37話 闇夜ヲ駆ケル死ノ鳥 幕裏 ライラ編
今回の主役はライラさんです。
──自由都市ニーヴァ 裏通り
「おい、どうだ?」
「だめだ、誰からも応答がないな」
男が円盤の様なものを持ち、一定のリズムを刻む様に指で何度もたたく。
「しかし、町が静かすぎる。もし捕まったとするならば、何かしらの騒ぎが起きているはずだが…」
「…イチゴー、間も無く合流予定時間を過ぎるぞ」
「…そうだな」
イチゴーは
「仕方ないゼロキュウは死亡と判断する。ここからは私の判断に従え。これより速やかにこの町を離脱、各自ツーマンセルで行動、ルートはA、B、Cを使用する。…もし捕まった場合は、速やかに起爆させろ、証拠隠滅を忘れるな。では…いや、待て!」
カツッ カツッ カツッ
静かな人気のない路地裏に、甲高いハイヒールの靴音が響き渡る。
「ふふふふふっ」
同時に甘い花の香りが漂い、静かに囁くような笑い声が聞こえてくる。
「………」
男たちが無言で武器を取り出し、構える。
「ライラ…フランソワーズ」
「うふふ、こんな夜更けに、どこに行こうというのかしら?ずいぶん物騒なにおいがするわよ?貴方達♪」
「…貴様の仕業か?」
男が鋭い視線をライラにぶつける。
ライラは一瞬表情をキョトンとさせた後、唇に人差し指を当て、首を傾げながら、
「何の話かしら?ふふっ」
と嗤う。
その姿は、普段何も知らずにすれ違う者達が見れば、すぐに興奮して目を離せなくなるほどに煽情的で、妖艶であるが対峙する男達からすればあまりにも禍々しく映り、背筋がゾクリとする。
だが、強烈に感じる恐怖心や動揺を表には出さず、イチゴーはライラと対峙する。
それは自分は一流の暗殺者であり、なによりも教会に命をささげた殉教者であるという、プライドにより自身を辛うじて保つことができていた。
そうでなければ、すぐさま本能に逆らうことなく、この場から背中を向けて逃げ去っていただろう。
男の口が短くに動く。
「…殺せ!」
男の合図と同時に、音を立てずにライラを取り囲む様に移動していた男たちが、同時に襲い掛かろうとするが、
「が……あぐぁ……」
ライラに近づいた者達が呻き声を上げて次々と倒れていく。
倒れた者達が、喉を抑え、舌を出し、涙を流す。
顔は赤から青へと変わり、段々と白く変色していく。
よく見るとライラに近いものほどその症状は酷い。
「なっ…」
目の前で一瞬で起きた余りの出来事に理解は追いつかず、イチゴー初めて動揺を表に出したまま狼狽え、僅かに後ずさりする。
その姿を見つめながら、ライラはまた嗤う。
「ふふ、うふふふふ」
少しずつ近づいてくるライラを呆然と見つめながら、”悪魔”そう、イチゴーは思った。
仕掛けは分からないが何かの魔法…それも状況から、ライラを中心にした限定空間による何らかの作用により仲間は倒れたとイチゴーは判断した。
「距離をとれ!遠隔から取り囲め」
イチゴーの傍に立ち、辛うじて難を逃れた残りの二人が即座に指示に従い左右に散る。
ライラはその姿を微動だにせずに見つめていた。
そして腰からナイフを取り出し、ライラに向かって投げつけようとしたところでその動きがピタッと止まった。
「無駄よ」
ライラの手が動く。
指を開いたまま手を交差する。
「なっ」
ナイフ投げつけようとして止まった男達の手が動く、三方に散った互いの仲間に向かってナイフが飛ぶ。
「ぐっ」
ナイフは互いの体を突き刺しあうように命中し、男達のその体に突き刺さる。
状況は不可解で相手の攻撃手段も対策もわからない。
傷を負いながらも、素早く現在状況を再分析し、イチゴーは撤退を決める。
その判断は素早い。だが…判断するのが遅かった。
(身体が…動かない?なんだこれは)
「不思議…って顔ね。手品の種を知りたい?うふふ、どうしようかしら」
相も変わらず、人をあざ笑うかのような態度をとるライラに憤りを感じ、奥歯をかみしめ、更に驚愕する。
(悪魔め…)
「…傀儡の間」
そんな、イチゴーの心を見透かしたかのように、ライラが答える。
「!?」
「それがこの技の名前よ。ちなみに魔術ではないわ…サービスはこれくらいでいいかしらね」
ライラが手の甲を前に三本の指を前に出し、引く。
身動き取れず止まっていた男達が、引き寄せられるようにライラの下へと向かっていく。
まずい、とイチゴーも思ったが抵抗する術はない。
その先にあるのは、最初の不可解な攻撃で倒された仲間達。
