蘇る記憶
私は何度も何度もあの時の記憶を頭の中で描いた。
今は金色に染まっているけど、あの時はサラサラで綺麗だった黒い髪。吸い込まれそうな瞳。男子なのに真っ白な肌。それが光だった。
私の目の前にいる彼はその光の特徴を全て持ち合わせていて、忘れかけていた記憶が蘇ったような感覚に陥った。
信じたくない。信じられない。でもこれは、
「光、なの……?」
光じゃなかったら誰? この人はどうしてここにいるの? 私の何を知ってるの――
「やっと気付いたか」
そう言って彼は笑った。その笑い方さえも光に似ていて。
私、どうして今まで気付かなかったんだろう。こんなに近くにいたのに、こんなに似てたのに、どうして……
「鈴、どういうことだ。こいつを知ってるのか?」
領主様に聞かれるが全く頭に入ってこない。
「あんまり気付かないもんだから、こんな騒ぎにまでしちゃったよ」
「……ごめん」
「気付いたんならいいけど。俺こそ手荒くしてごめんな」
「ううん。気にしてない」
光がポンポンと私の頭をたたく。この人が光だと分かった途端、その行動が全て光のものに見えてくる。前まではこんなんじゃなかったのに。
すると突然、自分の体が浮いた。
「え、ちょっと光!」
「相変わらず軽いなー、お前」
光に抱き上げられて完全にフリーズ状態である。
「いや、待って。マジで降ろして」
「じゃあ俺の婚約者になってくれんの?」
「意味分かんないし」
なんか光、いつもと……あの時と違う! 強気な性格に磨きがかかったな。
「なってくれないと降ろさない」
「なっても降ろしてくれないクセに」
「よく分かってんじゃん、俺のこと」
「当たり前でしょ! 何年一緒にいると思って……うわ!」
光が急に歩き出す。
「おい、お前! 鈴を連れて行く気か!」
「当たり前でしょ。コイツは俺の婚約者なんで」
「ちょっと待った、私いいって言ってないから」
「俺の独断。お前はいいの」
うう……領主様! コイツの暴走止めて下さいマジで!
「くそっ、仕方ない……」
そう言うと領主様は刀を抜いた。
「あれ、いいんですか? 紅氏は正義の味方だったのでは?」
光! 余計なことを言うんじゃない!
「……鈴を返せ」
「言ったでしょう。こいつはもう黄氏です」
ふざけんなよ! 勝手に決めんなっ!
……でもこのままじゃ紅氏の名に傷がつく。そんなの、――許せるわけないじゃん!
「光、降ろしなさい」
「なんだよ急に」
「降ろしてよ!」
「ちっ……強行突破か」
光はそう言うと同時に走り出した。そして黄氏の軍の中に突っ込む。ほぼ頭から投げられた状態で地面に降ろされた。……おい、女子だぞ。もうちょっと丁寧に扱え。
「痛いわねぇっ、何してくれ……」
光に文句を言おうとしたが黄氏の人達に囲まれ気まずいのでやめた。
「お前ら、鈴音を都へ」
ちょい待てやぁ! 私の意見スルー!?
「立て」
半ば強引に立たされ、なんだか乗り物的な――おそらく馬車ならぬ牛車だろう――ものの中に入れられる。へえ、うちの都では見たことないけどこんなのあるんだ。っていやいや、このまま私どうなるんですか――――――!?
