正義の決断
風花と雪継が紺氏の都に着くやいなや、大介のところに連れて行かれた。
「ただいま連れて参りました」
「うむ、ご苦労」
そしてそこには鈴もいた。
「風花! よかった無事で!」
「……どうして……」
普通こんなに喜ぶことなのだろうか。たった数日しか過ごしていない人の無事なんて。
「……さぁ、これで条件は揃った。お前は今から紺――」
「どういうことですか!?」
風花は思わず叫んだ。条件? そんなの聞いてない。
「お前は黙ってろ!」
その声と同時に大介に殴られた。……もはや痛みなんて無い。
「なんてことを……! せっかく生きたままって言ったのに……」
「それはここに連れて来るまでだろう? 誰がこんな愚か者を生かしておくと言った?」
ふっ、と笑って言い捨てた。そして今度は雪継に視線が送られる。
「あぁ……風花の前にお前だったな。雪継、お前のことは割と信用していたんだがな」
そして腰にあった刀を抜き――
「やっぱり役立たずだ!」
それを雪継に振りかざそうとした。が、
「……お前……何をする……!?」
風花は反射的に自分の刀で大介に反抗していた。
「……雪継は……悪く……ありませんっ……!」
「えぇい……生意気な! おい、こいつを倒せ!」
自分に向かってくる人達になすすべもなく固まっていると、
「風花!!」
――ドスンッ。
痛く……ない。見ると雪継が刀を抜き、全員倒していた。もちろん、大介様以外。
「雪継……」
「……あいにく、僕は半端な鍛え方をしていないもので」
「……貴様っ……!」
大介は立ち上がり、完全に戦闘態勢だ。
「待った!」
後ろから鈴が叫んだ。何事かと後ろを振り返る。
「あなた……私が紺氏の仲間になればいいの?」
「……そうだ、それ以外何も無い」
「じゃあもう一つ条件付け足して」
鈴……あなた何を言い出すの。
「この二人を殺さないで」
「……なっ……何を……」
「その条件が呑めないんだったら、私は紺氏にはなれない」
「……鈴……――」
「今後一切、この二人に暴力振るわないで!」
大介様は難しい顔をして悩んでいるようだ。……そこまで悩むことなのか。
「――いいだろう。ただし、お前が裏切った時はお前の命が無いぞ」
「もちろん」
鈴は勝ち誇った顔で大介を見据えた。
*
「領主様っ……大変です!」
「なんだ!?」
「紺氏から……手紙がっ……!」
……なんだってこの忙しい時に。今戦わないと紅氏はどうにかなってしまう。しかし、急ぎの内容だと困るので仕方なく真次は封を切った。そこから出てきたのは、一枚の紙だった。
「……大介?」
送り主は、かつての戦友だ。
“――約束だ、必ず戻ってくる”
“あぁ、分かってるよ――”
……あんな約束も守れない、頼りない戦友だ。
「……――これは……」
自分の目を疑った。というより、もうこれは嘘だと思った。
「……秀広」
「はい」
近くにいた秀広を呼び寄せる。信じられない、これは。
「これ……なんて書いてある?」
「…………え――?」
秀広は真次が見た時と同じように、固まって動かなかった。
すごい沈黙。嘘みたいに誰も喋らない。
「ねぇ、どうして黙ってるの?」
「…………か」
「え?」
「……馬鹿! 馬鹿馬鹿鈴の馬鹿! どうしてあんなこと言ったの! あたし達のことなんて――」
「はい、終了」
私は風花の口を押さえて黙らせた。
「別に、私が好きでしたことだから。気にしなくていいよ」
「……何よそれ。そんな簡単に味方裏切っていいの!? たった二人のために仲間捨てていいの!?」
すごい剣幕。女って怖い……あ、私も?
