春へ虹を
リビングに電話の音が鳴り響く。光はその音で目が覚めた。
プルルル、プルルル……
しつこく鳴り続けるそれは、まるで光を待っているかのようだ。
「んだよ……うっせーな」
こんな日曜の朝に誰だ。まだ起きていない頭を支えながらリビングに向かう。
「……はい」
「本田様のお宅ですか?」
「そうですけど」
相手は若い女性のようだ。なんかのセールスだろうか。
「わたくし、フューチャーティーリングの……と申します」
名前は聞き取れなかったが、フューチャーだかなんだかっていうのは聞いたことがある。なんだっけ、確か最近見たような……
「先日、お電話を頂いたようですので――」
“絶対当たる! 驚異の占い師!”
“カップル成功率90%!”
“まずは相談からでも お試し無料”
そうだ。ネットで見た「フューチャーティーリング」はあの占いのとこだ。
「……あの、いいですやっぱり」
「ぜひ一度お試しください。きっとあなたの心の支えになると思います」
「いえでも……」
「出張相談もやっていますので」
いいっつってるだろ。お前に俺の何が分かるって言うんだよ?
「それではいつでもご連絡をください」
ブチッ、とでもいいそうな音で電話を切られる。……ったく、一方的に喋りたいことベラベラ喋りやがって。乱暴に受話器を置くとソファーに倒れこんだ。
それから数日後、郵便受けに一枚のハガキが入っていた。送り主を見ると「フューチャーティーリング」という文字が大きく書いてある。
またか。今度は何だ? 文面を見ると、どこかの住所だけが書き記されてあった。
「……変なの」
やっぱり相談しなくて正解じゃねーか。光はそのハガキを破るわけでもなくゴミ箱に押し込んだ――
「……いよ光! どうしてこんなことするの? こんな……」
鈴の声が聞こえた。でもどこか取り乱しているような声だ。誰かを責めているような。秀広はまだはっきりとしない意識の中、鈴の声を聞いていた。
「あなた、何者なの……?」
わずかな気力で目を開けると、鈴と光が向かい合って何かを言い合っている。
……あいつ、鈴をどうするつもりなんだ。紅氏をどうするつもりなんだ――
「光! ねえ、お願い。答えて……」
鈴がこんなに必死になっているのに。
「……俺は鈴音を未来に連れ戻したいだけなんだ」
「だからそれだけじゃ分かんないよ!」
「これは鈴音のためなんだ!」
次の瞬間、鈴が光の頬を打った。
「……私のため……? ふざけないで……」
鈴の声が震えている。
「こんなことが私のためなの? 大勢の人を傷つけるのが? 見損なったよ……光は絶対にこんなことする人じゃないって思ってた私がバカだった!」
私は光を見つめながら……いや、もう睨んでいたかもしれない。光に叫んだ。あの時、光に言われた言葉を返したのは無意識ではないだろう。
こんな人じゃないって思ってた私がバカだった。
そう言うと光は我に返ったような目で、
「……ごめん」
「え?」
「俺……もう分かんないんだ。自分が何をしようとしてんのか、何がしたいのか……」
あの時の光の優しさが宿ったような、そんな目。やっと目を覚ましてくれたんだ。私が知ってる光に戻ってくれたんだ。安心して力が抜けた。
「光、教えてくれない? どうしてここに来たのか……」
今の光なら教えてくれる。光はゆっくり頷いて口を開いた。
――占いに頼った自分がバカだった。しかし光のそんな思いとは裏腹に、毎日と言っていいほどハガキが届くようになった。送り主はもちろん「フューチャーティーリング」である。
しかも住所だけが書いてあるのを毎回。いい加減、気味が悪くなってきた。
「……行ってみるか」
相談したいわけではない。むしろ行きたくない。だが放っておくと、もっと気持ち悪いことが起こるような気がする。一回いってみて、ケリをつけようという考えに至った。