*
「鈴……ちゃんっていうの?」
「……え?」
その子は私の名前を確認して、
「友達になってくれる?」
そう言った。
「うん、もちろん」
私はいつものスマイルを作って答えたが、
「……無理に笑わなくていいよ。その方が楽」
どうやら見透かされていたようだ。それが悔しくてつい言い返した。
「別にそんなんじゃないし。私の勝手でしょ」
そう言って教室を出た――
「おい、目ぇ覚めたか」
そんな声が聞こえて私は目を開けた。
「うーん……由美?」
「何寝ぼけてんだよ。俺だよ、光」
「なんだ、光か」
そして体を起こし、
「な、なんじゃこりゃあ――――――――――ッ!?」
領主様は珍しく上の空だった。
「領主様、そろそろ報告の時間です。部屋に戻られた方が……」
「鈴は、どうしてる?」
……だめだなこれは。仕方ない、私が報告を受けるか。
秀広は真次の部屋に行き、戸を開ける。――それにしても。
“紅 鈴。君には僕の婚約者になってもらう”
あの金髪め。一体何者なんだ? 鈴と随分親しそうだったが……あいつの目的は最初から鈴だったということか。だったらなぜ「春」などと――
「失礼します」
戸をたたき入ってきたのは雪継だった。
「……あの、領主様は」
「今はだめだ。壊れてる」
「そうですか」
「報告は私が代わりに受ける。お前はもう寝ろ」
そう言ったが雪継が去る気配はない。
「どうした?」
「……鈴のこと」
雪継らしくない不安気な顔だった。
「正直、私もよく分からない。領主様でさえあの状態だからな。ただ、」
一つだけ確信を持てる。
「鈴は裏切ったりしない。私は鈴の教育係としてあいつをずっと見てきた。鈴は必ず戻ってくる、絶対にだ」
「ええ、僕もそう思います。でも問題はそうではなく」
「なんだ?」
「鈴がいない紅氏を、誰がまとめるかです」
そんなの領主様に決まってる、と言いかけてそれを呑み込んだ。違う、領主様じゃない。あの状態で正しい判断が出来る領主様はもういない。――だとしたら、
誰がまとめられる?
「今までは鈴が道を示し、領主様がその道へみんなを導いていた」
雪継が自分に言い聞かせるように言う。
「でもその二人がいないとなると、一体誰がこの紅氏を?」
「それは……」
「あなたでしょう!?」
いきなり声を荒らげた雪継を驚いて正面から見つめた。
「あなたがこれからの紅氏を造るんでしょう? 違いますか」
これからの、紅氏。
「鈴はもしかしたら試しているのかもしれません。私達に何が出来るのか」
あいつにそんな考えを思いつくほどの能力はないだろう。ただ、鈴の持っている何かが私達を試しているのかもしれない。だったら、私達はそれに応えなければいけないんじゃないか――
「鈴はそれを望んでいるはずです」
雪継の目は相変わらず真剣で揺るぎない。
「……私一人で紅氏を背負える自信がないんだ」
「でしたら」
といきなり雪継が片膝を床につけて、
「僕を使ってください」
はっきりそう言った。
「……いい、のか? 振り回すことになるぞ」
「構いません。おそらく紅氏にとってこの時期はとても重要なものになります。それをどう乗り切るかが最大の鍵……」
そして雪継は秀広をまっすぐ見据え、
「僕は紅氏の行く末を見届けたい。あなたの横という、最前線で」
それは固い決意そのものだった。
*
「なんだよその顔。料理がマズかった?」
「違うよ」
「じゃあなんでそんな怖い顔してんの」
あんたのせいだよ! まったく、どこまで自覚なし!?
「なんで私がこんな格好しなくちゃいけないの」
というのは女の人が着るような着物というか、まぁとにかくそんなモンである。ついさっき目が覚めた時に奇声、いや悲鳴を上げたのもこの格好が原因だ。
「だってお前が着てたの男物だったし」
服自体はキレイだよ? うん、キレイだけどさ。とてつもなく似合わないんだよね私。大体、こんな重いの着てられっかよ!
ていうか女の人って毎日こんなの着てんだね。肩こりヒドいんじゃない? おまけに髪の毛も下ろさなきゃいけないから、邪魔くさいったらもう。……やっぱ私、男の方が良かったんじゃ。
「似合ってんだからいいじゃん」
「お世辞いらないって」
「お世辞じゃないって」
光もなんかさ、偉い人って感じだよね。オーラがにじみ出てるよ。
「ねえ、一つ聞きたいんだけど」
「何?」
「どうして光、ここにいるの?」
「ここって……」
「平安時代。どうしてここに来たの?」
私は来たくて来たわけじゃないんだけど。偶然に等しいもんだし?