「もういい、知らない!」
怒った風花は部屋から出て行ってしまった。
「……はぁ……あはは、女の子の扱い方って難しいね?」
もう一人残っている男の人に話しかける。
「……僕も風花に同感だ。どうしてあんなことをしたのかな?」
男の人は納得できない、という顔で私を見た。
「……どうして……う~ん……だって風花はいい子だし……その風花といるんだから、あなたもいい人なのかな? って……」
「……分からないよ、君の考え方は。……風花と少し似ているね」
別に私、意味不明なこと言ったつもりないんだけど……だって、人を助けたいから助けたって当たり前じゃない? しかも本当に紺氏になるつもりないし。要するに、味方を裏切ったつもりもない。いつか隙を見て逃げようかなー、な~んて……
「あ……そういえば、あなたの名前は?」
「……雪継」
あぁー、なんかさっき風花が言ってたっけー? とそんなことを考えていたら、雪継の口から思いがけない言葉が出てきた。
「……君の名はどっちなんだ?」
「え?」
「前に風花から聞きましたが……桜子は君のことを“鈴音”と呼んでいるようだね」
「……どうしてそれを風花が……」
「しかし、君は風花に“鈴”と名乗った。一体どっちが本当なんだい?」
「……それは……」
それは――……
「答えられないのかな?」
じゃああなた信じてくれるの? 私は未来から来たんだって。私は女なんだって。
「答えられないのか!?」
「……それはっ……!」
だって。
「……私の名前は“紅 鈴”、それだけ」
「……答えになってないな」
「だって……どっちが本当なんだって聞いたじゃないか」
感情的になると女々しくなる。私はわざと語尾を男らしくした。
「あぁ、聞いたね。でもそれは、どうしてなのかも教えろと言っているんだよ」
「……君はそのことを知る必要は無いよ」
「これから一緒に戦う者のことくらい、知っていてはいけないのかな?」
「別に知らなくても今後に支障は無いね」
それに、と付け加えた。
「名前はその人に込められた想いの結晶だよ。その想いを赤の他人に根掘り葉掘り聞かれて、いい気持ちになる人なんてあんまりいないと思うけどな」
何も言わない雪継に私は続けた。
「きっと君は、名前をこのくらいにしか思ってないんだろうね。“人を呼び分ける時の道具”」
精一杯対抗したつもりだった。
あんたにこの気持ちが分かるのか。大介のように命を粗末に扱う人間に反論もせず、自分のくだらないプライドを守って。そんな組織に疑問さえ持たずに。そしていつしか、汚れていない心までもを狂わす悪を。
――あんたに分かるもんか。
「……ふっ、面白いね君は……」
「えっ……?」
「――負けたよ、その精神には」
雪継はそう言って自嘲気味に笑う。
「君のその精神を紺氏は必要としているんだよ」
「……精神……?」
「そしてそれは紅氏も同じだ」
だんだんと難しい話になっていくので私は雪継の言葉を繰り返すことしかできない。
「……おそらく君がいれば、紺氏も少しはましになるかもしれないね」
「本当?」
「嘘は言いませんよ」
一発、君に賭けるのもありかもしれないね、と雪継が付け足す。
「僕に考えがあります」
「何?」
「君、紅氏に戻りたいですか?」
「……当たり前だろ」
「だったらこうしましょう。この戦いが終わるまでに紺氏がいい組織になっていれば、君を紅氏に戻す」
しかし、と続ける。
「もし出来なければ、その“正義”とやらを捨ててもらいましょうか」
「“正義”って……」
「どうですか?」
“正義”? まぁいいや、とりあえずそれは置いといて……紅氏に戻れるチャンスだ! これは受けるしか!