幸い、その日は土曜日だった。光はそのハガキを持って玄関のドアに手をかけた。
「あら、光。どこ行くの」
「ちょっと遊びに行ってくる」
「……そのハガキは?」
「友達に頼まれたんだ」
「そう。まぁ遊ぶのはいいけど早く帰ってきて勉強しなさいよ」
母親の忠告を「はいはい」と受け流しつつ、ハガキの住所へと向かった。
ハガキに書いてあったのは隣町の住所で、自転車で来るべきだったかと途中で思ったが案外近かった。しばらく歩いていると見慣れない住宅街の中にポツンとカフェのような店が一軒。おそらくここだろう。
念のため看板を確認すると、「future teering」とシャレた文字で書いてあった。大人気と言われている割には周りに誰もいない。家から出る時には考えなかったが、今日は休日だから混んでいてもおかしくないというのに。
まあその方が好都合か。そんなことを考えつつ店の扉を開けた。
カランカラン、という音と共に扉が開く。本当にカフェみたいなところだ。
「……いらっしゃいませ」
「えっ」
静かな店内に響く女の声。それに驚いて心臓が跳ね上がった。
「本田 光様、ですね?」
奥から聞こえる声は比較的若い女性のものだ。占い師はおばさんのような人を想像していたので少し意外だった。
何で名前を……ますます気味悪い。しかしここで怯んでどうする。俺はケリをつけに来たんだ。
「そうですけど。あの、このハガキに書いてある住所……ここのですよね?」
「ええ。お越しくださり、ありがとうございます」
「俺は相談しに来たんじゃありません。迷惑だって言いに来たんです」
ここから女の顔は見えないが、声を聞いている限り俺を面白がっている。
「だからもう送らないでください。失礼します」
バカバカしい。そう思って帰ろうとした時、
「しかし助けを求めたのはあなた……」
すぐ後ろから声が聞こえて反射的に振り返った。すると本当にすぐ後ろに女がいて思わず扉に背中をぶつけた。――な、なんだこの瞬間移動!?
「助けなんて……求めてません」
そう言って女を睨むと、
「そうでしょうか。あなたはまだどこか迷っていらっしゃる……」
「は……?」
「不安は恐ろしい。人間を突き動かし続けるエネルギーになります。それを止められるのは自分しかいません。しかし自分では止められないのです」
何を意味の分からないことを。俺は不安なんか……
「相談された方々は全員、願いが叶いました。しかしその代償は大きいのです。それでも人間は自分の欲望に勝てないのですから。――たとえ大切なものを失ったとしても」
背筋がぞっとした。……大切なものを、失ったとしても。
「あなたには愛する人がいるのでしょう?」
なぜこっちを向いてくれない。なぜ俺から離れていく。追いかけても追いかけても掴めない。だったら閉じ込めてしまえばいい。どこにも行かないように――……
「あなたの願いを叶えましょう」
そして光の記憶はそこで途絶えた。
*
「光は、その占い師のところでここに飛ばされたの……?」
「そうみたいだ。気づいたらどっかの都で寝かされてて……そこが黄氏の都だった」
「黄氏のトップになったのはどうして?」
「分かんないけど……そうしないとって思った。たまに自分が自分じゃないみたいになるんだ。操られてるみたいに……」
今まで人が違うかのように変な言動ばっかりだったのは、もしかしたら――
「占い師の人に操られてたってこと?」
「多分そうだと思う。天下統一を目指したのも、鈴音を連れ去ったのも」
「じゃあ黄氏自体も光がつくったの?」
「いや、俺が来る前からあった」
でも領主様は最近できたって言ってたよなぁ。
「きっと知名度が低かっただけだ。そこから俺が有名にしていったから」
「それにしても占い師の人はどうしてこんなこと……」
こんなことして何になるんだろう?