「逆に聞くけどさ、鈴音はなんでここにいるわけ?」
「え……なんていうか事故みたいな感じで」
「事故?」
「うん。私、学校の帰りにトラックにひかれそうになって……気付いたらここにいた」
あの時、誰かの声が聞こえた気がしたんだけど……どんな声かは覚えていない。
「……じゃあ男になってたのはなぜに」
「いや、それなんだけどさ! ひどいんだよ、秀広さんに男だと思われてたの! まぁ秀広さんだけじゃないけど」
私がそう言うと、光が眉をひそめた。
「秀広って誰?」
「私の教育係。ちょっと怖いけど頼れる人だよ」
「ふーん。鈴音はそいつのこと好きなんだ」
「は!? 違うから!」
なんでそうなるの!? ないない、あり得ない! アレを好きとかあり得ないから!
「ねぇっ、光はなんでここに?」
「うーん……まぁ事故ってことにしといて」
「なんじゃそりゃ」
「それはそうと……今日の星キレイだなぁー」
あ、話変えやがった。まぁいっか。どうせ話す気ないみたいだし。
「あのさ。光、由美のこと覚えてる?」
「……うん」
「私……由美にヒドイこと言って、そのままここに来ちゃったの。ちゃんと謝れてなくて……気まずいっていうか、表面上は仲良くしてるけど」
ここに来る直前だって由美といた。遊ぶ約束して、そして……ここに来てしまった。
まだ謝れてないのに。ごめんって、あれは勢いで言っちゃったんだって、何も。何も言えないまま。それでも由美は私と話してくれたのに、私は由美のことなんにも分かってなかった……
「お前はいっつも由美だな」
光が急にため息まじりで言った。
「優奈のこと忘れたのか? あいつだって友達だったんだろ。まだ元に戻れたかもしれないだろ。辛いことは全部切り捨てて由美由美って……」
「うるさい!」
気付いたら叫んでいた。
「由美がなんだって言うんだよ! 結局お前、由美ともうまくいってないだろ!」
光が言い返してくる。
「あんたに何が分かるのよ!」
決まり文句かもしれない。なんだそれって笑われるかもしれない。でもね、私にとって由美がどんだけ、
「由美は親友なの! 唯一私のこと分かってくれたの!」
どんだけ大きい存在だったか。
「あんたに分かってもらえなくたっていい。私が分かってれば十分よ。由美はそこらの上辺だけの友達とは違う、もちろんあんたともね!」
光はいつもそう。私のこと何も分かってないくせにそうやって言ってくる。光に私の何が分かるの? 由美を否定するあんたに何が分かるの?
「俺は違う!」
「はっ?」
「俺はお前のことを一番よく知ってる自信がある。だから、」
光が私の目を見て続けた。
「だから、ずっと好きだったんだ」
――クラス替えの二年生。私は嬉しいのと悲しいのと両方混ざって変な気分だった。
“おはよ”
“……おはよ”
あの時の優奈の顔を思い出すだけで胸が締め付けられた。
一年生の夏、笑ってくれた優奈はもういない。健斗君が好きだと相談してくれた優奈はもういない。今日から一人だ。
優奈と同じクラスになったらどうしよう。優奈と違うクラスになったらどうしよう。一緒だったら気まずいし、違ったら気まずいまま何も話さず卒業かもしれない。
――どっちも嫌だ。
私は一組の方から教室の前の張り紙を見て回った。結局、自分のクラスは三組だった。
優奈は何組だろう? もう一度確かめようと足を動かして――やっぱりやめた。きっと知らない方がいい。そういえば光……あいつとも気まずいままだ。三組の中に光の名前は見た限りなかった。
「……もう、いいじゃん」
優奈も光もいない。じゃあ新しい友達をたくさんつくればいい。三組で好き勝手できることだろう。私の自由だから。
三組のドアは開いていたのでそのまま入る。一年生の時のような緊張感はなく、馴染みやすそうだった。
「あ、ねぇねぇ! ここの席の子~?」
明るい声で話しかけてきたのは三人組の女子だ。
「うん、そうだよ。よろしくね」
「よろしくぅ~」
ああ、出た。こういうの感じ悪いんだよな。でも合わせるしかないか。
「えーと、昨日のテレビ見た? 今すごい人気のドラマ!」
とりあえず誰でも知っていそうな話題を出す。
「あ、見た見たぁ~! 超いいよねぇっ」
