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ココアの甘いひと時


「ん? ここ、は…………?」


 くらくらする頭を押さえながら体を起こすと、不意に絵の具の匂いとコーヒーの香りがした。暗い部屋の中、あたりを見回す。どうやら僕は、ソファの上に寝ていたようだ。そこら辺には絵の具やはけなど、絵を描くのに使えそうな道具がたくさん転がっている。


「そういえば、木箱を開けて……」


 木箱を開けた直後に意識を失ってしまったという事実に気付き、頭を抱えたくなる。


「僕、妖狐なのにっ――!! ああ、もう! なんか、すっっっごく情けない……はあ――――って、あれ? 外が暗い???」


 不意に暗幕の隙間から零れる月明かりに気付き、愕然とする。


「ええええええぇぇぇ!? 僕、どれだけ気を失ってたの!!!」


 驚きのあまり、ソファから飛び起きた際、机の角に腕をぶつけてしまった。声にならぬ声を上げながらも、ぶつかった拍子に倒してしまった物を起こしに、机の端へと移動する。


「ああ、もう、今日は本っっ当に厄日だ――ん? これって……」


 月明かりに照らされたそれは、絵画のようだった。白い布でほとんどが覆われてはいたが、そこには鮮やかな紅い――――


 そのまま、引き込まれるように絵画へと手を伸ばした瞬間、突然、羽音が響き、視界いっぱいに何かが現れる。


「うわわああああぁぁぁ!!! な、何!? や、やめて!! ご、ごめんなさあああい!!!」


 僕がジタバタとその生物と格闘していると、いきなり電気が点いた。


「おお、起きたか?」


 陽気な声と共にドアから入ってきたのは田辺だった。電気が点いた事により落ち着きを取り戻したのか、先ほどまで暴れまわっていた謎の生物は、僕の頭の上で落ち着いているようだった。


 僕は涙目の上に、ヘロヘロでヨレヨレのことだろう……。


「ん? いつの間にそのハトと仲良くなったんだ?」


「――ハ、ト?」


「ああ、今、お前の頭の上に乗ってる奴だ」


「ああ、この子、ハトなんですね……」


 僕が引きつった笑みを田辺に返したのと、ハトが軽快に鳴いたのは一緒だった。


「ええと……田辺先生が飼ってるんですか?」


「いや、迷い込んできたんだ」


 田辺に促され、僕は再びソファへと座り込む。


「へぇ。この辺でハトって珍しいですね」


「多分、昨日の夜にあった磁気嵐のせいだろう。ハトは体内にある磁気コンパスによって旅をするからな」


 磁気が狂ったことでうっかり迷っちまったんじゃないかと軽く笑いながら、田辺はココアの缶を差し出してきた。お礼を言いながら温かいそれを受け取ると、田辺がそういえばと続けた。


「磁気嵐のせいで、作業していたパソコンや精密機器関係は全滅だったらしいぞ。データが吹っ飛んだって、他の研究室の生徒が嘆いてたよ」


(へぇ。そんなに大変だったんだ……ん?)


「昨日の夜!!! うわ、あっつううううぅぅぅ!!!」


 重大な事に気付いた僕は、開けたばかりのココアを盛大にぶちまけてしまった。

 ハトは僕が急に立ち上がった事に驚いたのか、部屋の中を飛び回っている。


「ああ、ああ、まったく、何やってるんだよ」


 田辺が水道の蛇口をひねり、布を濡らして持って来てくれた。

 謝罪と感謝を口にしながらも気持ちが急く。


「磁気嵐があったのは何時頃ですか?」


「ん? 確か、九時半くらいだったかな?」


(じゃあ、やっぱり――)


「ここかあああああぁぁ!!!」


 僕がある結論に至った瞬間、ドアが勢いよく開き、奈央が入ってくる。


「神宮寺? いきなりどうしたんだ?」


 田辺が目を丸くして聞くと、奈央が矢継ぎ早にまくし立てる。


「どうしたもこうしたもありませんよ――って、鳴海!! もう起きて大丈夫なの!? 良かったああああぁぁぁ!!!」


「おわ!!!」


 僕を見つけるなり、抱きついてきた奈央をなんとか受け止める。もちろん、ココアの缶は二次災害を防ぐため、テーブルに置いてある。


「もう、ほんっっっとに心配したんだからね!!!」


「ご、ごめんね、奈央」


「ああ、ゴホン――イチャついてるところ悪いんだが、神宮寺。何か他に用事があったんじゃないのか?」


「イチャ――いや、これはッ――」


「ああ、イチャついてるのはいつものことなので気にしないで下さい」


「奈央!! 誤解招くようなこと言わないで!? だいたい君は――」


「鳴海、そ・れ・は――言わない約束でしょ?」


 僕の唇に人差し指を当て、ニッコリと笑った奈央に僕は高速で首を縦に振った。

 奈央を怒らせると、色々と怖い……。


 僕の返答に満足したのか、奈央はスルリと僕から離れ、改めて田辺を見つめる。


「犯人は田辺先生だったんですね!!!」


  腰に手を当て、少し拗ねた表情の奈央に、僕も田辺もポカンとしてしまう。


「だーかーら、『開かずの扉』も『血が滴り落ちる廊下』も田辺先生が犯人だったって言ってるんです!」


 屋上で高杉から聞いた七不思議のうち、二つの名前が出てきたことで、ようやく思考が繋がる。


「ああ、そういうことか。でも、開かずの扉は教授だけが部屋の鍵を持ってるってだけだろ? 廊下は……ん? 俺のせいなのか?」


 田辺は合点がいったという感じで言った後、何故かこちらに質問してくる。


「さっき、廊下にある問題の場所で水が滴り落ちてきたから、排管を辿ってきたら……二階にあるこの開かずの扉の部屋に繋がってたんですよ!」


 頬を膨らませながら、奈央が僕の隣に腰掛ける。その言葉に、僕は納得した。


「ああ、そう言えばさっき蛇口捻ってたね」


 多分、七不思議の原因は、排管の亀裂か何かだろう。


「じゃあ、もしかして、血みたいに見えたのは……」


「紅い絵の具だったって落ちか?」


 僕の言葉に、田辺が苦笑しながら付け加える。


「もう! 研究棟三階の元冷凍室から、魔鏡棟一階の物置まで何回往復したと思ってるんですか! そういうことは先に教えておいて下さいよ!」


 子供の様に膨れながら奈央が田辺を睨む。


「いや、俺もそれは知らなかったから教えようがないだろ。まあ、悪かったよ。あと、手伝いありがとな」


 田辺は笑いながら奈央にも温かいココアの缶を渡す。


「うぅ……こんなので誤魔化されたりはしませんが、ありがたくいただきます」


 ココアを飲む奈央を見つめながら、僕は呟いた。


「そっか、もう、運び込みも終わったんだね」


「うん。大変だったよ。レイは途中から外にあるベンチで寝ちゃうし、アルは体力がないから使えないしで……凛子さんが来てくれなきゃ終わらなかったよ」


 僕の言葉に、奈央が深いため息をつく。


「お? 最上が手伝ってくれたのか? それじゃあ、後でお礼をしなくちゃな」


 田辺はそう言いながら、ようやく田辺の肩へと落ち着いたハトを優しく撫でたのだった。


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