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いろはにほへと  作者: 月山 未来
秋分―立冬の章
15/30

明かされる過去~弐~

 しばらくの間、体が固まって動けなかった。

「……やっつけた、か?」

 とつぶやき、秀広はようやく肩の力が抜けた。

 大介がおとりとなって出て行った後、秀広は油断していた敵を全て倒したのだ。

「とりあえず外は安心だな……」

 中に入っていった大介の安全までは分からないが、外の奴らはやっつけた。大介のことだ、都の中の敵に見つかるようなことはないだろう。後はこのまま様子を見て大介と合流すれば――

「くっくっくっ……」

 後ろから不気味な笑い声が聞こえ、弾かれるように振り返った。

「だ、誰だ貴様!?」

 ある意味不意打ちだった。ほっと一息ついているところに来たのだから。

 私もうかつだったか。目の前の敵しか見ていなかった。

「僕ですか? そうですねぇ、あなたの様子を上から見ていた者です。素晴らしい刀さばきでしたよ。さすが紅氏の期待の星」

 その男はどうやら木の上でずっと秀広のことを見ていたらしい。

「紺氏の奴か。そこから降りろ、すぐに倒してやる」

「随分残酷なことを言うんですねぇ……僕はただの情報屋です。刀を持っていないんですよ? それは不公平じゃありませんか」

 こいつ……腹立つ。余裕の笑みはなんだ一体。

「提案ですが。僕と取り引きをしませんか?」

「断る。こっちは急いでるんだ」

「まぁそう言わずに。実は、この都に義徳様はいないのです」

「……はぁ?」

 あいつがいない? そんな馬鹿な。何を言ってるんだこいつは。

「つまり、あなたの相方はそこへ飛び込んでいった。……意味がないんですよ、何も」

「そんな話、信じられるか」

「分からないんですか? 今のあなた達は紺氏の思う壷です。これは全て計画です。あなた達が森へ追い込まれたのも、そこからここへやってきたのも」

 ――そんなに前からか。じゃあ大介は。

「もうお気付きですね。大介さんの命は? さぁ、どうなってしまうのでしょう?」

「ふざけるな! 大介をどうするつもりだ!」

「だから言っているんですよ。取り引きをしましょうと」

 どきりと心臓が跳ねた。こんな時大介ならどうする? 考えろ。考えろ。

「このままだと大介さんの命はありません。しかし」

 男がうっすら笑う。

「あなたが紺氏にきてくださると言うのなら、まだ間に合いますが」

 ――くそ。だめだ、騙されるな。これは罠だ。こいつは紺氏だ。

「さぁ、どうしますか? 味方の命を助けますか? それとも」

 流されるな。

「――自分の自尊心を守りますか?」

 その言葉に打ちのめされた。紅氏でいることが自分の誇りだと。それを一言で否定されたのだ。

 紅氏も紺氏も自分達が正しいと信じて疑わない。相手の意見を聞こうともしない。幼いころはおかしいと思った。どうして和解しないのか。しかし歳を重ねるうちにそれもなくなっていた。

 両親に自分達が正しいと教えられ、相手は卑怯なのだと言われ、自分達が間違っている可能性さえも認めることを許されない。そうして正義は潰されていく。

 和解できないのではない。人々は和解するのを――諦めたのだ。

「早くしないとせっかくの機会が台無しですが」

 男の顔は相変わらず余裕の笑みだ。――と、秀広はふと思った。

 “――自分の自尊心を守りますか?”

 それは秀広が紅氏に持っている誇りを否定した。違うと言ったのだ。つまりこんな組織に、世の中に誇りを持ってはいけないと言った。それは同時に味方も否定することになる。

 こいつもこの組織に疑問を持っているのだろうか。幼い頃の自分のように。

 ――こいつは正当な奴なのか?