「主人公イケメンだもんねー」
「え~? ライバルの方がかっこよくなぁい?」
「分かる~」
めんどくさい。めんどくさいけど耐えろ私。
キーンコーンカーンコーン。
「あ、鳴っちゃったねぇ~」
正直ホッとした。この子達とずっと会話をしていられる自信がない。
私は残念そうな素振りをしつつ、席に戻った――
*
朝の空気は冷たいが心地いい。秀広は布団を畳み終えると廊下へ出た。
「あ、おはようございます」
風花が律儀に頭を下げる。
「おはよう。今日は早いな」
「えぇ、ちょっと調べたいことがあるので」
それじゃあ、と立ち去りそうになった風花の腕を思わず掴んだ。
「……まさか、鈴のことか?」
そう言うと風花はため息をついた。
「違います。黄氏のことです」
「鈴だって今は黄氏だろ」
「そうですけど……あたしが知りたいのは黄氏と紺氏の繋がりです」
「繋がり?」
話し込む雰囲気になったので腕を離す。
「大介は鈴からの約束を破るような人ではありません。なのに今やっていることは裏切り行為……つまり約束を破っている」
「それで?」
「何か黄氏に脅されたのか弱みを握られたのか。とにかく、どうして黄氏と紺氏が手を組んだのかを知りたいんです」
大介の弱みなんていくらでもありそうな気もするが、風花が一番よく分かっているのだろう。
「だから今日は一日いないんで。よろしくお願いしまーす」
「待て。鈴のことは……」
「あーもうしつこいわね!」
急に振り返り、風花は秀広を睨んだ。
「いつになったら鈴から卒業するんですか?」
卒業……?
「鈴はとっくに一人で歩き出してる。あなたを頼らないで進んでる。教育係なんてもういらないんです」
「……あいつはまだ未熟だ」
「もちろん。だってあたしと同じ歳だもの。あたしと違って馬鹿だし。でも」
馬鹿と言うのは直球すぎないか。しかしそれは胸にしまっておく。
「鈴は立派な武士です。一人前の。だってあんなに堂々としてる」
秀広は鈴の後ろ姿を思い浮かべた。あの愛しい背中を。
「教育係だからって言い訳を使って鈴から離れられないでいるのは、あなたなんじゃないですか?」
「それは……」
「違いますか? あたしはあなたを見てるとそう思います。あたしが鈴だったら、しつこいからもうあたしに構わないでって言います」
風花の言葉は秀広の心を容赦なく刺してくる。……もう何も言えない。
「好きなのに好きじゃないって意地張って、好きなのに気持ち伝えるわけでもなく周りを動き回って。見ててなんか苛つきます。鈴のこと傷つけないようにとか言って気持ち押し込んでも逆効果ですよ」
そして風花は最後に言った。
「どうせなら潔く振られてくればいいじゃないですか。鈴は優しいからはっきりとは言わないかもしれないけど」
あの時。冗談だと受け取ってくれてもいいと思い告白したあの時。鈴はやっぱり優しかった。でも私はずっとそれに甘えていたのだ。
「後輩なのに生意気ですみませんね。今度こそ行ってきます」
風花は軽い足取りで出かけていった。
それを見届けてから食堂に向かう。その途中で雪継と会った。
「おはよう」
「おはようございます。……あの、風花がどこにいるか知りませんか」
「あぁ、風花なら今出かけたぞ」
「そうですか」
「追いかければ間に合うと思うが」
「いえ、いいんです」
そのまま歩き出しそうになった雪継だったが、
「そういえば……黄氏との戦いはどうするんですか?」
「攻撃はできん。向こうが仕掛けてくれば正当防衛として何かしらの攻撃はできるし、その隙に鈴を取り返すことも不可能じゃない」
「しかし今の状態では手も足も出ない。……ですか?」
「正解だ」
「きっとこれが向こうの手なのでしょうね。紅氏がどう出るかで大きく左右されますよ、今回は」
「そうだな」
その事実が秀広を怯ませる。――だが。
秀広は自分の手を見つめた。紅氏の未来は自分の手にかかっている。
「きっとうまくいく。……うまくいかせる」
「それでは僕もそのお手伝いを」
雪継は秀広の目を見て言った。秀広も雪継の目を見る。逸らさない、ように。
絶対に正しい道へ導く。それが私の役目だ。秀広は雪継の目を見てそう誓った。




