明かされる過去~終~
風花は少し罪悪感を覚えながらも秀広の背中を見送った。
“お前は大介のためにここにいるべきなんだ!”
またその言葉を思い返して頬が緩んだ。
――あたし、少しはあの人のためになってる……?
「おいっ、秀広! 行くぞ! ……あれ?」
大介が息を切らして戻ってきた。
「……風花、秀広は?」
「……知らないわよ。さっきそっちに走って行ったから、あなた達と一緒にいるのかと思ったわ」
なるべく動揺せずに言ったつもりだったが、嘘をついたのが大介だったのもあり少し間が空いた。
「本当か?」
「なんであたしが嘘つかなきゃいけないのよ」
「そうか。……ったく、どこ行ったあいつ……」
と言いつつ大介がまた向こうへ駆けていく。
「……はぁ……」
めんどくさいのね、男って。
*
息が整っていなかったが真次はそのまま紺氏の都へ入った。
ここに来れば、――義徳を倒せる。むやみに人の命を奪う義徳を――……
「おや、これはまた随分と小僧が入ってきたようですね」
「なっ……!?」
真次が振り向くと、そこにはいつの間にか男が立っていた。
反射的に刀を抜こうとした。が、
「いえ、別に僕は攻撃をしないので。どうぞお入り下さい。義徳様に用があるのでしょう、どうせ」
男はそう言うと向こうへ歩いて行ってしまった。
「なんなんだあいつは……」
ぽつりと呟くとそれに返事が返ってきた。
「僕ですか? ただの情報屋です」
「は、はあ……」
紺氏はこんなだっただろうか。なんだか人も少ないし、殺風景だ。
「誰だ」
奥から声がした。
「……お前は……真次、か?」
「そうだ。お前を倒しに来た」
はっきり言うと義徳は少し笑った。
「面白いな。どういう考えだ?」
「私と勝負しろ」
何も言わない義徳に怒りがこみ上げる。
「表へ出ろ!」
「何がしたいんだ」
「お前を倒すとさっきから言っているだろう」
急かすように真次が繰り返す。
「……いいだろう。ただし勝てるなら、の話だがな」
「当たり前だ」
少し冷たい風が頬に吹きつける。
真次は義徳の向かいに仁王立ちで構えていた。
「来い」
そう言って刀を抜き義徳に向ける。
「どうした、来い!」
一向に動かない義徳に真次は嫌気がさした。
「お前はむやみに人を傷つけたいのか」
「なんだと……!?」
義徳の言葉に真次は怒りを覚えた。
自然に体が動く。足は前に進んで行き、刀は義徳へと向かった。
カン!
「くっ……」
二本の刀が互いにぶつかり金属音を響かせる。
「お前は……お前は火をつけて人の命を奪った! なんの……罪もない人をだ!」
真次は一層、刀に力を込めた。
「……お前にっ、何が……分かる……」
義徳も負けじと力を入れる。
――風花は。風花は今どこで何をしているのか。本当は気になって仕方がない。
“あたしは養子なんでしょ!?”
そうだとしても。風花に分かるような愛情を注がなければいけなかったのに、
“裏切り者!”
健介もきっとそれを望んでいたのに。
“あんたらそれでも親のつもりかっ!”
そうだと言いたかった。たとえ養子でも、お前は私の子だと。お前を――愛していると。
風花のことを考えていたからだろうか。不意に力が抜けて足元が不安定になった。
ゴン……!
風花、お前は。
「……あ……」
私の子だ――……
鈍い音がして義徳が倒れた。いや、違う。正確には、倒れた後に鈍い音がした。
「おい! おいっ!」
呼びかけても返事がない。
「……ぁ……!?」
義徳の頭から真っ赤な血が流れる。どうやら石に打ちつけたらしい。
「あ……あっ……」
私は……私はこいつを……?
