大切な存在
やっと紺氏の都から帰ってきた次の日の朝、風花は領主様に状況報告をしようとした。が、
「あ……そうだ」
領主様は使い物にならないんだった。……言い方を変えよう、魂が抜けたように上の空だった。まあ、今までの分の疲れも一気に襲ってきたのかもしれない。いつでも冷静沈着で的確な指示を出す。そんな領主をやっていたらいつかはこうなる運命だ。そこはみんな分かっている。
とりあえず秀広のところにいかなくては。
「失礼します」
今では秀広の部屋となっている、領主様の部屋へと入る。
「ああ、風花か」
「状況報告にきました。……分かりましたよ、紺氏と黄氏のつながり」
風花はそう言いつつ、その場に腰を下ろした。
「大介は黄氏の光という奴に借りがあったんです。それを利用して光は紺氏を巻き込んだ。改革のために」
「改革?」
「はい。その後さらに調べたら、黄氏はいわゆる天下統一を目指しているようです。紺氏を味方につけるのはその第一段階。このままでは紅氏も呑み込まれるかもしれません」
黄氏に、光にしてやられるのは風花の情報屋としての意地が黙ってない。
「きっと鈴に何か吹き込んで紅氏を狙ってくると思います」
「鈴を連れ去ったのはそれが目的か……」
「……って、結婚するっていうことはつまり……黄氏と紅氏が親戚になるってことじゃないですか!」
今さらながら大事なことに気付く。そうか、黄氏はなんでもいいから紅氏と関係を持つことが目的なんだ! だとしたら二人の結婚を阻止することが光の改革を止めることにつながる。
「あたし、もっと調べてきます! このままじゃ終われない……」
「ああ、そうだな。頼んだ」
鈴、無事でいなさいよ。あんたの存在がこれからに関わるんだから。
鈴の存在が戦いの鍵を握ることを、風花は改めて感じたのだった。
*
――友達なんかじゃないし。
そう言い放ったのはつい数日前だ。まぁ、あれはノリで言ったようなものだが。
それからというものの、私は大勢の子に囲まれる日々を送っていた。鈴は由美のことを嫌いじゃない。今までそう思われていたらしい。しかしそれが違うとなると、由美のことを嫌っている子から必然的に好かれるようになったのだ。そのおかげでグチ聞きまくってるんですけど。……ふざけんなよ、こっちはお前の方が嫌いだわ。感じ悪いし、チャラいし、何より自己中心的。
「ていうかアイツ、なんか鈴のこと見てるけど?」
「えっ?」
アイツというのは由美のことのようだ。振り返ると確かに由美がこちらを見ている。その目がどこか、悲しんでいるように見えたのは――いや、哀れんでいるのか?
……この、私を?
「ちょっと行ってくる」
「え、鈴!」
ずかずかと由美の方へ歩いていくと、由美は私を見たまま言った。
「……かわいそ」
「は?」
かわいそう? 何が?
「あんな子達とムリしてつるんで疲れちゃってさ。……バカじゃないの?」
これはアレか、悪口言われてひねくれてんのか。でもそれを私にぶつけられても困る。
「そんなのどーでもいいじゃん。アンタにカンケーない」
「そうだね。だって私達、友達じゃないんでしょ?」
――なんだコイツ? そんなことを言いながらなぜ笑顔なんだ? その余裕の笑みは一体なんだ?
「作り笑顔しかできないの? そんなの誰にでもいい顔してるだけじゃん。あーあ、これじゃあイメージ、ガタ落ちだねぇ」
由美が今までより大きな声で言った。教室の中はいつの間にか静かになり、由美の声はよく響く。
「……うるさい」
黙れ。お前に何が分かる。
「みんなー、このコ今までニセの笑顔だったんだってー」
この私の痛みが分かるのか?
