信用・平和、後悔
その日の朝の空気はすごく透き通っていた。
――今日でここともお別れか。
風花は荷物を持ってゆっくり立ち上がった。いつもより大分早く起きたため、まだ誰も起きていなかった。
カラカラ……
そのまま誰も起こさないように静かに戸を開ける。
「……四時か……」
まだみんなが起きてくるには一時間ある。――少しゆっくりしていこうか。
女だけどなめるな、とみんなに交って走った訓練所。
星が綺麗だったのもその時は気付かなかったけど、雪継と話した廊下。
鈴の名前のこと、結局よく分からなかったな。でも中庭もいい思い出。
そして――
「……雪継……?」
風花の目の前には確かに雪継がいた。初めてここに来た時、緊張しながら通った門の前に。
「風花!」
とっさに踵を返して走ろうとした。でもそれは出来なかった。雪継が風花の腕を掴んだのだ。
「……どうして……どうしてここにいるのよ……」
「それはこっちが聞きたいな。風花、その荷物はなんだ」
雪継は風花の腕を掴んでいる手に力を込めたらしい。全く振りほどけそうになかった。
「……離してよ」
「風花」
「離してよ!」
お願いだから――
「その前に僕の質問に答えろ。まさかここを出る訳じゃないだろ?」
「……知らない」
「風花!」
「もういいじゃない!」
お願いだから行かせてよ。
「あたしがここを出ても出なくても……あんたに関係無いでしょ!」
泣きそうなの。今あなたの顔を見ると……あたしはもう行けなくなっちゃうから。
やっと消せるかもしれないこの迷いを――また蘇らせないでよ。
“言わなかったら一生後悔するよ”
「……そうだな、関係無い」
雪継が風花の腕を離して言った。その言葉が胸に刺さった。自分で言ったくせに。なんで傷ついてんの、あたし。
「風花にとって僕はどうでもいい存在かもしれない。でもな」
今度は風花の手を取って雪継が続ける。
「僕にとって風花は、この世で一番大切な存在なんだ」
「……雪継」
「風花、僕は君が好きだ。迷惑だと思うけど……これだけは伝えておきたかった」
「……雪継……!」
思わず雪継に抱きついた。それを突き離すことなく、雪継は受け止めてくれた。
「……雪継……あたしも雪継が好き! 大好き!」
「風花」
雪継がまっすぐ見てくる。
「もし君がここを出るなら僕も一緒に行く。……でも、まだ早いんじゃないか?」
「……え?」
「君がなんでも抱え込む必要なんて無い。僕達は元々紺氏の人間だ。まずはここで十分信用を得てから出ていくべきだと思う。そうじゃないと、逃げたと思われるだけじゃないか?」
雪継が言っていることは正しい。……でも――
“お前はそれだけ……信用されてんだよ”
信用っていうものはとても恐ろしい。
「大丈夫、君は僕が守る」
雪継の手が頭にのった。
「……うん」
――雪継を信じてみようと思う。
*
「え――――――――――――っ!?」
この声は風花だ。そしてその隣にいる雪継も、驚きというより呆れた顔をしている。
「なんだ、これ」
雪継が言ったのは、目の前にある料理のことだ。
「ふっふっふーすごいだろー!?」
私は自慢げに言った。いや、もちろん私が作った訳じゃないんだけど……
「だれがこんなこと……」
「私が頼んだのさ! 今日は風花と雪継の記念日だからねー!」
「お前! 余計なことするな! そしてそんな大声で言うな!」
「別に私が言わなくてもみんなちゃーぁんと知ってるよ?」
「はぁ!?」
後ろでは秀広さんや領主様がニヤニヤ笑いである。中には「いやー、雪継にも春が来たなぁ!」と、もうすでにお酒の瓶を開けている人もいる訳で。
「お前が言ったのか」
ギロリと睨んだ雪継の顔は多分、今までで一番怖い。
「いやいや違うよ! 私無罪だから!」
「じゃあなんで知ってんだよ!」
「え、んーと……風花と雪継の微笑ましい光景を領主様が発見してしまってですねー……」
といいつつ領主様を振り返る。あくまでも私は悪くないという設定で。
「まぁ、そこから気を利かせてこの状態になりましたっ!」
「まぁじゃねぇ! つかなんで敬礼してんだお前は!」
「とっとりあえず座ってよー! せっかくの料理が!」
雪継は諦めた様子でその場に座った。
「それにしてもよかったねー」
「感情こもってないぞ」
「え、そんなこと無いよー」
だって前から両想いって知ってたしねー。今さら衝撃も何も無いっつの。
「本当におめでとう! 私もうれしいよ」
「その祝福は素直に受け取っておくよ」
さらっと返した雪継だが、まだ少し顔が赤かった。
「風花もおめでとう」
「……ありがとう。鈴のおかげで素直になれたよ」
「ちょっと待て、それどういうことだ」
雪継が突っ込んだところで、私と風花は目を合わせて笑った。
*
「はぁーっ、今日はすごかったー」
「でもお前、前から知ってたんじゃないのか」
「そうですよ! 二人から相談受けてたんですってー!」
「お前もそれぐらい信用されてるってことだろ」
おお? と秀広さんの顔を見る。……珍しく誉めてくれた?
