治療中は、動かない」
せめて首だけを動かして、スズの声が聞こえる方を見ようとしたところ、額にそっと指を押し当てられた。しなやかで細い、柔らかな指先がそのまま鼻筋を通って、鼻先に到達するとチョン、と跳ねた。それはそのまま、俺の唇に軽く触れると離れていき、彼女の口中へと滑り込んでいった。
「あー! ユキナちゃんがヒロキ兄様と間接チューしたー!!」
スズがパタパタと駆けてくる。
「スズ、だめよ? ヒロキはまだ治療中なんだから」
ユキナが太腿の上に乗せた俺の上に覆いかぶさってきた。豊満な胸が顔面に密着し、鼻孔と口を完全に塞がれてしまう。
「むむむー!」
ただでさえ化け物の毒にやられて瀕死の状態なのに、仲間の胸で圧死なんてごめんだ。
「ほら、ヒロキだって全力で同意しているわ」
「むむむー!」
どうにかユキナの拘束から逃れようと身を捩るが、僧侶の腕力は意外と強い。両足をバタつかせる俺だったが、ズボンのポケットが弄られるのを感じて硬直した。
「ユキナちゃんの嘘つきー! やっぱりもう、『正常』に戻ってます!」
スズが俺のポケットからステータスカードを取り出したのだろう。どうやら、俺の治療は終了しているらしい。
「ちっ」
「ぷはっ――うおわっ!?」
隠そうともしない舌打ちを残して、ユキナが身体を起こした。しかし、彼女の香水の匂いが混じる空気をゆっくりと味わっている暇はなかった。ようやく解放されて息を吸い込んだ俺の胸に、小さな塊が飛び込んできたのだ。
「もう! ヒロキ兄様はユキナちゃんとくっつきすぎです!」
もんどりうって倒れた格好になった俺の胸に馬乗りになったのはスズだった。フェアリー族の彼女の背には、カゲロウのような透きとおった羽が生えている。それが小さく震えていた。それ以上に、涙をいっぱいに溜めている緑の視線が痛い。
「いやその、俺は別にくっついていたわけじゃ……」
そうだ。俺は毒を受けて治療してもらっていたのだ。何もやましいことはない。俺は体重の軽いスズを持ち上げて地面に降ろしてやり、少し癖のある黒髪を撫でてやった。すぐに、コロコロと可愛い笑みがこぼれた。
「わかってます。ユキナちゃんが、いっつも“ゆーわく”するからいけないんですね」
ほら、スズもわかってくれ――
「あら、ずいぶんと密着していたわよ? こ・こ・に」
立ち上がったユキナは、身体の前で拳を下にしてクロスさせた。その結果、法衣と呼ぶには胸元が大胆にカットされ過ぎているそこに、男を狂わすエロスの谷が出現した。エルフ族である彼女はさらに、極上の絹糸のようなロングの金髪の隙間から覗く、長くとがった耳の先端を下げるという離れ業まで使ってみせた。
「ヒロキぃ……私のここ……きらい?」
「それは、お前が勝手に押し付けてきたんじゃないか!」
余計なことをしやがって。俺はできるだけ享楽の谷に目を向けないよう努力しながら抗議の声を上げた。
「あら、それも治療の一環よぉ。……おかげでずいぶん元気になったみたいじゃない?」
ユキナの視線が、俺の臍の下あたりに移動した。彼女はさらに、ゆっくりと視線を俺の顔に戻し、桃色のぽってりとした唇から、赤い舌をチロリと覗かせるという妙技を繰り出した。
「ちがっ、これは――」
「わああん! ヒロキ兄様のエッチー!!」
「わああ! よせ、スズ! クナイをしまうんだ!」
忍者なら誰もが憧れる一撃必殺の絶技「首刈」を極めたスズにかかれば、初期装備のクナイどころか手刀ですら立派な凶器となる。俺の聞かん棒の命はまさに風前の灯だった。
「ロデリック! 助けてくれ」
俺は大きな石に背を預けて空を眺めている男に助けを求めることにした。
「断る」
「ロデリック!?」
ロデリックはこちらを見ようともしない!