次の瞬間の記憶はなかった。ただ、気付いたら。
「ちょっと、やめっ……!」
由美の顔は右頬が赤くなっていた。――あ、私。
「鈴! やめなよ!」
由美をぶったんだ。
周りの声がやっと耳に入ってきて、私は初めて後ろから数人に押さえられていると気付いた。
「……なんだ、殴れるじゃん」
そう言って由美は私の頬をしっかりと、……打った。
「これでおあいこね。ていうか鈴は殴れないと思ってた、私のこと。だって臆病だから?」
「……ざけんな!」
腕が塞がれているので手は出せない。
「二人とも落ち着いて……とりあえず保健室、行こう?」
気の弱そうな子がそう言って(きっと保健委員だったのだろう)私と由美を保健室まで連れて行ってくれた。
ひと通りの手当てが終わると、その子は教室へ戻っていった。
「……痛」
自分の頬にバンソウコウの上から軽く触れる。やっぱりまだズキズキした。
重々しい沈黙が二人の間に流れ、その沈黙に負けたのは私だった。
「……あの、さ」
「何」
「なんていうか……ムカつかないわけ? みんなから好き勝手言われて」
「別に。もう慣れたし。ていうか私、昔から嫌われる性格なんだよね。たまに変な正義振りかざすから」
ああ、この前みたいな。心の中で思ったが口に出すとまた殴られそうなので黙っておく。
「でも言わずにはいられないんだよね。だから嫌われるんだけど」
アンタもはっきり物事言うよね、と付け足され私は首を傾げた。
「友達じゃないとか何の宣言よ、それ」
「それは……」
違うんだって、ノリで言ったんだって。でもそれは言い出せない。
「まぁとにかくキャラを取り戻すの大変だと思うけど頑張って? 陰ながら見てるから」
誰のせいだと思って。しかし由美は立ち上がりそのまま歩き出す。
「どこ行くのよ」
「教室だけど」
「……もう戻んの?」
「ここにいたってアンタと話さなきゃいけないだけだしー」
「言っとくけど、それこっちのセリフ」
「うわ、やなヤツ」
そう言って由美は笑いながら保健室を出ていった。それを見ると自然と口角が上がって――あれ? 私、
笑ってんの?
「……ホント、意味分かんないし」
けど、この微妙にあったかいような気持ちはなんなんだか。
由美に笑わされたなんて、一生の不覚だっつーの。
私はこの気持ちを悟られないようにごまかしつつ、教室に戻った――
*
あー、暇。誰か迎えに来てくれないかなぁ。切実にそう願うようになってきたのは正確に言うと二、三日前だが、ずっと前から思っていた気もする。だって勝手に連れ去られてから一週間経つってのに誰も助けに来てくれないだよ!?
ちょっと前に光から「ずっと好きだったんだ」を聞かされてからどうしたものかと悩んでいたが、しばらくしてそれは普通にスルーしていいものだと理解した。
とはいえやはり気になるものは気になる。ていうか気にしない方が無理だよね!?
まぁなんだかんだで光とは気が合ったから今まで一緒にいれたわけで。それが告白とくれば動揺するっての。でもなぁ。
――返事もらえないって結構ツラいんじゃないの?
うん、私だったら悲しい。好きな人にどう思われてるのか分かんないままなんて、やっぱり嫌だよ。
「おい、鈴音」
「ふぇっ!? はい!」
ああ……いきなり呼ばないで心臓に悪い。
「なんだよその返事」
くそ、私の優しい考えなど知りもしないで笑いやがって。いや知ってたら怖いけど。
「……ってそれはいいんだけど」
光が急に真面目な顔になったので私は思わず聞いた。
「何かあったの?」
「いや、大したことじゃねぇよ。鈴音には関係ないから気にすんな」
「気にするでしょ! そんな顔で言われたら!」
まったく、君に対して悩んださっきの時間を返したまえ!
鈴音と話しているとうっかり口を滑らせるかもしれないので、光はその部屋を後にした。
“なんていうか事故みたいな感じで”
“気付いたらここにいた”
悪い、鈴音。全部俺のせいなんだ。……でも。
そのことを言ったら鈴音はどんな顔をするんだ……?
いや、そんなことより今は戦いだ。きっと紅氏はもうすぐ攻めてくるに違いない。それまでに次の手を考えなければ。
「光様!」
ドタドタと足音が聞こえ、外で警備をしていた奴がこちらへ向かってきた。
「どうした」
「紅氏から手紙が届きました。鈴音様についてです」
「それで、内容は?」
「三日後に例の場所で待っていると……おそらく鈴音様を取り返しに」
「分かった。ご苦労」
まったくバカな連中だ。こちらがまともにノコノコ現れるとでも思っているのか。
「……強行突破、だな」
それが光のやり方だ。強行突破。光のモットーでもあり、実際にそれで黄氏を半年間まとめてきた。こんなところで負けてたまるか。
光は手紙を破ってその場に投げ捨てた。
――この前の一件で、みんなの由美に対する悪口や嫌がらせが少し落ち着いた。由美を怒らせると殴られるかもしれないという考えが広まったためだ。
……バッカみたい。だったら最初から何もしなきゃいいのに。
「おはよ、すず」
「ああ……おはよ」
そして由美も少しずつ私に話しかけてくるようになった。ケンカするほど仲がいい。……ってわけじゃないと思う、多分。でも私達の中にあったモヤモヤがほんの少し、晴れたような気がしていた。
それでもやっぱり気まずい。――友達なんかじゃないし。その言葉がお互いの胸にしっかりと突き刺さっているのだ。
