みんなの笑顔
「……落ち着いたか、鈴」
領主様が私の顔色を窺う。――正直、全然大丈夫じゃない。
こんなにたくさん話すなら先に言ってくれればよかったのに。
今、私の頭の中はぐちゃぐちゃだ。少し難しいことを言われたらパンクしそう。
「まぁ……そんなすぐに受け入れられるもんじゃないだろうな。……鈴、今日はとりあえず寝ろ」
「はい……」
私は部屋から出て廊下を歩いた。たった、一人で。
この季節の風はもう肌寒い。未来で言うと十一月くらいなのかな……
――ほら、こんな風に未来のこと考えてる。私は今すぐにでもここから逃げ出したい気分だ。こんなの違う。こんな現実、嫌だ。――こんなの知りたくなかった……
「秀広」
真次が秀広の名前を呼ぶ。まるで、
鈴を頼む。
――そう、言っているように。
「……分かってますよ」
あんなに泣きそうな奴、放っておけるか。
秀広は部屋から出ると小走りで鈴の背中を追いかけた。
「……おい」
声をかけると案の定、
「秀広さん……」
泣きそうな顔でこっちを見る。そんな顔するな、見苦しいったらありゃしない。
「……その……なんだ。……その顔やめろ」
「……えっ?」
「我慢するな。泣きたきゃ泣け、おさまるまでいてやるから」
「……う……なっんで……」
そのまま鈴は泣き崩れた。
「なんでっ……なんで……なんでですかっ……! なんでなんですかっ……!」
何がだよ、と聞き返したくなったが黙っておく。
「なんで……」
「――鈴」
秀広が言うと鈴は一瞬、泣き止む。
「……反則だ」
「は?」
「……なんでこういう時にだけ……」
それだけ言って鈴はまた「なんで」を連発した。何がだ、と聞きそびれた秀広を知っているかのように最後に言った。
「なんで私ってこんなに馬鹿なんだろ」
「……知ってたんだな」
真次がぽつりとつぶやいた。なんのことだか分からなくて首をかしげる風花に、
「養子だってこと」
そう付け足した。
「……聞いちゃったんですよ。大介……と母の会話」
「そうか」
「結局、あたしも鈴と同じだったかもしれません」
「え?」
「なんにも……昔のこと、なんにも分かってなかった。一番知ってるのはあなたかもしれません」
雪継が兄だったということも。
「どうだかな。お前は子供だったから仕方ないだろ」
「……雪継は知ってるのかな……」
思わず漏れてしまった心の声にも真次は律儀に答えた。
「知らないさ」
*
チュンチュンチュン……
「早く起きろこの野郎――――――!」
「わぁっ!?」
驚いて目を開けると逆さまの秀広さんの顔。それもめっちゃ怒ってるし。まぁいつものことだけど。
「あ~、びっくりした。朝からなんですか」
「お前が起きないから起こしてやったんだ、感謝しろ」
いつもと変わらない朝。いつもと変わらない秀広さん。それにちょっとだけ安心した。
「鈴、早く着替えろ。みんな待ってるぞ」
と、これは領主様だ。相変わらず――
「……秀広さんも見習ったらいかがですか?」
一発ゲンコツが落ちたところで今日は始まった。
「鈴」
「何~?」
「ちょっと来て」
訓練が終わった後、風花に呼ばれて中庭に行った。
「どうしたの?」
「ほら、これ見て」
「あっ……雪だ!」
風花が指さしたところにはうっすらと雪が積もっていた。
「そう、初雪だよ」
「……ここに来てから初めて見たなぁ……」
「え? そうなの?」
「うん。ここに来て最初の冬!」
「そっか……だったらなおさら綺麗に見えない?」
そう言って風花は雪をそっとすくう。ホント、綺麗。
「……この雪もさ、みんなに冬が来たって伝えるでしょ。雪が降ったらみんな口を揃えて冬だって言う」
風花が何を言いたいのかいまいち分からない。そんな私を見て風花はクスッと笑った。
「まるで鈴みたい」
「えっ……」
「鈴がいたらみんなが笑顔になるの。鈴がいるだけで……みんな平和なんだよ?」
ね? と風花が首を傾げる。
「なんか鈴、昨日からぼーっとしてるからさ。昨日のこと気にしてる?」
「……ごめん」
「別にそういうことじゃなくて。なんだろ、そうだなぁ……要するにさ」
私の手にポン、と何かが乗った。
「鈴が笑わないとみんなも笑えないの」
そっと手を開くと小さい雪だるまが顔を覗かせた。
「昨日のことは確かにすぐには忘れられない。でもね……鈴がそんな顔してたら誰もいい気持ちになれないのよ。鈴は鈴でいい。だから、あたし達のこと本気で気にしてくれてるなら、笑ってほしいの」
「……風花……」
「いつも通りでいい。なんなら昨日のこと忘れたみたいに振る舞ってもいい。だからお願い、普通にしてて」
手の温かさで雪だるまが少しずつ溶けているのが分かる。
それはまるで――私の中のモヤモヤが消えていくように。
「みんなきっとそれを望んでいるよ」
風花、どうしてそんなに優しいの? 私は本当に馬鹿で、意地っ張りで、何の役にも立たない。ただ明るいのが取り柄っていう……そんなしょうもない奴だよ。
「いつもの鈴に戻っておいでよ」
――涙が溢れた。それは雪だるまの頭上を濡らし、雪に溶けていった。
私ね、風花がいたから今まで頑張れたんだよ。
「風花」
「ん?」
「ありがとう」
「うん」
「風花」
「ん?」
「お腹すいた……」
私達は笑った。笑って、笑って、それでもずっと笑っていた。
そうだね。私がみんなの笑顔にならなきゃ。
*
コンコン。
「どうぞ」
「失礼します」
風花が戸を開けると、桜子はなんというか……微妙な顔をした。
「……今日はよくお休みになれましたか」
会話が無いので無難な話題に逃げる。
「ええ、まぁ。……そういえば」
桜子から話を振ってくれるようだ。安心して洗ったばかりの着物を畳んでいると、
「雪継さんとは上手くいってらっしゃるの?」
ゴン!