「僕が助けるのは清らかな乙女だけだ。君のような下衆に貸す手は持ち合わせていないのだよ」
「ゲス……」
最近戦士から君主にクラスチェンジしたロデリックは、やたらと態度がでかくなった。ただでさえナルシストな上、俺の料理を食べて「お母様……」とか言いながら涙ぐむようなマザコンである彼は、「ロードっぽいから」という理由で生やし始めた口髭のおかげでさらに女性陣からの不人気に拍車をかけているのだが、本人は気づいていない。ある意味幸せな奴だ。
「兄様のイケナイ棒を叩っ切る! です!」
哀れなロデリックに思いをはせている場合ではない。スズは怒りに目を燃やして俺の背後に迫っている。こんなとき、俺に戦う力がないことが悔やまれてしょうがないが、悔やんでいる暇もない。フェアリー族特有の移り気な性格を利用するとしよう。
「そ・そう言えばスズ! さっき、何を見つけたんだ!?」
「あ。そうだった!!」
スズは手と羽をバタバタと動かして、東の方を指差した。
「あっち、あっちに人が倒れてるです!!」
「なんだって!?」
真っ先に反応したのは、パーティーの最重要人物だった。
「スズ、それは女の子かいっ!?」
「……そうだけど」
「なぜ、それを早く言わないんだ!?」
脱兎のごとく駆け出したその人物こそ、地下迷宮に囚われた王の娘を救うべく立ち上がった「勇者・バーニィ」だった。先日、地下五十一階で見つけた「鏡のマント」を翻して、彼はスズが指さした方へ駆けて行った。
「嫌だわね……がっついちゃって」
ユキナが腰に手を当てて、冷徹な眼差しを茂みへと向かうバーニィの背に向けた。
「ふむ。清らかな乙女だったら、僕も手を貸そう」
もたれかかっていた石から背中を離すと、ロデリックがバーニィの後を追った。
「ヒロキ兄様は、行かないのですか?」
スズが怒りを忘れて俺を見上げてきたので、俺は首を横に振って答えとした。スズはちょっと残念そうに口を尖らせたが、すぐに「よかった。兄様はやっぱり、勇者とかロデリックとは違うです」と嬉しそうにはにかんだ。
まあ、行き倒れの女の子なんてありがちなシチュエーションには、近づかないに越したことはない。勇者パーティーの錬金術師なんていうよくわからない立ち位置に転生して以来、その手の事に首を突っ込むたびに酷い目に遭ってきたのだ。
「さあ、お昼の支度をしよう」
「はいです!」
俺は茂みの方に背を向け、テントへ向かった。錬金クッキングをするためだ。
錬金術士というのは、この世界では調合屋とでも呼ぶ方が正しい。二つ以上の材料を組み合わせて様々な効果のあるアイテムを生み出すのだが、なぜか俺がこれをやろうとすると食い物ができるのだ。旨いものができた時は感動も一入だが、ゲテモノを生み出してしまった際の悲嘆も相当なものだ。特に、地下迷宮の深層に潜っていて、素材も乏しい中での失敗は痛い。
「さて、と」
しかし、迷宮の外ではそのような失敗は起こり得ない。
街で買い物もできるし、これまで書き溜めたレシピがあるのだから――
「どうしたの?」
昼飯と聞いてくっついてきたのは、スズだけではなかった。荷物をまさぐって凍り付いた俺の背中に巨大な双丘を押し付けてきたのはユキナだった。
「レシピが……ないんだ」
いつもの場所――重要な素材を入れておくナップザックのポケットには、丈夫な紙に書き記した俺の宝とも呼べるレシピ帳が入っていなかった。誰にも解読できないよう(商売敵に奪われでもしたら一大事だ)俺がもと居た世界の言葉で書き記したそれは、まるで始めからなかったかのように消滅していた。
「嘘だろ! おい!」
「ちょ、ちょっとヒロキ――」
背中に圧し掛かる柔らかいものをバインと払いのけて、俺はナップザックをひっくり返した。
その後も散々探したが、目的のものは見つからなかった。
自慢じゃないが、俺の前世はクソだった。死に方だってろくなもんじゃなかった。しかし見知らぬ世界で目覚め、謎の力と勇者パーティーの面々に出遭い、その後の運命に翻弄されながらも積み上げてきた、俺と、仲間たちやお世話になった人たちの想いが詰まったレシピが無くなった。
「おい、取り込み中悪いが、とりあえずなんか作ってくれ」
空気を読めないことでは間違いなく世界最強の勇者が、テントの中央で泣き崩れている俺に声をかけてきた。
「行き倒れの女性が腹を空かしているみたいなんだ」
黙っていると、勇者が俺の傍にしゃがみ込んだ。ロデリックが来ていないところをみると、行き倒れの女性は「清らかな乙女」ではなかったらしい。いや、今はそんなことはどうでもいいんだ。
顔を上げると、バーニィの横には青白い顔をした黒髪の女性がうずくまっていた。形状はよくわからないが、真っ黒な服を着ていた。彼女がその行き倒れの女性なのだろう。
「バーニィ……悪いけど」
俺はレシピが無くなったことを話した。迷宮の外では安定して素材を得ることができるため、ここ何日かはレシピを確認していなかったが、ナップザックのポケットはジッパーでしっかりと閉じることができるもので、もちろん穴なんて開いていない。スズがいつも、俺と荷物をガードしてくれているため盗まれることもまずない。
「……あの」
話しを聞いていた女性が、ボソリと声を発した。喉が渇いているのか、少しかすれてはいたが、綺麗なソプラノだった。彼女は黒髪によく合う黒い瞳を持っていた。それがじっと、俺の顔を見つめていた。
「あなたは……ヒロキ・ワタナベですね?」
「え? ええ、はい」
思わず返事をしてしまったが、どうして俺の名前をこの女性は知っている?
「あの、あなたは……?」
「私は会議録……と呼ばれているものです」
「はあ、そうですか。それでミニッツさんは、どうして俺の名前を?」
考えてみれば、バーニィから聞いて知っていたのかもしれないと思ったが、彼女の口からは思いもよらない言葉が零れ落ちた。
「私は、この世界の全てを知る者……あなたのレシピの行方も」