「いいよ。絶対、変えてやるから」
「楽しみですね」
雪継はそう言って部屋を出た。
「……馬鹿」
大馬鹿だ。……これだから正義ってもんは。
「――戻れる訳無いだろ」
少し投げやりにつぶやいた。
*
「どういうことだ?」
真次の問いかけに答える者は誰もいない。……当たり前だ、知っていたら逆に驚く。
「……これは紺氏の脅しなのでは……」
唯一提案してきたのは秀広だ。
「確かにそれもあり得なくはないが……」
――大介から送られてきたのはこれだった。
“紅 鈴を本日付で紺氏の者とする”
ただ、それだけだった。まさか鈴の意思ではないと思うが、単純な奴だ。何か騙されている可能性もなくはない。
「……どうしますか、これから」
「どうするもこうするも……とりあえず、この戦いに負ける訳にはいかない。これは勝つ」
「もちろんそうですが……」
「あぁ、分かってる。鈴のことは――忘れろ」
今は、というのを付け忘れた。しかし、それぐらいがちょうどいいか。
「忘れろって……助けに行かないつもりですか!? あんな連中の中、たった一人であいつは……」
「分かってるんだよっ!」
一気に静まり返る。構わず続けた。
「お前……誰が紺氏になってもそう言ったか?」
「……それは……」
「鈴じゃなくても助けに行こうとしたか?」
秀広はもう何も言わない。
「――それなんだよ。あいつだけに特別何かがあるのか? 前も言っただろ、その感情が紅氏全体に迷惑をかける! そんなことも分からないのか!?」
もういい、と立ち上がった。
「今は全員、戦いに勝つことだけに集中しろ」
その真次に秀広はもう何も言えなかった。
「なんでそんなこと言ったの!?」
……というのは風花の意見である。
「なんで? そんなの簡単です。紺氏のためになると思ったからですよ」
「……本当……あんたって人は……」
風花は思わずため息をついた。
「そんなこと言ったら鈴が大介様に対抗しまくるの、目に見えてるじゃない」
「そんなこと言わなくても、目に見えてますがね」
「……それは……鈴がかわいそう」
「え?」
雪継の考えが、あたしにはいまいち分からないのだ。
「鈴だけが頑張ればいいって訳じゃないでしょう? てゆーか、鈴だけが頑張っても紺氏は……大介様は変わらない」
「……そうですね」
「そうですねって……雪継、あんたそれ分かっててあんなこと言ったの!? それはちょっとあんまりよ……」
「元からあいつを紅氏に戻そうなんて気はありませんし。まぁ、走り回るのを見ていても面白いと思いまして」
「――……最っ低。何それ、馬鹿みたい」
あたしはそう言ってその場から歩き出した。
――鈴は。鈴はきっと……それを真に受けてるわ。
……あたしがどうにかしなきゃいけないんだ。
*
それは戦いも勢いを増し、私が紺氏になってから数日が経ったある日のことだった。
「雪継、風花、鈴! 大介様がお呼びだ!」
「今行きます!」
三人揃って大介に呼ばれたのだ。
コンコン。
「……入れ」
「失礼します」
部屋に入ると同時に大介が言った。
「今日はお前らに大切な役目を与える」
「大切……?」
「そうだ。今からお前達は紅氏のところに行って都に潜入しろ。そして桜子を襲え」
「えッ」
思わず声を出してしまった私を大介はにらんだ。
「なんだ」
「あ、いえ……あの、殺したりしないですよね?」
「そんなの知るか。殺したところで誰も文句言わないだろう」
「なっ……そんなことだったら私はそんな役っ……」
風花に口を押さえられて、言葉が途中で切れた。
「お引き受けします」
雪継と風花が頭を下げたので、合わせることにする。
「うむ、行って来い」
「も~、なんであんなの引き受けるのー!?」
「仕方ないでしょ、大介様の命令なんだから」
「でも……殺すかもって……」
「その時はその時よ」
「そんなっ……」
きっと雪継があんなこと言ったからだ。余計に鈴が大介様に対抗する。
「ほら、ちゃんと隠れて。見つかったらどうするのよ……」
「ご、ごめん」
それにしてもさー、と鈴が言った。
「どうやって桜様のとこまで行くの?」
「隠れながら」
「見つかったら?」
「大丈夫、見つかんない」
「……なんか、安心感……」
*
「えぇ、そうなんです……今朝から見つからなくて……」
「それは大変だなぁ……よし、ちょっとそこら辺の人に捜すの手伝ってもらうかい?」
「すいませんねぇ……」
女性は頭を下げた。捜しているのは子供だ。
「桜子、どこ辺にいると思う?」
「う~ん、あそこ?」
「あんたに聞いてない……」
鈴の代わりに雪継が答えた。
「あっちですね。人数が多くなっています」
「あ、なるほど……」
単なる勘じゃダメなのか、と鈴は一つ学んだらしい。
「じゃあ……ここら辺も割と人が多いから……急いであそこまで走るしかなさそうね」
そう言って雪継を見る。
「そうですね。それでいいと思います」
「鈴、行ける?」
「うん、足の速さなら負けないよ」
「よし。じゃあいっせーのーで、で行こう」
「了解」
「分かった!」
二人の了承を得たところで、鈴がふと斜め前を見た。
「あっ! 危ないっ!」
風花がそう叫んだ時には鈴が飛び出していた。
「おいっ、おま……」
雪継も鈴を止めようとしたが間に合わなかった。
ドスンッ!