「さて、もうすぐ私の部下たちが来るから、それまで大人しくして頂戴ね」
「あ…あが……」
「あら、ごめんなさい。そんな事言われても、もうあなた話せないのよね。ふふ、わかるかしら、この空間にいるあいだ…もうあなたは空気が吸えないし、魔力を練ることもできない。当然、自爆も不可能よ。でも仕方ないじゃない、こうでもしないと、貴方達すぐに爆発して自分ごと証拠隠滅を図るもの。しかも町を壊して…それってとても困るでしょ?…でも安心してね、もうあなたのすべてを掌握したわ。起爆装置は奥歯だったのかしらね?残念ね、うふふ」
「ぐ…き…」
「だから安心して寝なさい。お姉さんは素直ないい子にはとっても優しいわよ~。でも…」
「さ…ぁ」
「この町で暴れるなら、それなりの覚悟はしてもらわないと…ね」
キツネ目のライラの眼が僅かに見開かれる。
透き通った青白い瞳。
その眼にはただひたすらに冷たい…憎悪と殺意が込められていた。
イチゴーはその瞳に畏怖を覚えた記憶を最後に……意識を失った。
パチパチパチパチ
男達の無力化を終え、その場に立ち尽くしていたライラの耳に乾いた拍手の音が響き渡る。
「死痺草、狂宴花(きょうえんか)、それに…周囲に振り撒いてるのは魔屑粉かな?他にもありそうだが、私にわかるのはそれくらいだな」
暗がりから音もなく現れた男は全身にローブを着こみ、その頭には深くフードをかぶり、その顔は見えない。
だが、その姿を見たライラは顔を顰め
「…ウーヌス」
その名を呼んだ。
「死痺草は即効性の強力な麻痺作用を起こす毒草、狂宴花は吸ったものの理性を薄れさせ、攻撃的にさせる甘い香りを放つ麻薬の花、そして魔屑粉は理石を粉にまで砕いた粉だがこれは散布すると、周囲に魔力干渉を起こして魔力の作用を拡散させることが出来る。見事なものだね。君の能力は対人戦に置いては比類ないものだな。冒険者などでは、その美しく咲いた花は誰の眼にもとまらないままはかなく萎れてしまう…もったいないものだな」
ウーヌスは芝居がかったように手を大仰に広げ、ライラに向かって賛辞を表す。
だが、それを見つめるライラの顔は作り物の様に固く
「…なぜあなたがここにいるのかしら?」
その声は機械的で何の感情もあらわさない。
「ふふ、いえ、ただの物見游山ですよ。少し気になる者が居たのでね」
「!?」
口角を不気味にあげて語るウーヌスの言葉に、ライラは頭の中でパズルがハマっていくのを感じる。
それはほとんど直感に近いものではあったが、ライラには不思議に確信があった。
「そう…セバスさんにメダルを渡し、トーマスを焚き付けたのは貴方だったね。今回の事件を引き起こして、彼の実力を見るために。狙いは…そう、ユート君ね」
両手を広げたままウーヌスがカクッと、壊れた人形の様に首を傾げる。
「セバス?トーマス?ふむ………あぁ!あのご老人とNo.09の事ですか。いやはや、私は親切で教えてあげただけなんですがね。”この町に諜報員がいるようだ。だが、その人物は分かない。偶然メダルを拾ったのだが、これを持っていると狙われるかもしれない。だから内緒であずかってくれないか?”ってね。あぁもちろん彼の友人に変装はしていましたが、いやー良いお方でした。こんな無茶なお願いを笑顔で聞き入れてくれるのですからね。そんな彼が…まったく不幸な事件です」
悪びれる様子もなく、しれっと認めるウーヌスにライラのこめかみがわずかに反応する。
「No.09にはがっかりですね。まさかあんなにも不甲斐ないとは…まぁ、あれの従者の力も見れましたし、全くの無駄と言う訳ではありませんでしたが。ふふっ、あれは思わぬ収穫でした」
ウーヌスは愉快そうに笑っている。
「まぁ、あれ自身の力は見れなかったのは残念ですが、まぁまたの機会でいいでしょう」
「…貴方が直接やればよかったのではないかしら?あなたは黒影騎士団団長なのでしょ?」
あまりに楽しそうに話すウーヌスに、限界を迎えつつあるのか、ライラが皮肉で返す。
「いえ、それはやめておきましょう。あれは私には殺せません。私は勝てない戦いはしない主義ですので」
全く気にした様子もなく、肩を落としながら自分の無力さを語る。
その言葉に驚いたのはライラだ。
ウーヌスは聖堂教会の裏組織、黒影騎士団の団長。
つまり序列一位にして、最も強い者なのだ。
その力は例え『選定勇者』を正面から相手にしたとしても劣るものではない。