「違う! 私じゃない……!」
私が殺したんじゃない。こいつが勝手に倒れたんだ。私はこいつを押しただけだ。こいつが勝手に、
「真次!!」
聞き覚えのある声で、弾かれるように顔を上げた。
「……兄さん……」
幻覚じゃない。そこには確かに秀広がいた。
「真次! お前どうして一人で……」
秀広の言葉が途切れる。
「……兄さん……兄さ……」
「おい……真次……お前これ……」
「違う! やってない! 違うんだ!」
すがるように秀広に叫ぶ。
「……どうして……死んでるんだ……?」
「……私は……押しただけで、そうしたらいきなりこいつが力抜けて倒れてそのまま――」
「そうじゃない! どうしてお前がこいつとこんなことしてるんだ!」
「それは……」
真次は今までのことを必死に説明した。
「――とにかく、ここでこいつが死んでる限りお前への疑いは消えない」
秀広がそう言うと、真次はびくんっと怯えた。
「兄さん……これからどうすればいいんだ!」
「落ち着け。いいか、大介は紺氏になった。明日にはいなくなる」
「え……!?」
「大丈夫だ。あいつなら紺氏を変えてくれる」
「……あ、あぁ……」
「そして紅氏の都は全焼した。これから紅氏の奴らは色んな都に行くだろう。もちろん私達もだ」
そこで秀広が言葉を切った。
「新しい都に行けば私達を知ってる者はいない。何を聞かれても無関係だと言い続けたらなんとかなるだろ」
「でもっ……」
「秀広」
「え?」
「今からお前の名は秀広だ」
「何言って……それは兄さんの……」
「今から私の名は真次だ。いいか、これから私たちは名を交換して生きていく」
どういう意味かよく分からなかった。そんな真次に秀広は続ける。
「お前はこれから名乗る時、堂々と秀広だと言え」
真次は自然と頷いた。そんな真次に秀広は優しく頭をたたいた。
「帰るぞ」
そう言って歩き出した秀広に真次も続いた。
――そこに義徳の、風花への想いを置いたまま。
*
酷い有様だ。
大介はその場に立ち尽くしていた。
いくら事故に近かったとはいえ、紅氏の都は全焼だ。自分は明日にも紺氏になるため支障はないが、紅氏の奴らはどうするのか。――秀広は、どうするのか。
そんなことを考えていると後ろから足音が近づいてきた。
「しっ……真次っ!?」
大介の視線の先にあったのは真次の姿だった。そして秀広も。
「おい秀広! お前……今までどこ行ってたんだよ!」
「ちょっと真次を助けに」
「馬鹿か! 全く勝手なことしやがって……!」
何より二人が無事でよかった。そう思った瞬間、体中の力が抜けた。
「……秀広、これからどうするんだ?」
「どうするって……違う都に行くしかないだろ」
「また……会えるよな?」
そう言うと秀広が笑った。
「何言ってんだよ、当たり前だろ。お前らしくないな」
「……そうだな」
これが最後かもしれないと思うと怖くなる。――でも。
「大介」
秀広が強く拳を突きつける。
「おう」
大介もまた、それに自分の拳を合わせた。
強くて、優しくて、弟想いで、正義感が人一倍。そんな秀広だから今までやってこれたのかもしれない。そんな秀広だから心を許せたのかもしれない。
唯一、自分が戦友と認めた男だ。
たとえこれが最後だったとしても、会えなくても。二人の中には約束が生きている。
“この組織を変えないか”
大介と秀広は紅氏の都の上でおどる炎を見つめ続けた。
次の日。大介は風花と共に紺氏へと旅立っていった。
「じゃあ、な。またどこかで」
「おう」
大介はしばらく秀広の顔を見た後、そのまま振り返らずに歩いていった。
――心が通じ合っている大介はこれが最後だと誰も知らずに。
*
しばらくして、紅氏の都に住んでいた者はそれぞれ違う都に移っていった。
もちろん秀広と真次も例外ではない。
「……兄さん、これからどうするんだ」
心配が顔に出ている真次に、秀広は言った。
「そんな顔するな。安心しろ、もう行くところは決まってる」
「え?」
「紅氏は都を二つ構えてるんだ。今までいたところは大きい方の都で、これから行くのは小さい方だ」
「……そんなの初めて知った」
「あぁ、私も知ったのはつい最近だ。小さい方は都って言っても土地が紅氏の物なだけで、実際あんまり人もいなかったらしい」
秀広が笑ってみせると、真次もつられて笑った。
「でも……そんなのどうやって知ったんだ?」
「……推薦された」
「え」
「来ないかって言われたんだ。そこを治めてる人にな」
「それって……兄さんが弓矢うまいから?」
そう言うと秀広は照れたように頷く。
「まぁ、これで名字を変えなきゃいけないって面倒から逃げられるな」
「まだ紅氏でいられるのか……」
「真次」
秀広が真っすぐ真次を見る。
「兄さん、真次じゃない。秀広だ」
「あぁ、そうだったな。……秀広」
「なんだよ」
「……紅氏だということに誇りを持っちゃいけない。どの組織にいても、お前はお前だ」
“自分の自尊心を守りますか?”
雪継の言葉が今も鮮明に残っている。
「……別に、兄さんと一緒ならどこでもいいんだよ」
少し投げやりな弟の発言を、青い空が見守っていた。
随分、薄汚れているな。
大介は紺氏の都に入った時そう思った。それは風花も同じだったらしい。
「……なんか、汚れてるわね」
「あぁ、乱れてるような感じがする」
とりあえず義徳のところへ行かなければいけない。大介はそこら辺にいた者に声をかけた。
「おい、義徳はどこにいる」
「……いない」
「は?」
「お亡くなりになった」
その言葉の意味を理解できない大介とは逆に、風花はその場から走り出した。
「おいっ、風花!」
大介も風花を追いかける。……しかし、死んだとはどういうことだ?