「……分かったよ」

 答えは自然に滑り出ていた。

「大介を助けてやってくれ」


 音を立てないように進んできたつもりだったが見つかった。

「……は、離せ!」

「うるさい騒ぐな!」

 なぜだ。なぜ見つかった。いつもならこんな真似はしない。

 ――何かがおかしい。

 秀広、悪いが私はもうだめだ。せめてお前だけでも逃げてくれ。

「君達、あまり手荒にすると後で面倒なことになるから止めてくれるかな」

 前から歩いてきた男がこちらを見て言った。

「君が大介か」

 やっと掴まれていた体が解放され、体の力が抜けた。

「……そうだが。何か用か」

「紺氏になって下さい」

「は?」

「もう一度言います。紺氏になって下さい。そうすればあなたを殺したりはしません」

「何が目的だ」

 大介は男を睨んだ。男はそれを受け取るかのように、

「――君が欲しいんですよ」

 あっさりと、しかししっかりと言った。

「意味が分からない」

「君は紅氏で一番の実力を持っている。純粋にそれが欲しいのさ」

「正気か?」

「君の相方もそれを望んでいる」

 一瞬肩が跳ねる。秀広が。秀広が、か。明らかに動揺している自分がいた。

「そんなに悲しいんですか。なんて味方を愛しているんだ」

「黙れっ!」

 ほとんど心の叫びに近かった。秀広がそんなことをするはずはないと。でもそれは――

「僕を恨まないで下さい。ただの中継役なので」

 違ったようだ。

「……ふっ、ふふ……」

「何がおかしいんですか?」

「だったらなおさらだな!」

 言い終わらないうちに男の顔面を思い切り殴った。そして素早くみぞおちに二発目を入れる。

「くっ……き、貴様何を……」

 今度は刀を抜いて後ろの奴らを切り倒す。

 そして全力で駆け出した。


「やっぱり戻ってきたのね」

「お、お前……」

 都から出てきた大介がかち合ったのは敵ではない。あの少女だ。

「早く来て。逃げやすい道知ってるの」

 こんな子供に助けられるのも気が引けたが――

「あたしを見くびってると痛い目に遭うわよ」

 全部お見通しか。笑っている場合ではなかったが思わず口元が緩んだ。


                  *


 迷った。確証はないがそう思った。

「……くそ……どこだよ兄さん……」

 思わず走り出したものの、ほとんど来たことがないこの森は真次にとって迷宮だった。

「痛っ」

 ふと足を見ると木の枝で傷ついていた。少し出血している。

 ドサッ。

 その場に座り込んで空を見上げた。――もうどうにでもなれ。

 きっと帰ったら説教が待っているのだ。私はもうどうなってもいい。ただ、兄さんだけは。

 真次は抜けられそうもない森の中で秀広の帰りを願った。


「はぁっはぁっ……おいっどこまで行くんだよ!?」

 大介は少女の背中を追いながら言った。しかし止まる様子はない。

「どこってあんた……遠ければ遠い程見つからないでしょうが」

「もういいだろ……体力消耗するだけだ!」

「なんだ、そんなことか」

 そう言ってようやく彼女は止まった。

「情けないわね、男なのにもう体力の限界? しかもあたしより年上じゃないの」

「……こっちはずっと動きっぱなしなんだよ」

「それもそうか」

 あっさり認められて少し虚をつかれる。

「まぁここまで来れば十分ね。やっぱり逃げやすいのはこういう街とか人の多いところよ」

「そうか? 見つかった時に逃げにくいだろ」

「でも見つかりにくいでしょ?」

 大介の考えの反対をいくのは彼女が子供だからなのか、それとも女性だからなのか。

「少し休む? 体力回復のために」

「あぁ、そうだな」

 子供のわりには大人と対等に話している。強気だからなのだろうか。

 二人揃って座れるところに腰を下ろす。すると、急にひどい疲労に襲われた。

「何か飲み物買ってこようか?」

「いや、いい」

 断ったが彼女は立ち上がってどこかへ行ってしまった。――まさか、疲れていたのがばれたのか?