勇人の正確な実力までは把握しているわけではないものの、かなりの力を持っていることはもちろん知っている。
そのうえ、理由や経緯は知らないが、付き従っている従者達も一人一人が尋常でない実力であることも…。
それでも、この目の前の男、ウーヌスが”自分には殺せない”と言った事には驚いた。
その気になればどこにでも気配無く侵入し、音もなく近づく事ができるこの男が…。
「ふっ、では今夜はこれで失礼しますよ…間もなく夜が明ける」
「っ?!」
わずかな間とはいえ、敵を前にして少し考え込んでしまった自分を戒める。
「このままいかせると思っているの?」
僅かに見開いた眼で鋭くウーヌスを射抜き、両の手を前に出して構える。
「はっはっはっ、ええ、もちろんです!私は逃げ足が自慢ですからね」
ウーヌスは手を広げ、再び芝居がかった態度で笑いながら後ろに飛ぶ。
「なら、力ずくで縛り上げてあげるわ!」
ライラの両の指が空を切る。
その指から伸びた、わずかに煌めく糸がウーヌスを襲う。
「ミスリル製の特殊鋼糸ですか。たしかにそれに掴まれたら一溜りもありませんね」
言いながらも、事無げに襲い掛かる無数の糸をかわす。
「油断したわね」
「む?」
ライラが両の手を交差する。
周囲に隠し、蜘蛛の巣状に張り巡らされた青白い魔力で編まれた糸がウラヌスを散り囲み縛り上げる。
「ふむ、なるほど、微かに煌めくミスリル鋼糸は囮…もちろんそれ自体も姿は見えにくく、切れ味も強度も十分な武器だが、あえて見えにくいミスリル鋼糸を囮にすることで、周囲に大きく作られた蜘蛛の巣の罠に誘い込まれていたわけ…そして魔力の糸を介して相手に自分の魔力を送り込み神経回路を操り傀儡と化す。ふふふ、実に見事ですライラ=フランソワーズ。どうです、私と一緒に来ませんか?」
「戯言を!あなたとあいつだけは一思いに殺してあげるわ」
ライラらしからぬ激昂。
感情のままに叫び、糸を引く。
「ふふふ、怖いな。そしてだからこそ、そんな女性は美しいと私は思いますよ。でも……」
縛り上げられながらも、何事もないようにウーヌスが口角を不気味に上げて嗤う。
「それは不可能だよ」
ウーヌスの肉体が霧の様に消え、縛り上げていた糸が空を切る。
「なっ!幻影!?」
だが、ライラはすぐに自分の言葉を否定する。
確かに捕らえた感触はあった。
幻影の魔術は基本的に実体はない。例え仮初で質量を作り出したとしても、その耐久力は恐ろしく薄く、人が振れるだけで壊れるほどに脆い。
ならば幻惑の魔術かと考えてまたすぐに否定する。
幻惑は、目の前に幻を作り出す幻影とは違い、敵に直接魔術を行使し、幻を見せる魔法である。
直接魔術を作用させるならば、そこには何らかの媒体が必要である。
基本は触れて直接魔術をかける。しかし対峙してから今までウーヌスとは接触はおろか一定以上の距離を持って接触している。
ならばなんらかの媒体を使用したのか?
媒体には術者によってさまざまなものが用いられる。
それは、たとえばライラが良く用いる香りだったり、音だったりするわけだが、その予兆も形跡もなかった。
ライラは焦る。
格上との対人戦に置いて、相手の術が理解の及ばないものであることは致命的である。
その先の結果はさっきのライラとイチゴー達の戦闘からでも容易に想像できる。
即座に思考を切り替え、周囲を警戒し、消えたウーヌスを探す。
ウーヌスは空中に浮かぶように立っていた。
「今夜は色々と楽しいものを見せてもらえた。感謝するよ、ライラ=フランソワーズ。ではこれにて失礼…こう見えても忙しい身の上でね」
再び霧の様になって風と共に吹かれて消えていく。
ライラはその光景を呆然と眺めていた。
「見逃された……ということかしらね」
先ほどまでの自分の行動思い起こし、その場に座り込む。
無謀…だったと今は分かる。
普段のライラであれば、すぐに逃げに徹するか、今ここに向かっている職員をまって時間稼ぎに徹するべきであった。
その上で何らかの対策を練るべきだったのだ。
ウーヌスと対峙していた時のライラは正気ではなかったし、冷静でもなかった。
ライラは己の所業を深く反省する。
「はぁ……私もまだまだ若いってことかしらねぇ~」
独り言をつぶやきながら、自嘲気味に乾いた笑いをもらす。
その後、僅か5分後にトマ以下数名のギルド職員が到着し、気を失ったまま転がっていた諜報員の残党を連れて行ったのだった。