「……ぁ……」
風花の目線の方を見ると、
「……う……そだろ……」
横たわった体。動かない手足。それの持ち主は間違いなく――
「義徳……」
義徳がこの都にいない今、大介が紺氏の頂点だ。
雪継は少し迷っていた。義徳は真次に殺され、それを知っているのはこの都で雪継一人だ。
――この情報を振りまけば間違いなく紺氏の天下。
本来ならこれ以上にない機会だが、なぜか罪悪感が消えない。秀広を逃がした馬鹿な失敗も帳消しに出来るのに、だ。
この件はそんなもので済ませていいようなものではない。自分は関わってはいけない気がするのだ。
「ふっ……全く、いつから僕はこんな人間になったのやら」
義徳の風花に対する愛情と真次の義徳に対する恨み。どちらも分からなくはない。だからこそ、どちらがどちらを殺してもおかしくないと思った。
「本当にそう思うな」
急に後ろから聞こえた声に振り返った。声の主は同期だ。
「……なんですか、いきなり」
「いつからお前は義徳様を裏切るようになったんだ」
ふと同期の手元を見ると刀が握られていた。
「……刀なんて持ってどうしたんですか」
「どうせ義徳様を殺したのもお前だろう?」
「違いますよ」
「問答無用!」
そして刀が上がったかと思うと、そのまま振り下ろされた。
「ここだな」
秀広と真次は紅氏の都の前に立っていた。
「……緊張するか?」
秀広が聞く。
「する訳ないだろ」
「そうか。私は緊張してるぞ」
真次が虚を突かれたように秀広を見る。
「……これからは色々あると思う。でも、お前は絶対に負けちゃいけない」
分かったか、と言うと真次は強く頷いた。
「……これ、あの弟のだわ」
「え……?」
風花が大介に差し出したのは防御具だった。小さいので真次の物だと分かったのだろう。
「まさか……真次が……?」
「そうみたいね。それ、隠しといた方がいいわよ。まだ気付かれてないけど、置いといたらいずれ子供の物だって分かる」
風花が防御具を指して言った。
――真次が。真次が義徳を殺した? 意図的に? それともこれは事故なのか?
「……とっても穏やかな死に方だと思わない? ほら、気持ちよさそうだもん」
「風花……」
「あたし全然、悲しくないのよ。だって……親でもなんでもないんだもん」
「……よせ、それ以上……言わなくていい」
「だってあたし……あたしっ、…………養子だもん……」
そう言って風花は涙を流し続けた。
*
それから三年経っただろうか。
秀広と真次は名前を交換したまま、誰にもばれることなく過ごしていた。
大介は紺氏の頂点に立ち紺氏を動かしていた。しかし周りの目が冷たくなっていき、ついに嫌がらせへと変わった。大介には、義徳のようなことをする道しか残っていなかったのだ。
雪継は、あの時の衝撃で記憶を失った。健介が父ということも、――風花が妹ということも。
そしてそれは突然やってきた。
「川中鈴音、です」
目の前の少女が言った言葉に真次――秀広は怪訝な顔をした。秀広の隣にいた、この都を治めている紅 桜子も同じような反応だ。
「鈴音様? 変わったお名前ですのね」
「あ、えーと……桜さんっていうんですか?」
「はい。紅 桜子と申します」
「あ、あの。あなたは?」
急に聞かれて秀広は少し戸惑った。
「ああ……私は紅 秀広と申す」
「……さっきお兄様って言ってましたけど、兄妹ですか?」
「はい。そうです」
桜様が躊躇なく答える。本当の兄妹ではない。
家族構成を変えれば昔のことがばれずに済むだろうという真次の考えに、桜様は快く了承してくれた。今では完璧にそういうことになっている。
全てがうまくいっていたはずなのに。なのになぜ、
「秀広さーん!」
――なぜ私はこんなことになっている?
「なんだ」
「え……いや、領主様に秀広さんのとこ行けって……」
「ああ、そのことか」
こいつは本当になんなんだ、一体。
「はい、これからよろしくお願いします!」
どうして私がこんな奴の教育係なんだ。
「……お前、」
それなのに。
「はい」
「さん付けは止めろ」
「え?」
「私のことは、秀でいい」
こいつに親しみを感じてしまうのは、
「……分かりました。……秀」
親近感が湧いてしまうのは、
「さん……?」
――なぜなんだ。
その後もこいつには振り回されてばかりで。
“はい、嫌ですね。絶対”
“えッ、嘘っ!?”
“秀広さぁ~ん”
“秀広さんが笑ってるところ見るとうれしいですよ”
大介みたいに信用できて、風花みたいに子供なところがあって、真次のように笑顔が人懐っこくて、桜様みたいにほんの少しだけ可愛くて、――自分のように正義感が強くて。
悪いことは誰よりも怒って許さないくせに、本当はすぐ泣くんだお前は。
だから目が離せなくなって守らなきゃいけなくて。
“今はとりあえずごめんなさい!”
どんな時も正面からぶつかってきた。そんなお前は絶対、正義の味方なんだろうな。
だから今だって辛くても逃げないんだろ? みんなのおかげだからって笑うんだろ?
散々振り回されて、それでもいいと思ってしまうのは。きっとお前だからだ。みんなそう思っている。鈴になら、と。そうしてこの世界は、組織は。
――今に至るのだ。