「……これは俺の推測だけど。ここにタイムスリップしてきたのは俺の知ってる限り、俺と鈴音だけだ。つまり簡単に言っちゃえば、俺と鈴音の二人だけの世界」
「え、でもいっぱい人いるけど」
「例えだよ。それでもし俺が天下統一したとしよう。そうしたらこの世界は俺の思い通りに動く。つまり、鈴音を俺のものにすることができる」
「え、でも全部思い通りにはいかないと思うよ」
「だから例えだって。そんな風に考えると一応、俺の願いは叶ってることになる」
うーん、なんか難しいけど……なるほどね。
「でも俺が欲しいのはそんなものじゃない。今までここで起きてたのは、俺の願いが叶ったことの“比喩”だ。つまり“象徴”」
待って。あんまり難しい話されると分かんなくなるから……
「俺が欲しかったのは、心だ」
「心……?」
「俺の代償は、大切なものは心……だから鈴音が手に入ったとしても心は手に入らない」
心、か。確かに大事だ。
「ま、結局ここに来ても鈴音は鈴音で自由にやってるみたいだし。鈴音を手に入れようとして俺は鈴音を傷つけてた。その代償として受け取っておくよ」
「……そんなことないよ」
「え?」
「私はここに来て良かった。未来に戻りたいって思うことも、ここが嫌だって思うことも含めて全部」
後悔してない。光がそうしてくれたから私は今ここにいる。
「たくさんの人と出会ったの。みんな大変なことを乗り越えて今を生きてる……それが分かっただけで十分だよ」
秀広さん、桜様、領主様、風花、雪継、大介さん。そして光も。
「ここに来たから分かったこともあるの。未来に戻りたいって思うのは、結局そこを必要としてるからなんだよね。どうでもいいって思ってたけど……」
なくなって初めて気づいた。どんなにありふれていても、つまらなくても。そこが私の居場所だから。今まで見えてなかっただけで。
「私の大切なものは、未来なの」
大切にしようと思えばいつでもできる。それが今からでも遅くない。だって、ずっと変わらないものが見えてなかっただけなんだから。
「存在しているものの大切さがやっと分かった。だから私、未来に帰りたい」
もう、何も見失わないように。
「……そっか。うん、やっぱり……」
光は私を見ると、
「やっぱりお前は強いよ、鈴音」
そう言って優しく笑った。
*
それから数日後、私たちにとって大きな出来事があった。
「えっ、統一!?」
「ああ、良かったじゃないか。仲間が増えて」
そう答えたのは、私が知らないうちに壊れて私が知らないうちに復活した領主様である。いや仲間が増えるとかそういう問題!?
「じゃあ紅氏が天下統一したってことですか?」
「違うな。それぞれが統一に合意して一つの組織になるってことだ」
というのも、紅氏と紺氏と黄氏が一つの団体になる……つまり統一をする。そんな噂が流れてきたからだ。正確に言うと噂ではなく事実なのだが。
「ええー、どうするんですか! 人数増えるとご飯おかわりできなくなるんですよ!?」
「平和で何よりだろうが!」
とにかく、と領主様は付け足し、
「今日からこの都に紺氏と黄氏が来る。準備しとけよ」
「え、ちょっ……今日とか急すぎません!? 何もこんなボロっちい都で暮らさなくても……どうせなら引っ越しすればいいのに」
「ぼろっちいとか言うな! うちの都が一番大きいんだから仕方ないだろ!」
「新しい都建てればいいじゃないですか!」
「金がかかるんだ!」
「何を今さら! ここを修理する方がお金かかりますよ!」
あ、そういえば。
「あの、統一した後は誰が治めるんですか?」
「あぁそのことだが、三人で治めることにした」
「三人?」
「私と大介、それから光だ」
領主様が光の名前を呼ぶのはなぜか違和感がありますね。
「あ、新しい組織の名前! 何ていうんですか?」
「それは今日みんなが集まってから決める」
何だ、つまんないなぁ。でも正論だよね。
「うわ、すごい人数……」
本当に今日中に来ました。なんていうかさ、領主様って計画性あるんだかないんだかって感じだよね。
「あ、光~!」
光の姿を見つけた私はそのまま光に駆け寄った。
「あぁ鈴音か」
「ねえ、光ホントに偉い人になるんだね!」
「え? ああ……まぁな。偉いってほど偉くないよ」
いやいや十分偉いでしょ。もう私と比べモンにならないくらい。
「……おい」
後ろから低い声が聞こえてきて、私は後ろを振り返った。
「えっ……秀広さん!?」
なんで!? さっきまでいなかったのにいつの間に……
「もう体調大丈夫なんですか!?」
「ああ……大したことない」
でも頭に包帯巻いてるし。大丈夫なのか本当に。
「秀広さん聞きました? 統一のこととか」
「領主様から全部聞いた。……お前のことも」
秀広さんはそう言って光の方を見た。光も秀広さんを見ている。え、何この空気。
「……あなたが秀広さん、ですか」
「お前が光か」
あ、えーと……私いない方がいい感じ?