「ねぇねぇ鈴~、今日遊ぼー」
「……いいけど、いつものメンバー?」
「あーうん、そうなんだけど……」
急に歯切れ悪くなったその子はさらに付け足す。
「……由美も入れようかなって」
「はっ?」
「いや、あのさ。いつも一人だから、あの子」
だからって理由になんのか? 内心首を傾げながら返事をする。
「なんでまたいきなり?」
「え~、なんか鈴……最近仲いいじゃん? 由美と。それに仲良くした方が……ほら、恨まれたりしないし?」
あぁ、そういうことか。要するにコイツは由美を味方につけたいわけだ。そうすることで由美から嫌われないように。……バカらしい。
「別にいいよ」
「ホント~? じゃあ誘っといてくんない?」
「うん、分かった」
「よろしくぅ~」
また面倒な役割を引き受けてしまったな、こりゃあ。
そしてその日の放課後、みんなでカラオケに行くことになった。
「それでは六名様ですね?」
「はーい」
「十七番のお部屋までご案内します」
カラオケに来たって正直お金の無駄。でも断ったら後から面倒だし。
「よーし、時間もったいないから歌っちゃおー」
「あ、そうだ! あたし、由美の歌聞いたことないんだよね。歌ってよ~」
「そうだよ歌って~」
うわ、これ断ったら恐ろしいパターンだ。頑張れよ由美。
しかし由美はずっと黙ったままだ。
「由美?」
声をかけても何も言わない。
「え~、緊張してんの~? あ、何歌う? 代わりに曲入れてあげよっか~?」
ううさい、と言いたかった。その言い方すごいムカつくんだよね。ふと由美の手を見ると、――震えていた。
「早く歌いなよー」
「みんな待ってるじゃん」
そう言いながら感じの悪い笑顔でその子達はくすくす笑う。
その時だった。
キン、と高いマイクのスイッチを入れた音が聞こえたかと思うと、
「じゃあ、一曲だけ」
そう言って由美は笑って見せた。まるで、感情を抑えたような。
由美の言葉に今まで笑っていた子は口を閉じた。そして由美は素早くタッチパネルで入力操作を行い、曲を入れる。
迷いのない行動に見えた。でも由美の顔は強張っている。
曲自体は流行っているわけでもなかったし、ポップなものでもなかった。ゆっくり、ゆっくり流れていくキレイな音。そういえば由美は音楽の時間、歌のテストで全然歌えていなかった。もしかしたら歌うのが苦手なのかもしれない。でも今の声はすごく堂々としていた。
しばらく由美の歌声だけが部屋に響いていた。
「すごーい! めっちゃうまいじゃん、もう一曲歌って!」
曲が終わるなりみんな口を揃えてそう言った。しかし由美は冷たい表情のままで、
「……ごめん、もう帰るわ」
そして鞄を持つと立ち上がり出ていった。
「え、ちょっと何?」
明らかにみんな困惑している。
「……あ、そうだ! 私、今日早く帰らないといけないんだったーじゃあね!」
早口でまくしたて、由美と自分の分のお金を置いてドアを開けた。
なんでそんなことをしたのか分からない。でも由美の背中を見たら追いかけずにいられなかった。
カラオケ店から出るとひたすら走った。昔から足が速いのが自慢のおかげもあって、由美にすぐ追いついた。
「由美!」
私が叫ぶと由美は弾かれたように振り返り、
「……なんだ、すずか」
と少し安心したように笑った。
「どうしていきなり、」
「あの空気が嫌だったからよ」
聞かれることが分かっていたのか、私の言葉を最後まで聞かずに答えた。
「あの人達、私が歌うの苦手だって知ってて歌えって言ったのよ。その場で帰ろうと思ったけど悔しいから最後まで歌ってやった」
「……そっか」
やっぱりあいつら、感じ悪い。由美がそう付け足す。
「だよね……私ももう限界」
思わず本音が漏れた。
「でもやってくには馴染むしかない、か」
由美が言いつつ諦めたように笑う。
「うん……」
返事をした自分の声はとても弱々しかった。
「だってアンタもあの空気の中やってきたんでしょ?」
「そうだけど……」
「じゃあ、そっちの世界の人間じゃん」
違うよ。私はあんなのの中にいたくない。
「はぁ~……うん。帰るわ」
そのまま由美が歩き出す。……違うよ、私は違うんだよ。ほんの少しだけど、由美と――
「あ、……待って!」
分かり合いたい。ただ、それだけなのに。
私の声は夜の人ごみの中に消えてしまった。多くの人が行き交う交差点。私と由美は交差することさえ――ううん、触れ合うことさえできないのかもしれないな。
“そっちの世界の人間じゃん”
その言葉が降らせたのか、雨粒が頭に落ちてきた。すれ違う人は急ぎ足で去っていく。
「……バカ」
“友達なんかじゃないし”
違うのに。違うのに。――違うのに。
「あんなの、ノリだっつーの」
それでも伝え損ねた言葉は私の中でどんどん大きくなって。
「……ごめん……」
私は雨の中、気付けば泣いていた――
*
「領主様、やりました!」
風花がそう言って駆け込んできたのは夕方のことだ。
「あ、間違った。……秀広さん、やりました」
まだ領主様に報告する時のくせが抜けないのだろう。秀広に話しかけてはいるが呼びかけが「領主様」だ。
「どうした?」
「大介から……紺氏から手紙が来ました。紅氏の援護に全力を尽くす、とのことですが」
それは黄氏から離れることを意味している。――しかし、なぜ大介はこんな判断を?