 全くとんでもない子供だな、と思いつつ自然に笑みがこぼれる。

 “あたし、もうこんなとこうんざり”

 あの歳で組織の馬鹿さ加減に気付いたのだろうか。あれはもしかすると彼女なりに助けを求めていたのか――?

「はい、どうぞ」

 しばらくして彼女が戻ってきた。渡されたものに躊躇なく口をつける。……しかしそれをすごく後悔した。

「けほっ、な……なんだこれ!?」

 思わず声を上げると彼女が初めて声を出して笑った。

「あははっ、ごめんごめん。それすっごい苦いお茶。でも体にいいんだって」

 と言って自分もそれを飲み、うわっ想像以上! とまた笑った。

「……なんか全然笑わないから笑ってほしくて。ごめんなさい、あたしの勝手で」

 ――だめだ、泣くな。今泣いてどうする。

「……君、どうしてあそこを出た」

 とっさにそう聞いた。あそこの説明はいらないだろう。彼女が一番よく分かっているはずだ。

「な、なんでそんなこと……聞くの」

「知りたいからだ」

 彼女は少し迷っているようだったが、やがて口を開いた。

「……もうあそこはあたしのいるべきところじゃないのよ。誰も信用できなくなった」

「行くとこはあるのか」

 大介が聞くと彼女は驚いたように大介を見つめた。

「……それと同じこと、お父様も言ってたわ」

 お父様? と大介は頭の中で考えた。

「義徳が言ってたのか」

「えぇ、そうよ」

 ますます分からない。さっき彼女に健介あいつの子かと聞いた。そして彼女はなぜ分かると答えた。それは自分が健介の子と知っているからではなかったのだろうか。でも今、彼女は義徳を父と呼んだ。――まさか、

 自分が養子だということを知らない?

「はぁ……なんだか雨降りそうね」

 健介が死んだということも知らないのではないだろうか。彼女の中で健介は生きていて、そして義徳のところで健介が帰ってくるのを待っているのではないだろうか。

 そう考えると急に彼女が子供っぽく見えてきた。

「……なぁ」

「何?」

 自分でもどうしてかは分からない。しかし口が勝手に言っていた。

「私のところへおいで」

「……は?」

「って言ったらどうする?」

 彼女は少しの間大介の顔を見つめ、やがて俯いた。そして、

「嫌よ」

 とそれだけ言った。大介がなぜだと聞く前に理由を答えてくれた。

「全然関係ない人に迷惑かける訳いかないでしょ。それに気遣うの面倒だし」

「……はぁ……お前なぁっ、自分がいくつだと思ってそんなこと言ってんだ? 子供なんだから誰かに迷惑かけるのは当たり前だろう」

 子供、という言葉に彼女が反応した。……どうやら逆鱗に触れたらしい。

「迷惑をかける人はあたしが決めるわ。それくらいの権利はあるでしょ?」

 風花が怒ったように言う。だったらなあ、と大介は笑った。

「私にだって誰かを助ける権利はあるだろう?」

 そう言うと風花は驚いたように目を丸くし、

「……あなた名前は?」

「大介だ。君は?」

「……風花」

「いい名前だな」

 そうしてしばらく沈黙が流れる。唐突に風花が口を開いた。

「ねぇ、選んでいい?」

「は?」

「あなたにする」


                  *


 だんだん道が険しくなってきた。普通に歩いているだけでも体力を大幅に奪われる。

 “僕の名は雪継です”

 さっきの男はそう言った。正当かと思われる男だ。

 秀広は森の中を紺氏として歩いていた。もちろん紺氏の奴らも大勢いる。

 “大介を助けてやってくれ”