「……なんだ」
「いや、秀広さんに誉められたの初めてかなーと」
「本当のことを言ったまでだ」
しれっと返されたのが今は素直にうれしい。ようやく認めてもらえたのかこれは!?
と、ガッツポーズしようとしたその時。
「調子乗るなよ」
ずこっ。なんてゆーか……これくらいで調子乗るって思われてるのがショックです……
「今までの私を見てましたよね!? 調子乗ったことありますか!?」
「それは調子に乗る暇が無かったからだろが」
う……確かに。紺氏が攻めてきて忙しかったし、自分が紺氏になったりだったし……
でもさぁ……実際私、偉くない!?
「せっかく誉めてくれたと思ったのにー」
「なんか文句あんのか」
「い――――――っつも一言余計なんですよっ」
「うるさい能無し」
「って今のは明らかわざとでしょう!?」
秀広さんは笑いつつ言葉をつなげる。
「まぁ……お前のおかげで今があるんだ。そこは自信持っていいんじゃないのか」
「え?」
「紺氏と紅氏が争うのを止めたのも、この都で平和にあいつらが恋愛できるのも。全部お前が頑張った結果だ」
私が――?
「……違います」
「え?」
「私が頑張ったんじゃありません。みんなが頑張らせてくれたんです。それに私……自分で何かしようと思ってした訳じゃないし」
わざとらしく胸を張って言ってみる。
まあ本当のことだしね。私はなんていうか、みんなの代表者みたいな気分で突き進んでたから。あーでもそう考えると私、ちょっと自己中心的かな。
「でも本当によかった。風花と雪継、あの二人すっごくお似合いだと思うんです」
「ああ、そうだな」
「お互いに相手のこと想い合ってるし。最初に会った頃から仲よさそ……じゃなかった!」
「は?」
「そーいえば……前に私が風花に連れて行かれた時、雪継と言い争ってました」
「……お前連れて行かれたのか」
「え、知らなかったですっけ」
秀広さんは顔で説明しろ、と言っている。
「えーと。私がいなくなった時、ありましたよね? それは風花に誘拐されたんですよ」
「え」
そうだったのか、と聞き返されて大きく頷く。
「その時そこに雪継もいて……なんか結構仲悪そうでした」
だって風花とか思いっ切り舌打ちしてたし。言葉遣いも荒かったし。
「でもどうやってあれからこんな状態になったのか……」
意味が分からん。ある意味ソンケーします。
「そりあえず一段落って感じですかね、私的には」
「あぁそうだな。お前はな」
「え?」
どういう意味ですか、と訊こうとしたら秀広さんはスタスタと歩き出してしまった。
「ほら、そろそろ冬眠の時間だぞ。子うさぎ」
「冬眠って……私人間ですから! しかもうさぎなんですか!?」
「可愛い方だろ、うさぎ。まだましだと思え」
可愛いとか可愛くないとかの問題じゃないってのよ! ……ん? 待て、可愛い?
「秀広さん! 私は可愛いってことでよろしいですかっ」
「うさぎは可愛いけどな」
「うさぎだけですかっ」
ちぇっ、いいですよーだっ。どぉーせ私、男だもん。
「いいから早く寝ろお前」
「はいはーい今すぐー」
次うさぎ見たら素直に可愛いって思えなくなるだろが、こんちくしょう。
「雪継もよく説得したもんだな」
そう言って笑ったのは真次だ。
「説得じゃありませんよ」
風花は部屋に呼び出されていた。
「雪継が言ったことには一理あるなって思ったし……雪継だから信じてみようかなって」
“ここで十分信用を得てから出ていくべきだと思う”
「そうか。……まぁおかげでお前もここにいることになったんだしな」
「……雪継が言うんなら仕方ないです」
「お前らの観察もできるしなぁ」
と真次が冷やかし半分で言った。
「したら殴り倒します」
「嘘だって」
即座に否定っと。……あたしが黙ってたら本当にするつもりだったな。
「……もう前みたいなあやまちを繰り返さなくて済みます」
「……風花」
「はい」
「お前が過去に失敗したのを後悔しているのは分かる。でも、もうその話はよさないか」
真次が険しい顔で言い、さらに続けた。
「この都にいるほぼ全員がそれに後悔しているし、思い出したくないと思っているはずだ」
戸にかける手を止めた。私が入ろうとしているのは領主様の部屋だ。
「……ごめんなさい」
そして風花の声も聞こえた。……失敗? 後悔?