思いっ切りのけ反って壁に頭をぶつける。全く、何を言うのかと思えば。
「……そ、それは……まぁ、はい」
嘘だ! 自分でも叫びそうになる。実際、雪継とはあんまり話してない。
「……あの……それって、どうやって告白されてそうなったの?」
今度は前につんのめりそうになる。
「え? ど、どうやってって……」
「何を言って両想いに?」
「それは……」
“あたしも雪継が好き! 大好き!”
だ――――っ! 無理! 絶対言えないこれだけはっ!
「え、ど、どうしてそんなこと聞くんですか」
「そっそれは……」
すると桜子は思い切ったように顔を上げた。
「わたくし……鈴音様に告白しようと思うんです!」
……最初からそう言えばいいのに。というのは心の中にしまっておく。
「だから……参考までにあたしのことを?」
「はい……」
まぁそう来るだろうなとは思ったけど。けど! でも全っ然参考になんないよ!
「え……と、参考にはならないと思います。でも一応、これだけ言っておきますね」
風花はそのまま言葉をつなげた。
「告白の時は素直にならなきゃいけないんです。恥ずかしいとか、笑われるんじゃないかとか、そういうことよりも自分の気持ちが大切だから」
自分でも何言ってんだろうと思うが半ばどうでもいい。
「あと一歩、踏み出せれば見え方も変わってくると思うんです」
これって……あたし自身にも言えるんじゃないのかな。
「……ありがとうございます」
「え?」
「頑張りますね」
そう言って笑った桜子は文句なしに可愛かった。
「いろはにほへと ちりぬるを」
「わかよたれそ つねならむ」
「うゐのおくやま けふこえて」
「あさきゆめみし えひもせす」
「ん」
部屋に響く「いろは歌」。さぁ、歌ったのはいつぶりでしょうかね……
「やーっぱり、いいよなぁ……『いろは歌』って」
「そうか? お前の好みがいまいち分からん」
「分からなくて結構ですー」
そうなると私が困るがな、と秀広さんが言った。
「……どういう意味ですか?」
「なんでもない」
秀広さんの顔が少し赤い。……もしかして、もしかして照れてる?
でもそれを言うとめんどくさいことになりそうなので放置。私にはあなたの照れる意味がいまいち分かりません。
「いいじゃないですか、『いろは歌』。あーあ……私、鈴じゃなくて『いろはにほへと』って名前が良かった」
「……さらっと言ったけど長くないか、名前が七文字って。常識的におかしいだろ」
「あ、訂正! 『いろは』って名前が良かった」
「訂正しすぎだ! お前は都合が悪くなると本当に……」
「いっつも一言余計な人にあーだこーだ言われる筋合いありませんっ」
ガラッ。
不意に戸が開いて私も秀広さんも振り返った。
「……桜様?」
そう、そこには桜様がいたのだ。
「あの……鈴音様。少しよろしいですか?」
「え、はっはい」
急に呼ばれてちょっとびっくりしたけど、桜様はなんだかいつもと違った。
立ち上がったその時、
「鈴、もうこんな時間だ。報告の準備しろ」
「あっ! 秀広さん『鈴』って言った!」
「うるさい、そこはどうでもいい!」
「え……まだこんな時間ですよ。みんなだって……」
「いいから」
秀広さんがまっすぐ私を見据える。――行くなと言っているかのように。
「あ、じゃあ桜様の要件が終わってから報告……」
「だめだ!」
いきなり大声を出した秀広さんに思わずビクッと肩が動く。
「……ひ、秀広さ」
「いいから」
何? なんなの? なんで怒ってるの!? 喜怒哀楽が激しすぎるよこの人!