 また感情に流された。大介だったらきっと雪継のことなど信用しなかっただろう。

 全く、あいつの思う壷だ。しかし大介が助かってくれれば――

「ここら辺でいいか」

 不意に雪継の声が聞こえた。

「お、お前どうして……」

「どうして? それはついてきたからです」

 そして雪継の手元にあったのは――

「……情報屋じゃなかったのかお前は」

「いいえ? 情報屋です。しかし情報屋が刀を持たないなんて、そんな馬鹿な話がありますか」

「騙したのか」

「騙したなんて人聞きの悪い。ちょっと冗談を言っただけじゃありませんか」

 秀広も腰の刀に手をかけた。しかし、

 パシッ。

「おっと、手が滑ってしまいました」

 それは崖の下へ落とされた。そう、秀広の後ろは落ちたら終わりの崖だ。

「ここで終わりにしましょう。その方が楽じゃないですか」

「お前……最初から私を殺すつもりだったのか」

「あっ、そういえば。君の相方に逃げられてしまいました。紺氏になってほしいと言ったら」

「そんな約束はしていないぞ」

 秀広を突き動かしていたのは大介の無事、それだけだ。

「命は助けると言ったでしょう? 殺すつもりもなかったのに逃げた大介さんが悪い」

「随分卑怯な手を使うんだな」

 もう怒りが抑えきれない。――こいつを信じた私が馬鹿だった。

 すると、雪継の顔から笑顔が消えた。

「卑怯? どこがですか。人間とは所詮そんな生き物です。ということで、大介さんの代わりにあなたの命を頂きましょう」

「私が紺氏になれば済む話だろう」

 雪継はまた笑った。

「君も馬鹿だねぇ、大馬鹿だ」

 ついに何かが吹っ切れた。

「雪継! どういうつもりだ!」

「僕が欲しいのは大介さんだけです。あなたが欲しい訳ないじゃありませんか。しかし大介さんは逃げてしまったのでどちらも紺氏にならない。ということはどちらかの命を頂くのが正当でしょう。元々そういうお約束だったじゃありませんか」

 ――大介、最後まで役に立たなくてすまない。私はすぐ感情に流されるだめな奴だ。

「さぁ! 自分で飛び降りて下さい。武士として一番屈辱的な自殺という死に方で」

 しかし私は本当にだめだな。まだこいつに何かを期待しているのだから。

「……じゃあ最後に一つ聞く」

 雪継は初めて驚いたような顔をした。

「お前は紅氏と紺氏という組織に疑問を持ったことはあるか」

 秀広はまっすぐ雪継を見据えた。――これは純粋に知りたい。

「……そうですねぇ、ありますよ。今も持っている」

 今度は秀広が驚いた。

「こんな組織、偽善の塊だと思います。自分達のことしか頭にないくせに相手のことを知ったかぶりして、おまけに自分達が正しいと思っている」

 ――まさか。本当にこいつは。

「そんな正義など間違っている。本当の正義はもっと称えられるべきだ。それなのになぜだ? 正義を踏み台にして偽善を振りかざす者が偉いとこの組織は言う」

 こいつは正当か。

「それでも諦めない奴がいたのか? 味方を愛し味方に愛され卑怯者の僕に騙されても本物の正義を貫く馬鹿で考えなしのお前のような奴が!」

 涙があふれた。死ぬのが嫌だからではない。雪継に騙されたからでもない。

 ――こいつが正当だったからだ。

「お前を見てると……ちっとも偉くない奴にこき使われて、それをそのまま実行している自分のような卑怯な人間がとても小さく感じる。正義なんて、って思っていたよ。でもどこかで気付いてもいた。僕のような奴がいなくなればこの組織も変わるんだとね」

 雪継も泣いていた。――あぁ、そうかこいつは。

「だから死んでくれ。お前を見てると腹が立つ!」

「お前馬鹿だよ」

「は?」

「お前が一番正当だ」

 正義の味方だったんだな。

 その場に崩れ落ちた雪継の手から刀が落ちた。しかし、それを拾おうとする者は誰一人いなかった。

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