「悪気が無いのは分かってる。まぁ、私もいつまでも隠し通せるとは思ってない」
「そんなっ……! ばれたらあたし達だって困ります!」
「どうして?」
「どうしてって……この都であのこと知らないのは鈴だけだし……でも」
私だけ――……?
「っていうことは……ばれたらほぼ全員が一言だけで全て分かるんですよ!?」
「ばれたってどうってことない」
「あなたのことを悪く言う人だっているはずです!」
「仕方ないだろ」
「諦めるんですか!?」
「……私はそれだけのことをしたんだ」
……何? これってどういう――
「――鈴。隠れなくてもいいんだぞ」
「え……?」
心臓が止まるかと思った。
「大丈夫だ。入ってこい」
「えっな、鈴っ……!?」
風花が慌てる。……だって向こうから私の姿見えてないよね……?
カラカラ……
少し申し訳ない気持ちで戸を開く。
「……鈴……」
風花が消え入りそうな声で私の名前をつぶやいた。
「……領主様、どうして」
「今はちょうど報告に来る時間帯だからな。それに、地味に穴あいてるんだぞ」
「え!?」
後ろを振り返って確認する。う……ん? 確かに穴……あります。
「あ、えっと……七班就寝の準備完了です」
報告は一応しておく。つい最近、報告係を任されたばかりだ。
そしてまた戸に手をかける。
「鈴」
「……はい」
何を言われるかはなんとなく分かった。……でも。
「気にしなくていいと言いたいところだが、お前は無理そうだな」
「…………はい」
逃げたい。いや、逃げなくてはいけないと思った。
「知りたいか?」
「領主様!」
風花が領主様に向かって叫ぶ。……まるで言わないでと訴えているように。
「鈴が知っている必要ありません! 何もそんなことっ……」
「お前だったら?」
質問は私から風花へ変わった。
「お前だったら一人だけ知らないことがあっても耐えられるか? 自分だけ隠されたままで、それを分かってて普通に振る舞われてうれしいか?」
ものすごく嫌だ。隠されていることじゃなくて、風花が嫌がっていることを聞かされるような雰囲気が。その何かを避けてきたのに、今ここで向き合わなければいけないのか。
「……嫌です」
風花が半泣きでそう言った。でも――そうまでして知るほどのことなのだろうか。今の状態では判断がつかない。
「分かるな? 鈴には今から話すぞ。もし嫌だったら出ててもいいが……」
「大丈夫です。最後までいます」
風花は強くそう言った。
……大体予想はできている。――思い出したくない過去のことだと。
「鈴、いいか」
「……ちょっと待って下さい」
心の準備が出来ていない。話の内容は分かる。でも心が追いついていない。
私は後ろを振り返って深呼吸した。
「じゃあその間に……秀広に了解とってくるか」
領主様がそう言って部屋を出た。
「……鈴……」
「……なんかごめん」
「ううん、鈴が悪いんじゃないよ。あたし達が隠してたのが悪いんだから」
「そんなこと……」
ないよ、と言うはずが声が出なかった。手が震える。――怖い。
「大丈夫……?」
風花が私の背中をポン、と叩く。それが優しくて安心した。……でも。
「……私が話聞いても……友達でいてくれる……?」
「何言ってんの。当たり前でしょ」
今の平和な関係が壊れてしまうような気がした。
「……ごめ、私……話された後、普通にいられる自信っ無い……」
「……うん」
涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。――何言ってんだろ。まだ話も聞いてないのに。
コンコン。
そのノックがやけに大きく聞こえた。戸を開けたのは領主様で、その後ろには秀広さんもいた。
「……秀、広さ……」
「秀広もいた方がもしもの時に安心だからな。連れてきた」
「おいお前、大丈夫……じゃないな」
秀広さんが私の正面に来て、頭に手をのせた。
「……大丈夫だ、泣くな」
「……はいっ」
思わず潤んだ声で返事をしてしまった。今はもうそれどころじゃない。
「これでいいな。……鈴、心の準備はいいか」
「はい」
「よし、今からお前が来る前のことについて話す。そのまんま真実だ、いいな」
怖いけど――大丈夫だ。私は強くなったんだ。
大丈夫と言ってくれる人がすぐ側にいる。信用できる仲間がいる。それだけで十分だ。後は――
覚悟だけ。
全員頷いたのを確認し、領主様は口を開いた。