「お兄様」
そこに投げかけられた桜様の声は少し怖かった。
「桜様。もう遅いので……」
「すぐに終わりますわ」
そしてそのまま桜様に腕を引っ張られた私は部屋を出た。
「桜様!」
秀広さんの声が聞こえたにも関わらず、桜様は歩き続けた。
「……さ、桜様!」
「あっ、はい!」
桜様はまるで別人のようだった。なんだか、いつもと違う。
「どうしたんですか一体……」
私は息を整えながら聞いた。
「え、えぇと……その……鈴音様にどうしても言いたいことがあって……」
桜様の白い肌が夜の暗闇に包まれてより白く見える。
「はい、なんでしょう?」
「あ……えっと……」
なかなか要件を言ってくれない桜様に私は叫んだ。
「言いたいことがあるんならはっきり言って下さい! たとえどんなことでもわたしが受け止めますから! 私は逃げません!」
「鈴音様……」
そして桜様は私の言葉通り、はっきりと言った。
「鈴音様が好きです」
*
「だっから放っておけって言ったのにお前という奴は……」
「仕方ないだろ! あんな分かりやすいことされてとめずにいられるか!」
「桜様に嫉妬するな、くだらない!」
ぴしゃりと言われて何も返す言葉が見つからない。
「鈴なら大丈夫だろ、あいつはなんとかするさ」
真次がそう言うが今の秀広には説得力がない。
「うっかり口を滑らせて変なこと言ったら……」
「だからなぁ……」
いい加減にしろ、とでも言うように真次が制した。
「今まで鈴を教育してきたのは誰だ? お前だろ! 自分が教育した奴を少しは信用してやれよ」
「それは……」
違う、と言える筋合いは秀広にない。
「お前は鈴に厳しすぎだ。ちょっとくらい誉めてやれ、本気で落ち込むぞいつか」
調子に乗るからという理由で鈴をあまり誉めてこなかったが、本当の理由はそうじゃない。怖いからだ。
「そろそろ鈴がかわいそうだ」
誉めたらあいつは間違いなく喜ぶ。それもとびっきりの笑顔で。そんな顔を見て自分の気持ちに抑えが効くのか分からない。一度、あの時に言われたのを忘れた訳ではないが。
“今はとりあえずごめんなさい!”
だからどうしても抑えなければいけなかった。鈴を苦しめないために。
「……努力します」
秀広はそう答えるのが精一杯だった。
“鈴音様が好きです”
何回その言葉が頭をぐるぐる回っただろうか。百回、いや確実にそれ以上。
「……ありがとうございます。私も桜様のこと好きですよ」
分かってる。分かってるけど……今はそういう返ししか思いつかない。
「違います。わたくしはそういう意味で言ったんじゃありませんわ。わたくしは……恋愛感情として鈴音様が好きなんです」
自分の恋愛経験の少なさに後悔する。
あぁー! こういう時に使える決まり文句って何ー!?
「鈴音様、答えて下さい」
ここに来てから同性異性、合わせて計三回の告白をされているのになぜ!? なぜすぐに返せないんだ私は! てゆーか私、今モテ期? いやいや待て! こんな時に何を考えてるんだ悠長にっ!
「あ、えーっと……」
丁重にお断りしたいんですけどね。変に傷つけたら困るし。桜様を傷つけずに断る方法……って、そんな都合のいい方法あるのかなぁ?
「嘘はつかないで下さい。わたくし、どんな答えでも大丈夫ですから」
いいの? ホントにいいの? いいのね、言うよ!? 言っちゃうよ! えぇいもうどうにでもなれ!
「ごめんなさい」
「……え」
「あの、桜様の気持ちには答えられないです。私、……その……」
あ、しまった。断ったはいいけど理由考えてなかった……
「どうしてですか?」
「えーとそれは」
「わたくしに魅力がないからですか?」
「いや、そうじゃなくて」
「他に好きな人が?」
「そうでもなくて!」
「恋愛に興味がないからですか?」
そんなに問い詰めないでぇ! 桜様、怖い! 怖いです!
「もしだめなら、わたくし頑張りますから! だから少しだけ考えてもらえませんかっ? せめて考えてみるだけでもいいので! だめですか!?」
「勘弁して下さい! そういう問題じゃっ……」
「じゃあどうすればいいんですか!? わたくしのどこがだめかはっきりおっしゃって下さい!」
ぶちっと私の中の何かが切れた。
「だからそうじゃなくて私は女だから桜様どうこうとかっていう問題じゃないんです!」
「え?」
「……ん?」
「…………え?」
あれ? 私、今……なんて言った?
“女だから桜様どうこうとか――”
……あ。あ、え。え!? あぁっ!
「あ――――――――――――っ!?」
「え、え、え、えぇぇ――――――――――っ!」
「なんか今……やたらあの二人の声がしたのは気のせいか」
「気のせいにしたいけど私にも聞こえました」
仕方なく寝ようとしていた真次と秀広にもその声は響いた。
「限りなく嫌な予感するのはなぜですかね」
「さぁ? 私も物凄く嫌な予感がする」
そしてその声が冬を呼んだのか一晩中、雪が降り続けた。