「鈴音から聞きました。あなたのこと」
うん、いない方がいいね。私はさりげなく抜け出してみんなが集まっているところへ行った。
「あ、領主様。もう始まりますか?」
「いやまだだ」
これから集会を開くのだそうだ。そこでついでに組織名も決めるらしい。
私はしばらくそこで待つことにした。
「鈴音から聞きました。あなたのこと」
光はそう言った。何を聞いたんだ一体。秀広は内心首を傾げたが光の次の言葉を待った。
「ちょっと怖いけど頼れる人だって言ってました」
そして光は「信頼されてるんですね」と笑う。
「普段は文句ばっかりいう奴だけどな」
という言い訳が先に来てしまうのは逃げか。
「でも羨ましいです」
「……何がだ」
「あなたは鈴音に頼られてるし信頼されてる。きっと何かあっても最後はあなたのところに行くような気がします」
そんなことを言われると恥ずかしいのと嬉しいのとで、どんな顔をしていいのか分からなくなる。
「でも俺は、……俺はいくら追いかけてもダメだった。それどころか離れていくようで」
その弱々しい笑顔はどこか寂しそうな、でも決心したような。
「もし、あいつが……未来に帰ると言ったらどうしますか」
さっきまでの空気は消え、張りつめた緊張感が秀広を包む。
鈴が、未来に帰ると言ったら?
あいつに限ってそんなこと。……ないと言えるのか。いつか側にいない日が来ても私は、平気でいられるのか――
「……そのまま帰すだろうな」
やっとの思いでそう言った。そうするべきなんだ。帰ると言ったら帰すべきで……ただ帰ってほしくないから迷っているだけ。それだけだ。
「たとえ、愛する人でも……ですか?」
光がそう言って秀広を見る。……ああ、こいつはそれが知りたくて。だからこんな話を。私がどれだけの覚悟を持っているのか――
「愛する人だからだ」
「え?」
「手放すことがあいつのためなら、私はその選択を迷わない。ただしそれは気持ちを伝えてからだな」
私はまだそれが出来ていない。突き放されると分かっているのに伝えに行くのだ。それでも伝えないと気が済まないと自分は言っている。そう、たとえそれが愛する人を失うことだとしても。
「だから伝えに行くんだ。突き放されるまで」
突き放されることに意味があると教えてくれたのは鈴だ。いつでも真正面から、そして正直に。突き放されるまで何度でも言おう。好きだと。
「……参りましたよ」
光はお手上げ、といった様子でそう言った。
「俺はあなたのように鈴音を手放すことはできない」
「……でも今回で学んだ」
「え?」
「手放すことで相手のためになると、今お前は学んだ。それでいい。お前は私より若いし、何よりもう一度やり直せる」
「やり直せなんて……」
「未来へ戻るんだろう? あいつと」
「あ……」
そして光は頭を下げ、
「ありがとうございました」
潔く言ったのだった。
「おい、起きろ。……おい、聞こえてんのか」
「……はぁい?」
秀広さんの声が聞こえて目が覚めた。……あ、やべ。寝てた!
「今ちょうど長ったらしい話が終わったところだ」
「うーん眠い……」
「次は新しい組織名の話し合いじゃないのか」
「え! ホントですか!」
どんな名前になるのかな。実は楽しみだったりする。
「それでは組織名ですが……貢献者に決めてもらおうと思います」
あれ、話し合いじゃなかったの? ていうか貢献者って何?
「紅 鈴」
「……え、はっはい!」
「君には組織名を決める権利がある」
「え、なぜに」
思わず聞き返すと、秀広さんに馬鹿! と怒られた。
目の前の男の人はおそらく集会の進行役で、そこそこ偉い人だ。それにしても決めろって言われたって。
「なるべく迅速にお願いしたい」
え、ちょっと待ってよ。そんなこと言われると焦るから! 私は自分の脳をフル回転させてどうにか一つの名前を思いついた。
「えーと、それじゃあ決めさせてもらいます」
この場にいる人全員の視線を浴びて、緊張も限界に達している。しかしそれを跳ね返すように私は言った。
「この組織の名前は、虹……虹氏です」
紅氏と読み方は同じだけど全然違う意味。三つが合わさって虹になる。ううん、私たちが虹を架ける。
「それでは“虹氏”で決定します。異論はありませんね?」
司会者の問いかけに誰もが頷く。その様子を見てやっと肩の力が抜けた。
虹は雨上がりの空に架かる。例えて言えば、私たちが争いを終えたように。光が言ってたみたいに、虹も何かの象徴なのかもしれない。でもそれは悲しみじゃなくて、幸せの象徴。偶然の重なり合い。
――だから、私たちも。虹のように幸せの象徴でいられたらいいな。
季節が春へ移り変わろうとしていた頃、私たちは新しい道へ歩き始めたのだった。