「……うっ……」
鈴が見つかるのを覚悟――していたのかは知らないが、飛び出したのは。
「うっ……うわぁぁぁ~ん……」
子供を守るためだ。
「いっ……痛てて……だ、大丈夫!? ちょっ、待って泣かないでよぉー!」
「馬鹿っ! お前すぐこっち戻れ!」
「え? でもこの子迷子みたい……なんで入ってき……」
「いたぞ――――――――――――――!」
もたもたしていたら見つかってしまった。雪継はすぐに鈴から子供を奪って走り出した。
「鈴っ立てる!?」
「う、うん……」
「早く! 走るよ!」
「本当にありがとうございましたっ!!」
「……いえ……僕は何も……」
そうだ、全てあいつがやったこと。
雪継は子供の母親らしき人に偶然会い、何度も頭を下げられていた。
「今度何かお礼を……」
「あ、いえ。お気遣いなく」
全く、なんで僕がこんな面倒な役回りを。
「……はぁっ……はぁっ……」
風花と鈴は物陰に身を隠した。……雪継はうまく逃げたようだ。
「……す、ず……大丈夫……?」
「う……うん……だい……じょぶ……」
息が整ってから鈴が言った。
「……ごめん……私のせいで。迷惑かけちゃったね……」
「ううん。鈴がしたのは、正しい行為だよ」
そう、正しい。だから――
「もう……無理」
「え?」
「諦めよう。桜子のとこ行くのは」
そのままでいて欲しい。
「でも……そんなことしたら……」
「いいの。――ねぇ、鈴」
風花は鈴の目を見て言った。
「本当に、紅氏に戻りたいんだよね?」
「……うん」
よかった。やっぱりそうだよね。
風花は腹をくくった。
「――行って」
「え?」
「ここからあの裏口通れば、紅氏の都に戻れるでしょ」
「え……桜様のことは諦めたんじゃ……」
「そうじゃなくて。鈴が、紅氏に戻れるでしょ?」
「……風花……」
「きっと説明すれば分かってくれるって。――ほら、行きなよ」
風花はちゃんと鈴の目を見た。……もう逸らしたくない。ちゃんと、向き合いたい。
「まぁ……大介様にはうまくごまかしておくから。……ここで行かなくてどうすんのよ」
「風花……風花ありがとうっ!」
「えっ、ちょっ……」
鈴が抱きついてきた。その顔を覗き込むと――泣いていた。
「男がこんなとこで泣くなっ! ほら行け!」
「うんっ!」
そして鈴は――紅氏の都へ戻っていった。
「……世話が焼けるわね、本当」
これでいいんだ、これで。これで全部――
「元通り、だね」
「うわっ! いつからそこに!?」
「うーん……“行って”のとこくらいかな?」
「普通に出て来いそこは!」
「……でも……」
「今度こそ終わり、かな……ごめん、あたしが勝手にやったのに雪継まで!」
「……君の無茶に付き合うのは慣れているよ」
そう言って雪継は初めて優しく笑った。