秀広の疑問を察したのか風花が口を開く。
「実はあたし、前に紺氏の都に行った時に大介と話したんです。その時にあんたがどれだけ大変なことしたのか、っていう感じで畳みかけたんで。罪悪感でいっぱいになったんですよ、きっと」
風花がいたずらをした子供のように笑う。
「でもこれで黄氏の暴走もなんとかなりそうですね。あとは二日後まで待つのみ、ですか?」
「ああそうだな。その時に鈴のことも含めて話してみるが……改革が具体的に何なのかが分からないとどうにもできん」
「え、でも天下統一を狙ってるって……」
「本当にそうなのか怪しいもんだぞ。紅氏なんて小規模な組織なのにどうしてそこにこだわるのか。……分かるか?」
「もしかして、鈴がいるから……でしょうか」
「きっとそうだ」
「そんな……」
このままだと鈴がどうなるか分からない。しかし手荒なまねをしてでも取り返すのは。それはきっと鈴が望んでいないだろう。
「どうなるかは誰にも分からない。もちろん私にもだ」
「……鈴は、どうなるんでしょうか。死んじゃうなんてこと……ないですよね……?」
風花は今にも泣きそうだ。
「それは……分からん」
悪い、風花。私には絶対大丈夫と言えるほどの自信はない。
「ここにきて諦めるんですか」
「諦めてはいない。可能性の話をしてるだけだ」
「……その可能性を……百まで近づけるのがあなたの役目なんじゃないんですかっ!」
透明な粒が宙を舞う。それを風花の涙だと認識するのに少し時間がかかった。
そして同時に自分に呆れた。滅多に泣かない風花を、――泣かせてしまった。
「お願いです。お願いだから……鈴を絶対に連れ戻してください。じゃないとあたし、」
「分かってる」
こんな時にうまく慰めてやれない自分に苛立つ。
「鈴は帰って来る。連れ戻してくるから、泣くな」
「当たり前ですっ」
風花は涙を拭うと秀広を少し睨んで言った。
「絶対に連れ戻してください。鈴の存在が紅氏にはすごく必要なんだって、やっと分かったから」
――カラオケに行った日から由美は明るくなった。その明るさは作っているものだが、みんなは何も言わなかった。
“馴染むしかない、か”
決心したのだろうか。やっと自分の立場の危うさに気付いたのだろうか。そんなことよりも、私は由美がそんな風になってしまったのが嫌だった。
友達じゃなかったはずだった。由美を庇うなんてとんでもないと。でもそれはいつの間にか「分かりあいたい」「笑っていたい」に近いものへと変わって。それに気付いた時、私は自分で驚いた。しかしすぐに思うのだ。もう遅いと。
私が由美を殴った時に由美は「なんだ、殴れるじゃん」と言った。そして由美も私を殴った。本気でぶつかってきてくれたんだって、後で思う。そんな人、今までいたのかな……?
「鈴、どしたの」
「は! え、え?」
「ボーっとしてたじゃん。帰らないの? みんな帰ったよ」
「あ、帰る帰る! じゃあね!」
「じゃあねー」
玄関まで階段を駆け下りる。外に出ると生暖かい風が頬を撫でた。ああそっか。もう五月だもんね。そう思っていると後ろから急に声をかけられた。
「すず!」
え、誰。上の空状態で歩いていたので状況理解が遅れる。
「な……何?」
帰り道くらい好きにさせろと振り向くと、由美が笑顔で立っていた。
「あのね、明日のことなんだけどーって、すず明日あいてる?」
由美の喋り方は前と変わった。それも嫌。全部、嫌。
「あーうん、あいてるあいてる」
それから遊びの約束をして由美と別れた。ああもう、なんか全部嫌だ。全部、全部全部全部。でも頑張れ私。「明るくて優しくて友達いっぱいの超イイ子」なんだから。……ま、キャラだけどさ。
「……すず」
そう聞こえた気がした。由美の声じゃないけど、どこかで聞いたことあるような。だから不思議とあんまり気にしていなかった。
信号のところで止まり、――って、え? 何これ?
そこで私の記憶はぷっつり途切れ、次に目が覚めた時には。
「貴様、そこで何をしている!?」
「ひっ」
後に私の教育係となる人に出会ってしまったのである。